猫跨ぎ発言をよんで共感、とうぶんi-Padを買うのはやめた。このあざやかな変わり身の早さがまことに快い。
ところで尾道で閼伽桶(あかおけと読むんだって)と関係するものをみた。
広辞苑で閼伽をひくと ⇒〔仏〕(梵語 argha; arghya)貴賓または仏前に供えるもの。特に水をいう。また、それを入れる容器。
尾道は坂と寺と海と山がほどよく攪拌されているなかに古びた庶民的な家がたてこんでいる。あの坂道ばかりでは年寄りにはつらかろう。救急車もこないし、売りにでている家もたくさんあった。墓地もびっしり墓石が密集している。造船所のクレーンさえ景色にとけこんいたし、やたらと多い句碑、歌碑もあまり気にならない。
20ケ寺くらい、とぼとぼフウフウと坂を登ったりおりたり女房とまわっていたら、ある寺で目にとまったのが↑この写真だ。
こういうものがぱっと目に飛び込んでくると言うことは、人間というものはただ飯食って◎◎で蹲踞しているわけではないのだ。この寺は禅寺らしく「生は偶然。死は必然。」と山門に貼ってあったが、墓地のそばに当たり前のことをわざわざ書くな、貼るなら産院の玄関がよかろう。
写真をよくみると「あか」の字がどうもちがうね。 阿は阿吽(あうん)の呼吸の阿で、ものごとのはじめ、伽は「か=とぎ」だが、広辞苑に梵語の音訳に用いる。「閼―(あか)」→とぎ(伽)とあった。寝所に女性を侍らせる「伽」もあるがこのばあいは混同しないように。
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