2011年12月28日水曜日

今年も終わり・・・猫跨ぎ

  いよいよ押し詰まったなあ。去年の大晦日に息子と久々に飲んだのがつい昨日のようなのに。昨日散髪に行ってしげしげとわが面相を見たが、髪が随分白くなったなあ。顔が亡父に似てきた。亡父と言えば、先日煮豆を美味いなと思い食いながらが、ふとオヤジも煮豆が好きだったと気づいてハッタと箸を落としそうになった。
  褌子氏が感心しているiPadとiPod はどう違うんだい。電車に乗ると指でパッパッとやっているのが増えた。電脳社会とかユビキタスとか未来社会の姿を予想していたが、もう実現したのではないか。そしてそれはなにやらうそ寒いな。孤独な大衆社会がますます加速する。発想したスティーブ・ジョブスが今世紀最大の発明家と賞賛止まないが、どうなんだろうね。当面、持つ気はおこらないな。テレビもあっという間に液晶化してしまった。あと数年はソニーのブラウン管を使い続ける積もりだけれど、壊れればおしまいだ。液晶ははっきりしすぎて目が疲れる。適度の解像度がいいのではないか。
  こういう様に身の周りのツールが、大して検証もされぬままどんどん持ち込まれて社会を変えてゆくのをそのまま受け入れていていいのか。皆でわいわい囃し立てながら神輿を担いで吊り橋を渡っている風景。
  今日まで新聞に、リスク評価論の中西準子女史の半生記が綴られていたが、面白かった。目を引く新製品のリスク評価が何ら為されていない。放射能を神経質にゼロベースをと声高にいわれるが、それだけではあるまい。褌子氏の感心の記に水を差すことを言ってしまったが、前から感じていた。

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