2011年12月31日土曜日

煤逃げ・・・褌子

ぶじ大掃除もガラスを残しておわった「煤逃げ」とはじつにいい季語だ。
さっそく季語辞典をひくと
  煤逃げと言へば言はるる旅にあり
  煤逃げの隣村まで来てをりぬ
  景品を抱へ煤逃げより戻る
などもありました。

  以下は尾道でメモした句碑から。

・焚くほどに風がもてくる落ち葉かな
  尾道のある寺にあったが、凡
・大屋根はみな寺にして風薫る   巌谷小波
  尾道らしい
・寒暁に鳴る指弾せしかの鐘か   山口誓子
  格調高すぎ
・うけながら風の押す手を柳かな   
  横綱陣幕久五郎の句碑
  尾道で角界に入門した。高潔な人柄がでている
・あれは伊予こちらは備後春の風
  尾道は広島県だがむかしは吉備の国の備後なんだね。わかりやすい句だが
・覚えきれぬ島々の名や夏がすみ
  たしかに瀬戸内海はそんな感じだ
・浜焼きをむしりつつ春惜しむなり
  美味しそうだが尾道でなくてもよい句
・のどかさや小山つづきに塔二つ
  千光寺山からみおろすと天寧寺の三重の塔の屋根が真下に、ずっとむこうの山の中腹には西国寺の三重の塔がみえた。やっぱり尾道全体をふんわりとつつんだ正岡子規の句がいちばんいいと思った。【写真:尾道の海と山と】

2011年12月30日金曜日

煤逃げ ・・・猫跨ぎ

年下の女房にガミガミか。実感がこもるね。
そういう時の格好の季語が「煤逃げ」。暮れの家の掃除から逃れるために外出してしまうこと。仕事のため、あるいはそれを口実に煤逃をする。男の滑稽と悲哀を象徴する季語として詠まれる、とある。例句をあげよう。

・煤逃げの蕎麦屋には酒ありにけり
・煤逃げもあらむ図書館混み合へる
などは可愛いが
・煤逃げの男に女ありにけり 
なんかはちょっと問題ありだが、まああと一日、さんざ悪行の罪滅ぼしに煤逃げなどせず
せいぜい尽くしなさいな。

大掃除をさぼってちょいと発信・・・・・褌子

とうとう残る二日となった。天気はいいが風が寒い。
朝から渋々大掃除をはじめたが…
阿~大掃除めんどくさい。いいとしこいて、年下の女房にがみがみしかられて。
しかし逸徳邸でも、お若く美しい奥方様に怒られながらハチマキ姿でガラスふきなどがんばってる頃だろうと思うとこちらも少し生きる希望がでてきた。
国兼さんとこは「あなた、お掃除はわたしががんばりますわ。あなたはいないほうがいいのでお散歩でもいってらっしゃい。おかえりになるころにはお風呂もわいておりますわ、お背中でもお流ししましょうね」てなぐあいなんだろうな。阿~うらやまし

2011年12月29日木曜日

中西準子氏追補・・・猫跨ぎ

  中西準子氏について追加すると、最近の仕事として、ナノ物質のリスク評価と規制の考え方を纏めたらしい。ナノオーダーのサイズの物質。機能性材料として脚光を浴びて久しいが、影の側面として、生体に取り込まれた時の障害について前から気になっていた。産総研に移って、他大学と共同で数年がかりで行ったらしい。先般、国際会議で結果を発表し反響を呼んだとか。詳細を知りたいものだ。キャリアを見ても現実に即したテーマを追求している。さすがと思ったね。

RE:中西準子・・・・褌子

  中西準子氏についてのこんな紹介記事を読んだ。
  中西準子氏は物質の危険性について「リスク」と「ハザード」を次のように区別している。
ハザード=その物質の毒性の強さ    
リスク=その物質の人の健康に対する危険度
  なるほど。このハザードとリスクの関係は放射性物質のベクレルとシーベルトの関係と同じだね。
  さらに 
  以下はインターネットからの安易な引用だが、「環境ホルモン空騒ぎ」をこんなふうに説明している。
  ダイオキシンに関する議論で一番の問題は、「ハザード」と「リスク」の区別がないことである。例えばある物質の一グラムのもつ毒性が他の物質一グラムの毒性に比べて大きければ、その物質はハザードである。ダイオキシンは間違いなくハザードである。しかし、人の健康への危険度、つまりリスクはその物質の毒性の強さと摂取量とで決まるから、強いハザードでも摂取量が小さければリスクは小さくなる。人間にとって大切な指標は、ハザードとしての特性ではなく、リスクの大きさとその特性である。中西準子のリスク論の出発点は「我々は、ハザードではなく、リスクを管理しなければいけない」という考え方である
  ―――――最近、中村梧郎さんという枯れ葉剤被害をベトナムで長年調査している人の講演をきいた。
  枯れ葉剤の問題についてもハザードとリスクの観点から考えてみたい。

函館通信167・・・歳末懐旧・・・仁兵衛

 歳も押し迫った。函館は雪はさほど多くないが真冬日が続き寒くてかなわん。森井家は半ばに入院した義母が管を付けたままなので正月らしい正月にはならないだろう。

 さて、ここの所の諸兄の書き込みに私にとっては懐かしい地名・人名が出てきたので今年を振り返る気持ちも重なって筆を取った。

 先ず褌子さんが行ってきた倉敷と尾道。共に北大の3年から4年の間の春休みにリュックを担いで一人旅。倉敷のO君、尾道のS君(共に恵迪寮友人)の家に転がり込んで一泊お世話になった。早春の瀬戸内海は穏やかで本当に優しさを感じさせてくれた。倉敷の大原美術館は休みで入れなかったのが残念であったが尾道から九州に入る前広島で原爆ドームと記念館に寄れたのは今になってみると貴重であったと思う。しかし、歳月は苛酷だねO君もS君も既に世を去ってしまった。

 次は横浜国大の中西準子先生。ダイオキシン問題で塩素系樹脂の焼却が問題視をされていた頃だ。環境庁が環境省に移る寸前の頃だったと思う。環境学会の中でダイオキシンでばたばた人が死ぬような似非データを多くの学者が並べる中「環境リスク論」を展開し冷静な判断を下していたのが中西先生だった。役人は庁から省に移って予算を分捕りたい動き、マスコミは煽るだけの論調、ダイオキシンはこんな形で世の中を転げまわっていた。懐かしくもアホらしくも思い出す。

 最後は柳家小三治師匠。高校の3年上の先輩である。昭和30年頃ラジオの素人寄席という番組で10週勝ち抜いたというつわものらしい。学校は府立15中から都立青山高校になった。今でこそ都立高校の中では進学校として上位を占めているらしいが都立一のゲバルト高校としても名高い。私の頃も落語研究会があれば社会科学研究会が極めて先鋭的に活動をしていた。
去年創立70周年の同窓会で師匠の独演があったが残念ながら出席できなかった。

 懐かしさがここまできて丁度歳が明けそうになっている。
 皆さんよいお年をお迎え下さい!来年もまた宜しく!

噺家 ・・・猫跨ぎ

閼伽の字は仏教を受け入れた中国のサンスクリット語からの当て漢字だろうから、余り大した意味は無いのではないか。霊水とかいうのはあくまで後で付いた尾鰭でもともとは単純に水ということなんだろうと思う。
 理髪店で待っている間、読んだ週刊誌に、立川談志のことが出ていた。死して何とかで彼への賞賛がやまないなか、大橋巨泉の一文が印象的。知へ傾き過ぎて、噺家としてはついに志ん朝を越えられなかった、と。そう思う。私も余り評価しない方だ。ビートたけしが談志のことを、学歴コンプレックスがあるとぽつりと洩らしていたという。意外な言葉だが、さもありなん。私は当代では柳家小三治が正統派というか本物の噺家と思っている。

i-Pad 閼伽桶・・・・褌子

  i-Padとi-Podの違いはむろん、aとoの違いだ。a は「あーパソコンより便利だなあ」と爺さんが絵や文字を読んだり書いたり、o は「おー北島三郎いいなあ」と電車のなかでバッハ聴いてるような顔して目をつむっているくらいか。
  猫跨ぎ発言をよんで共感、とうぶんi-Padを買うのはやめた。このあざやかな変わり身の早さがまことに快い。
  ところで尾道で閼伽桶(あかおけと読むんだって)と関係するものをみた。
広辞苑で閼伽をひくと ⇒〔仏〕(梵語 argha; arghya)貴賓または仏前に供えるもの。特に水をいう。また、それを入れる容器。

  尾道は坂と寺と海と山がほどよく攪拌されているなかに古びた庶民的な家がたてこんでいる。あの坂道ばかりでは年寄りにはつらかろう。救急車もこないし、売りにでている家もたくさんあった。墓地もびっしり墓石が密集している。造船所のクレーンさえ景色にとけこんいたし、やたらと多い句碑、歌碑もあまり気にならない。
  20ケ寺くらい、とぼとぼフウフウと坂を登ったりおりたり女房とまわっていたら、ある寺で目にとまったのが↑この写真だ。
  こういうものがぱっと目に飛び込んでくると言うことは、人間というものはただ飯食って◎◎で蹲踞しているわけではないのだ。この寺は禅寺らしく「生は偶然。死は必然。」と山門に貼ってあったが、墓地のそばに当たり前のことをわざわざ書くな、貼るなら産院の玄関がよかろう。
  写真をよくみると「あか」の字がどうもちがうね。 阿は阿吽(あうん)の呼吸の阿で、ものごとのはじめ、伽は「か=とぎ」だが、広辞苑に梵語の音訳に用いる。「閼―(あか)」→とぎ(伽)とあった。寝所に女性を侍らせる「伽」もあるがこのばあいは混同しないように。

2011年12月28日水曜日

今年も終わり・・・猫跨ぎ

  いよいよ押し詰まったなあ。去年の大晦日に息子と久々に飲んだのがつい昨日のようなのに。昨日散髪に行ってしげしげとわが面相を見たが、髪が随分白くなったなあ。顔が亡父に似てきた。亡父と言えば、先日煮豆を美味いなと思い食いながらが、ふとオヤジも煮豆が好きだったと気づいてハッタと箸を落としそうになった。
  褌子氏が感心しているiPadとiPod はどう違うんだい。電車に乗ると指でパッパッとやっているのが増えた。電脳社会とかユビキタスとか未来社会の姿を予想していたが、もう実現したのではないか。そしてそれはなにやらうそ寒いな。孤独な大衆社会がますます加速する。発想したスティーブ・ジョブスが今世紀最大の発明家と賞賛止まないが、どうなんだろうね。当面、持つ気はおこらないな。テレビもあっという間に液晶化してしまった。あと数年はソニーのブラウン管を使い続ける積もりだけれど、壊れればおしまいだ。液晶ははっきりしすぎて目が疲れる。適度の解像度がいいのではないか。
  こういう様に身の周りのツールが、大して検証もされぬままどんどん持ち込まれて社会を変えてゆくのをそのまま受け入れていていいのか。皆でわいわい囃し立てながら神輿を担いで吊り橋を渡っている風景。
  今日まで新聞に、リスク評価論の中西準子女史の半生記が綴られていたが、面白かった。目を引く新製品のリスク評価が何ら為されていない。放射能を神経質にゼロベースをと声高にいわれるが、それだけではあるまい。褌子氏の感心の記に水を差すことを言ってしまったが、前から感じていた。

はいはい褌子です

ごめん。↓の「発言」です、
いま、岡山の吉備路のたびから帰ってきたところ。
倉敷にいる娘と再会し、彼女のi-Padを使ってhorohorokaiを書いて発信してみたがインターネットもメールも簡単にできる。文章もタッチパネル上のキーボードだがちゃんと書ける。この三つできれば十分ではないか。お年寄り向き。欲しくなった。

はて・・・・逸徳

↓ この方どなたで。

発信

娘のiPadではじめて発信。いま岡山県の山奥にいます。娘が倉敷で働いているので女房と、倉敷や尾道を訪ねて雪のなかの湯原温泉に泊っています。
仁ちゃんが書いているけど、わたしもイヤな本、くだらん映画を見てしまった時などの後味の悪さをなん度も経験している。これからの座右の銘は「嫌なことはやらない」ーー
尾道の志賀直哉旧宅で作者自身が「暗夜行路」を朗読する声をテープできいた。あれほど推敲しぬいた簡潔な文を書く作者が自作を読み違えるところがあって面白かった。土門拳が「志賀さんの顔ほど立派な顔をみたことはない。志賀さんに比べたら俺の顔なんぞはヤクザそのもの」と酒田の記念館のビデオで話していたのを思い出した。

2011年12月27日火曜日

裏を読む ・・・猫跨ぎ

  この著者も出版社も知らなかった。札幌の本屋さんらしいが。この本屋から何冊も怪しげな本を出しているね。環境衛生工学専攻とは多分我々の頃の出来たての「衛生工学科」の先生じゃなかったのかな。専門書(これは専門の出版社から)の他、ことわざの本とか、一般向けの数学の本とか、色々書いていている。諺の裏を読むとか、余程ウラが好きな御仁らしい。常識を覆すという本は大体、眉唾、噴飯ものが多いね。よく判らん人だ。

2011年12月25日日曜日

函館通信166・・・騙された・・・仁兵衛

 まんまと騙された!
 「芭蕉と蕪村と諺と」・高桑哲男(中西出版)という本を新聞広告で見て取り寄せ購入した。新聞の広告には「句界の常識を覆す!芭蕉と蕪村のルーツは諺にある 『合鍵語』で導き出す『新解釈』 芭句・蕪句に秘められた『夢の世界』」とあるのを読んでわくわくして購入手続きをした。

 本を手にしてページを開いたら吃驚したのを通り越して呆れて何もものが言えなかった。幾らなんでもこんな解釈が成り立つとは呆れてしまう。例題をここに掲示するのも憚れる。

 序文に「芭句・蕪句をミステリー作品とみなすとき、『事件』の解決篇は合鍵語の意味づけ次第で異なる。著者が示す合鍵語も一つの正解の候補に過ぎない。つまり、誰もが自分の答を正しいとすることができるし、また、違った答が存在してもそれが何かを知らずに終る。読む側が『自由鑑賞する』度合いのきわめて高い文学ジャンルが新登場していたのである。」とある。さも崇高な新解釈がなされるのか期待されると思ってしまった。

 兎に角、合鍵語に陰茎、肛門セクスなどの言葉ばかりで二人の俳句と諺を自分勝手に解釈し長々と三百ページに渡り自慢しているのだ。読んでて気持ちが悪くなり直ぐに読むのをやめた。著者はと思いこれまた驚かされた。1940年生まれの北大工学部に2004年まで勤めていた男だった。

 興味のある人はあくまでも本屋で立ち読みをしてください。11月に出た新しい本です。あー損した!!

2011年12月24日土曜日

結構だね ・・・猫跨ぎ

  実に結構だね。この幸せなたのしみを今後とも続けたいものだ。
確かに、旅情を掻き立てる時、何故か北を向くのは不思議だ。
ところで細かいことを言うようだが「北帰行」は北海道の歌ではない。旅順高等学校の学生が休暇を終えて満州に戻る時に作ったとか聞いた記憶がある。
  しかし歌のそれぞれは、いかにもオヤジ歌ばかりではないか。「恋の町さっぽろ」「北空港」などをデュエットと行きたいものだ。時には佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」などアンニュイさを交えたい。以上は小生の実績である。まあ、佐渡島の田園育ちと、北海道とは言えシティボーイ上がりとの差といえようか。

2011年12月23日金曜日

演歌は北海道に限る・・・褌子

  今晩はすごく冷える。
 英会話の先生と男だけ三人で忘年会をやった。「浜宿」のぐつぐつ騒ぐ牡蠣鍋(鱈の切り身も)にあつあつの焼酎と酒。
まさに
 割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
 にぴったんこなのだ。あらためてこの句を特選にしたい
 寒いので店は三人で貸し切り。逸徳さんならイチコロの気立てがよいママさん。
 「北の宿」「襟裳岬」「津軽海峡冬景色」「知床旅情」「函館の女」「北帰行」など何故か北海道の歌ばかり歌った。
 いやあ演歌っていいねえ。サンマはめぐろ、演歌は北海道にかぎる。
 遠く仁ちゃんをおもって「どんぶらこっこザー♪」と「函館の女」をとくに熱唱したときには熱燗にむせんだのか泪がでた。。
 「高校三年生」「仰げば尊し」「はるよこい」もママさんと合唱した。いやあ一期一会だなあ。これだけ飲んで歌っておひとり3500えん。いまのうちに美味いもん食って旨い酒しこたま飲んでおこうと堅く硬く固く決意した。
 寒風のなか酔って電車に乗ったら八幡宿で降りるところを五井まで乗り過ごしタクシー代が三千円も。やっぱり、お酒はひかえめにしなくては…。

【写真:三等同時入賞の美男美女の握手。在日中国人粛華さん】

校正 ・・・猫跨ぎ

  ホト,窪みなどと止めどなく落ちてゆくかと危惧したが、ぐっと踏みとどまり誤植に話頭を転じたのは褌子氏も世の常識が備わってきたというか、沈黙の読者の期待を裏切ったと言うか。
  薄っぺらな俳誌の編集に携わっているが、原稿の打ち込み作業で誤植が出るのはやむを得ない。それらはかなりは校正で摘出できるが、その網をくぐり抜けるのが必ず数個ある。全く校正恐るべし。校正作業は「読むな」とよく言われる。内容を読んでしまうと流される。とは言え。
まあ、辞書の誤植は命取りで、校正のプロが必死にやっているのだろうが、矢張り絶無とはならない様だ。しかし実感でよく判る。

re、年の瀬の珍本騒ぎ・・・褌子

―――――と↓に書いたばかりだが、インターネットで調べたら、こんなことが書かれてあった。へーそうなんだ
 『岩波国語辞典』第3版第1刷(1979)は、少なくとも27か所の誤植を残したまま出版されている。岩波書店は、後日、27か所の誤植を記載した正誤表を出している(良心的!)。この岩国のケース、27か所の1つに、項目「ごびゅう」の誤植がある。漢字表記で「誤謬」を「説謬」と誤まった。誤りの説明を誤まったので、これは笑い話になった。


年の瀬の珍本騒ぎ・・・・褌子

  猫跨ぎさんがいきなり閼伽桶などというサンスクリットをもちだすので、議論がどんどん高踏的になってしまった。庶民的な話題に転じたい。
 珍宝ではなく珍本のはなしである。
 岩波国語辞典の初版は1963年(昭和38年)に発行された。日本の「標準的国語辞典」をつくるという岩波書店辞典編集部の自負のもとに西尾実・岩淵悦太郎氏らが第一版の計画をはじめたのは昭和29年だというが、九年後に初版がでた。
 昭和38年、大学二年の私は出たばかりの岩波国語辞典の初版を買ったのである。(佐渡の中学一年のときに国語の引野先生が三省堂「明解国語辞典」を全員に買わせて、これをずっと愛用していたがぼろぼろになっていた)
 ところが買ってすぐ偶然にも岩波国語辞典初版で『こんなん』をひくと「困難」ではなく『困離』となっているのを発見してしまったのである。
 奇書でもなくありふれた国語辞典のありふれた誤植なので、誰にも語ったことはないが、日本の“標準的国語辞典”で『困離』を「こんなん」と読ませるのはいくらなんでも困難である。『困離』という珍語を発見するのも岩波の「広辞苑」だってむろん困難である。
  この『困離』に気づいた編集部は驚愕し、あわてて第二版がでたはず。第二版は確かめてないが「こんなん=困難。佐渡島では、「こんなん」をわざと困離と書く奇習がある」などとくだらんことは書いてないと思うが。いまは第七版がでているらしい。
  これが三省堂だったら「毎日三たび反省す」論語(学而)を社名にしているくらいだから、たった九年で国語辞典をだしたりしなかったのではないかと思うが出版界の事情は私にはわからない。
  この初版本は私が三〇代に勤務していた市原民主商工会の事務所においてあったのだが、事務所新築のときの移転で紛失したらしく、最近、訪問したときには見あたらなかった。
 この発言を読んで、年の瀬の古本屋街では初版本を探しだしたヒマじんが「あ、やっぱり。本当だ」とにんまりしているかもしれない(笑) 

2011年12月22日木曜日

ヌチドウ宝・・・褌子

古代ペルシャ語でチヌは「命」だが、沖縄では今も「命」を「ヌチ」と言っている。
「ぬちどう宝」=命こそ宝、というふうにつかっていることを思い出した。
沖縄ではチンポコをヌチホコというのかな。
なお「ホト」は縄文時代から、窪み=女陰をさす。火之神を産んでホトを大火傷した女神の古事記のはなしは有名だ。
横浜の保土ヶ谷のホトもそうだ。
そうすると保土ヶ谷女子高校は「×××女子高校」となり乙女が通う学校として教育上からもいかがなものか。こういう話の学術的解釈に詳しい神奈川在住の国兼さんや元高校教諭の逸徳さんのご見解をおうかがいしたい。

チヌホコ?・・・猫跨ぎ

  また次元がぐっと高くなったなあ。ちんぽこになるとこれでもかこれでもかと語源論争があって収拾がつかない。一般的には、珍鉾。時として形、大きさに変容を見せるので「珍」それに「鉾」というらしい。まあ無難なところだがいまいち面白くない。そして、ほことぽこでは明らかに違うので厳密さに欠ける。
  チヌホコは目新しいが、チヌが古代ペルシャ語でホコが棒でも鉾でもいいが、これが日本語(ないし中国語)と分解してしまうのが難点。ここは一気通貫で行きたい。

珍説ちぬほこ・・・ konshi

   閼伽桶(あかおけ)なんてことばは全く知らんかったな。
 チヌホコは、古代ペルシャ語でチヌは命、ホコは棒つまり命の棒。これがはるばる日本にきてチンポコになったのである(矢切止夫博士の御高説『日本語の起源』より)。へー?本当かなあ。










  ↑の写真は坊里村の「臼石と老婆」など。

2011年12月21日水曜日

ダンナさんとドナー ・・・猫跨ぎ

  墓参りで墓石を洗う水を入れる桶を閼伽桶(あかおけ)と言うのをご存知と思う。
閼伽桶の閼伽(あか)とは梵語で水のことである。ところでaqui-やaquous-を接頭語とする科学用語が沢山あり、これらは皆、水と関連がある。ラテン語のaqua(水)に由来していて、発音は何故か「閼伽」とそっくり。
  もうひとつ、ウチのダンナさんであるが、これは梵語の檀那(だんな)から来ているというのは良く知られていて、布施、または施す人という意味である。これがまたラテン語のdonere(贈り物)に妙に似ている。ドナー(donor)は化学、物理また医学の専門用語としてあり、何れも「与える」という意味を含んでいる。卑近な例では臓器移植で提供者をドナーという。例を探すと枚挙に遑がないようだ。
  実はインドとヨーロッパの古い言語が繋がっているということ。つまりインドヨーロッパ語として本来これらは同源であるというのが種明かしである。仏教用語と科学用語が妙なところで鉢合わせしたという話。

※ 北欧にアクアビットという蒸留酒がある。アクアが水、ビットは命。つまり命の水というわけ。

プロの写真 ・・・猫跨ぎ

  素人の写真は画面に何でも詰め込み、プロのは出来るだけ余計なものを切り落とすと誰かが言っていたのを思い出す。俳句もそうだね。一概に言えないが、言外にいろいろ印象づけたいという意図の作品は大体失敗するようだ。焦点を絞ってそれのみを表現すると、結果として周りの景が見えてくるという逆説はどうも本当らしい。
中国の奥はまだまだこういう世界があるんだね。沿海部の変化とは大違いだ。

今日の報道に、広東省汕頭市で石炭火力発電所計画に反対する数万人規模の暴動が起こったという。かねてから環境汚染に苦情が出ていたがついに爆発したということらしい。強権で開発をという時代は中国でも急速に変わってきたという印象だ。

日立軍隊、松下宗教    ・・・褌子

  「日立軍隊、松下宗教」という業界用語もありました。
  PHPも松下政経塾も、みなさん心の持ちようで国も人も幸福になれますと説教してきたが、いまの世の中こころの持ちようだけではどうにもならない。そこでパナソニックにかえちゃったという説もある。野田首相の母校もパナ政経塾に変名か。
  栄誉に輝いた褌子作品だが、中国の山奥の村を訪ねたら、わーと子供たちにとりまかれた。
  カメラがまだ珍しいのか「おじさん撮って!撮って」と催促。レンズを向けるとキャーキャー逃げ回る。撮影したばかりのデジカメ画面を見せるとわーすごい!とまた大喜び。そのうち大人達もでてくる。牛がぐるぐるひいてまわる石臼を私がよいしょよいしょ回しだしたら、おばあさんが手伝ってくれた。それをとりまく村人が大笑い。
  こんな平和な村々を日本軍は三光作戦で荒らし回ったんだ…

なかなかなもので・・・・逸徳

先日、本をみていてはたと気が付いた。おいらの誕生日は8月19日であるが、これなんと「俳句の日」ではないか。もっともは(8)い(1)く(9)という
、ただのごろ合わせにすぎないらしいのだが。 しかし、だからといって俳句の神様はなかなかおいらにはほほえまない。 まあ、北の宗匠と江戸の師匠の名作集をあじあわせていただくだけになりそうで・・・・すまん。

友人で新聞社のカメラマンをずっとやっていて、独立した男がいる。彼から「産経残酷、時事地獄」という業界用語を教わったのだが、なかなかヒューマニステックな男で、彼のライフワークのひとつが「世界のこども」というポートレイトの連作である。で、このことは、前にも書いたのだが、スナップというのは決してカメラを意識していない。逆にいうと、カメラを意識させたら失敗なのだろうな。つまり被写体は、実はカメラマンの目を見ているのである。ここにことばを超えた交流がおこる。 こどもからみれば、親しくなれそうな仲間は微笑むし、疑わしいやつは「なんだこいつは」という目でみるし、敵はにらみつける。
 で、褌子氏の作の子供は何を考えているのだろうか。 すくなくとも相当な好奇心であるが、警戒心もある。そこで母親の指がいきてくる。「心配いらないよ、あの変なひとは別に宇宙人じゃないよ。とって食いはしないよ・・・・・」 それとも現地は相当の食糧難か。

終戦後まもなく すんでいる村にはじめて外人が来て、こどもたちがおおさわぎしてあとをついて歩いたのを思い出す。片言の日本語なんかしゃべると、みんな「あっ しゃべったっ」「うおお・・・・日本語らしい」とほぼエイリアン待遇だったのを思い出す。


花言葉は「細やかな愛情」      褌子

やっと千葉も氷がはるなど寒くなった。
ひさしぶりに朝の京葉線通勤快速に乗った。座れないが意外と混んでいなかった。
30才の頃、東京へ通う満員電車は文字通り立錐の余地もなかった。
東京湾の向こうに富士山がきれいに見える。羽田から飛び立つ飛行機がきらきら光っている。
きのう誕生日で古稀に一歩手前になった。
見知らぬ団体から誕生日おめでとうございます。という手紙が届いた。
封をあけると、あなたの誕生日の花は「フタバアオイ」。花言葉は「細やかな愛情」とあった。
身に覚えのないYahooからも誕生日祝いのメールが届いた。
 猫跨ぎさんから入選写真について身に余る激賞をいただき、いたく歓喜しております。
 シャッターボタンの右人差し指にちょいと指圧をかけただけで見事にとれてしまった。瞬間をきりとる俳人の神業にくらべたら、瞬間切り取り箱のカメラはくだらん…と謙遜につとめていたが、「子供と母親の表情が素晴らしいですね」と一席、二席の女性に喫茶店でこもごも褒められて、「いやいや貴女たちのゲージツ作品の前ではボクなんぞ恥ずかしいかぎり」と顔を赤らめていたが、つい不覚にもにんまりと微笑んでしまった

2011年12月18日日曜日

良い写真だ・・・猫跨ぎ

成る程、良い写真だね。つまり、被写体の目線がきっちりこちらを向いていて、母親の指す指もいい。写真の意図が単純明確で余計なことを言っていないのがいいのだろう。これ本当に褌子撮影かね。

2011年12月17日土曜日

素人写真だけど…晴れの表彰式・・・褌子

  けふ新宿工学院大学孔子学院で「わたしのみた中国」という写真コンテスト表彰式があった。わたしのは三等賞だった。

  一等も二等も若い女性の傑作で、それぞれが三分間のスピーチをした。
  入賞者だけで喫茶店で談笑してとても楽しかった。



【一昨年、河北省阜平県坊里村という山奥の村で出会った母子の写真が三等になってしまった】

愚痴と愚知・・・・褌子

ぐ‐ち【愚痴】
��1)〔仏〕理非の区別のつかないおろかさ。「―邪見」
��2)言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。「―をこぼす」「―を聞いてやる」
ぐ‐ち【愚知・愚智】
おろかなことと知恵のあること。愚者と知者。
 と『広辞苑』にありました。『大辞林』もにたりよったり。
 ところが大槻文彦博士『大言海』をひいたら「愚痴」しかでてない。意外ですね。
 この『大言海』は(富山房創立95周年記念版)昭和57年に17000円も大枚はたいて買ったんだがいままでひいたのは「愚痴」もふくめて10回くらいか。
 そこで新潮社の『日本語漢字辞典』をひくと… ちょっと面倒くさくなった。
 『日本語漢字辞典』はたぶん猫跨ぎさんのすいせん?で買ってしまったものだが、面白い辞典だ。愚痴がでてくる漱石「草枕」の一節とか愚知がでてくる藤村「破戒」の一節とかでてくるんだ。まだひいてないけど…

2011年12月16日金曜日

愚痴 ・・・猫跨ぎ

愚痴と愚知はニュアンスが違う?知らなかった。辞書には併記してあるので。ちょっと教えて下さい。
今回は
・檻の口開けたるままに雪の声
がとても印象に残った。動物園でなくとも、何かがらんとした奥行きが感じられましたね。

函館通信165・・・檻・・・仁兵衛

 即刻の句評有難う御座います。少々の解説を・・・。
 湯豆腐の句は「愚知」と「愚痴」の意味に差があるや否やにあります。
 「檻」は函館には動物園がありませんのでそのイメージはありません。北海道では秋に熊の出没が非常に多かったので檻罠を仕掛ける所がありました。なかなか熊は掛かりません。その内に初雪になってしまいました。
 今日は全国的に寒さがやって来ました。函館は最高気温が-3度位です。
 中七に季語を入れた句を意識的に作ってみようと思っています。次回に幾つか報告します。
 

2011年12月15日木曜日

朔風 ・・・猫跨ぎ

北海道もすっぽりと冬らしい。こちらは寒いといってもたかが知れているが、そこへ14,15度の生ぬるい日があったりして、もっとすっきりしてほしいものだというのは贅沢か。

朔風 はなつかしい。仁ちゃんは流石だ。

「都ぞ弥生」の三番
寒月懸かれる針葉樹林 ・・・・
野もせに乱るる清白の雪 ・・・
ああその 朔風 飄飄として 荒ぶる吹雪の逆巻くを見よ
ああその 蒼空 梢連ねて 樹氷咲く壮麗の地をここに見よ  


割下といえばすき焼き。このところ久しく食べていない。今は知らないが、北海道では豚肉のすき焼きが普通で、それしか知らなかった。でも子供の頃のすき焼きに優るものはない。あれが家族の味だった。
湯豆腐がうまい季節になったね。鍋は何人かで囲むものだが、独りで豆腐がゆらゆら揺れているのを見るのも悪くない。湯豆腐は万太郎句できまりみたいな感じになってしまったが。兼題で出て万太郎はどうだいと自慢だったらしい。これはしんみりした風情とちょっとそぐわない。俳句の制作経緯は余り聞かない方がいいのかもね。「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

檻の句は動物園の風景と見た。これを特選としたい。

2011年12月14日水曜日

仁句鑑賞・・・・褌子

宇宙の質量の起源になったヒッグス粒子とかが見つかったとか、高速より早いニュートリノがあるとか、宇宙の加速膨張とか宇宙物理学の世界はすごいですね。
・ブータンの国王の礼年惜しむ
  そうか。もう過ぎゆく年を惜しむ時期になったか。震災原発、日本人が忘れること  のできない年になった。
  アメリカ式弱肉強食社会に席巻されていた日本人にとって、ブータン式総国民幸福  度社会は新鮮だった。若き国王夫妻  もさわやか。
・中押しの黒で決まりて雪の峰
  碁はやらないが中押しは囲碁用語らしい。
  「雪の峰」とあるからさわやかにあっさり途中で負けちゃったということか
・朔風や人見知りする男の子
  北風も朔風とすると格調たかい。季語が一句の雰囲気にぴったり
  男児のはにかみ笑いが目に見える。特選
・割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
土鍋では蛎か鱈または鮭でも鮟鱇でもよい。あとは白菜たくさん。冷たいビールがたまらん、今晩はこれで行こう女房がどう  いうか。ぐつぐつ騒ぐ、が誠によい
・湯豆腐や一つ一つに愚知のあり
  割下のぐつぐつは湯豆腐のためのだし汁であったか
湯豆腐にはワケギ、柚子それに大根おろしかショウガおろし。越後の「かんずり」という辛子味噌で食うとたまらなく美味     い! 酒はやっぱり八海山か久保田だが、越の寒梅、雪中梅でもかまわない。ほんとはいつも千葉の腰古井なんだけど
・百円玉缶に音して根深葱
なんとなくわびしい年末の風景がでている。
根深ネギ、土鍋にいい。甘くやわらかいあの白い茎。
ネギってまっすぐに伸びるから「一文字」ともいうんだって。
��ちゃんと歳時記ひいていますよ)。
・金箔のひらひらひらと池涸るる
なんとなくわびしい年の瀬風景
・檻の口開けたるままに雪の声
なんかわびしいお客まだらな年末の動物園。猛獣どっか温かいオリにひっこし?

2011年12月13日火曜日

函館通信164・・・寿命とは・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんの今回の六句特別に高い鑑賞に値するね。どれをとっても柔軟で伸び伸びしていて感じが多くの人に好感を持たれるのではないかと思う。

 さて義母が今年二度目の救急入院した。88歳をこえてペースメーカーの入った心臓が少し耐えられなくなったのか血圧と脈拍が異常に上がったためだ。5月の入院は脳梗塞だったのだが今回は別の要因だ。医者が言うには心臓の周りに水が溜まっておりこれを抜けば少しは楽になる可能性はあるとの事。しかしその処置のとき脳梗塞の抑制する薬の投与が出来ないのでそちらのほうに影響が出るかもしれないそうだ。本人の意識は弱弱しいが少し喋れるしまだ私を識別できるだけぐらいはある。
 こう言う状態の人は沢山いるのだろうな。医者からは何か異常が更に進んだら人工呼吸器を付けるのか否か血縁者で相談をして明日までに結論を出せといわれてしまった。人の寿命とはどう考えたらいいのか突きつけられているのかな。ぴんぴんころりのリズムにはとても遠い話である。

 函館は根雪にまであと一歩の所まで来ている。緑が無くなってななかまどの赤い実ばかりが目立つ。そんなに綺麗でもないのに健気なものだ。雪催いという季語がぴったりの空模様が続いているがどちらかというと人を憂うつにしがちだ。そんなこれやで近作十句。

  ブータンの国王の礼年惜しむ
  中押しの黒で決まりて雪の峰
  朔風や人見知りする男の子
  神の留守鉄道好きな父子のゐて
  王将の穴熊に入り去年今年
  割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
  金箔のひらひらひらと池涸るる
  湯豆腐や一つ一つに愚知のあり
  檻の口開けたるままに雪の声
  百円玉缶に音して根深葱


 
 

2011年12月12日月曜日

re:年の暮れ・・・・褌子

・月蝕終り雪女消えてをり
   雪女にはとても懐かしい?思い出がある
黒沢明のオムニバス映画『夢』に、雪山で遭難死寸前の意識不明の男に雪女が戯れている場面がある。朝日がのぼって   男が意識を取り戻した瞬間、「雪女消えてをり」なんだ。
月蝕で赤黒く天空に浮かぶ妖しい球体、やがて月が太陽光を反射し出すと
   まさに「雪女消えてをり」なんだ。特選です。新宿で表彰式を行うので3分間のス   ピーチを(笑い) 
・前の世の全景として冬銀河
なにやらいわくありげなおもわせぶりのすこし輪廻っぽい句。でも銀漢とか冬銀河ってステキな季語だね。
わたしは先日の月蝕観察ではじめて昴をみました。家庭用望遠鏡でもはっきりと六連星がみえた。いま宇宙の一点の地球   にいきていることをしみじみ感じながらホットココアを飲んだが俳句ができなかった。   
・帰るべき一戸の見えて冬の月
なんとなく藤沢周平の小説の一節みたいだなあと思ったら
いや  軒を出て犬寒月に照らされる  周平 だった。
一戸があってよかった。
帰るべき一戸も見えず冬の月 では老境にはつらい
・一年を納め一湾鎮もりぬ
3月11日以前にもどりたいとどれだけの人が叫んでいることだろう

2011年12月11日日曜日

年の暮・・・猫跨ぎ

そうね、注連寺は注連縄(しめなわ)からきているらしい。
月蝕は見なかったが、俳句は作った。

・月蝕終り雪女消えてをり
・前の世の全景として冬銀河
・帰るべき一戸の見えて冬の月

ついでに二、三句
・大熊手エレベーターへ賑々し
・猿笑ひみんなの笑ふ年の暮

東北の海を思う。
・一年を納め一湾鎮もりぬ

七五三掛桜・・・・褌子

注蓮寺でなく注連寺ですね。
↓に書いた桜の古木は「七五三掛桜=しめかけざくら」という有名な桜だそうです。

注蓮寺・・・褌子

  注蓮寺のいい写真ですね。
  注蓮寺の階をのぼった縁側にものすごくカメムシがいたのが目にはいった。あの虫の臭いは子供の時、家の中にもたくさんいたので苦手なんだ。それで何となくお寺のおばさんの話は遠慮して寺のまわりを遠巻きにぐるぐる散歩していた。ちっともみんなが出てこないので国兼さんが世をはかなんで即身仏を志願しているのではないか、せっかくの骨壺がむだになるなあなどと心配したくらいだ。
  森敦の碑があったがあれが猫跨ぎ句の由来か。遠くに地滑りがあって大規模な工事をしていた。お寺の脇の小高いところに桜の古木があって歴代の住職の墓などが苔むしていた。京都あたりの隅々まで掃き清めた繊細優美なお寺よりも、月山のふもとの大ざっぱな雰囲気がいいなあと思った。高橋さんといったかタクシーの運転手さんとも世間話をずいぶんした。
  いい旅行だったね。
  ↓の写真、新幹線のなかで線量計を駆使している真摯なまなざしがぞくぞくするほどかわゆい!

写真・・・猫跨ぎ

  表彰式が終わるまで公開は憚られるということであるらしい・・・かな。結構なことじゃないですか。おめでとうございます。

昨日は月蝕だったけれど余り食指が動かず寝てしまった。何年か前、じっくり見たしね。日蝕と違って月蝕は割と多い。

写真といえばこの前の旅行の写真係であったので、遅まきながら、公開したい。行きの新幹線の中で、線量計データの記録に余念のない姿。それから注連寺でのスナップ。

2011年12月10日土曜日

月蝕が大事。写真などどうでもよい・・・褌子

いま皆既月食をみています。
  すばらしい! 望遠鏡でみると首がいたいが、地球の影になって赤みをおびた月の球体がすぐそこに手に届きそう

そういうことなら・・・・逸徳

その写真ここにのせてくださいよう。もったいぶらないで。みたいっ!!! 静岡はなんとか晴れそうで、これから子供たちや家族を集めて月食観察会です。何か一句うかぶのを期待していますが、こどもを相手にしているととても無理かも・・・・・ 俳句は 落ち着いて半径3メートルくらいはがやがやしていてはだめですな。

2011年12月9日金曜日

年の瀬の吉報    ・・・褌子

   JR新宿駅西口から地下道5分。工学院大学エステック情報ビルなる瀟洒なビルがある。そのなかに工学院大学孔子学院という中国の中日文化交流施設がある。この孔子学院が『私が見た中国』という第三回写真コンテストを行っていて、河北省阜平県の山村で昨年撮った子供の写真を投稿してみた(メール添付で送るだけ)。
  きょう、封筒がきて、応募数百点のなかから入賞作品に選ばれた。12月17日工学院大学information satellite loungeで表彰式が開催され、式後、紙コップでのウーロン茶のお茶会で入選作品にまつわる3分のスピーチをしてほしいとのこと。
  なお入選作品は日本語教室にくる在日中国人留学生や中国語教室に通ってくる周辺のビジネスマン、大学の学生、教授などの投票結果によるもの。
  


今晩 月蝕。
  今朝、千葉も初氷。ラーニャ現象とかで今冬は寒いそう。
  

  
  

2011年12月8日木曜日

型の小き・・・褌子

  この天声人語はわたしも読んだ。
  型の小きものどもの起こした戦さで命うばわれ二度ともの言えぬ無数の人々のために、我々は何を言うべきか。
  それにしても最近の政治家も小選挙区制のせいもあってか誠に型が小さい。

型の小き・・・猫跨ぎ

今日の朝日の天声人語は興味深い。

〝東郷茂徳は日米開戦と終戦の時に外務大臣だった。開戦後に退いたものの、再び請われたのは人物ゆえだろう。戦争回避に全力を尽くしたが報われず、戦後にA級戦犯として禁錮刑を受けた。獄中でよく歌を詠んだ。他のA級戦犯への目は厳しい。
〈此人等(このひとら)国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ〉
〈此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ〉〟

今日は開戦記念日で、このところ沖縄戦、南方戦線などで絶望的な戦闘に散っていった人々のドキュメンタリーが放映されるが、東京にいて「型の小き」連中が始めた戦争だった事を改めて知る。

2011年12月4日日曜日

つまり・・・猫跨ぎ

つまり、除染費用を全額東電か国かの閾がはっきりしていない。それとそれ程の線量でもないらしい。そういう中でとにかく東電に明日から除染やるべしという判断は出来ない。回りくどい表現ながら、そういうことを言いたかったのかな。

2011年12月3日土曜日

分かった範囲で・・・・逸徳

この記事のもとは東京新聞と朝日新聞の「プロメティウスの罠」という連載。裁判所の却下の理由は、ネット情報でよくわからんが東電の答弁書には踏み込んでいないらしい。いや踏込ようがないのではないかな。ひとつは、現在の線量ならゴルフ場は営業可能だろう(ということは風評被害を考えていない)ということと、もうひとつの理由がよくわからんので、ネット情報をはりつける。

・・・・これについて裁判所は言う。

「除去の方法や廃棄物の処理の具体的なあり方が確立していない現状で除染を命じると、国の施策、法の規定、趣旨等に抵触するおそれがある」


「事故による損害、経済的な不利益は国が立法を含めた施策を講じている」


つまり、除染も賠償も国が色々な手立てを考えているのだから、それを待て、ということだ。


確かに、国による賠償の枠組みに基づき、東電はさまざまな保証への要求に対応を始めている。

まずはこの枠組みに沿って、ゴルフ場も請求するように東電は求めている。


しかし、ゴルフ場側は、国や東電が対応してくれないから裁判所に訴えるしかなかったのだ。

時間ばかりかかる役所の処理に任せていたら、民間企業は倒産してしまう。

・・・・・・ とにかく、なにがなんだか裁判官の考えもよくわからん

よく判らない・・・猫跨ぎ

初めて聞いたけれど、裁判所はそれを認めたわけだ。東電けしからんという前に、そういう論理が成り立つということを説明してくれないかな。これだけではよく判らない。

無主物責任・・・・逸徳

すでにごぞんじかもしれないが、二本松市のゴルフコースが原因をつくった東電に汚染除去を求めて、仮処分を申し立てたことに対して、答弁書で東電が主張したことの中にこの言葉が出てくる。 それにたいして、東電は原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任を持たないと主張した。
・・・・放射性物質はもともと無主物であったと考えるのが実態に即している。無主物とは、漂う霧や海に泳ぐ魚のようにだれのものでもないという意味だそうだ。したがって放射性物質には責任者はいないというのである。・・・・さらにつづけていう。…仮に所有権を考えられるとしても、すでにその放射性物質はゴルフ場の土に付着しているはずである。つまり東電が放射性物質を所有しているわけではない。・・・・飛び散った放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではないというのである。そして裁判所はゴルフ場の訴えを10/31に却下した。・・・・・・

無主物、だれのものでもないのだから責任をとるものはいない。感動的な論理だ。おどろいてなにもいえん。だれかためしに東電を弁護してみてほしい。どういう理屈が可能になるのだろうか。 この「無主物責任」ということば。ぜひ流行語大賞に推薦したい。 はやるかもしれん。

おいらが、満員電車の中で屁をするとする。みんなはにらむ。しかし、屁は無主物であるので、おいらには責任はない。・・・・ 汚い廃棄物、液体がいいだろう。これを他人の土地にすてる。それはもう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。したがって責任はない。・・・・・うーんおおいに活用できそうなことばである。



DNA・・・猫跨ぎ

  だからさ、言うところの日本の技術のDNAは何も原子力産業に対してだけではないということなんだ。私がちょこっと体験した石油化学だって本質的には同じだ。更に視点を拡げればどこの国でも形は違え似たり寄ったりではないか。最近の中国の事故事例を見るとその観が強くなる。むしろ緻密な工芸品をもってなる日本においておや、ではないか。人間の本質に関わる問題かもしれない。あまり日本特殊論になるとなあ。この本を読みながら、ずっとそのことを考えていたというわけ。
  福島原発の事故原因はこれから徐々に明らかになるだろうが、私のは耳にした一部に過ぎない。第ゼロ近似みたいなものだ。全く地震の影響ゼロということはないだろうね。いずれにせよ原発は止めるべきだという結論は変わらない。

2011年12月2日金曜日

さてそれはどうだろう・・・・逸徳

高木氏の本のポイントは、単なる技術をめぐるごたごただけではないように思うのだが。日本の技術における公共性と普遍性、日本の技術のもつDNAみたいなものについて論じているところが最大のポイントのように思うのだが。 技術のもつさまざまなぼろがいっぺんに出てきたのが原子力のように見える。しかし東電はひどい。権力に結び付いた技術の堕落みたいなところがある。関連して、岩波ブックレットで出た、「検証東電原発トラブルかくし」原子力資料情報室刊をご一読いただきたい。事故は必然的におこったという気分になる。それからどうも津波の前に原発は壊れていたという情報がぽろぽろ出始めている。津波のせいにできなくなってきているのだ。どうするんだろ。電力労組が民主党に原発推進で献金しているんだって。 あきれた。なんもいえんな。権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗するという言葉を思い出したよ。

改めて原子力・・・猫跨ぎ

  高木仁三郎のその本はこの前読んだ。印象記はちょっとこの前触れたが、原子力事故の細かな内実が書かれている。何げない勘違い、もみ消し、糊塗、改竄。それとは別次元で一方的に強行されるグランドデザイン。読みながら思ったのは、原子力技術だけではなく大型技術導入の歴史はみなそうだったということだ。それをこなして、何とか身につくのに長大な時間がかかる。原子力技術にそれは待っていられるか。それは不可能だというのが私の結論だ。
  ところで、福島第一原発の5,6号機は稼働中であったが冷温停止を実現した。高台に補助の空冷式のジーゼル発電機が敷設してありこれが津波に呑まれず稼働した。唯一その違いだった。今回の事故に限って言えば、原因は津波対策が不十分だったということだろう。
しかし、設備の中枢部への飛行機の墜落衝突、悪意を持ったテロリストの攻撃、等、これらはどうか。なにが起こっても事故を起こさないことははたして可能か。リスク管理の立場からいえば、ナノグラムの生成物のリスク管理は天文学的な負担を我々にもたらすということだ。

カレーの市民・・・・褌子

  テレビで宣伝したとたん、ひまじんが殺到。情けないねえ底が浅いんだオレもそうだけどさ。スペイン近代史の光と影のなかプラドでみてこそゴヤがわかるということもわからんのかねえ全く最近の年寄りは!オレもそうだけどさ。
  美術館レストランでカレーでも食おうと思ったら、バーさん達が行列しているので恐れをなして外へ。こっちもジーさんだけどさ。ロダン「カレーの市民」へ直行。だぶだぶズボンの上品な紳士をみかけたがあれがそうだったか。
  駅へ向かうと銀杏の落葉がすばらしい。あとからあとから落ちてくる。雑踏のなかしみじみと見上げる日本の秋。やっぱり上野はいいねえ。ここへくる日本人は新宿あたりより品がいい顔なんだ。しかし菊川で夕陽をあびながら富士を遠望する逸徳さんほど神々しくはない。

いいなあ・・・・・逸徳

東京近辺にいると、いい展覧会にすぐいける。これだけは東京がうらやましい。とにかく静岡からだと往復1万なのだから。こういう文化的格差は腹が立つ。ほかのことでは別に東京がうらやましいと思ったことはないのだが。もっと文化財を地方に移転してくれんかなあ。コンチクショウ。
ところで、きのう原子力資料情報室の故高木仁三郎の「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)を読んだ。読み始めたらあまりにも面白くて、ついにおくことあたわずというやつで一気に3時間で読んでしまった。これは氏ががんになってから病床でかかれた絶筆であり、見事な文化論である。氏は冷徹な科学者であり詩人であり、思想家であった。ほんとにいい人は早く死ぬ。そしてどうでもいいのが、世の中を闊歩している。世の中よくなるわけがない。
 その中でおもしろいのは、私小説と仏師をならべて論じている部分である。個人の中に見る「公」の部分という章である。私小説は「私」ということにこだわっていて、そこから発して、往々にして破滅型というか自虐的に自己の内なる世界に埋没していく。そういう堕落していく人間の悲哀みたいなものをえがくことで、ある種の人間性の中の普遍性を書こうとしている。それに対して、仏師について、氏はこういう言い方をする。仏師の中には理想の仏陀のイメージを持っていて、それを目指してほっていく。つまりそこに向けて自分の技術を習熟させていったはずだ。けれども仏師が目指していた仏陀や如来などの像は、多くの人を満足させなくてはならないから、そもそも非常に公的な性格のものであるわけです。しかもなおかつそこにやっぱりその仏師の個性があらわれなくてはならない。つまり人々が求める普遍性、公共性というものをまったくの個人としての自分が体現しなくてはならない。このことを氏は「仏師の公共性」とよんでいます。 ここから技術のなかの普遍性や公共性というものに話がつながっていくのですが、技術者の思想性ということについて考えていた自分の問題意識にぴったりとあった感じがしました。 ぜひおすすめ。どなたか読んでみてください。まだ読後のハイテンション状態がつづいている感じで、今度この本、市民運動の読書会でどうかと提起してみようかと考えています。

カレー市民像・・・猫跨ぎ

  まてまて、私も昨日、カレーの市民像の前に居た。
東京博物館の法然・親鸞展を見に行った。行ったは良いが30分待ちの掲示。急に気持が萎えてしまった。とにかくちょっと評判になるともう曜日は関係ない。見るとヒマな中高年がぞろぞろ。何、お前がそうだ?その通り。
君子豹変で、すぐ取りやめにし、六本木の国立新美術館のモダンアート展へ行くことにした。その途中、西洋美術館前庭に入り、カレーの市民像を見つつ上野駅へ。そうか、居たのか。
・カレー市民像裏側を行く冬帽子

2011年12月1日木曜日

ゴヤ・・・・褌子

  死にゆくカマキリを定点で経時的に凝視している俳人の目を感じました。
  きのう上野の西洋美術館にゴヤ展をみにいった。銀杏がきれいだ。ずいぶん混んでいてやはりゴヤはマドリードのプラド美術館でのんびりみたいものだ。(スペインは行ったことないけど) 有名な「着衣のマヤ」はみたが「裸のマヤ」はなかった。
  ゴヤ(1746-1828)は(明治維新の40年前に亡くなっている)、ヨーロッパ最後の古典的画家であり、最初の近代的画家なんだそうだ。
  人混みのゴヤ展を抜け出して、レンブラント(1669没)、クールベ(1877没)、マネ(1883没)、ミレー(1896)、セザンヌ(1906)、ルノワール(1919)、モネ(1926)などの常設展示をゆっくり見て回ってその意味がなんとなくわかりました。
  外にでるとロダン(1917)の「カレーの市民」【写真】が青空にそびえていた。

かまきり考・・・猫跨ぎ

  庭の片隅に大きなかまきりが仰向けになって死んでいた。外猫に餌を日に二回与えているが、それは餌皿のすぐ横なので嫌でも目に入る。猫も全く無視している。三日目だったか何げなくかまきりを見ると、何と脚が細かく動いているではないか。生きていたのだ。
普通、虫はあっけなく死ぬ。こいつは別物だな。なにか妙に感動してしまった。そう言えば腹部など身体はまだしっかりしている。
  昨日一日外出していて、今朝になって見ると、もう動いていない。腹部の一部は黒ずんで腐敗が始まっているようだ。すでに骸と化していた。生死の境は歴然としている。しかし全くかまきりは只者でない。仰向けに昂然として死を迎えたわけだ。庭の片隅のささいな事であったが、ここにも命の荘厳さ、といえば大袈裟か。