2011年11月29日火曜日

菊の香や奈良には古き仏達・・・褌子

   いまある忘年会で酔っぱらって帰ってhorohorokaiを読んだところである。
―――――いままで実は言いそびれていたのだ。
   告白すれば晩秋の「菊」ほど愛してやまない花はないのである。しかも人倫による丹精込めた大輪よりもだんぜん野菊である。畑のすみっこ石垣のはしっこに摘むものもなく秋の暮れなずむ陽に照らされている野菊のあの色とりどりの花弁ほど味わい深いものはなかろう。
    頂上や殊に野菊の吹かれ居り  原石鼎
  私はどんなにこの句を秋の日々に口ずさんできたことだろう。
  教養博学きわめる猫跨ぎ氏によれば万葉集には「菊」をうたった歌は一首もないという。秋の萩などがあんなに歌われているというのに…。そうか、菊=キクchrysanthemumは渡来植物であったか。
 そこで酔眼のなか小学館万有百科大事典「植物」をひく。驚いたことに菊についてはえんえん四ページもある、萩はたった10行くらいなのに。
  そのなかで十六弁の菊紋の項に目が走る。戦艦大和の艦首のあの菊紋である。
 【菊紋】
「平安時代や鎌倉時代の衣服や調度の文様に菊花は好んで用いられた。後鳥羽天皇(1239没)はとりわけ菊を愛し、衣服、車、輿、刀剣などをその文様で飾り、それを後の天皇方が踏襲したことから、皇室の文様として使われるようになったという」
―――――といろいろご託を事典はのべているが、せんねん訪れた鎮護国家の比叡山延暦寺根本中堂には菊の紋章がおごそかに輝いていました。大唐帝国に留学した天台宗開祖の最澄に起源をおくという猫跨ぎ説がむろん正しいのであろう。
が、わたしには
   菊の香やならには古き仏達  芭蕉
をはじめ
   有る程の菊なげ入れよ棺の中  漱石
   菊咲けり陶淵明の菊咲けり   山口青邨
などよりも、やはり渡来臭の薄い  
   次の世のしづけさにある黄菊かな   浅井一志
などの川原ヨモギの匂いがする句が捨てがたいのである。

2011年11月28日月曜日

菊がきれいだ・・・猫跨ぎ

  寒くなって一段と清楚な美しさが目立つ菊。ところで菊の「きく」は音訓のどちらか判りますかな。正解は音読み。訓読みはなし。ということは、中国でもキクと発音しており、これは彼の国からの渡来植物であることが判る。唐代に交配により華やかな栽培種が作られ、それが奈良時代に日本にもたらされた。日本固有の野菊は二十種ほどあるが、カワラヨモギなどと呼ばれ、勿論、渡来の栽培種の菊とは違うものである。
菊を詠った歌は万葉集には一首もない。菊が普及するのは平安時代になってからで、以後日本で著しい品種改良を見た。重陽の節句に菊酒と称し、菊の花びらを盃に浮かべて飲む風流な習慣もそのころからである。菊と言えば皇室の紋章であるが、あれは本来、延暦寺の紋章であり、皇室に一時貸しているとお寺では言っているらしいが、真偽のほどは判らない。

2011年11月26日土曜日

陽だまりの樹・・・・褌子

   神保町の岩波ホールでイタリア映画『やがて来るものへ』をみた。ボローニア近くのレジスタンスの貧しい村民がドイツ軍に700人も銃殺された世界大戦中の事件を題材にしている。
   そのあとコーヒーをのんでから神田の古書店街を歩く。中谷宇吉郎全集とか永井荷風全集とかちょっと立ち読みする。
   手塚治虫の幕末長編漫画『陽だまりの樹』をみつけたので9巻全部3500円で買ってしまった。
   帰宅するやいなや面白くていっきに読んだ。中一男子の孫も読むかなと思って買ったのだが、濡れ場シーンもあるのでまだちょいと早いか。
   テレビは男系天皇はむつかしそうだから女性宮家の創設とか皇室典範の改正とか報じている。雅子さんストレスでますます荒れそう。22人の皇族のみなさん。がんばって男の子産めよ殖やせよなんて本当にご苦労様なことです。

2011年11月25日金曜日

誠にめでたい・・・褌子

   知らなかったが、中川先生の勲章はラ・マルセイユと三色旗を国歌国旗にしているサルトルの国からだから誠におめでたい。鈴木カップリングの鈴木先生のノーベル賞受賞もじつにうれしい。
  いっぽう平和賞はスエーデンでなくノルウエーが出しているが佐藤栄作元首相とかキッシンジャーとかに授与するなどたぶんに政治的で危うい。ソウカナントカ学会の名誉会長がノーベル平和賞の受賞工作を長年しているのは有名。この先生は全世界の貧乏大学などに金ばらまいてすでに250個もの名誉博士コレクター。年中、セイキョウ新聞にでている。「潮」「第三文明」「灯台」「パンプキン」とかに“文明対談”とかを毎回掲載しているがすさまじい俗物性と飽くなき名誉欲には驚嘆。
  文学、哲学そして宗教も現状批判精神があってこそ。だから天皇から直立不動で文化勲章もらって皇居の庭でにこにこしているようでは失格。
  話がそれるが平成天皇夫妻はとてもいいひとみたいだね。ナベツネの悪相と反対で、温和な人柄が風貌にでている。夫婦仲も良くてめでたい。体調よくないのに公務多忙。長男の嫁さんで苦労しているとか週刊誌にあることないこと書かれて気の毒。やっぱり君主制は人道上からも問題あり。いずれ消えゆく封建遺制ではないか。



2011年11月24日木曜日

勲章つづき・・・猫跨ぎ

  中川先生はフランス政府から或る勲章をもらっているので念のため。文化交流に関したもので正式名称は失念した。勲章一般にはそれ程目くじらを立てることもないと思うが。
ただノーベル文学賞なんかは、エンターテインメントの部分は構わないが、哲学的、思想的な分野では誰かに褒美を貰うというのは自殺行為になると思う。あらゆる既存の価値観からは自由であるべきという考え方は理解できる。サルトルはそういう事だったのだろう。ノーベル平和賞などはそう言う意味では、やや危うい所がある。

2011年11月22日火曜日

re:勲章・・・褌子

  そうか。サルトルのほうが偉いね。(サルトルはノーベル文学賞を断っているのですか?)
  しかし、日本人は勲章に弱いね。山田洋次監督もかなり高位の勲章もらってうれしそうな写真が新聞に出ていたことがある。さぞかし寅さんもがっかりしたことだろう。中川先生はまちがいなく勲章辞退するタイプ。しかし、学士院会員なんかに推薦されて毎月年金がでるとなると貧乏している学者先生にとっては魅力的だろうね。(わたしなんぞは賞状と賞牌、表彰式すべて辞退して、年金だけ内密にこっそりもらいたいタイプか(笑)
  総務省の賞勲局は大江健三郎の文化勲章辞退で赤恥かいたので、まちがっても辞退などしないように念入りに事前審査をしてからだすんだそうだ。
  夫婦で60年安保いらい共産党の活動していたおじさんが亡くなったのでお線香あげにいったところ、質素な仏壇のうえに黄綬褒章の額縁がかけてあったのでびっくりしたことがある。
  民生委員を何十年もつとめると順番で推薦されるらしい。民生委員はなり手がなくて困っているそうだが、このおじさんはずっと地域の生活困窮者の相談に献身的にのっていた。戦争中は熱烈な軍国少年だったというこのおじさんのなかでは、お国のため戦死したら靖国にまつられることも、人に尽くして勲章もらうことも、福祉政策改善させようと共産党でがんばることもぜんぜん矛盾なく共存しているわけで興味深い。ちなみに奥さんは日赤の従軍看護婦志願だったが戦地にいくまえに終戦になりましたといっていた。
この老夫婦のばあいはマルクス主義などの思想は関係ない。与えられた仕事はなんでも誠心誠意でとりくみ世のため人のためにひたすら生きてきたということなのだろう。

勲章・・・猫跨ぎ

  文化勲章には選定基準があるね。かりそめにも反体制的視座をもつ人間はまず選ばれない。大江健三郎はノーベル賞を受賞したので国も仕方なく文化勲章ということにしたんだろうね。大江もその辺は察知して断ったのだろう。
もっともスエーデンの王様にはぺこりと頭を下げたわけだからこの辺は一貫しない。サルトルはノーベル賞などジャガイモ一袋ほどの価値もないと言って断った。こちらの方に軍配を上げたい。文筆家はすべからく過激でありたい。

銅像公害・・・褌子

  句碑公害。まったく同感。佐渡島でも海のうえの断崖のうえにいくつもみた。いったい誰が勝手にたてるんだ。
 銅像公害(勲章公害も)もあるね。市原では長年自民党の県会議員だったAという男がなくなったら巨大な銅像が田んぼのなかの小さな神社のそばにたった。いわば公有地。こういうのを建てる取り巻きの根性がいやしい。だれかがペンキをかけたらしく長いことそのままになっていた。A氏が亡くなったとき小生はたまたま町会長をしていた。市の町会長会から、「A先生の御仁徳をたたえる『一掬の花』という御本が出版されました。町会長の皆様におかれましては壱万円以上の御寸志で御購入をお願いします」と回覧がまわってきた。わたしは生活相談を長年やっていた関係でこの議員に相談するとすぐ百万円とか相談料をとられると証言していた人を何人も知っていたので、「Aの生涯はカネカネカネだった。『一掬の花』なんてちゃんちゃらおかしい」と書いて奉加帳を送り返してやった。
  じつはA氏は戦後まもなくは左翼だった。が、レッドパージで自民党に転向したらみるみる才覚をあらわして蓄財し県会議長などをやった地方政界の有力者になった。
  さらにいうと読売のナベツネは戦前、東大の共産党のリーダーだったが弾圧されるといちはやく転向、同志を特高(このときの特高の責任者が正力松太郎)に売って生き延びて、正力の一番の子分として戦後日本の出世街道を上りつめた男だ。心胆の醜悪さかげんはあの風貌が物語っている。晩節をけがす典型的なタイプ。
  そのてん、辻井喬は立派だな。成金財閥の堤康次郎の妾腹のこどもに生まれセゾングループの総帥にもなったが、文学者としての誠実な生き方をいまも貫いている。心根の美しさはあの風貌が証明している(?)
  文化勲章を辞退した大江健三郎も立派。天皇から文化勲章もらってうれしそうにしている丸谷才一なんかよりずっと人間が信用できる。

胸像・・・猫跨ぎ

  人の悪口をまた言うのはどうもと思うがこの際いいか。読売本社に渡辺恒雄の胸像があると聞いた。生前に像を建てるのはオーナー経営で特に中小企業ではままあるが、いやしくも日本を代表する新聞社で、彼はサラリーマン経営者だ。きっと太鼓持ちが発案し、そうかそうかと相好を崩して了解したのだろう。すさまじい権力闘争を勝ち抜いて登りつめ、反対派を次々に排除していった先の醜悪な姿がそこにある。こういう人物が現役の主筆だ。社員は一体どう思っているのだろう。ジャーナリストはこういう形をもっとも厭わしく思うのではないかな。
  ついでに、句碑について。景勝の地に最近目立つようになった。芭蕉、蕪村ならまだしも、多くの人には全く無縁の人物の俳句だ。皆が皆俳句をたしなむわけではないのに、これは景観を邪魔する一種の公害だと思う。近代ではせいぜい正岡子規、高浜虚子までだろうが、なんと現役の俳人の句碑が続々と立つ。いつかNHKのラジオ深夜便で講師をやっていた某俳人が「私の十個目の句碑が出来まして」と悦に入っていたが、馬鹿じゃないかと思った。下品さが馬脚を現した。まず恥ずかしくないのだろうか。
飯田蛇笏は自分の句碑は作るなと言い残したという。さすがである。

2011年11月21日月曜日

ブータン・・・猫跨ぎ

ブータンの国王夫妻への好印象の声がさざなみの様に広がっている。今年の禍々しい出来事、政治も経済も、はたまたスポーツも不愉快な事象山積のなか、素朴で慎ましやかな印象がなんとも好対照に映る。こういう社会現象というのは、何事かを忠実に反映している。実に興味深い。ブータンの国花がメコノプシスという罌粟の一種。「ヒマラヤの青い花」ともいうらしい。ネットで見つけた。いやあ実に楚々とした美しさだ。

地球という星の・・・  褌子

日本シリーズも面白かったし、相撲も久しぶりに面白くなったね。
今朝5時ごろ、ラジオ深夜便で
地球という星の落ち葉踏みにけり  (詠み人 有馬朗人の奥さん)  という句を紹介していた。そのあとテレビCosmicFrontで「ブラックホール」をみた。ブラックホールの中心を望遠鏡でみるプロジェクトがすすんでいて、名大の若手研究者の4年越しの計算によれば東京から富士山の頂上にたつ人間の産毛がみえる解像度があればよいという。すでに地球上の電波望遠鏡全部を総動員して、地球全体をひとつの巨大望遠鏡にすれば産毛の手前の鼻毛くらいまでいけそう。人類はもうちょっとで銀河の中心にちかいところ2800光年むこうに存在が確認されているブラックホールの中心をのぞくことができるのだそうだ。こういう話をきくと好奇心満々の人類の一員でよかったと思うね。
  銀漢のうしろの闇をニュートリノ   などと口ずさんでいると何ともいい気持ちになった。
  ところが宇宙にはてを覗こうという人間と対極にある人間の醜悪な面だが、ナベツネという男が専横を極めている読売新聞社。人間もいろいろだな。

函館通信163・・・巨人軍・・・仁兵衛

 野球好きの私にとって今年の日本シリーズは面白かった。公式ボールの質が変った事もあるのだろうが高投低打で試合が締ったものになったのではなかろうか。負けた中日の落合監督はなかなか好きになれないがあの個性は捨てがたいものがある。
 ノーアウト満塁から登板したソフトバンクの森福の変則的な投球も面白かったし杉内のスピードはないがコントロールと打者とのうまい駆け引きには頭が下がる。応援している日ハムもこれらにやられたのだった。
 こんなに日本シリーズを楽しんでいる時に巨人の内紛が表に出てきた。野球界をまだ背負って立つとでも思っているんだろうか。もともとアンチ巨人だったせいもあるが少なくとも日本シリーズが終ってからにする位の奥ゆかしさがあってしかるべきではないかと思った。
 教養時代に体育で野球の授業を受けた。投手もやったがよく打たれた。打ったのは柳生君だった様な怪しい記憶がある。来年はダルビッシュが大リーグに行ったら日ハムも苦しくなるだろうな。しかし菅野は来なくてよい!巨人に行きたきゃいけばよい。

解雇・・・猫跨ぎ

  巨人は清武を馘首したが、まあ既定路線。しかし現役の頃は名うてのスクープ記者だったらしいからおめおめと負ける喧嘩はしないだろう。何かが起こりそうな気配。
社長、オーナー、代表、GMと誰がだれより上で誰が何をしており、どういう仕分けで仕事を分担しているのかさっぱり判らん世界だが、なに、あの爺さんの鶴の一声で何でも決まっていたことがはっきりした。内実は個人商店で、偉そうな経綸を書いている新聞の裏側がはっきりした。今朝も嫌な記事を見たが、長嶋が清武解雇はまったく正しいと語気を強めて言ったとか。これはすぐ判るみえみえのでっち上げ記事だと直感する。必要ならこういう捏造を平気でやる。
さて、どの新聞にしようか。東京新聞か。しばらく購読を止めるのも一つかな。

2011年11月19日土曜日

週末の雨・・・猫跨ぎ

このところ週末になると天気が下り坂。今日も雨のなか出掛けなければ。
ブログが煙の様に消えてしまったのは今頃だったか。丁度当欄を開いていたときで、動きが全く異常で、完全に壊れたと思ったが、過去が復元不能とは二度びっくりだった。ITの怖さだね。
色変へぬ松は私も知らなかった。長い季語はそれぞれに一癖あって面白いね。勃興する武士の代表の義家を配したのは通じていると思うね。勿来の関の故事は知らなくても。
 この際、私も使って見よう。
  色変へぬ松や彼方に無言館
先日当欄で国兼氏より、ホテルの選択でご丁寧に陳謝があったが、なんのなんの、あれも一興。全然構わない。大体、我々は贅沢に慣れすぎている。


2011年11月18日金曜日

注意!! 本ブログはオートセーブ機能がない・・・褌子

   いぜん、本ブログで誰かが、自分の発言を削除しようとおもって「編集ツール」 ⇒「記事の編集・削除」 ⇒「すべてにチェックを入れる」をおしたあと、「削除」ボタンを押してしまい、すべての過去発言が全部完全に消失してしまうという“想定外の事故”がありましたね。
  「すべてにチェックを入れる」は絶対いけません!!  自分の発言にだけチェックをいれて注意深く恐る恐る「削除」してください。
  じつはあの事故のあと、諸兄のすべての発言を自動保存(英語でオートセーブ)してくれるブログを探してほしいと、パソコンに詳しい甥っ子にきいたのですが、その回答を忘れてしまいすでに何年かたっています。國兼さんはITに大変詳しい人なので自動保存機能をもつブログなどをぜひ探して紹介して下さい。
  「人災は忘れた頃にやってくる」

八幡太郎・・・褌子

むかし、勿来の関跡を國兼さんと私を案内していただきましたね。
  武将の銅像があったような記憶があるがあれが八幡太郎義家だったか。義家の和歌の碑もあったんだね。
・ 湿拓を施す関の碑に 油蝉のこゑ染み返るなり
   湿拓って私には難解だが、拓本をとること?
   油蝉の声…山寺も油蝉の大群ではなかったか。one cicadaでなく。
・ 武士の礎築きし義家の 今日の世を見て何を思ほゆ
・ 古の蹄音する関跡に 太平洋より渡る春風
    源家義家の馬の蹄
・ 可憐なる猩々袴見つけたり 春まだ浅き関の古径に
  なかなかいい歌である。
  そこで八幡太郎義家について調べた。東北と縁の深い武将であることがわかった。義家のひ孫が源義朝で義朝の子が頼朝や義経だ。源氏は東国系、平家が西国系だということがわかる。清盛は助命した頼朝をわざわざ東国の伊豆に流したのが平家滅亡の原因をつくった。
「平安後期の武将。源頼義の長男。石清水八幡宮で元服し八幡太郎と号した。前九年の役に父に従って参戦,勲功により1063年(康平6)従五位下出羽守となり,やがて下野守に転任した。陸奥守兼鎮守府将軍として赴任,任国に起こった清原氏の内紛を私兵をもって鎮定した(後三年の役)。しかしこの戦乱を通して義家と東国武士間の主従結合が強化され、義家は〈天下第一武勇之士〉と評されるに至った。源義家が〈衣のたてはほころびにけり〉とうたいかけ、貞任が〈年をへし糸のみだれのくるしさに〉とこたえたという故事は,衣川柵脱出のときのことという」
腕っ節だけでなく文人でもあったようだ。              



2011年11月17日木曜日

函館通信162・・・八幡太郎・・・仁兵衛

 折角書き終って送信しようと思ったら急に画面が消えてしまった。同時にPC上で聞いていたNHK・FMの音楽放送も切れてしまった。何かなと思ったら地震速報が流れたせいらしい。(5時38分)
 句評有難う御座います。若干の補足して置きます。
 ・ 色変へぬ松に八幡太郎かな・・・お恥ずかしい話だが「色変へぬ松」という秋の季語を知らなかった。他人が使っている句を読んで一度使ってみたくなった。松と言えば私にとっては勿来の関の松が頭にこびりついている。
 源 義家はここで 「吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな」と詠った。確かに桜も種類多く古木もありなかなか美しい。しかし太平洋からの松籟も私にとっては捨てがたい訳だ。
 毎年ある関記念館の歌会に出したお粗末な歌を加えさせて下さい。
 ・ 湿拓を施す関の碑に 油蝉のこゑ染み返るなり
 ・ 武士の礎築きし義家の 今日の世を見て何を思ほゆ
 ・ 古の蹄音する関跡に 太平洋より渡る春風
 ・ 可憐なる猩々袴見つけたり 春まだ浅き関の古径に

無言館・・・猫跨ぎ

  ふと思い立って昨日、上田の無言館へ出掛けて来た。天気は快晴、風もなく落葉を踏みしめながらの一日。
無言館と分室、やや離れて信濃デッサン館の三館からなる。ぽつりぽつりと人が訪れる程度で静寂につつまれ良い雰囲気だ。一通り見て外へ出て前庭の椅子に座って持参の握り飯を食べているとふいに涙が出て来た。
それぞれの過酷な運命をいまさら喋喋しても始まらないが、何というべきか、ここにあるのはいきなりへし折られた青春そのものだ。それがそのままの形で止まっている。それが痛切に胸を打つ。
信濃デッサン館は村山槐多とか関根正二、小熊秀雄らの言うなれば夭折の画家達の小品を集めている。(槐多の有名な「尿する裸僧」は近代美術館に貸し出し中とか。)
あわせて、ここは青春の美術館だ。反戦のシンボルと見る向きもあるが、それとはやや違う印象を持った。館主の窪島誠一郎氏もそういう考えらしい。
上田電鉄にゆられて塩田平の秋色に包まれる山並みをながめて、しみじみとした爽やかな一日だった。
景色に山があるのは見る人を安心させる。山のない千葉と比べて改めてそう思う。

2011年11月15日火曜日

仁ちゃん句鑑賞・・・褌子

初雪に遅れカリヨン響きけり
    空気が冷たくかわいている。函館のナナカマドももう落葉したか
冬紅葉遺跡の海に果てにけり
   病んだ冬紅葉が風雨で傷んでいるのは♪~哀れをさそうわくらばや~♪
縄文の人に勤労感謝の日
    生き延びるために縄文人は必死で食べ物を探し寄り添って寝た。
    失業がない。搾取がない。飢餓寒さ病魔に襲われるが現代日本人よりも安息した精神をもっていたはず
色鳥やブラキストンを跨ぎゆく
  秋渡ってくる小鳥類を色鳥というんだね
  ブラキストンは幕末箱館にきて津軽海峡線を唱えた。
  つまり人間も本州人と道産子ではビミョウにちがうかもしれん
発車ベル響き終りて秋の蝶
   啄木もあっちこっち借金ふみたおし女泣かしてこんな風に転々していたなあ
色変へぬ松に八幡太郎かな
  八幡太郎といえば源家の義家だが、はて
【写真:千葉県央の城下町久留里の山のなかの神社のシイの木】

頑張って頂戴・・・猫跨ぎ

  そういう事であれば世は大腸ガン患者で溢れていそうだがそうでもない。まあ小生の長年の持論、癌はなる人はなり、ならぬ人はならぬ、ということとしたい。毎年一回尻の穴に何やら差し込まれて長生きしてもなあ。
それから、日頃、三杯飯を食い、あれこれ雑多なものを腹一杯食して、大酒を呑む、いうなれば悪食の諸氏は注意しなければならないが、いつも腹八分、質素な食事を旨とし、晴耕雨読を心掛けている私には縁のない話ということとしたい。
ケツの穴の小さい奴だとも何とでも言ってくれ。

専門家??としてひとこと・・・・逸徳

ポリープをばかにしてはいけません。とったポリープは通常組織検査にまわされ5段階で判定されます。安全が1で、ほぼガンという悪性が5。おいらはいつも3でした。どなたも大体3でしょう。つまりガン予備軍で、ほっておくとポリープは進行してがんになります。良性のまま、きのこがおおきくなるようなことは考えにくい。で、よく便潜血検査といって便のなかの血をしらべる方法がスクリーニングでつかわれていますが、正直あまりあてにならない。ポリープ自体が出血することは考えにくく、要するに便が通過するときにこすれて血がでるという場合を見ているわけで、出血しない場合も多い。逆にいえば見逃す場合があります。おいらは一度みのがした。つまり便潜血がなくて、内視鏡ではあったわけ。大腸内部はアコーデオンみたいにひだがいっぱいあり、そういうかげにはいると便でポリープが出血することがおこりにくくなるらしい。
なお、しまつがわるいことには大腸がんは初期は自覚症状はほとんどありません。自覚症状が出てきたときは、相当進行して壮年のがんの可能性が高い。それから検査前に下剤や腸内を洗うくすりをのんで中をきれいにしますが、これ体のためには非常にいい。体が軽くなって気持ちがいいのが実感されます。そのために、それだけを目的に年に1度、腸のそうじということで、医者にかかる人もいます。薬も事前の食事も進歩していますよ。昔ほど苦しくはありません。腹黒いひとはおすすめします。

腔腸先生も目に泪・・褌子

 ちまたは大腸ファイバーで盛り上がっている。
  こういう下賤なはなしは苦手なたちだが、火をつけた逸徳先生がいけない。
  はじめてポリープをとったあと家内の女友達とアラスカに行ったことがある。
  オーロラが出なくてがっかりした分、ホテルでは四人全員が大腸ファイバーの経験者で盛り上がった。異口同音、子供を生む苦労に比べたら大腸ファイバーなんて屁のカッパよ。ちょいと穴だけ出せば用が足りるんだもんねエ…というのである。
  その、ちょいと穴だけが男にとっては驚天動地、みぞおちあたりまで異物で刺し貫かれる痛さと情けなさには涙がでた。
  猫跨ぎさんにはぜったいオススメ。句境にも劇的変化が生じよう。げんに小蔵ひでをさんは大痔主快癒祈願から名歌が生まれた。
   食っちゃ出すヒトもナマコも筒一本
   ずんどうの筒に目鼻のおなごかな
   ぶすり串刺し腔腸先生目に泪

2011年11月14日月曜日

腔腸動物・・・国兼

  ポリープね、思い出すなー・・・。、97年に初めて大腸ポリープ検査をしたが、検査前段階の便の黄色みが無くなるまでの、2日間の医者から与えられた腸内掃除用の食事と特殊水に辟易した覚えがある。検査は麻酔薬で眠っている間に終わり、「ハイ、ポリープ切断肉腫です」と言われたが記憶は定かでない。何か数ミリ程度の小さなポリープが数個かあったらしい。「まだ、ファイバーによる熱源で切るには小さすぎるポリープがあるから、大きくなる数年後に来なさい」と言われたが、あの事前検査がうっとおしくご無沙汰している。医者の見立てを信じると、かなり大きくなっているのかも知れんが、でも血便も無く腸の調子も快調である。ポリープも、時に悪性腫瘍に変化するものもあるらしい(しかし、逸徳さんも11回目とか、よくやるね、美人の看護婦さんにこれ見よと・・・?)
 動物の起源は腔腸動物で、口と腸と肛門があったに過ぎない。この3部門があることによりそのはるか後のヒトの今日の繁栄がある。肛門が無ければ垂れ流しで、栄養吸収が出来なく今日まで存続・存在できなかったであろう。やはり、ギッと閉める部分が必須なのだ。その後のヒト族は虎のパンツや褌で何か恥ずかしそうに隠しているが、そうではなく、動物生存にとって」重要かつ必須のものである。アダムがリンゴを食べてからヒトは変な羞恥心を持つようになってしまった。

 話代わるが、今回のホロホロ会での酒田のステーションホテル、申し訳ない選定をした。ともかく寝るだけでよいと言うことだったのでコスト重視で選択したが、元大地主からウォーシュレットのトイレが無いとか、又エレベータのないホテルはと、評判がよくなかった。今後は中程度のエレベータがあり、ウォーシュレットのトイレがあるホテルにしよう。



 
 

ポリープ談義・・・猫跨ぎ

大腸ポリープの話が盛り上がっているが、逸徳氏と同じ感興を抱き、大分前
・動物は一本の管穴惑ひ
という句を作ったことがある。
このまえポリープは直腸付近に出来るのかいと聞いて、とんでもない、大腸全部だといわれへーと感心した。聞いてみないと判らないものだ。ついでに聞くが、そのポリープ(勿論良性だが)を放っておくとどういう事態になるのか。ポリープが林立して腸閉塞になるとか。
かくいう程この件については無知で、褌子、国兼両氏も尻の穴を掘られているとはなあ。そんな母親以外に見せていない恥部を見せることが出来るわけがない。そうか、皆さんはそうとは見せず、実は修羅場を潜っているわけだ。アナ恐ろしや。

RE:栄光の虚人軍・・・褌子

  猫跨ぎ発言にまったく同感です。まったく嘘つき虚人軍だ。ナベツネにひれふす読売・日テレ。老害極まれり。
  むかしも江川事件というきたない事件があったね。
  新聞は「東京新聞」がいい。もちろん「しんぶん赤旗」がいちばんまともだが。企業の広告のせないから原発の危険性も昔から指摘してきた。

仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

・初雪に遅れカリヨン響きけり
 森井宅ではカリヨンの良い音色が聞こえるのだろう。これで二回目かな。
冬到来を奏でているのかの様に。
・冬紅葉遺跡の海に果てにけり
遺跡の海が判らないが、沈船のことか。海岸よりにあるのだろうか。
・縄文の人に勤労感謝の日
北海道は縄文につづく続縄文時代というのが長かったとか。労苦に思いをはせているのだろう。
・色鳥やブラキストンを跨ぎゆく   
鶸とかジョウビタキなどの冬鳥。函館を越え津軽海峡をわたって本州に飛来する。あんな小鳥がねえ。
・色変へぬ松に八幡太郎かな   
 松の緑に源義家を連想したのか。よく判らないが。 
  
残りの五句はいつもの身辺記。
・宿題は三桁足し算暮早し
これはお孫さんのことかな。
・口上をつかへつかへて冬隣
まさか結納の儀ではなかろうが。
・出しゃばりのブーツ三足小六月
小姑たちがうるさい?
・発車ベル響き終りて秋の蝶
彼等も帰っていった。
・切り貼りの障子の桜三つ四つ
孫の室内運動会の後始末。

妄想多謝。

栄光の虚人軍・・・猫跨ぎ

  巨人の内紛が異例な形で表面化した。たかがプロ野球の一事だが私のなかでは激震だ。私は平均的なフアンであるから全国的には同じ反応が多いと思う。
渡辺恒雄は一介のサラリーマンで出世をとげあの地位に登りつめたのだが、どんな才覚があったのか院政どころかまだ現場で権力を揮っている。85才だ。変な爺さんだ位に思っていたが、今回の一件で嫌になったのは周りの取り巻きだ。清武が反旗を翻したのは余程のことだったのだろうが、一緒だと思っていた桃井とかいうオーナーが何とさっさと清武を切り、渡辺にすり寄ってしまった。原監督、この優等生男も大勢がはっきりすると、渡辺よりの姿勢だ。勿論読売はこの件を一切報道しない。栄光の、常勝の巨人軍の看板も何か滑稽だな。このエリート臭の滑稽さを本人達が気付かない。江川がここへ絡んでいるのもお笑いぐさだが。この爺さんは読売本社でも同じ感じで人事、紙面に口を出しており、下がみな靡いているのだろう。読売本社、巨人まるごと急速に薄汚く見える。
子供の頃から生え抜きの巨人フアンだったが、もう止めようと思う。長年の読売購読もこれで終わりだな。
日本のマスコミの胡散臭さの内実がぽろりと顔を見せたといえるかな。
仁句鑑賞の前にちょっとひと言。

函館通信161・・・冬に入る・・・仁兵衛

 面白い旅行記等を期待していたが直ぐにポリープ切除の話になってしまいいささか寂しい気がする。
 「小惑星地球かすめる良夜かな」!褌子さん本当に素直な良い句ではありませんか。これからが大いに期待出来ますね。自分で句作していて十個いや百個に一つぐらいしか自分でいいなと思えないのが通常ですが思いついたら直ぐに書き留めて置いてください。

 さて猫跨ぎさんの句を鑑賞しましょう。
 特選は褌子さん同様「銀漢のうしろの闇をニュートリノ」に尽きる。ニュートリノといった比較的新しい専門用語を柔かく使いこなしている技に新鮮さと緻密さを感じました。
 「白鳥の胸照らされて渡りきし」・・・大きな場景なんだが焦点を胸に絞ってありその光が何とも神々しい。函館でも特定の所に行かないと鳥渡りは見られないそうだ。
 「今日終り転がり出たる新松子」・・・上五の今日終りが意味深だ。その一日が単に終っただけではなさそうだな。だから季語のしんちぢりが活きてくるのかな。
 「即身仏の赤き衣や秋幽か」・・・湯殿山入り口の即身仏かなつかしや。

 函館は明日頃から寒波がやってくるそうだ。土曜日にタイヤ交換も片付け万全とまでは行かないが準備に怠らない。TPPで北海道の農水産業が壊滅するとの報道が多いいがもっと冷ややかに対処策を考える人はいないのかね。そんな中鈍句十句を出す。

  初雪に遅れカリヨン響きけり
  冬紅葉遺跡の海に果てにけり
  縄文の人に勤労感謝の日
  宿題は三桁足し算暮早し
  口上をつかへつかへて冬隣
  出しゃばりのブーツ三足小六月
  切り貼りの障子の桜三つ四つ
  色鳥やブラキストンを跨ぎゆく
  発車ベル響き終りて秋の蝶
  色変へぬ松に八幡太郎かな
 

カモシカのような美しい身体維持に苦闘・・・褌子

逸徳さん。崇拝する十一面観世音大菩薩さまの大腸ファイバー検査だけはいかん。ぜったいいかん!。聖母マリアさまなら一回くらい黙認してもよい。
  じつはわたしも九年前に大腸ポリープをはじめて1個とった。一泊入院までした。また、そろそろかと思って大腸ファイバー検査を申し込んだら、事前の診察にきてほしいというので、さきおととい行ったら、いきなり大腸ファイバー検査なんておおげさです。まず便潜血検査ですよと容器をくれた。どうも逸徳さんと体質がちがうみたいだ。ポリープとかガンとかあんまり余計なものを作らないエコでカモシカのように美しい体らしい。
  はんめん、循環器系が非常にあやしい。ふっと一秒くらい記憶が途切れることがある。階段でふらふらとしたりつまづく。朝めまいがする。食い物ををむかしからぽろりとこぼす。酒はこぼさない。モノやヒトの名前を忘れる。まぶたが突然ぴくぴくする。そこで年中、左右の人差し指を両脇から動かしてぴたりと合うかやっている。今のところはぴたりと合うんだね。
  血圧もすこし高めだがまず正常だというし、あの3月11日にたまたまCTスキャンとったら異常ないといわれたが、確かに脳梗塞のかすかな前兆がある。
  そこで好物のたらこや塩辛はひかえて、野菜、青い魚を猛烈に食う。年中、水を飲む。が運動はあまりしないのでお腹がでてきた。みっともないと女房にいわれるのでストレスがたまる。これがいちばん身体にわるいんだ。

ポリープをとってきた・・・・逸徳

大腸ポリープの検査を受け、ちいさいのをひとつとってきた。今回は、ちいさかったので、切除したあとはクリップでパチンととめて出血を防ぎ、そのまま帰宅OKになった。技術の進歩はすざまじい。で、とにかくこれで12回目なのである。しかもおんなじ医者にかかっている。何度もおんなじ人に肛門を見せると、なんとなく不思議な親愛感がわいてくる。うん・・・・。で、腹の中はとてもきれいなピンク色で、別に黒くはなかったことを報告しておく。清潔温和なわが性格は、これで証明された。
 で、12回だからそろそろ割引にならんかときいたら、病院はスーパーの売り出しとはちがいますといわれた。だよな・・・。しかしかかっている医者がなかなかの名医で、もう10000回以上の大腸検査をやっているらしい。ということはひとの尻の穴をながめて10000人以上ということである。一般には、仕事での体験は、その人の世界観や人間観に一定の影響を与えるというが、では10000回も人の尻の穴をながめたら、どういうことになるか。「しょせん、人間とは筒である。なまこみたいなもんだ。」という感覚がうまれないだろうか。どんな権力者でも絶世の美女でも尻の穴を見てしまえばおんなじである。つまり、これはきわめて民主主義的な、人間平等の感覚になるだろう。で、妄想がわく。11面観音の腰まわりを見ていて感動した方がどこかにいたが、あの仏様を大腸検査したらどうなるだろうなあ。・・・・・

2011年11月12日土曜日

土門拳の古寺巡礼・・・褌子

 土門拳記念館では確かに向源寺の十一面観世音菩薩に再会した思いがしましたね。
頭部うしろのくぁっと口を開いた笑い顔はとくに迫力があった。
  やはり心の目で見ることが大事。観音様の腰のS字曲線ににんまりしているようではまだまだ修養がたりない。
  わたしはいま飛鳥のたびの前座に国兼・小林の諸兄とたちよった東大寺戒壇院の四天王像にはるか思いをはせている。  持国天・増長天・広目天・多聞天が甲冑に身をかためて忿怒の形相で邪鬼を踏みつけている。

円高の中味・・・猫跨ぎ

  ローマ人はその後ゲルマンの大移動その他に席巻されて混血が進んで、もう遺伝的にはぐちゃぐちゃになっているのではないか。たしかにコロッシアムとか水道とかローマ法とか作った人達とは随分違う印象。ギリシアも然りだな。混血が良いのか悪いのか一概には言えず、エスニック問題になって皆口ごもる。戦後この問題はタブーだね。
  これは前にも言ったことがあると思うが、ヨーロッパの国民の幸福度を調べると、一位はデンマーク、二位は何とギリシャ。イタリア、スペインなど問題国が上位を占め、EUを支えているドイツがずっと下位とか。皮肉なものだ。
ノーテンキが幸福度が高い。このままだとドイツの国民が黙っていまい。ぶらぶら遊んでいる連中の尻ぬぐいをどうして我々がせにゃならんのか。波乱含みだね。

日本の円高の原因がよく判らない。3.11で経済基盤が大きく傷つき、復興の輸入増で経常収支が大幅の赤字が予想され、これからは円安だと金融筋は言っていた。それがどうだい。
この未曾有の円高は。
  このマイナス要因が意外に軽かったこともさることながら、欧米が悪すぎる。日本の皆保険制度とかインフラがしっかりしている度合がのーてんきの欧米なんかより相対的に高いということの評価らしい。そういう総合点だという経済学者の見解を聞いた。

この国もだ・・・国兼

  ギリシャは数十兆円の借金で国家破綻だと、イタリアはGDPの1.2倍の借金で騒いでいる。一方、この国はGDPの2倍、千兆円近くの借金をしながら、困ったことだと腕組みをして沈思黙考しているぐらいで、又、国際的にも少々の懸念事項で問題にもならない。この国が破産しても、郵便貯金が同じぐらいの額があるというその担保のお陰で他の国への影響は少ないためであろう。
 竹下政権以来だろうか?国債という紙切れを発行して税収を補ない始めたのは。それが今や、税収を越える国債発行額である。「入るを図って出を制す」という家庭でも、会社でもあたりまえのことをこの国の人々が忘れている。この借金をこの国の子孫代々に「飛ばす」というのだろうか?「沈没」は近いのでは・・・?。

 話代わるが、今回のホロホロ会の旅で最も感動したのは、土門 拳記念館で何年か前に向源寺で拝見した「東洋のビーナス:十一面観音像」に再会したことである。漆黒の背景を背に浮き出たような十一面観音像は、向源寺で見たものとはまったく異なる印象の像である。向源寺では腰の辺りの艶かしさに目を奪われたが、今回は頭部の後ろの不思議な笑い顔?の面をもじっくりと見た。行きつ戻りつ何回繰り返し見たことか。写真集を買った御仁も居られるようだが、私は「心の眼」にシカと焼き付けておいた。



イタリヤとギリシャ・・・褌子

 伝えきくイタリアの無規律な国家運営ぶりをみていると、現代イタリア人は古代ローマ帝国を建設したローマ人の本当の末裔なのかなあと思ってしまう。こんな疑問をもつ日本人は少なくないとみえて、あるひとが『ローマ人の物語』の著者塩野七生に質問したそうだ。
答えは「同じ民族のわけないじゃあない。(人の出入りの少ない)島国日本ではないのよ。コロッセオをローマ人は四年あまりで造ったのに、いまは建物ひとつ建てるのに何十年もかかる人たちです」と一刀両断だったそうだ。(塩野というひとはエリート意識もけっこう強いタイプできついことはっきりいう人なんだ。そこが彼女の著作の魅力でもあるが)
 アメリカ式市場原理主義を拒否し、個性的な中小企業が元気な現代イタリア社会をみているとイタリア人が無能とは決して思わないし、民族的自立度の面でも今を謳歌する生き方という点でも、現代日本人よりも幸福度ははるかに高いのではないだろうか、そんな気がする。しかしイタリアの政治家は日本よりもさらに質が悪そうだね。

2011年11月11日金曜日

今日は満月のはずだが雨・・・猫跨ぎ

  地磁気の反転は外核の鉄の対流が急激に変化するからと説明されていたが、何故急変するのか判らなかった。それが今度の二層構造説で、説明の手掛かりが得られたということかな。一石を投じたということだろう。

  拙句の解釈についてちょっと補足させていただく。
白鳥句は褌子氏と並んで酒田のホテルで朝食をとっていたいたとき。大ガラス越しに白鳥の四羽が上空をかすめて行った。遠く向こうの方にも6~7羽ほど。「ほら、向こうに渡り鳥が」と言ったのに、褌子氏は飯を食うのに夢中で気付かなかったらしい。最上川のそばに白鳥の中継地があるとは後で聞いた。
月山文学碑は森敦の文学碑で、注連寺の境内にあったもの。

小惑星地球かすめる良夜かな・・・・褌子
そっと 題名に忍ばせるのは憎い。いや大いに目立つか。良句だね。

そろそろ仁句の出番だな。

小惑星地球かすめる良夜かな・・・・褌子

猫句を鑑賞する
   白鳥の胸照らされて渡り来し
白鳥の飛来場面みたことはないが、ありありと目に浮かぶ
   稲架暗く日本海はまだ暮れず
これはまさしく日本海の景。はじめて千葉にきたとき、なんでこんなに天気が毎日いいんだろうと思ったものだ。だから千葉生まれの男は、のー天気。陰影に富んだ愁い深い私の性格は佐渡生まれであってこそ。
   即身仏の赤き衣や秋幽し
注蓮寺
   薄紅葉さしのべ月山文学碑
出羽月山
   新松子青し高山樗牛像
藤沢周平記念館に行くときの鶴岡市役所そば
   銀漢のうしろの闇をニュートリノ
特選  光速より高速のニュートリノはどこに飛んでいったか?
―――――   
  78万年前に地球の磁石が南北逆転した。
  この地磁気逆転期の地層が市原市養老川の崖に露出している。地磁気逆転の露出層が現在みつかっているのは、イタリアと市原だけ。
  地球のN極S極がなぜ逆転するのか不思議だったが、このほど原因がわかった。
  今朝の新聞報道によると、極半径6357キロの地球は地殻の下のマントル(約2900キロまで)のさらに下の約5150キロまでが外核といわれる層だが、均一構造ではなく地下四千キロ付近で構造が変わることが東工大チームなどの実験で明らかになった。
  外核では高温高圧の酸化鉄が対流しており、方位磁石のN極が常に北を向くのはそのためである。東工大広瀬教授らは酸化鉄を地球内部同様の高温高圧状態にして温度と圧力を変えながら結晶構造の変化を調べたところ、240万気圧・370度で酸化鉄の規則正しい原子構造が崩れることを発見した。この気圧は深さ4000キロの外核の真ん中あたりの気圧に相当する。この結果をふまえると、この深さで二層に分かれた外核の地表側と地球中心側とで酸化鉄が別々に対流し、両者のバランスが崩れたときに、地磁気反転が起きると説明できるという。
  両者のバランスが崩れるのがどうして70万年毎なんだろう? 

2011年11月10日木曜日

十句・・・猫跨ぎ

禍々しい一年だったが、もう11月か。若い人達は大変だが、古希間近かとなってみれば
真顔になって執着することもあるまいと思えてくる。せいぜい、あまり周りに迷惑をかけぬよう、心していこう。

吟行句は中途半端だけれど、最近の十句

線量計を下げて見てゐる渡り鳥
無人駅のここまで寄せる野菊かな
白鳥の胸照らされて渡り来し
稲架暗く日本海はまだ暮れず
即身仏の赤き衣や秋幽し
薄紅葉さしのべ月山文学碑
新松子青し高山樗牛像
今日終り転がり出たる新松子
銀漢のうしろの闇をニュートリノ
蜂蜜のしづくの長き秋の暮

この時代だが酒は美味しい・・・褌子

  原子力発電と放射線防護の研究は続けるべきだ。廃炉するにしろ膨大な原子力関連技術者は絶対必要。
  エネルギーを原発に頼るのはいったん事故が起きたら放射性物質の拡散は空間的にも時間的にも人類の能力を超えていることが証明された。だから原発に頼るエネルギー政策は当分やめるしかないが、原子力の基礎研究はますます不可欠になった。
  地球温暖化問題、エネルギー問題、核兵器問題それに人口70億をこえて2050年までには100億人になるというから食糧問題(水問題)がじつに重く、人類の将来にのしかかっている。(ルワンダのツチ族フツ族の大虐殺も食料危機が根っこにある)
  近所のお医者さんの元山先生は、人類が生きのびるには世界的な産児制限運動が不可欠だ。地球規模の食料争奪時代になってきたのにTPPなどとんでもないと力説している。(中国の人口抑制策である過去数十年の一人っ子政策が将来、超高齢化社会となってはね返ることも隣国の大問題になってきているように産児制限運動には光と影がある)
  いずれにしろアメリカ型の多国籍企業の利潤・戦争追求システムでも中国型の国家資本主義システム(中国政府は市場経済を通じて将来は社会主義へ向かうといっているが実態は暴走する資本主義そのものにみえる)も大きな壁にぶつかりつつある。
  ずっと戦争ばかりしていたヨーロッパがEUでまとまってめでたしめでたしと思っていたが…ギリシャ、イタリアで大騒ぎになているし。
  宇宙の構造と生命の仕組みまで日進月歩で明らかにしつつある人類の頭脳だが、そんな頭脳をもつ人類自体の生存・再生産の基盤があぶなくなっている。こんな時代にわれわれは生まれあわせた。諸君、俳句ひねったり焼酎飲んでるばあいではないぞ・・・・
   などと勇ましく力んでみたが、先日上海に里帰りした中国人留学生がお土産にもってきた10年モノの紹興酒を飲んだらとても幸せな気分になってしまった。ままよもう寝よう

2011年11月9日水曜日

説得力・・・猫跨ぎ

「広島ナガサキフクシマで三度被曝した日本は原発きっぱりやめます、だから地球上から核兵器も原発もなくしましょうとならねば説得力がない。」

「説得する」という文言の主語は誰で、目的語は誰か。つまり誰が誰を説得するのか。
肥満体の医者が患者にメタボの話をしても説得力がないのは、これはまあ判る。
言いたいのは日本が中国に対し原発は止めましょう、ということだろう。日本できっぱり止めました、だから止めてください、と言って、相手が、はいと説得されそうもないのが問題なところだ。強勢中華大帝国が小日本の忠告など聞きそうもない。じゃあ市民運動レベルで反対運動を一緒にと言ったところで、これが全く不可能なのが今の中国だ。
むかしむかし、全学連の数人がモスクワで核実験反対のデモを企て、あっというまに捕まった夢みたいな話があったが。それが再現されるだけだ。内政干渉として外交問題となるだけだろう。
本当の国の安全保障を考えるのであれば、向こうで何かが起こったとき、すっぽんぽんの状態は避けねばなるまい。次善として、原発はきっぱり止めないで、或る水準で続けて、一定の技術は継続する、向こうで何か起こったときに問題に対処するため、場合よっては解決に協力するため、こういう能力を維持する努力はすべきだろう。軍事力に話は似てきたが。

吉村昭『光る壁』・・・褌子

  中国沿岸部の原発が事故おこしたら、あっというまに日本列島は汚染される。福島原発の放射能物質も大部分、西風で太平洋に落ちているが、中国大陸で事故が起これば黄砂といっしょで偏西風で日本はいちころ。韓国東岸にも原発が林立しているから対馬海流で日本海は総汚染されることになる。
  いまベトナムに日本の原発を絶対安全だからと輸出する話が進んでいるが、全然安全でないことが証明されたばかりなのにひどい話だ。去年ハノイ空港からハノイへの高速道路の両脇にキャノンや日立、小松製作所などの大工場が林立しているのをみたがベトナムは猛烈な日本企業などの進出ラッシュで大量の安定した電力を必要としているのが背景にあるときいた。
   うちはフクシマではちょいと油断したがもともと技術的には優秀なんだ。あんたんとこは後進国で心配だから危ないことはやめなさい…というのは説得力がない。日本だって昔は中国文明の恩恵多大だったし、明治維新後は必死で欧米の技術をまねして使い回しに成功した。江戸時代から読み書き算盤を奨励し当時は世界で一二の手先の器用さをもつ民族だといわれていたということもあろうが。先日、富岡製糸場をみてその感を深くした、
  広島ナガサキフクシマで三度被曝した日本は原発きっぱりやめます、だから地球上から核兵器も原発もなくしましょうとならねば説得力がない。
  タイの首都バンコクの洪水がひどい状態。大きくは地球温暖化のせいだがバンコクの周辺の田んぼや湿地帯が洪水になってもダムの役割を果たしていたが、これらを埋め立てて日本などの工場が大挙進出した影響がじつは大きいという。そういえば私のカメラもICレコーダーもmade in タイランドだった。
  ところでオリンパスといえば昔のぞいた顕微鏡はオリンパスだったし、私が二回飲んだ胃カメラも二回もぶすりと串刺しされた大腸ファイバーもオリンパス製。なんと世界の7割が同社製だというから超優良の医療機器メーカーではなかったか。大正8年創立の高千穂製作所という独立系のものづくりの名門企業が、バブル期に財テクに手をだした。本業からはずれたら失敗するということなんだね。
  わずか14ミリの喉を通過させる菅、カメラ、フィルム、ランプをどうするのか…胃カメラという世界初の技術開発にかけた男たちの苦闘を描いた吉村昭『光る壁』を興奮して読んだころがなつかしい。

2011年11月6日日曜日

安全とは・・・猫跨ぎ

  よかったね。ところで、発音が良いとの一言は手紙の裏に書いてあったのかな。
逸徳氏の項に戻るが、「日本では水と安全は只」とよく言われる。とにかく徹底的に除染せよ、国費でというのがそうだ。1msv以下まできれいにしてくれ、公費で、という主張はこの日本の常識に立脚しているのだろう。
それに対し安全には対価を要すというのが一方の常識だ。端的に言って保険の思想がそういうことだろう。微量汚染については、とにかく切りがない。或るところで割り切って、とにかく気になる向きは自費で綺麗にするしかないのではないか。
世田谷だったか、自宅の縁の下にラジウム試薬が埋まっていて大騒ぎになったことがあった。高線量を浴び続けたその家の婦人は90才でぴんぴんしているという。それも参考にする必要があるだろう。それから逸徳氏のいうように、交通事故死に遭遇する確率とか、喫煙者の死亡確率とか。
  玄海原発の再開を巡って紛糾しているが、一衣帯水のむこう中国で数年の内に百基の原発の建設計画が進行中だ。最終的には4百基まで予定しているという。多くは沿岸地帯だろう。事故あらばどうなるか。福島事故でも汚染物質の80%は海へ落ちている。海流、偏西風、黄砂、まあ結果は言うまでもない。日本国内で精緻な議論をしているさなか、桁違いの話が外で展開中だ。だから日本から原発を一掃しても話は全く解決しない。
この中国が世論のない国だ。技術思想がすこぶる怪しい。安全の思想があるのかないのか。
その上、前のめりの中華思想。どう対処したらいいのかな。



逸徳発言をよみながら・・・褌子

   逸徳発言を興味深く拝読した。(もうちょっと端的に書いてくれると助かる)
  先日わがやに泊まったネパールの反核平和運動家のシュレスタさんへの小生の英文を諸兄達によってたかって名文にしていただき、もつべきものは友人だと感謝している。
  ネパールから返信がきたので掲載する。小生の英語がとてもいい発音だったとか書いてある。sayonaraをバイバイといっているのが微笑ましい。
05th Nov, 2011
To, Aki Hiro Nishi Zawa-san
Hello Namaste From Nepal
Namaste from Peace Wave Nepal
I hope you all are well in the family. I am ok at my home in Nepal. I am
sorry, I could not say bye bye to you at the time of departure from Hanela.
You all are in my mind and heart all the time. Thank you. I am expecting a
lot of help and co-operation from you and Japanese Communist Party. I
remember Akio Ito Eto San and Yoshiko Suzuki San. Please convey my best
wishes and regards to them all and also Convey my rememberance and Best
regard to your Good wife, your son and your daughter. Thanks a lot for the
delicious food, soundless sleeping, and nice talking. What we have
done as a host was great and excellent. Thank you for everything. ok bye
bye.
Yours
Prem Kumar Shrestha
Peace Wave Nepal
Bharatpur, Chitwan
Nepal

2011年11月5日土曜日

ちと気になっているので・・・・逸徳

葛根湯のはなしからもどしてもうしわけないが、ちと気になっているので。諸兄のご意見をいただきたい。
 最近、地域の放射線の学習会によばれることが出てきた。このときに、どうも気になっているのが、低線量の被曝の問題である。科学的にうそをいうわけにもいかないし、だといって、あくまで科学的にやろうとするとなんだか市民の意識にバイアスをかけるような気もして、やや悩んでいる。
 ちと、情報を整理してみる。 100mSVぐらいまでは、被曝線量と影響の間に比例関係がある。つまり被曝が、健康に影響するということが疫学的にも出ているといっていい。ところがそれ以下では、影響と被曝線量の関係がはっきりしないので、というよりは統計的に結論を出そうとすると莫大な数の集団を調べなくてはならず、それが現実には無理というのだろうが、とにかくそこでは直線的比例関係を仮定する。いわゆる「閾値なし直線性仮説」である。つまり仮説なのだ。ところが、このへんになると、さまざまな現象の報告が出てくる。ここでは内部被曝か外部被曝かということははずして考えている。詳細は省略するが、低線量でも、悪影響がおこるという、ペトカウ効果や、バイスタンダー効果があるかと思えば、逆にかえっていい影響があるという放射線ホルミシス効果などなどである。 これはラドン温泉などの根拠になっているのだろう。 ちなみに最近WHOは、ラドンの健康への影響について厳しいことをいいはじめているらしい。(だから、ラドン温泉はいくのはやめた)
 ところがこれらの現象が正しいのなら、疫学的調査でなんらかの影響が出てくるはずだ。しかし、それがはっきりしない。というよりは「よくわからない」というのが正解なのだろう。 わかっていたら教えてほしいが。だから全体的にみて、これでは「群盲象をなぜる」状態で、「正直なところよくわからない」のである。そうすると1mSvがどうのこうのという今の騒ぎはなんなんだということになる。したがって、1mSvはあぶないから除染させようというのに対して、あぶないかどうかわからないけれども、とりあえずあぶないかもしれないので、除染しておこうというという言い方になってしまうのだが、これはなんとも迫力がない。どっか、市民の熱意に水をかけることになる。そこでおいらも言い方に迷いが出てしまうのである。市民運動の足を引っ張っているのではあるまいかと。
 社会心理学に「ネガティビティバイアス」という現象が知られている。これは、一般にひとは「負の情報を過大評価する」という心理的傾向をいう。「あなたの連れ合いが、財布を落としたといった場合と、財布拾ったといった場合、それを聞いてとっさにどっちの方を信用するか?」という質問をよく、いろんなところでぶつけてみるのだが、まちがいなく、過半数、ときには8割以上が「落としたほうを信じる」と答える。これは考えてみれば、進化論的には当たり前で、負の情報を過大評価していたほうが、生存の確率は高くなるからだろう。そして、どうもこの現象が広範におこっているような気がするのだが。
 ところで日本人のがんによる死亡は33.1%というデータがある。つまり1000人中331人ががんで死ぬという。一方で100mSvの被曝でがんによる死亡は0.5%であるという。つまり331人が336人になるのである。ただし、増えた5人は誰にもわからない。これが確率的影響といわれるゆえんなのだが、自分が336人の中にはいっていても、その中の5人にははいっていないと、ひとは考えたがるらしい。これは「正常化バイアス」と呼ばれる。したがって、それはどこか他人事になるのである。ああ凡人は度し難い。しかし100mSvで1000人に5人とすると、直線性仮説を認めるとするのなら、1mSvではその100分の1の0.05人になる。2万人にひとりだ。これは、おそらく自然放射線の変動幅のなかにはいってしまうのだろう。 だいたい今の1mSvの除染さわぎは、自然放射線をひっくるめているらしい。なんだか変な話である。

 酒瓶に半分酒がはいっているときに「まだ半分ある」というか「もう半分しかない」というか、という話がある。元の情報はひとつなのに、それをどう評価するかは、その人の立場による。そうなるとこれはもう科学というよりは、思想やイデオロギーの問題になる。現在の事態を把握する土台にはこの問題がありそうな気がする。
  
くたびれた・・・ひとやすみ
 

葛根湯・・・猫跨ぎ

  一般的に医者は変わったね。とくに若い医者は昔とは随分違う。
かっては、よらしむべし知らしむべからずの典型で偉そうにしていた。
「風邪をひいたのですが」と言った患者に、「風邪かどうかこちらが判断するんだ」と言い放った馬鹿医者がいた。

薬の副作用は私も経験がある。ピロリ菌の除菌のあと、渡された緑色の胃薬をしばらくのんでいるとき、別の検診で例のPSA検査(前立腺ガンの検査)をやったことがあった。すごい結果が出て医者もびっくり、すぐ泌尿器科へ行けと命令されたが、どうも緑色の例の胃薬があやしいと直感。服用を止めて手許の薬の本を調べるとその副作用のことが書いてある。医者にいうとそんなことはないと一点張り。会社の診療室で血液検査をしてもらうと全くの正常だった。勿論そこへは二度と行かない。高齢の医者だった。
薬は要注意だね。最近、葛根湯では一句作った。
柿すだれ葛根湯はゆっくり効き

2011年11月4日金曜日

お医者さんあれこれ・・・・褌子

  ダイオキシンも環境ホルモンも最近ぜんぜん騒がれなくなったね。
 余談を書く。30歳で結婚してまもなく今のところに引っ越ししてきた頃から、ものすごい「しゃっくり」に悩んできた(ことがあった)。
 とにかく猛烈なしゃっくりで一週間もとまらず、しまいには横隔膜がくたびれてぐったりして寝込んでしまうのである。
 あっちこっちの病院でいくら調べても原因不明。千葉大学病院で当時としてはまだめずらしいMRIをとったが脳には全く異常がなく神経内科の気鋭の先生が「柿のヘタを煎じて飲むとなおるときいたが…」と心もとないことをいうのでがっかりして帰ってきた。35才ころだったか。
 そこでどんなときに猛烈なしゃっくりが起こるのか落ち着いて女房といっしょに考えてみた。
 ―――――そうだ。近所にN医院があり、子供が風邪引いたりするといつも通っていた。よく効く薬をだしてくれる評判の先生でいわばわが家の行きつけの医院なのだが、ここでもらう風邪薬を飲んだときではないだろうか…とやっと疑いはじめて、あるとき「先生のだす風邪薬を飲むとしゃっくりがでます…」と思い切って話してみた。もう70才ちかい温厚そうなN先生が突然憤然として「うちの薬でそんなことをいう患者はひとりもいません」というのである。
 はじめてN先生に嫌気がさして、以後一度もN医院にいったことがないが、猛烈なしゃっくりも不思議とでなくなった。それでも売薬の風邪薬を飲むとしゃっくりが少しでることもあるので、風邪をひいたら葛根湯を飲むことにした。あれ以来しゃっくりに悩むということが全くなくなった。
 N医院は先生の老齢化で廃院となり、20年くらい前に元山医院が近くに開業した。初めて元山医院に行ったときに、10年も保管しておいたN医院の薬を元山先生にしめして、しゃっくりのことを話してみた。先生は分厚い医薬品の本をぱらぱらとめくっていたが「ありました。テオスローなどの気管支拡張剤の副作用でまれにしゃっくりがでると書いてありますよ。この系統の薬はださないように貴方のカルテに書いておきましょう。またよその病院に行ったときにもテオスロー系はだめだと医者に言って下さい。単なる鼻風邪なのに喘息の薬まで飲んでいたんだねえ貴方は」というのである。
  いらい元山先生とは、わたしと誕生日も同じ年月のせいもあり話もあう。いま元山医院の待合室には津波で壊滅した岩手県山田町へ先生がかけつけたときの記録写真がたくさんはりだしてある。
  というわけで、私が30代のころ、一週間も仕事もできないほど苦しんだしゃっくり騒ぎもあっさり解決した。
  ほかにも東京のさる名医に「あなたはアルコール依存症です」というご託宣をくだされたことがある。こんなにさわやかにいい酒をほんの少したしなむ程度の小生には全くの濡れ衣だった!!
  お医者さんもいろいろなひとがいるんだね。
   

2011年11月2日水曜日

毒性・・・猫跨ぎ

「要するに何ベクレルの食い物を一日三度の食事でどんくらいの量を何年間食い続けても、寿命には影響がないのか・・・・」

  食品衛生法に暫定ではあるが500Bq/kg以下となっている。とりあえずこの基準で対応するしかないのだろう。或るスーパーでは検出器を自前で買って測定し、20Bq/kg以下ですとか表示して売っているらしい。
体内被曝msvとBqの換算数値なんか見たことあるが、専門家でも甲論乙駁しているのにその煩瑣な議論を追跡する興味は私はない。悪しからず。
  ダイオキシンだけれど、これ前にも言った記憶があるがどうも眉唾くさい。大体、明確にダイオキシンが原因で死亡した人はいないという不思議な話がある。それから数年前、ウクライナの政治家が政敵から毒を盛られた。血液を調べたら致死量の数千倍のダイオキシンが検出されたという。その後この人は大統領に選出された。顔は有機塩素化合物中毒特有のひどい面相になっていたが、死ななかった。大体、塩と有機物を混ぜて燃した位で史上最強の毒が生成されるか? 神はそんな悪戯はしないと思うが。

続・計算してみよう    褌子

猫跨ぎ跨ぎさんの計算式を読んでみた。
アボガドロ数なんて忘れていたがなつかしい。
福島原発事故で放出した放射性セシウムはたったの11㎏なんだね。その19%が日本列島に落ちてこの騒ぎだ。
 食品衛生法の暫定基準は500Bq/Kg=1.56×10(-7)mg  
 いっぽう米軍がベトナムに枯れ葉剤としてばらまいたダイオキシンの一日の人体摂取量の上限は体重1Kgあたり4ピコ㌘だというから、一兆分の4㌘=4×10(-12)㌘=0.04×10(-9)㎎ えーとそうすると放射性セシウムよりもKgあたり2564倍の量のダイオキシンを人体内に摂取しても命に別状はない???? 
 いっぽう人体が年間被曝しても健康に害がないといわれる被曝量は1mS/年間=0.114μS/時だから・・・??
  なんだか面倒くさくなってきた。要するに放射線の質量というのはものすごく小さいということだ。
  國兼さん ボーツと焼酎なんか飲んでないで、すっきりと議論を整理して下さい。
要するに何ベクレルの食い物を一日三度の食事でどんくらいの量を何年間食い続けても、寿命には影響がないのか・・・・である。
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  夕刊によれば福島第一原発2号機の格納容器ガス管理システムがXe133とXe135を11月1日に微量だが検出。核分裂の可能性があり、核分裂を抑制するホウ酸水480キロを2日に圧力容器内に注入したという。圧力容器の底に核燃料が溶け落ち、さらに底をつきやぶって格納容器にもN氏の表現によればウンコ状にたまっているというから「いぜんとして再臨界の可能性も完全には払拭できない」という。まだ何が起こるかわからないのだ