2011年12月21日水曜日

なかなかなもので・・・・逸徳

先日、本をみていてはたと気が付いた。おいらの誕生日は8月19日であるが、これなんと「俳句の日」ではないか。もっともは(8)い(1)く(9)という
、ただのごろ合わせにすぎないらしいのだが。 しかし、だからといって俳句の神様はなかなかおいらにはほほえまない。 まあ、北の宗匠と江戸の師匠の名作集をあじあわせていただくだけになりそうで・・・・すまん。

友人で新聞社のカメラマンをずっとやっていて、独立した男がいる。彼から「産経残酷、時事地獄」という業界用語を教わったのだが、なかなかヒューマニステックな男で、彼のライフワークのひとつが「世界のこども」というポートレイトの連作である。で、このことは、前にも書いたのだが、スナップというのは決してカメラを意識していない。逆にいうと、カメラを意識させたら失敗なのだろうな。つまり被写体は、実はカメラマンの目を見ているのである。ここにことばを超えた交流がおこる。 こどもからみれば、親しくなれそうな仲間は微笑むし、疑わしいやつは「なんだこいつは」という目でみるし、敵はにらみつける。
 で、褌子氏の作の子供は何を考えているのだろうか。 すくなくとも相当な好奇心であるが、警戒心もある。そこで母親の指がいきてくる。「心配いらないよ、あの変なひとは別に宇宙人じゃないよ。とって食いはしないよ・・・・・」 それとも現地は相当の食糧難か。

終戦後まもなく すんでいる村にはじめて外人が来て、こどもたちがおおさわぎしてあとをついて歩いたのを思い出す。片言の日本語なんかしゃべると、みんな「あっ しゃべったっ」「うおお・・・・日本語らしい」とほぼエイリアン待遇だったのを思い出す。


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