2013年3月31日日曜日

カニして・・・猫跨ぎ

〈もうこれ以上蟹はカニして花の冷え 〉
贅沢なことをいっておるなあ。昔、大通公園で毛蟹を山にして売っていたが。
科学者、工学者の話がでたついでに言うが、原発の研究は止めるべきじゃないと思うね。原発を今後続けるか否かの議論は必要だが、研究は別だ。国家の有り様とも絡んでくるから。ドイツが止めると決定したじゃないかという人がいるが、それほど単純でない。蒸し返し、まだ議論は続いている。ヨーロッパはEC全体で分業している。原発をフランスに任せているという側面も考慮しなければ。
  原発を止めないのは国が核武装を考えているから、か。そうかもしれんなあ。国際情勢を考えると冗談で無しにこの問題も真剣に考えねばと思う。話は飛ぶが、TPPは難しい問題だ。工業製品を世界相手に商売しなければならずその為のTPPの必要性は一応理解する。しかしこれは、国の仕組みも加盟国と平準化して行こうという思想だからね。戦後、日本は国家の有り様、どんな方向へ行くのか議論をずっとしてこなかった。それをせずに開国して良いのかということだ。話が戻るが、核の研究を一方的に放棄していいのかと言うことだ。このことは核武装の論議とも関連する。勿論憲法とも。

三題噺…毛蟹・町会総会・原発・・・・褌子

  基礎科学と工学の境界と相互浸透は逸徳さん、猫跨ぎさんでゆっくり激論をかわしていただきたい。
  今晩は非常にご機嫌である。女房の里の土佐文旦を札幌の兄貴に送ったら、毛ガニが夕方着いた。ひと箱三千円の文旦が一匹三千五百円はする毛ガニ五匹に化けた。
 さっそく夢中になって今、三匹平らげたところ。足や爪は女房、子供にゆずって、蟹味噌は三匹とも独占した。うまいなあ。蟹は日本酒があうね。房州館山の純米酒「壽萬亀」をぐいとあおってから、やおら甲羅をバキッとわって、おもむろに蟹味噌をスプーンですくって、こころもち瞑目、とろりとした味噌を舌の上であじはふ…。あと二匹はあす、いっきょに喰う。
  小蔵ひでをさん。三日の料理は蟹だけはいりません。げっぷがでるほど喰ったから。
  きょうは午前中は町会の総会。町会長のなり手がなくてもめにもめた。私も十年前に二期やったけど市役所の仕事の下請けで忙しくて大変だった。私のあとの今のワンマン町会長は公明党のひとでずっと十年もやっているが、みんな陰で批判しながら誰も自分がやるとはいわない。結局、このひとが死ぬまでやりそう。
  午後は地元の九条の会主催で小出裕章先生の講演DVDをきいた。小出先生は政府が原発にしがみつくのは日本が潜在的核戦力をもちたいから、いま国内に保管している45トンのプルトニウムですでに長崎型原発四千発つくれる。もんじゅにはすでに税金一兆円つぎこんだまま事故続きでとまっているが誰も責任をとってない…などの話をした。
この人も鉄腕アトム世代でこどものころ、原子力の平和利用こそ化石燃料枯渇の切り札だと思い込んでしまったが今、福島の事故を起こしてしまい、しんそこ反省しているなどの話をした。安藤先生達とずっと原発批判をして助手でおわったひとだが、偉いひとだ。
  若干の討論時間があって、私が先日の暴力団が人集めしている原発労働者の実態の話をしたら、会場が一瞬シンとなった。  まるでドラマみたいなお話しですね、とある女性が発言したので、「ドラマではありません。これが原発労働者の現実です」といったらまたシンとなってしまった。

2013年3月30日土曜日

床屋の話・・・猫跨ぎ

失礼だがエネルギー高密度はこわいは、トコヤ談議に近い。「何やらおっかねーなー」というご隠居の議論と何処が違うのかね。不可知論に陥らず、その中味を極めるのが科学者であり、対策を講じ乗り越えてゆくのが工学者じゃないのか。違いまっか?

エネルギー密度ということについて・・・逸徳

過日、高校時代の友人と飲んだ。彼、東北大の工学部だった男である。 面白い意見を聞いた。 「エネルギー密度が高いと問題がおこりやすくなる」というのだ。 その一例が今問題になっているボーイングの新型機の電池の発熱の問題。ユアサ製ときいたが、コントロールするソフトにも問題があるかもしれないというが、どうなったのか。 彼がいうのには、狭い空間で大量のエネルギーがあつかわれ、変化すると(まさに電池はそうだろう) 桁違いにトラブルがおこりやすくなるというのだ。 つまり高エネルギー密度である。原発もそうだ。 これ熱力学で説明できんかなあ。エントロピーがかかわるような気が゛しているが、中川さんに30過ぎんとエントロピーはわからんぞといわれたのを思い出した。70過ぎてもわからんが。ちと面白い意見だと思ったので紹介した。そういう観点で彼はハイブリットやEVにはのらないそうだ。 蒸気自動車はどうだといったらおこられた。

しかしまあなんというか・・・逸徳

褌子氏は、ほんとに、どこにいっても若い女の子の手をにぎるという特技があるねえ。おいらなんか気が小さくて、ただ茫然と羨望の思いでみているだけだ。いわれてみればそういう場面ばかり思い出す。 やっぱりみつごのたましい百までわすれずということなのだろうか。
 原発労働者のことについて。しばらく前には、炭鉱が廃山になって、炭鉱労働者が大量に原発ジプシーになったという話を聞いたが、浜岡でも暴力団の関与の件はうわさとしては聞いている。なにせ、人口比で飲み屋が全国で一番多い町なのである。あの小さい町に覚せい剤もはいりこんでいる。
 一般に恐ろしい事実に直面すると、それに対する個々人の認識姿勢は全否定から全肯定まではばひろいスペクトルを示すだろう。そのスペクトルのどの辺にその人が位置するかは、第一にその人の生きてきた歴史がかかわるにちがいない。体験が認知に影響して程度の差はあってもバイアスが発生するからだ。第二に、恐怖からくる防衛反応があると思う。福島の震災で、高校生ぐらいの男の子の遺体が、やっと両親のもとにもどったのだが、その損壊が激しく両親は直視できない。その遺体のそばでテレビをみてわらっていたという話を聞いたことがある。遺体の復元の専門家が2時間以上かけて遺体を復元したら、はじめて父親が遺体にすがりついて「ねむっているようだ・・・・」と号泣したという。これらのような我々自身も持っている事実に対する認知のゆがみの危険性にたいして、ではどうするか。ここで感じるのは、やっぱり自分が自然科学の教育を受けてきたということである。ハムレットではないが、この世界にはなんでもあるのだ。何があってもおかしくない。そこから出発することがただしい認識の出発点ではないかという気がしている。

2013年3月29日金曜日

卒業式・・・猫跨ぎ

  桜は散り始めたが、長引く花冷えで結構保っているようだ。26日に東京に出たついでに久し振りに千鳥ヶ淵の桜を眺めてきた。丁度満開で実に結構。
武道館で明治大学の卒業式をやっていた。館の外に、学生達がたむろして居たが、見ると女子はみな袴をはいての和装。男子はというと申し合わせたように黒のスーツ。屈託なく穏やかな顔をしている。あれ、なんか画一的で変だなと思いつつ見回したが例外はないらしい。規則か。まつろわぬ、変な奴がもっといてもいいのに。そういう連中は卒業式なんか来ないか。明大と言えば、駿河台の校舎に、全学連の立て看が張り出されていたのがついこの前ではなかったかな。全部撤去されそういう要素は一掃されたのだろう。馴化されたのか。人の良さそうな、幼顔が多い。それが悪いというのではないが、物足りないね。

了解・・・逸徳

いこういこう 五能線。冬にかぎる。 津軽鉄道のあのおねえちゃん、どうしているかなあ。 奥方はたちねぶたを見てくるのがよい。 元気にたっているのをみるのはなかなか元気がでる。(なんの話だ)

re:興味深く・・・・褌子

    逸徳さん。ちょっと目を離していると、いい独り旅をしているねえ。うちの女房がいま五能線の旅にでています。さっき、鰍沢から電話がきた。亭主をまねしてi-Pad で太宰治『津軽』を読みながらの旅。もういっかい五能線に乗って、夜中に逸徳さんに背中かいてほしい。
   猫跨ぎさん。原発労働者の話は全部事実です。ひどい話なので何とか告発しようと思っている。たっぷり放射能浴びせて使い捨てだ。T君はボクは三食だけは食って四ヶ月いたが、ビスケットと水だけで二三日使って放射線量がオーバーしたと次々首にしている暴力団の会社もあるといっていた。
   ちなみに僕の過去の発言はすべて事実。誇張はあってもウソは書かない主義。名前は仮名、地名も場合によっては仮名だが、自分が見聞きした事実しか書かない。きょう、元原発の下請け電気工事をしていた近所の安原老人に昨日の原発労働者の話をしたら、原発なんて昔からそういうところなんだ。事故前も事故後もやつらの体質はな~んにも変わってないと怒っていた。もっとも安原さんは高度成長のころ各地で建設中の原発にもぐって稼ぎに稼いで二億円もの豪邸をたてた。いま奥さんがミツバチ飼って自家製蜜ろうでいろんなクリームや石けんをつくっている。製造販売統括責任者を拝命しちょくちょく奥さんの工房の監督にいってはご飯食べて油を売ってくる。
   安原さんの親友のKさんがノンパルス○○を発明して、この特許を世に出せないか、小倉さんや国兼さんにも相談の電話をきょうもしたところ。いろんな大手の会社が日参しているらしいが、Kさんが「ああいう人たちはどうも苦手…」というのである。高卒で某社に入社し油圧ひとすじ、途中退職して貧乏しながらいろんなものを発明してきた屈折した経歴のもちぬし。
   高知の牧野富太郎博物館行きました。高知市郊外の山の上にある。愛媛の正岡子規もそうだが高知の牧野富太郎も好きな日本人。うちの女房が高知の四万十川河口生まれなので高知は詳しい。宿毛から北上して愛媛の宇和島にもいったが、松山は行ったことない。

興味深く・・・猫跨ぎ

  お二人の興味深い話を読ませて貰った。褌子氏のはにわかには信じがたい話だ。まるで戦前のプロレタリア文学そのもではないか。ちょっと眩暈がしそうだ。アベノミックスで浮かれる世界の裏というか底に、弱者を毟る剥き出しの現実がある。しかし本当か。
  松山はいづれ行きたいと思っているところ。私なら予土線の松丸で下車、芝不器男記念館に行く。わが敬愛の俳人。弱冠26歳で早世した。〈永き日のにはとり柵を越えにけり〉は、いつも口の端にのぼり、端然とした気分になる。その後は高知へ転じ、牧野富太郎植物園へ行きたい。
  子規は時代が彼を呼んだのだろう。今、連句を囓っているが、子規は連句を嫌った。あんな閑人の集まりの遊びともつかぬものは放逐すべし。文学はすぐれて個人のものでなければならぬ。そう、ことごとく範を西洋に求める時代の空気の下では、江戸の集団芸は否定の対象でしかなかった。しかし、どうだ、今、個人個人と言ってきた世界が、やせ細り行き詰まっているではないか。

旅に出てきた・・・・逸徳

旅に出て来た 発作的に日本の端をみようと、波照間島をめざしたが、日程があわず、がたんとおちて、松山と宇和島にいった。目的はない。旅というものは何となく内省的になる。来し方行く末を考えるのだ。 で、暑かった。 上野は3日は葉桜ではあるまいか。 まあいいか。
 松山は道後温泉と、子規の記念館、そして坂之上ミュージアムをみる。 で、宇和島をめざしたが途中で内子町というところによって、内子座という今も現役で動いている芝居小屋を見て、どぶろくを飲み、二泊目は宇和島どまり。藤堂高虎の宇和島城が有名だが、どこにいっても映画のセットみたいだった。で、松山にもどり、伊予かすり会館で藍染を体験し、かえって来た。これは面白かった。どうしてこう職人の世界は面白いのだろうと思う。うそのない世界だからだろうな。
酒はうまかった。松山のじゃこ天。宇和島の鯛めし。糸こんにゃくをにつけたものを大皿にもってその表面を、魚のそぼろと、刻み葱で覆って出すのもおもしろかった。「ふくめん」という名である。どうもうそかほんとか「覆面」が語源であるという。
 全体的感想。松山はそれ自体が完結したひとつの小宇宙といった感じをうけた。安定感があるのである。明治という変革期にこの安定した小宇宙から、飛び出したくでジタバタした青春が、子規であり、秋山兄弟であったのだろう。かれらの付き合いをおいかけて、記念館の展示をずっと読んでいったら、ふと子規は秋山兄弟がうらやましかったのではないかという感じがした。で、くやしくて、おれはおれのみちをいくという思いで到達したのが俳句だったのではないかなあ。司馬遼太郎の「坂之上の雲」を司馬史観といって、批判したやつがいたが。それはちがう。司馬遼太郎は自分自身で「あれは文学で、歴史ではない」といっている。 だから司馬遼太郎をどう評価するかで、読者の歴史に対する眼が試されているのではないかな。
で、ずっとかんがえていたが、俳句はひとつもできなかった。子規のオーラがのりうつらんかとおもったがむりだった。

原発労働者・・・褌子

   きのう夕方、最末端の原発労働者の実態にふれた。(地名もすべて仮名でかく)
   「原発で使われていた暴力団の会社から逃げてきた。助けてほしい」と私が生活相談ボランティアをやっている事務所に電話が入ったのである。千葉駅まで迎えに行った。
  Tさん、39才。本籍いわきだが身寄りはなし。悲惨な家庭に育って高校中退後はパチンコ店のアルバイトで転々していたが福島市の農家にひろわれて大根づくりなどに精をだしていた。福島弁でゆっくりしゃべる。体を動かす仕事が好きな目のきれいなやさしい青年だと思った。読み書きもできる。
  ところが原発事故がおきて、原発で働けば一日5万にもなるときいて農閑期の昨年暮れに飛び出してしまった。放射能を浴びながら、半分暴力団が経営するN社でこき使われた。南相馬の宿泊施設で飯だけは食わせてもらい、給料はほとんどなし、というから驚く。
  おととい、四人で会社に抗議したら「おまえらにはもっといい仕事紹介してやるから、ここのことは黙ってろ」といきなり車に乗せられて東京へ。原発での身分証明証、国保保険証、財布もとりあげられたままなので逃げ出せない。運転手と監視役の男が「こいつら○○組に預けて生活保護とらせてピンハネしよう」としゃべっているのを聞いて、いちばん若いTさんだけ脱走を決意。テレフォンカードと数百円、着の身着のままで市川の本八幡町駅から、電話をかけてきたのである。「困ったら共産党に行け」とあるひとから聞いていたのだそうだ。
  コンビニのサンドイッチを食わせて話をききながら、今晩泊まるところをどうしようか…私が思案していると、本人が「今晩中に、どうしても働いていた福島の農家へもどりたい。大根つくりなら絶対自信があります」という。
  捨てずにおいたリュックサックに机をかき回して古いテレホンカード、福島での相談先などを書いた手帳、ボールペン数本、薄いノート、タオル、軍手、首巻き、ちり紙、ホッカイロ、水、カップラーメン数個、まだ何とか動いている古い腕時計をプレゼント。靴下をあげたらすぐその場でうれしそうに履いた。寒かったのだろう。
  問題は旅費。新幹線は乗らずに、パソコンで調べると今すぐ千葉駅から電車に乗らないと今晩中に福島駅へたどりつけない。事務所の同僚からカンパ集める時間的余裕もない。机の中の小銭など全部で七千円くらい思い切って!渡した。「新幹線は乗りません。赤羽から…」とか言っていたから帰る電車の道筋はわかっているようだ。駅まで車で送っていくと、いっしょに逃げなかった他の三人(70歳過ぎのおじさんもいたという)のことをしきりに心配している。根が真面目な青年なんだと信じることにした。「金がたくさんたまったら七千円返してください。貯まらなかったら返さなくてもいいよ」といったら「大根、ゴボウなどがんばってつくります。金が少したまったら最初に携帯電話買って連絡します」としきりにお礼をいいながらプレゼントしたばかりのリュックをかついで駅の階段を走ってのぼって行った。
  夕方、相談の電話がかかってきて別れるまで一時間足らず。疾風のように駆け抜けていった39才のT君。この先、どんな人生がまちうけていることだろうか。とにかく今晩からホームレスにならずにすんだことは確かなようだが…
―――――幹事の小蔵ひでをさんへ。こんなわけで小遣いが少なくなりましたので、4月3日は小生飲み食いを控えめにします(笑い)

2013年3月27日水曜日

パソコン文章術の功罪?   褌子

   厩戸皇子は実在して聖徳太子が実在しなかったということですか。ふーむ。・・・
  今晩はデスクトップパソコンもノートパソコンもインターネット接続が快調で、昼間の苦闘が夢のよう。
  いつのまにやらパソコン無しには暮らせないようになってしまった。テレビもラジオも無くてもいいが、パソコンと携帯電話は無いと困る。ウィンドウズ95がでてからまだ17年しかたっていないのに。
  ワープロがでたとき妙なものがでたなあと馬鹿にしていたが、使ってみたら便利だとすっかりはまってしまった。
  井上ひさしは長編小説を書くときにパソコンで書くと実に筆が進むと喜んでいたが、どうも作品に艶がなくなり雑なつくりになってきたとある日、思うようになったのだそうだ。そこで遅筆堂をなのって編集者を泣かせるほど紙の原稿用紙と万年筆にむかって参考資料の山のなかで、ねじりハチマキでうんうん苦闘しながら書くようになった。『吉里吉里人』創作のころらしい。吉里吉里国のあの抱腹絶倒のばかばかしくも痛快なはなしを思い出す。

厩戸皇子は実在する・・・猫跨ぎ

  厩戸皇子は実在する。これは問題ない。聖徳太子が実在しなかったということ。そう、日本史教科書は大幅な書き換えが必要になる。東大の坂本太郎という日本史の大御所が、そんなことあるかと鼻であしらったらしいが、それももう二十年くらい前のはなし。
  パソコンの世界はよく判らんなあ。五年位前かな、アンチビールスソフトのNortonを入れたときのこと、面倒なのでNorton社に頼んだ。すると外国人と思われる女性がそれなりの日本語で電話で当方と会話しながら我がパソコンを操作する。一部始終が画面に表示される。 外部からいとも簡単に操作するのをこちらはただ見るだけ。パソコンに侵入するとはこういう事かと呆然としたことを思い出す。

聖徳太子が実在しない?  ・・褌子

    厩戸皇子は漫画でもけっこう有名。むかしの千円札の聖徳太子は(574~622)と広辞苑にもでているから困ったことになった。
    きょうは変なことでいいとしして悪戦苦闘してしまった。au光にしたらiPhoneとi-Pad miniが実質ただだというので、今日は切替工事日。NTTの下請け業者が朝来て、この地域はどの電柱から光回線になっているのか町会をぐるぐるまわって調べて、レンタルモデムとかルーターを回収していった。いろいろ世間話もした。そのあときたKDDIの下請け業者は東京から来てこれから市原市内を八カ所回るとのことで設置したらすぐサインをもとめて帰ろうとするので、あわててノートパソコンを立ち上げ、無線ランの接続のために面倒な英数字を入力して、接続を確認した。
  やれやれと安心したが、今朝まで使っていたデスクトップパソコンがどうしても繋がらない。パンフをいくら読んでもだめ。
au光に電話したがさっぱり要領をえない。どうもデルのデスクトップパソコンが不調だという。そんなはずはない今朝までBフレッツで繋がっていたんだ!といってもダメ。結局、デルのサポートセンターに電話。中国人みたいな女性がでてきたが、中古パソコンなのでPC番号とかわからない。ところが私の携帯番号をいったら登録がございますとのこと。不思議だな。ちょっとこわい情報化社会だなあ。技術担当の男性がでてきて電話で1時間半もいろいろやったがどうしてもダメ。
  ところがパソコンを一昨日の状態に復元します。昨日のファイルとか消えてもかまいませんか?というので、かまわないといったらカレンダー場面がでて一昨日に復元した。なんとたちまちインターネットにつながったではないか!しかし実に親切な男性だった。
  しかし結局こんなことにまる一日費やしてしまった。
  札幌の親戚から電話がきて大雪が融けないと嘆いていた。毛ガニを送ってくれるという。この電話で、インターネット不調のいらいらがたちまち解消した。

新聞斜め読みⅡ・・・猫跨ぎ

  新聞斜め読みに追加。とうとう出たか。今度の高校の改訂教科書に聖徳太子は実在しないかも知れないという記述があるそうな。そう言えば最近見たテレビの歴史物で、小野妹子の遣隋使や十七条憲法を蘇我氏の実績として紹介するのがあり、聖徳太子は全く出てこず、へーと思った。しかし歴史学者のあいだでは常識らしい。聖徳太子の仏教理解の深さの象徴としてよく言われる著作「三経義疏」は 殆ど同じ内容の書が中国で発見されたと聞いたことがある。今や、あの時代に太子の様なスーパースターが必要だったという当時の国家観が検討課題だろう。ついでに、源頼朝、足利尊氏の誰もが知っている肖像画は、信憑性は全くないという記述もあるらしい。これもずいぶん前に聞いた。当然だが、とうとうの感が強い。

新聞斜め読み・・・猫跨ぎ

新聞を斜め読みしているとへーと思うことがある。最近のいくつか。
・北朝鮮、最新兵器のテスト
金正恩の視察のもと、無人偵察攻撃機、迎撃ミサイルの実験を行ったという。本当かいな。例の人工衛星成功までは、嘘八百という気がしないでもなかったが、今は世界はちょっと真顔になって見ているのではないか。核の小型化も随分進んでいるという噂も、そうかなあと思う。核搭載の大陸間弾道弾を手にしたら、アメリカ本土攻撃が可能性として無視できなくなるから。しかし不思議な話だ。経済制裁をして何年になるのか?蛙の顔に何とかで、着々と新鋭兵器の開発にいそしんでいる。その開発費用たるや莫大なものだ。それが出来るのだ。最貧国の一つであるのに、人民の多くが飢えているというのに、しかし可能なのだ。我々の常識がどこか間違っているのだろう。
・相続税
私には関係のない話だが、たしか大阪の某が相続税の脱税で検挙された。親の遺産の金の延べ板75枚を申告しなかった。換算すると、2億5000万円で1億円の相続税を脱税したのだ。まあ犯罪は償わねばならないが、それはそうと、これだけ税金がかかるんだ。ちょっと酷すぎないか。三代経ると財産は無くなると言うがねえ。社会主義国家だね。関連して追記すると、多額の寄付に贈与税がかかり、この国に金持ちの寄付、慈善文化が育たない。基本的に国が召し上げて、しかるべく検討の上、下付するという官尊民卑の考えが根っこにあるのだろう。
・イタリア地震学者の悲劇
この辺は当分地震は無いだろうと言っていた地震学者が、その後の大地震で建物倒壊、死者が出たことを咎められ、逮捕、禁固刑を言い渡されたという。アフリカ奥地の村の話ではない、自然科学発祥の西欧の文明国での話だ。
地震予知なんて、大きな誤差を含む確率のはなし。その言葉尻を捉まえて、罪を問う。こんなことありか。 世界の地震学者はびびったに違いない。 そのせいか、南海地震で凄い被害予想を出している。間違ってもここ数年は大丈夫なんて言わない。
イタリア司直はこの学問そのものの存在意義を問うたのかもしれない。

2013年3月26日火曜日

「外部脳」をもったわたし・・・・褌子

    記憶の過程は「記銘(符号化)」→「保持(貯蔵)」→「想起(検索)」→「忘却(失念)」という流れ。わたしの場合、「想起」機能が急速に衰退しつつある。記銘→保持→忘却とのショートカットをとおり、想起がないのである。とくに人の名前が思い出せないという「ど忘れ」が激しい。CTスキャンのS病院脳神経外科の昭子先生もMRIの千葉労災病院の窈子先生も「誰だって、ど忘れはありますよ~」とやさしくにっこり慰めてくれたが、取り返しのつかない状況にまで退化せぬうちにと、外部記憶脳EverNoteにいま取り組んでいる。
   さらにEverNoteとSugarSyncを組み合わせて、おぼえておこうとおもったメモ、切り抜き、写真、Horohorokaiの過去ログなどをすべてEverNoteに保存することをはじめた。 どこかのパソコンに一度、貯蔵してしまえばどのパソコンでもiPhoneでもi-Pad miniでも検索できるのである。しかもSugarSyncが常時、全ての機器のなかの指定ファイルや指定フォルダを同期しているのだ。
   EverNoteはまさに「外部記憶装置」なのだ。EverNote によって古稀にして初めて外部脳をもった私はいっそう悧巧の国兼さんのように利口になり、物知りおじさんに変貌するのである。
   とかなんとかいっても新しいことをはじめるのは難しいなあ。とにかく目が疲れるね。

2013年3月21日木曜日

アートな一日・・・猫跨ぎ

  褌子夫妻は何と一日に五箇所を経巡っているわけだ。元気だねえ。愛妻と一緒であれば言うが野暮か。
同じ日に、当方、六本木の森美術館「会田誠展」へ出掛けた。高速エレベーターで森ビル52階へ上がって長い行列にウヘッ。今日は祝日か、しまった、と思ったが、良く見ると、始まったばかりのA.ミュシャ展の方だった。同じフロアでこちらはそうでもない。昨年秋から開催中で今月末長い会期が終わる。
  会田誠は、知らなかったが、日本を代表する現代美術家という。「美少女、戦争画、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。・・・・」  先日ちょっと新聞に報道されたが「残虐な児童ポルノ」「きわめて下劣な性差別であるとともに障害者差別だ」と市民団体から抗議を受けたという。
まあ、一口でまとめることは出来ない。エログロあり、一見真面目風な写実画あり、漫画あり、がらくたあり。現代アートに意味を求めては駄目だということははっきり判った。所謂、画家としての力量は卓越した実力者であることはすぐ判るが、意味を定着する世界からさっさと抜け出ている。これがとにかく現代の芸術ということらしい。
同じジャンルの村上隆の絵画が海外で法外な値がついて取引されている。日本の現代アートは世界でそんな評価らしい。
帰りに東京駅でビールで一休み。この辺もすっかり変わってしまった。ひとつ明らかなことは、六本木でもここでも、年金族はとっくに主客ではないということだ。
アートな一日でした。

2013年3月20日水曜日

池谷薫監督『先祖になる』・・・褌子

   きょうは東京の目黒駅ちかくの国立科学博物館付属の教育自然園に女房とでかけた。モミジの芽吹きがすばらしかった。   ヒトリシズカ、ニリンソウ、カタクリなども群生していて東京のど真ん中とはおもえないほどいいところだった。そのあと近くの松岡美術館をみてから、恵比寿のガーデンプレイスまで歩きサッポロビールの黒ビールで昼食。
  そばの東京写真美術館で幕末から明治初期の北海道開拓の写真をみた。屯田兵の訓練風景の貴重な写真もあった。国兼さんのご先祖様は屯田兵だったということを思い出した。1864年の遣欧使節団のセピア色の写真も堂々たるチョンマゲ、帯刀姿の若者たちである。五稜郭で戦死した土方歳三の有名な洋装写真の原板も展示されている。
  さらに渋谷のイメージフォーラムというミニ映画館で池谷薫監督『先祖になる』をみた。津波に襲われ息子を亡くし家もなくなった佐藤直志さんという78才のおじいさんが、仮設住宅に住むことを拒否して、木を切ることから始めてこつこつ家を再建するという話で、一年以上の密着撮影でじつにいい映画だった。先日石巻牡鹿半島の漁民のワカメ収穫の暗い話をきいたばかりだったので、陸前髙田市気仙町の佐藤直志さんのドキュメンタリー映画はひとしお強い印象を残したのである。

2013年3月18日月曜日

結婚式・・・猫跨ぎ

  結婚式の形も最近はどうなんだろう、多様化したとはいえ、ホテルで豪華な披露宴は相変わらずか。双方の親戚が知己になるなんていうが、式が終われば一生相まみえることもない。各々の客の数を競って、サクラを雇うなんて喜劇も何時までも続くまいが。
祝辞も逸徳氏の様なシーンとさせるのはこれは相当な芸だ。しかし聞く方も草臥れるのが多い。アレはアレで遣る方も必死にやっている。式の形をそれなりにするべく皆必死に演じている。疲れ果てるわけだ。
  昔、ドイツの田舎の滞在した古いホテルで結婚式に遭遇したことがあった。こっそり覗いてみると、実に和気藹藹。挨拶そこそこに歌の披瀝が始まった。素朴なおじさんなんか実に朗朗と民謡らしきものを唄う。そして手を取り合ってダンスがあって愉しそうだ。舞台にはリボンで飾った自転車二台。これが多分みんなのプレゼントらしい。なんだかニコニコして自然体がいい。こんなのならいいけどね。
しかし、結婚式も葬式もそれなりに遣ってしまうんだな、結局、我々は。

4月3日でしたね・・・褌子

  そうか。教師商売は教え子の結婚式によばれるんだね。祝辞はともかく祝儀が大変だ。
  わたしはたしか松沢君の結婚式にでた記憶がある。銀座かどこかで野口先生が仲人だったがどんな祝儀をのべたんだろうね。「新郎はぼくの有機化学の試験をみごとに一発でパスした。ひどいのは今日の結婚式にも何食わぬ顔で出席しているが7回目でしょうがなくて合格させてやったが…」とか。
  きょう、千葉労災病院でMRIの検査をした。オランダのフィリップ製で3・0テスラの強力な磁場なのか、20分間、ゴトゴト、キンキン、ピーピーとものすごい音がした。30年くらい前に、しゃっくりがとまらず千葉大でMRIとったときにはずっと静かだったが。結果は「脳梗塞の心配はなし」でした。いやあ安心しましたね。CTスキャンでもMRIでも異常なしなんだから。少し脳に白い点が2箇所あるが加齢だから気にすることないとのこと。先生、最近ど忘れがひどいんですが…と食い下がったが、ど忘れなら僕にもありますよと頭のよさそうな平賀医師に軽くかわされた。
  (そこは第二の記憶脳、EverNoteでカバーしたい。そのためにiPhoneとi-Pad miniで完全武装したのだ)
  小蔵ひでをさん 4月3日の花見は散歩は早めにきりあげて、冷たいビールで乾杯、藷焼酎霧島の水割り2杯飲んで、そのあとは八海山か浦霞か雪中梅の冷酒でやりましょう。逸徳先生も上京してわが家に泊まってください。

祝辞の件・・・逸徳

教員をやっていると結婚式は恐怖である。 お祝儀が大変なのだ。 で、だいたいは3年の担任やクラブ顧問などがよばれる。 しかも、式の年度が重なりやすい。一度に5人もまとまってみろ。相場で払っていたら、我が家は一家心中になりかねない。 で、できるだけでなくていい方法を考えるのだが、たとえば3年の担任はさける。けれどおいらのようにいい先生であると、(冗談)招待状がけっこう来るのだ。 で、近年になってやっと教え子の結婚ピークが終わったので実はほっとしている。
 で、祝辞である。演劇部のOBに招待されることが多かったので、演劇部顧問としてはちとドラマチックに、ということでいつも詩を三つ朗読した。ひとつが山之口獏の「結婚」という詩で、二番目が「ぬやまひろし(うたごえ運動にかかわった人はご存じだろう。わかものよをつくったひと)の「みごもっている房枝に」という詩、そして最後が天野忠の「しずかな夫婦」という詩である。いずれも会場がシーンとなる。なかなかいい。 で、これでいこうということで毎回やっていたら、ある披露宴で出席の別のOBに「先生、前回もこれだったですね・・・」とやや軽蔑の目つきでささやかれた。 ネタがばれていたのである。

なお、天野忠も山之口獏もネットでみれるが、ぬやまひろしはでてこない。これだけ紹介してみる。
  みごもっている房枝に
ツワリは、女のたたかいである
母親は、食わずにいても辛棒できるが
形のできかかっている子供は
母親が食ってくれなければ形ができない
食ってはいたら、もう一度食え!
もう一度はいたら、もう一度食え!
房枝よ!
あまえてはいけない! 勇気を出さなければいけない
新しい命をつくりだすために
かわいい男の子のために、女の子のために
ツワリは女のたたかいである

祝辞・・・猫跨ぎ

二講座に永田窈子さんておられたが、同じ二講座の後輩能町君と結婚した。結婚式の席上で永田さんの父上が挨拶で「窈子」の謂われを説明し、「窈窕淑女」という四文字熟語があり、「美しく頭の良い女」の意と紹介したとか。そんな事をふと思い出した。結婚式の挨拶は本当に苦心するよなあ。漢詩文を使うのもひとつの手ではあるが。

スノーボールアース・・・褌子

桃天の話題はじつに春にふさわしい。わがやのモクレンも満開となった。シュンランもあのころの五本さんのように愛らしい花を咲かせている。
逸徳さんが五本さんの結婚式で詩経の一節、「桃の夭夭たる・・」を朗々と高唱して花嫁をたたえたというのは驚嘆です。じつに老成した青年である。ぼくはいままで「桃天」という漢詩も知らなかった。われわれの同期にはすごい人がいたんですねえ。(いたんですねえという過去形はまずいか)
逸徳さん。うちの女房が五月ごろか五能線に乗って弘前の桜をみにゆくそうです。岩木山の中腹に三ケ湯温泉というのがあって、まだ五メートルも雪が積もっているそうです。秋田の蟹場温泉のあの露天風呂はいまごろどうなっているんでしょうねえ。
私は牡鹿半島のワカメ収穫にゆこうと思って去年応援にいった阿部さんに電話をかけたら、津波被災地は人件費の高騰でかえって赤字になるのでワカメの収穫そのものを今年はあきらめようかと思っているという何とも暗い話。おれたちは政府からも見捨てられた、TPPで日本のワカメは壊滅するともいっていた。
―――――地球が全球凍結して35億年前に誕生した原生生物はほとんど絶滅(大絶滅)したという。そのあと、大氷河期を脱して海ができて爆発的な生命誕生があった。そして恐竜の全盛期が隕石衝突で突如終わりをつげて、ほ乳類の全盛期となり人類誕生となった。将来、太陽が超新星爆発して太陽系惑星がすべてのみ込まれてしまうよりも、ずっと以前に地球気候の大変動でまた大絶滅期がやってくるのかもしれん。
  おれたちの若い頃、全球凍結のはなしはきいたことがなかった。オパーリン『地球上の生命の起源』(石本真訳・岩波書店1958¥700)も本棚にあるが全然読んだ記憶がない。5講座の国兼さんはむろん熟読玩味されたにちがいない。

2013年3月17日日曜日

桃天・・・・国兼

 先に、梅の蕾がと書いたが、すでに花も落ち、目下スイセンやダイコンノ花、沈丁花が目に爽やかに咲いている。まさに春だなと思う。
 先に逸徳さんの漢詩「桃天」を読んで、懐かしく90年代と、また40年前を思い出してしまった。
91年に、沼津から横浜市営地下鉄線沿いの仲町台の中研に転勤になってから、お客さんの接待に使ったのが「桃天」とい新横浜駅ビル中の中華料理店であった。接待した人に話のついでに必ず聞いたのが「「桃天」というこの店の名前の由来をご存知か」と?皆無であったと記憶している。老酒を飲みながら説明してやると「ホー」と感心し、話ががこちらのペースで進行する。その後、2000年代初めの新横浜駅ビルの大改築でこの店もどこかに行ってしまった。

 五本さんの結婚式の話、私は知らなかったが逸徳さんは結婚式に出たのですか!!!初めて知りました。そこで「桃天」の詩を・・・・、格調高いですね!!理解した人がどれほどいたのか。私と青木さんはその後の2次会にだけ呼ばれていて、五本さんの花嫁姿は残念ながら拝んでいません。ただ、2次会で強く印象に残っているのが五本さんの弟?(東大???の学生)が全共闘支援のアジ演説をしたことであるが、40年前の記憶なので?があちこちについてしまうのは残念である。彼はその後どういう道を歩んでいるのだろうか?五本さんに聞くのを忘れていた。

 ついでに、最近ロシアに落っこちたという隕石の話題から一つ。恐竜を絶滅させたという白亜紀の隕石説、2週間ほど前のサイエンスに白亜紀とジュラ紀の境目の1億3千年ほど前、約5千年にわたる大きな気象変動(低温化)が続き、それによって恐竜は大きく衰弱しつつあるところに巨大隕石が地球に衝突し、その衰弱を大きく加速し、絶滅に導いたという新たな説が報告された。

知事選挙など・・・猫跨ぎ

  私もつい先日知ったが今日は千葉県知事選挙の日。記録的な低投票率だったらしい。20数%。民主党は候補者も立てられず、共産党は意気は壮とするが、75歳の老人ではなあ。
現職の森田健作の再選が9時にならぬ間に出た。とにかく人材がいない。参院選の帰趨も見えた感じだね。
  北朝鮮が、日本も核攻撃の対象になりうると言ったらしい。朝日の社説によると、日韓は核燃料の再処理はともに止めて、北朝鮮へ非核化を呼びかけようと、間抜けなことを相変わらず言っている。金王朝維持のために、虎の子の核とミサイルは絶対手放さないことは嬰子でも判る。色んなタイミングで種々の脅迫をこれから行うつもりだろう。北朝鮮は早晩崩壊しようが、そのプロセスに不確定要素が多い。日本の核武装論は検討課題に早晩のぼるだろう。

補足;嬰についてなど・・・猫跨ぎ

「盆の窪」とは後頭部のうなじにある窪みのこと。ところで「嬰」だが、辞書では「えい」とあり、「やや」は出てこない。しかし俳句ではそう呼ぶようだ。俳句での慣例読みなのかな。意味は赤ん坊、みどりごのこと。

2013年3月16日土曜日

函館通信204・・・嬰・・・仁兵衛

 嬰児の嬰を「やや」と読んだのか。広辞苑で「やや」をひくと「稚」しか出てこない。これで混乱したのだな。

『津軽』をi-Pad miniで読む・・・・褌子

  i-Pad mini を買って、小説を読んでみた。
   青空文庫という50年以上たって著作権が切れたものを無料でダウンロードして読むことができるのである。
   画面上に本棚があって、そこに読んだことがない宮沢賢治の作品や萩原朔太郎、中原中也詩集など次々と並べた。最初に、音声をだして朗読させてみたのは芥川の『蜘蛛の糸』 なかなか落ち着いたきれいな女性の声である。視覚障害の方などに重宝されること間違いない。『蜘蛛の糸』は中学生のころ国語の教科書で読んだ記憶がある。さらに『河童』を読んでみた。母親のおなかのなかの赤ん坊に父親が「おーい。この世に生まれてくる気があるかあ?」と聞いてから出産させたり流産させたり。 i-Padでなくminiのほうなので重くもなく、文庫本よりも大きな活字でくっきりと読みやすい。ぱらりとめくったり栞もさせる。
   いま太宰治の長編『津軽』をi-Pad miniで読み終えるところ。『津軽』が太宰の代表作だというひとがいる。『人間失格』や『斜陽』など太宰作品は麻酔作用があり、若い頃から遠ざけてきたが、『津軽』は文句なしに面白い。太宰の生まれた本州最北端の津軽地方をためつすがめつ語っている。含羞と笑い、茶目っ気たっぷりの文章を書いたこの人が39才でスキャンダラスな情死をとげたのか…。『津軽』のどこにもそんな予感を与える箇所がないと思った。
逸徳さん。貴兄との五能線の旅、『津軽』を読んでからでかければよかったと思っています。

猫跨ぎ氏の句を味わう・・・褌子

両氏の下の発言は読まずにそのまま感じたことをかきます。
・・・
・書架ひとつ空つぽにしてセロリ噛む
  重々しい冬が去って春がきたという感じがある
・風光る嬰に小さき盆の窪
  嬰児のかわいい笑窪?
・靴箱の暗がりにある余寒かな
  余寒と靴箱の暗がり。何にも説明いらないが確かにそこに残寒がある。
・歩兵軍曹吉田某の碑いぬふぐり
  軍曹とか伍長とか上等兵の墓がわが家の近くの釈蔵院にもたくさんあるが、みんな  若くして戦死。苔がはう墓は何ももの言わぬが、かつて確かに親が嫁が子どもが涙  をこらえてたてた墓。いぬふぐりが侘びしさをさそう
・梅林を出で顔のなき街歩く
  顔のなき街。たしかに最近そんな街ばかりだ。
・鶯や硬貨嵌めたる爺の耳
  偏屈なじいさんだな。ウグイスの可愛い鳴き声との対比がなんとも愉快
・薄氷の一つを除けて手水かな
  しんとした閑寂。
・線描の子規のへちまの日永かな
  きもちがのんびりとする。糸瓜ののびやかな線描画。
  へちまに子規を冠して一句の興趣が一段と増したか。いや子規とへちまは近すぎるか
  声をだして読むとまことにいい句だ。特選
・春めくや万能ナイフ使はざる
  こんなふうにするすると五七五になってでてくるんだね。四苦八苦の様子が微塵も  みえない。天賦の才か。天才とは努力しうる才能であるとはいうけれど
・春陰や釘箱にある歩数計
春陰=春の曇りがちな天気 
  おだやかな日常のなかのゆっくりとして時間の経過
万能ナイフとか釘箱とか歩数計とか何でも句材になるんだなあ。

2013年3月15日金曜日

吉田某の碑・・・猫跨ぎ

いろいろ分類解釈して頂いた。なるほど、自分ではなかなか気づかない。
自句ながら一番気に入っているのが、お褒め頂いた句
・歩兵軍曹吉田某の碑いぬふぐり 
家の近くに古い寺があって、実際は日露戦争に出兵した、或る輜重兵の慰霊碑らしきもの。
「歩兵軍曹吉田某」はフィクションです。これはじつにすんなり口に出た。
「硬貨嵌めたる爺」は句会では男性陣に好評で、おばさん連は?という顔をしていた。
そうそう歩兵軍曹句も男性と女性で完全に分かれた。この辺の違いは歴然としていて面白い。こういう違いは一度考えてみたいテーマです。
お尋ねの「嬰」(やや)は赤ん坊のことです。我々はよく使うけれど。そう孫の句。

函館通信203・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 相変わらず猫跨ぎさんの句には唸らされる。取合せの妙といえば薄っぺらな評にしかならないがその中でも二物の噛みあわせがせ少しずつ変化していて面白い。私なりに分類してみた。
 二物がいい距離にあって面白いもの。
・書架ひとつ空つぽにしてセロリ噛む  
・歩兵軍曹吉田某の碑いぬふぐり ・・・ その中でも最も気に入りました。
・鶯や硬貨嵌めたる爺の耳     ・・・ 面白さではこっちの方が上かな。
・春めくや万能ナイフ使はざる
・春陰や釘箱にある歩数計
 次に二物が少し近寄ってわかり易いもの。
・靴箱の暗がりにある余寒かな   ・・・ 良く判りすぎるかな。
・梅林を出で顔のなき街歩く     ・・・ 顔のなき街が決め手になっている。
・薄氷の一つを除けて手水かな
・線描の子規のへちまの日永かな
 最も解りにくかったもの。
・風光る嬰に小さき盆の窪      ・・・特に嬰の解釈が出来ない。



2013年3月14日木曜日

最近の十句・・・猫跨ぎ

なるほど、夭夭灼灼たる桃の花か。難しい祝辞をしたんだね。
今日、「連句をつくる・味わう」なるカルチャ-の最終日だった。俳句は連句の発句の独立したものだが、実際に連句を囓ってみると、その違いがよく判る。それにしても現代俳句は子規以降、遠くへ来たものだ。つまり現代俳句の名句を発句に持ってきても、その先連句に繋がらない。全然別のものになってしまった。
それはともかく最近の十句。

・書架ひとつ空つぽにしてセロリ噛む
・風光る嬰に小さき盆の窪
・靴箱の暗がりにある余寒かな
・歩兵軍曹吉田某の碑いぬふぐり
・梅林を出で顔のなき街歩く
・鶯や硬貨嵌めたる爺の耳
・薄氷の一つを除けて手水かな
・線描の子規のへちまの日永かな
・春めくや万能ナイフ使はざる
・春陰や釘箱にある歩数計

オオイヌノフグリ  ・・褌子

  山笑うとは面白い言葉だなあと思って広辞苑で調べると。
   画品、郭煕四時山 春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠として滴るが如し、
   秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として睡るが如し

width="160" heigh
t="160" align="left" />

  さらに仁ちゃん句に刺激されてオオイヌノフグリも調べた。“大きな犬のキンタマ”とはふざけた命名だが誰がつけたのかは定かでないようだ。
  うむ、確かに実の雰囲気は近所で飼っている雄犬の陰嚢に似ているなあ。昨秋、秋田の秘湯の露天風呂で拝見した逸徳大兄のはもっと上品な凝ったつくりであったが

仁句を味はふ・・・褌子

きのうは関東地方はものすごい風で畑の土煙がもうもう。花粉症のひとが泣いていた。
  今朝は一転して静かに春雨が降っている。
  ・・・・
・啓蟄や足元灯の消し忘れ
   日常の時間のゆっくりとした流れを感じる。
・日本語の上手な力士雪解かな
   モンゴルの力士の顔をみて上手な日本語を聞く。
   我々とおなじモンゴロイドなんだなあ。
   しかし、その表情のむこうにモンゴル大草原の空、雲もみえてくるから不思議。
・縦横に囀りありて長屋門
囀とは面白い傑作ともいえる漢字だ。
どっしりとした長屋門とぴいちくぱあちく。
・素手で取る市電の切符春の雨
   春がきましたなあ。やっと
・行李から次つぎに出る春の雲
   玉手箱からは開けてびっくり白い煙がでてきたが
・空の色もらったばかり犬ふぐり
   あんな可憐な花が「犬のふぐり」オオイヌノフグリ
   明治初期の帰化植物らしい。誰がこんなけったいな命名をしたのかね。
・旋律は八分音符で水温む
音楽にうといので八分音符がどういうものかわからぬが、水温むとの取り合わせ
が何ともいい。特選
・白椿お百度回りあと十回
   藤沢周平の小説の雰囲気。「生きて生きぬいて帰ってくるのよ。きっとよ」
・笈摺や夭夭灼灼桃の花
古雅ないい味がある秀句。笈摺も字引ひいた。笈とは安宅の関で弁慶がしょっている。夭夭灼灼。逸徳さんは五本さんの結婚式で夭夭灼灼たる桃のような花嫁と持ち上げたんだね。さすがだ。調べると中国最古の詩集詩経に出ているんだそうだね。また利口になってしまった。仁ちゃん、逸徳さんありがとう。
・ぽたぽたと紙で濾されて山笑う
   コーヒーでも淹れてるのかな
確実にあとちょっとで函館山も全山新緑につつまれる。



2013年3月13日水曜日

記憶の底から・・・・逸徳

桃之夭夭  灼灼其華  

之子于帰  宜其室家 

桃之夭夭  有蕡其実

之子于帰  宜其家室

桃之夭夭  其葉蓁蓁

之子于帰  宜其家人

仁ちゃんの俳句をみていて、とんでもなく古い記憶を思い出した。  五本さんの結婚披露宴、おいらは確か出席しているんだ。あのときはもうみんな札幌を離れていて、道内にはおいらだけだったのだろうか。 とにかく、彼女の花嫁すがたばかり見ていて 他に誰が出ていたか、記憶にない。もしかしたら、おいらだけだったもしれない。彼女の親戚の高校生がお祝いにバイオリンを弾いた。で、同期生として祝辞をやらされたのだが、このときに確かにこの漢詩を引用した記憶がある。ああ 深い時間の霧のかなたから 突然浮上した記憶だ。 仁ちゃんの句はこれを引いたのではないかな。 「もものようようたる しゃくしゃくたりそのはな このこゆきとつぐ そのしつかによろしかるらん・・・」  懐かしい。

春まだき、だね・・・猫跨ぎ

  北海道の今年の冬はなかなか明けないみたいだね。ブリザートのホワイトアウトのさなか、人家近くで斃れた人のニュースには粛然とする。娘を抱いて亡くなった父親の話は涙を禁じ得ない。
雪解けのころ、道端に顔を覗かせる雑草の緑の新鮮さといったらないね。今でも生き生きと思い出す。そんな話を聞くと、こちらの薄氷(うすらい)などの話は恥ずかしいくらいだ。もう少し頑張って欲しい。

・啓蟄や足元灯の消し忘れ
昼になって、寝室か廊下の足元灯の消し忘れに気付いたということであろう。長い冬であるが、時節はいつの間にか啓蟄である。
・日本語の上手な力士雪解かな
もう大阪場所が始まった。野球はWBCで沸いているが、相撲はとっくに国際化は先行している。本場所はWSC(S:相撲)というべきか。それにしても蒙古出身の力士の日本語は上手い。
・縦横に囀りありて長屋門
長屋門は北海道にもあるのかなと思ったり。
・素手で取る市電の切符春の雨
普通は手袋はめて?そうだったかな。
・行李から次つぎに出る春の雲
押し入れの奥にある行李を出して開けると、春に絡んだ多くのものが思い出と共に続々と。
・空の色もらったばかり犬ふぐり
気が付くと道端の空き地に犬ふぐり。春の空の息吹を貰ったかのような。
・旋律は八分音符で水温む
八分音符か。速い旋律のせせらぎか。春が待ち遠しいね。オリジナリティに特選。
・白椿お百度回りあと十回
白い椿に切なる祈願の楚々とした女性を思わせる。同時に春の訪れをひたすら願っているのだろうか。
・笈摺や夭夭灼灼桃の花
むずかしいね。笈摺は巡礼の着る羽織のようなものか。夭夭灼灼は元気で輝かしい様か。謡曲のかなんかの一節かな。
・ぽたぽたと紙で濾されて山笑う
そうとうに心象的。雪解けのしたたりをイメージしたのだろう。

函館通信202・・・雪解け・・・仁兵衛

 函館も何回目かの真冬日を抜け出し雨が降っている。暴風雪で道内9人も犠牲者が出てしまったのは僅か10日前である。今日は独逸やフランス等欧州で大雪になっているそうだが上空の風の流れによって地球の天候が変化するのも面白いともいえる。と言っても歩道脇に積もった汚れた雪が融けて今度は車道が川になっている情景は句材にもならない。緑や曇っていて色彩が無いのも人を余計気が滅入らせてしまうのかも知れない。散歩をしている人を見ても何か必死に義務を遂行しているようにさえ見えて来る。更に、今年の北海道は雪が多く何処の地域でも除排雪費用が予算をオーバーし悲鳴を上げている。人が減ってきて税収入も少なくなるばかりというのにな。
 福岡で櫻開花宣言が出たそうだが北海道ではこの3月から4月半ば過ぎまでが本当に長い春待ち時期といえるのだろう。季語を探しても上手く当てはまるものが極端に少ない。ついついやってきても無い春の季語を使いたくなってしまう。こんな言い訳をしながらそっと十句書き添えました。

・ 啓蟄や足元灯の消し忘れ
・ 日本語の上手な力士雪解かな
・ 縦横に囀りありて長屋門
・ 素手で取る市電の切符春の雨
・ 行李から次つぎに出る春の雲
・ 空の色もらったばかり犬ふぐり
・ 旋律は八分音符で水温む
・ 白椿お百度回りあと十回
・ 笈摺や夭夭灼灼桃の花
・ ぽたぽたと紙で濾されて山笑う

2013年3月12日火曜日

『恍惚の人』・・・褌子

   ちょっと昔の小説にはまっている。有吉佐和子『恍惚の人』を憮然とした思いでしかもぐいぐいと引き込まれて読了したところ。老人問題をこんなに深刻にあからさまに、しかも読者の苦笑をさそいながら書いた本はないのではないか。
  年食うといいこともあるんだという人がいるが、老いさらばえて頭が惚けるとはこういうことなのか…と暗澹たる気分になり一切の希望が無残に断たれるね。しかし小説の最後の最後になって、死ぬ直前の舅が二、三歳児のように可愛い爺さんになり糞尿まみれになって介護をやりとげた嫁とのあいだに温かいものが残る場面があって読者もすこし救われる。
  こんなすごい小説を書いた有吉佐和子自身はどんなふうに生を終えたのかと不謹慎だが調べると、昭和59年に心不全で自宅で急死している。53才だった。
 ・・・
   いま三人くらい、六〇代後半の独りもんの男性の面倒みている。といっても話し相手になり、ふだんは近所からもらった野菜を届ける程度だが。ひとりは昔本欄にも書いた無籍のKさん。解離性健忘症が家裁で認められて就籍したが、糖尿病になって生活保護でやっと暮らしている。
  もう一人は奥さんに死なれて子どももいない一〇万円くらいの年金暮らしの近所のおじさん。奥さんの生命保険をだましとられて相談にきた。明日も頼まれて車で歯医者に送ってやる。工業高校でて有名企業のバレーボール部で活躍していた過去をもつが、いまは家賃二万円の崩れそうな貸家のゴミの山の中で寝ている。。
  三人目は北海道出身のおじさん。マンションにすんでいて清潔ずき。若い頃に奥さんと別れて以来ひとりぐらし。子どもがいるらしいが会ったことないという。新聞がポストにたまっていたらオレ死んでいるから市役所に電話してくれ。葬式代は50万円あると冷蔵庫に冷凍してある茶封筒をみせてくれた。

真面目に真剣に生きよう!・・・褌子

   夕べのテレビで、大震災の被災地で家族四人亡くして、仮設住宅で二年間独り暮らしの69才の漁師の映像をみて、自分だったら…と涙ぐんだ。↓下のような不真面目な小生の発言を今朝から反省している。むかしシルクロードはタクラマカン砂漠の夕陽のなかで大阪芸大の美人教授に「あなた真面目に生きてください! カメラのレンズばかり覗いてないで下らん冗談ばっかりいってないで、心の目で真剣に観察して考えぬいて生きてください!!」といきなり大目玉くったことを思い出した。
  4月下旬頃、牡鹿半島へワカメ収穫のボランティアにまたでかけるつもり。全国からのボランティアが激減して大変な人手不足と労賃値上がりで困っているとのこと。誰かいっしょに行きませんか。朝飯と昼ご飯は海辺の作業上で食べられます。海辺の民宿に泊まって風呂入ってビール飲んで夕飯食べて七千円くらいです。重労働ではない。きれいな空気吸って心よい疲労で心身すっきり、贅沢なめまいなどふっとびます。
   

カレー減少なんだね。ありがとう。(^-^). Konshi

いま買ったばかりのiPhoneで発信している。いやあ便利なおもちゃだ。お年をおめしになった方に、とくに物忘れがハゲしい方に絶対オススメ!(^-^)
頭がぽわわんとするのも、ファンファンと目まいがするのも要するに華麗いや加齢
現象なんだね。春だし猫だってアタマに血がのぼっているんだから。そうか安心しました。ありがとう。
小さなiPhoneからでもちゃんと発信できそう。熟れしい、憂れしい、嬉しい

2013年3月11日月曜日

加齢現象・・・猫跨ぎ

  i-phoneがどうしたとか書いてあったと思うが、あれは幻視だったのかな。
そうそう、補足すると、めまいのこと。これも加齢現象がまず殆どではないか。勿論、脳に原因がある場合もあるが。メニエル氏病とか突発性難聴とか、みな三半規管なんかの疾患だ。疾患というが、要するに加齢による耐用年数が切れつつあるのだと思うね。小生もカンペキに当てはまる。急な頭痛や耳鳴りをともなうこともあったが、これらは放置していたらみな直った。立ち上がったときのめまいは直らない。その頃、夜陰で目玉を動かすと光が走ったりしたがそれも程なく収まった。俳句仲間で同じ症状があって眼科に駆け込んだら、案の定、加齢現象ですと事も無げに却下されたとか。
  谷川俊太郎の詩に、自分の色んな器官にありがとう、ご苦労さん、迷惑を掛けたねという一節があって、胃とか肝臓とかおちんちんとかに感謝する。たまたま玄侑宗久が傍にいて、おちんちんにはどんな迷惑を掛けたんですかと問われ、詩人はコトバに詰まったらしい。禅坊主も隅におけない。

2013年3月10日日曜日

記憶・・・猫跨ぎ

  そういえば褌子氏はこのところやれ脳ドックだNMRだとしきりに口にするが、ちょっと心配しすぎではないかと思うが。知人の名前がでないのは年齢相応ではないかと思うがね。小生もこのまえ、亡妻の旧姓が出てこなくて一瞬焦ったことがあった。
逸徳氏のいうように異常に記憶力がいい人がいる。先日盲人のピアニスト辻井伸行のリサイタルをテレビで見たが、彼は完全に暗譜しているわけだ。山下清は景色を細大漏らさず記憶していてあとで細密な貼り絵で再現した。十年前の夕食の献立をすらすら言う人もいるとか。大脳はもともとすべてを記憶しているのだが、再現能力が省力化運転なのだろう、普通の人間は。異常者はその留め金がはずれている。
  自炊生活三年になって、習慣的に食事内容を記録している。つい昨日の昼食が思い出せないことがままあってちょっと心配になったが、ふと気付いたのは、それは殆どが、カップ麺の時だった。ろくに手足使わず作り、何の感興もなく食っていると、記憶から洩れるらしい。惰性で行っていることは頭に残らないということだ。
褌子氏も文末で、「庭にぼけの花が咲いた」と、洒落て結んでいるところをみると、思考回路は健全であるというべきだろう。

忘れるということ・・・・逸徳

考えようだが、忘れるということは実は神が人間に与えたもうた、非常に巧妙なしかけではないかという気がすることがある。 きわめてまれであるらしいが、ものを忘れないという、異常に記憶がいいという精神障害があるらしい。これは地獄だそうだ。頭のなかで情報の整理が困難になるのだろう。簡単にいえば、本当に大事なことは人間はおそらく忘れない。それを忘れると生命の維持があやうくなるようなことである。で、自分にとってほんとうに重要でないものから、ひとは選択的に忘れるのではないか。たとえば、昔あった友人で、再会したときに名前が出てこないという場合、考えてみれば、日常生活の世界でコンタクトしなくなってひさしいのだから、その友人の存在の現在の生活の中での重要度が低下するのは、ある面しょうがないような気がする。で、昔の友人で男の顔は忘れやすいが、女の顔はよく おぼえているのはなぜかなあ。 まあ、覚えていても会いたいとは思わんが。 ここで一句。「初恋の 君はこころの アンティーク」 
そうではなくて、病的に記憶に障害がおこるのは、客観的にみて明らかに重要だと思われる事実の記憶、たとえば朝飯をくったかどうかといったようなことが想い出せないのは病気だろう。 だから、過去の記憶で忘れようにも忘れられないような記憶があるとすると、それはおそらく自分の人生にとってとても意味のある事柄ではないだろうか。 ちなみに、人に金を貸した場合と借りた場合、圧倒的に貸した場合のほうが忘れないという。つまり、人間はけっこうケチなのだろう。まあどうでもええが。で、記憶がいいままに年とるとどうなるか。過去に拘泥しすぎて、頑固になるのではあるまいか。これ山内仮説。 まあ、どうでもええことはどんどん忘れよう。最後に自分の名前だけおぼえていればよろしい。 (ところで だれか金貸してくれないか)
 

忘却とは忘れ去ることなり・・・褌子

   能や芝居のはなしに割って入って申し訳ないが、有吉佐和子『恍惚の人』を読んでいる。まだ半分だが、めっぽう面白くめっぽう深刻な話である。わたくし事だが、知己の名前が突然思い出せなくなるという症状がこの数ヶ月はげしい。4月の花見で諸兄に出会っても「えーと誰だっけ?」ということになりそうな勢いなのである。
   少しでも予防になればと、森村誠一『老いる覚悟』を本屋で買って読んでみたが、満天の星凍りても生きており、という俳句だけが印象に残ったほかは、あとは説教ばかりで大して得るものがない。(森村誠一も老いたなあ…)
   ふと本棚に『恍惚の人』があるのを思い出した。(こういう、むかしのことは実によく覚えているので、こんなわたしを賞めてやりたい ^^;)
   『恍惚の人』昭和47年新潮社刊。あのころ有吉佐和子は『複合汚染』や『非色』などつぎつぎ話題作を発表したが私は『紀ノ川』しか読んだことがなかった。
   『恍惚の人』によれば、当時の男性平均寿命は69才とあるから、あれから四十数年で十年も寿命が伸びたことになる。耄碌ということばや老人性痴呆症などは作中に頻発するが、認知症とかアルツハイマーはでてこない。昭子さんというサラリーマンの主婦が、とつぜん、優しい義母を亡くし、気むずかしくわがままな義父の介護(介護ということばもこの小説にはでてこないことに気がついた)に悪戦苦闘する筋書きだが何ともリアリティがあり、にやりとしたりわが身の行く末を思って慄然としたり。
  わたくし事でまた恐れ入るが、わがやは末っ子同士の結婚で親の面倒をみたことがない夫婦。両方の親たちはとっくにこの世にいないが、この小説を読みながら郷里の兄嫁もずいぶん苦労したんだろうなあと思わず手をあわせてしまった。
  小生の父親は脳卒中になったが80で死ぬまであたまはしっかりしていたようだ。ところが親父が亡くなると母親がすぐぼけた。小生はこの母親の血筋をひいているのかもしれん。
  脳や芝居の高尚なはなしに割って入り下らんことを書いてしまったが、なんでも忘れないうちに書かないと…
  やっと春になった。庭のぼけの花が咲き出した。

2013年3月8日金曜日

予定調和よりは・・・猫跨ぎ

  いや、判るよ。そういう芸術のあり方はあるだろう。不安にさせ、あまつさえ怒らせてもある意味で成功。判りきった予定調和よりは余程いい。題材をガランと放り出す。判断はそれぞれに任せるということ。しかし、そうではなくて或る意図があって、しらずに観客を或る方向に導いているという仕掛けもあるのだろう。不条理劇ではなくてね。その意図が馬脚を表すと、しらけるね。憤然と席を立ったその御仁はさておき、演劇はなにより面白くなくちゃ駄目だ。おもしろうてやがて哀しきというか、良い時間を共有したという印象だね。

補足・・・逸徳

あらは「あらさがし」のあらで、欠点の意です。原発に関する問題点ばかり列挙して、面白くないの意だと思います。彼は電力会社の買収の場面や、敦賀市長が地元企業の会合で「子孫に奇形がでるなんてわからん。とりあえず今は原発でがっぱがっぱと儲けよう」というような演説(これ実話)をした場面をとりあげて、金のことばかりいうというのも怒っていた。 ちなみにこの人我が家のとなりで、先日の市会議員選挙で突然立候補し、ひとりではしりまわって、最下位で落選したという変わった人である。やや認知のゆがみを感じる。彼の怒りに「事実と直面する勇気をもたないと」といったのだが、帰って行った。まあチケット買ってくれたのはありがたい。そうそう、この市長の息子確かいま自民党の国会議員で、現在の原子力規制委員会の国会での人事承認の議決の場から退席したひとである。
 感動させなくちゃという話だが、これはじめから無理。ブレヒトという人の作劇作法は、情緒的共感を排して、観客を冷静にさせて、ひとりひとり批評家にするといったようなことを狙っている。うまくいえないんだが。  だから従来の演劇を抒情劇というのに対して、叙事劇といういいかたもある。したがってたとえば劇をめぐって観客の間に議論がまきおこったり、あるいは劇の内容に対して、観客が怒りだしたりしたら、これ上演としては成功だということになる。ちと今までの演劇とはちとちがうのである。 つまり感動して我を忘れるというのはだめだということらしい。 うーんうまく説明できない。すまん。

2013年3月7日木曜日

原発事故・・・猫跨ぎ

原発事故は収束していない。しかし、最近福島第一原発の廃炉への工事の実状が放映されるようになった。そういう段階にようやくなったという事だろう。四号炉の燃料抜出し用の巨大な足場が組み上げられていた。メルトダウンした炉の方の燃料回収はその後だろう。自衛隊ヘリが上から水を掛けていた絶望的な実況放映を今も思い出す。ようやくここまで来たのかとの感が強い。ぼろくそに言われながら頑張っていると率直に思う。願わくはシジフォスの神話でないことを祈るばかりだ。
逸徳氏紹介の演劇は、やはり見ないと実感が伝わってこないね。それはそうと、些末な印象を記すが、原発賛成派が、「あらばっかりさわいで、面白くない」といって途中で帰った、の下り。ちょっと日本語が通じない、方言か、誤記かな。なら直して欲しい。それにしても、賛成派をして、感動の余り席を立たなくさせるくらいでなきゃ。こそこそ帰っていったと冷笑するのは懐が狭いのではないか。それでなくても高い切符を買ってくれたのだから。

2013年3月6日水曜日

芝居の話・・・・逸徳

「臨界幻想」という芝居がある。東京青年劇場というけっこう伝統のある堅実な劇団がやっている。この劇団が1981年に初演したのだが、内容は原発のある町でひとりの青年原発労働者が白血病で死に、それをめぐって会社がさまざまなもみ消し工作をするなかで、電力資本や政治の世界の黒いやみが徐々に明らかにされていくという話である。そして劇は最後に、原発事故が発生してみんなが逃げ出すところでおわる。 ところが88年に浜岡原発でまったくおなじことがおこったのである。嶋橋さんという青年が被曝により白血病で死に、遺族が労災を求めて会社と戦い、遂に原発放射線被曝による労災第1号になったのだ。そして、あの福島である。つまり32年前の「臨界幻想」は、単なるSFの域を出ないという程度の評価しかされていなかったものが、その後の事件を舞台のうえから予言していたことになる。そこで、東京青年劇場はこの作品を新たに再構成して「臨界幻想2011」として、再上演を始めたのである。内容はほとんど事実のうらずけのある場面で構成されている。 
 そこでおいらたちは、この舞台を浜岡原発から18キロ地点の菊川市の演劇専門ホールである「アエル」というところで、上演するということを企てた。ひとり3300円のチケットで720枚売らないと赤字になる。 この上演を反原発運動としてとらえようということで、チケット販売に取り組んだ。販売は困難をきわめた。第一に3300円払って演劇を見に行こうという文化が、この辺の農村地帯にはないのだ。広く静岡県の中部の関係団体にも協力を要請したが10日前で450枚しか売れていない。 みんな真っ青。必死になった。結果として、上演日までに690枚に達し、赤字は5万円程度になった。感動したね。
面白い?現象が観察された。劇の構成はいわゆるブレヒト劇というやり方で、一種の討論劇になっている。事実を丁寧に積み重ねながら、観客それぞれの考えを問い詰めて、ひとりひとりが批評家になることを狙うというやり方である。 決して、感動したり心を奪われるというような作品ではない。 見ていると、舞台がいま現実におこっている一種のドキュメンタリーであることがわかってくる。 そして、提示された事実はあまりにも恐ろしい。「絶望的になった」という感想が多く出てきた。さらに、人間は恐ろしい事実に直面すると、一種の心理的防衛反応として、「これはあそこでたまたまおこっていたことで、私のいるここには関係ない」とか「どうせフィクションでしょ」とか「事実ががそれだけのことだ」という形で、棚上げしようとする。直面し対決する勇気がないのである。 ひどいのになると、「あらばっかりさわいで、面白くない」といって、会場を途中から逃げ出したのもいる。その人は原発賛成派だったが。(笑)
事実と直面するのは勇気がいることだということ、そして芸術の力はすごいなあと感動したこと。面白い体験だった。

2013年3月5日火曜日

能を見た・・・猫跨ぎ

  先日、久々に能を見てきた。国立能楽堂の定期公演で満席の盛況。「頼政」という地味な演目ながら堪能した。終幕、語り終えた亡霊のシテが舞台から橋掛かりを通ってゆっくり引き上げてゆき、そのあと、語りを聴いていた僧が同じようにゆっくりと退いてゆく。それを場内声もなく見送り、終演となる。この間合いがいい。カタルシスだ。能楽堂を後にする道すがら、気分がさっぱりと晴れ上がるのを感じた。
  しばらくして、BS放送でアメリカの女性シンガー、ノラ・ジョーンズのショーを見た。大人の女性の雰囲気が実にいい。ちょっとセクシーな表情ながら、観客に媚びるわけでもなく、妙な笑いを誘うわけでもなく、淡々と歌う。引き込まれて一時間経ってしまった。奥行きがあって濃厚だ。勿論、西洋音楽の長い伝統の上に立っているのだろう。言うまでもなく本物の芸能だ。日本のpopsは、なんだかんだ言いながら、このコピーだからね。決してこれを越えることは出来ないのだろう。
  ふと思ったが、いま日本で上手い大人の歌手ってだれだろう。思いつかない。目につくのはAKB48とかいう若手のアイドル集団か。奥行きと濃厚さなど期待する方が無理というものだが、知らぬうちに、怖ろしく幼稚な世界になってしまっている。日本の文化の状況を現しているのではないかと思えてくる。

2013年3月1日金曜日

金城君・・・・褌子

金城君の話をきいた記憶があります。たしか猫跨ぎさんに誘われて、鶴の会が中川先生の墓詣りを名古屋近くの稲沢市で催したことがある。そのあと、青木君もいっしょだったと思うが料理屋でみんなで会食して、金城君が中川先生の師だった鮫島実三郎とか物理化学の学問の系統みたいな講義をしてくれた。どんどんさかのぼって高峰譲吉とか菊池大麓とかまででてきた。   面白かったな。数十ページの資料までもらった。幅のひろい人が高分子学科にいたものだとおもったものだ。
  ご冥福をお祈りします。