以下に述べるのは、おいらの漠然とした私見である。あんまり深い論拠はない。
おいらたちぐらいの世代と、そのちと前の世代を鉄腕アトム世代とよんだ学者がいる。確か小学校の3年で、あの鉄腕アトムの連載がはじまったのだ。そして、アトムの成長とともに、われわれの幸福な少年時代があった。アトムの物語は、科学技術の可能性と、その発展が人類の幸せな未来につながるという(漠然としたものではあっただろうが)、夢をわれわれにいだかせてくれた。 漫画を読みすぎて、乾電池と豆電球をつかってレーダーはつくれないかということを一生懸命考えてノートにアイデアを書いたのは、小学校の5年である。ああ・・・・
そして、科学技術に対する純朴な信頼感をもったまま、この世代は高度経済成長を支える中核に育っていく。それはまた同時に、同時に公害を引き起こした科学技術のありように深くかかわっている世代でもある。つまり科学技術の陽の面だけに目をうばわれ、あまり陰の面を考えることがなかった、あるいは少なかったのではなかったか。あるいはそういう視点の教育をあまり受けなかったのか。簡単にいえば哲学不在である。
このことについては、痛烈な記憶がある。水俣病の患者たちが、新日本チッソ水俣工場に対して、必死の抗議行動を展開した結果、会社側との間で損害補償の協定が結ばれることになる。初期の話である。その補償金は、わずかなものであったと聞く。ところが、その協定書の中には、「今後、病気の原因が工場側にあるということがわかっても、これ以上の補償は求めない」という一項が含まれていたのである。このときすでに、会社側の技術者たちはうすうすと原因はわかっていたらしい。有名な細川院長のネコを使った水俣病再現実験は、この前になる。
そしてのちに、この協定は民法にいう「公序良俗に反する契約」ということで、裁判所によって無効を宣言される。
「公序良俗に反する契約」というのは、たとえば人身売買契約などがこれに当たる。いったいなぜ、このようなことがおこったのか。そのとき、会社側の技術者たちはなにを考え、何をしていたのか。これは、日本科学技術史上のひとつの恥部であるだろう。このへんのことは、すべての工学部の教科書に乗せるべきだろうし、科学技術倫理とでもいう講義がひらかれるべきだろうと思うのだが。
なぜこうなったのか。ひとつは日本人と、近代科学技術の不幸な出会いがあるという気がする。黒船来航以来近代の西欧の進んだ科学技術に出会い、鎖国のなかで寝ぼけていた日本人の脳みそがごつんとぶったたかれてから、日本人はひたすらそれに追いつこうとした。その努力は大変なものだったし、それを可能にした素地もあった。だが、人間と科学とか、科学と社会といった、民主的なものの見方や、科学哲学などの側面は、ぽっかりと抜け落ちていたのではなかったか。 つまり、日本の近代科学技術は、その生い立ちにおいて、きわめて強く「実学」の側面を持っていたのである。実学とはプラグマティズム的なものである。(あくまで「的」である) つまり「役に立つかどうか」ということが価値判断の基礎になる。 その実学のひとつのあらわれが「工学部」だろう。世界最初の工学部は、実は日本でつくられたのは有名だし、公害が激しくなったころ、公害問題を専門に研究する講座は日本のどこの大学にもなかったと、宇井純さんが語っていたのを思い出す。
そして「役に立つ」ということは、日本経済の資本主義的発展とともに、簡単に「会社の役に立つ・・・もうけるかどうかに役に立つ」ことこそが「善」という方向に歪んでいく危険性が内在していたのではないか。それは哲学のない科学技術の当然の帰結ではなかっただろうか。その先に「公序良俗に反する契約」に手を貸した技術者が出現したようにみえるのだが。 鉄腕アトムには、ちゃんとした哲学もあったと思うのだが。今となっては年寄のぐちである。
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