高木仁三郎のその本はこの前読んだ。印象記はちょっとこの前触れたが、原子力事故の細かな内実が書かれている。何げない勘違い、もみ消し、糊塗、改竄。それとは別次元で一方的に強行されるグランドデザイン。読みながら思ったのは、原子力技術だけではなく大型技術導入の歴史はみなそうだったということだ。それをこなして、何とか身につくのに長大な時間がかかる。原子力技術にそれは待っていられるか。それは不可能だというのが私の結論だ。
ところで、福島第一原発の5,6号機は稼働中であったが冷温停止を実現した。高台に補助の空冷式のジーゼル発電機が敷設してありこれが津波に呑まれず稼働した。唯一その違いだった。今回の事故に限って言えば、原因は津波対策が不十分だったということだろう。
しかし、設備の中枢部への飛行機の墜落衝突、悪意を持ったテロリストの攻撃、等、これらはどうか。なにが起こっても事故を起こさないことははたして可能か。リスク管理の立場からいえば、ナノグラムの生成物のリスク管理は天文学的な負担を我々にもたらすということだ。
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