2011年8月31日水曜日

函館通信152・・・ぽっとして・・・仁兵衛

 逸徳さんの話で昭和20年、30年台の事に集中していた所を読んでいてなかなか面白いと思った。50年以上も経っているのに昨日のような感じがする。東海村で原子の火が点った頃より10年ぐらい前に湯川さんはノーベル賞を貰ったが、小学生の自分も「すごいなー」と感心していたのだろう。科学の夢に酔いしれていたのかもしれない。その後湯川さんは原水爆禁止の世界科学者アピール活動行っているが、一方米ソをはじめ中国、英国、フランスなどが次々と核実験を行っていたのもこの頃だろう。米ソ核実験反対を叫んで大通りをジグザグデモで走ったのも同時期だ。そして五本さんにぽっとしていた自分も居た。
 国内では逸徳さんの言う公害汚染が深刻に進んでいたし、何か科学と技術の乖離が更に大きくなった時期なのかもしれない。しかしその技術の中で私自身食ってきたと思うと僅かながら内心忸怩たるものも感じる。まあ人間が生き延びるためにも更に科学技術の発展は必要と思うしそのときの選択が人間にとってますます重いものになりそうだね。
 
 俳句の17文字の中では自分の主張を前面に出すことは難しい。敢えて出そうとすればスローガンに化けるのかもしれない。ただ日記的に俳句を作っていると自分の歴史が出来てきているようでこれはこれで面白いと思っている。昭和20年、30年に自分が何を考えていたのか想像して句を作るのも一考である。又どこかでぽっとしたい。

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