「今後、病気の原因が工場側にあるということがわかっても、これ以上の補償は求めない」
新たに見つかった瑕疵は問わない―と一般化すると、こういう論理は会社にいるとよく経験する。例えば会社同士で土地を売買する場合、将来土壌中に何か怪しげなものが出て来ても一切責は負わないという一項をいれたりする。単年で金の出し入れは済ませてしまいたいという発想が基本にある。
そうか、一般中古住宅の販売でも確かこんな一項は入れているはずだ。
そういう常識の中で処理してしまったという例だろう。こういう見たとこ血の通わない言い方を人間相手にするという異常さを感じる感性が無かった。水俣病の悲惨さが明らかになってその異常さがますます目立つのは、みんな知ってしまった我々の感性だ。
背景に我々は社会の為に重要な仕事をしている。君達は一般庶民である。これを下し与えるからもう騒ぐなよ―という明確な差別意識が有ったことはいうまでもない。
ところでチッソの交わした契約は工場技術者が書いたものではない。本社の法務部が作ったものだ。彼等は法学部出身であり、当然顧問弁護士と相談している。だから当時の法律専門家の判断でもあったわけだ。
科学哲学不在、はいささか大袈裟でないかい。
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