2011年8月16日火曜日

ちょいと前に戻るが・・・・  褌子

  大金もらって原発安全神話をふりまいてきた罪深い文化人を荒っぽく告発した佐高信の本を紹介したら、「水に落ちた犬はたたけ」と反応するかと思ったら「罪なき者は石をなげうて」と猫跨ぎさんが書く。こういう反応は不思議。
 放射能で生きているうちに故郷に帰れない人びとの面前で「罪なき者は石をなげうて」といえるのかどうか。
 敗戦後にも、こういう反応があったそうだ。
 小林秀雄は1946年「近代文学」二月号の座談会でこんなことをいっているという。
―――――僕は政治的には無知な一国民として事変に処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終わったときには、必ず若しかくかくだったら事変は起こらなかったろうという議論が起きる。必然というものに対する人間のはかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起こったか、それさえなければ起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省しない。悧巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」
 小林秀雄のいう“無智だから反省しない”という無智とはどういう意味かわからないが、原爆で焼けただれた少女の前でこんなことが言えるかどうか。こういう理屈に当時の戦犯達は喝采を送ったにちがいない。
聖戦だと騒いでいた連中が負けたとたんに民主主義者に変身したのを皮肉っているのならはっきりそういえばいい。「悧巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」とは悧巧ぶったいいざまだ。
 息子を戦死させて「軍部にだまされた」という国民に、「勝った勝ったと提灯行列していたときに戦争反対で獄死した日本人もいたんだ。“だまされた”という戦争責任もあるんだ」と映画監督伊丹萬作(1900~1946)は喝破した。
 もちろん私は原発から避難している人びとに「おかみと東電にだまされた責任もあるんだ」とはいえない。だました方が断然悪いに決まっている。地震が来たら原発に逃げ込めばいい(ビートたけし)などと東電の金でテレビでしゃべりちらしていた連中も罪深い。やはり水に落ちた犬は打つしかない。

0 件のコメント:

コメントを投稿