別段今までの日本の有り様が予定調和的に上手く行ったなどとは少しも思わない。高度成長の陰でかけがえのない国土の風景が失われたのは無惨なことだった。二度と失敗は繰り返してはならない。
ただ漠然と思うのだが、人間は経験をしないと判らない生き物だ。
「三四郎」のなかで広田先生が食べさしの辨当をそのまま汽車の窓から外へ放り出すシーンがあった。今の我々はぎょっとするが当時は当たり前の習慣だったのだろう。
チッソ水俣で、排水を垂れ流したにもこれと似た位相を見る。海での拡散という昔ながらの神話を信じていた。有毒だと知っていたのにという責めを受ける。時系列的に事柄を並べるとぐうの音も出ない。出ないが、習慣でやってしまうという鈍感さが命取りになった。経済性を追求する余り処理を怠ったといえばその通りなのだろうが、ちょっと違う位相を見る。環境学が緻密になり、公害規制が整備される前の話だ。
当時の日本の10%超の経済成長の陰の部分と言えるだろう。今度の新幹線事故などを見ていると、中国の高度成長の陰に起こっているに違いないすさまじい事柄を想像する。日本のようなブレーキをかける契機が余りに脆弱だ。
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