いまある忘年会で酔っぱらって帰ってhorohorokaiを読んだところである。
―――――いままで実は言いそびれていたのだ。
告白すれば晩秋の「菊」ほど愛してやまない花はないのである。しかも人倫による丹精込めた大輪よりもだんぜん野菊である。畑のすみっこ石垣のはしっこに摘むものもなく秋の暮れなずむ陽に照らされている野菊のあの色とりどりの花弁ほど味わい深いものはなかろう。
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原石鼎
私はどんなにこの句を秋の日々に口ずさんできたことだろう。
教養博学きわめる猫跨ぎ氏によれば万葉集には「菊」をうたった歌は一首もないという。秋の萩などがあんなに歌われているというのに…。そうか、菊=キクchrysanthemumは渡来植物であったか。
そこで酔眼のなか小学館万有百科大事典「植物」をひく。驚いたことに菊についてはえんえん四ページもある、萩はたった10行くらいなのに。
そのなかで十六弁の菊紋の項に目が走る。戦艦大和の艦首のあの菊紋である。
【菊紋】
「平安時代や鎌倉時代の衣服や調度の文様に菊花は好んで用いられた。後鳥羽天皇(1239没)はとりわけ菊を愛し、衣服、車、輿、刀剣などをその文様で飾り、それを後の天皇方が踏襲したことから、皇室の文様として使われるようになったという」
―――――といろいろご託を事典はのべているが、せんねん訪れた鎮護国家の比叡山延暦寺根本中堂には菊の紋章がおごそかに輝いていました。大唐帝国に留学した天台宗開祖の最澄に起源をおくという猫跨ぎ説がむろん正しいのであろう。
が、わたしには
菊の香やならには古き仏達 芭蕉
をはじめ
有る程の菊なげ入れよ棺の中 漱石
菊咲けり陶淵明の菊咲けり 山口青邨
などよりも、やはり渡来臭の薄い
次の世のしづけさにある黄菊かな 浅井一志
などの川原ヨモギの匂いがする句が捨てがたいのである。
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