考えようだが、忘れるということは実は神が人間に与えたもうた、非常に巧妙なしかけではないかという気がすることがある。 きわめてまれであるらしいが、ものを忘れないという、異常に記憶がいいという精神障害があるらしい。これは地獄だそうだ。頭のなかで情報の整理が困難になるのだろう。簡単にいえば、本当に大事なことは人間はおそらく忘れない。それを忘れると生命の維持があやうくなるようなことである。で、自分にとってほんとうに重要でないものから、ひとは選択的に忘れるのではないか。たとえば、昔あった友人で、再会したときに名前が出てこないという場合、考えてみれば、日常生活の世界でコンタクトしなくなってひさしいのだから、その友人の存在の現在の生活の中での重要度が低下するのは、ある面しょうがないような気がする。で、昔の友人で男の顔は忘れやすいが、女の顔はよく おぼえているのはなぜかなあ。 まあ、覚えていても会いたいとは思わんが。 ここで一句。「初恋の 君はこころの アンティーク」
そうではなくて、病的に記憶に障害がおこるのは、客観的にみて明らかに重要だと思われる事実の記憶、たとえば朝飯をくったかどうかといったようなことが想い出せないのは病気だろう。 だから、過去の記憶で忘れようにも忘れられないような記憶があるとすると、それはおそらく自分の人生にとってとても意味のある事柄ではないだろうか。 ちなみに、人に金を貸した場合と借りた場合、圧倒的に貸した場合のほうが忘れないという。つまり、人間はけっこうケチなのだろう。まあどうでもええが。で、記憶がいいままに年とるとどうなるか。過去に拘泥しすぎて、頑固になるのではあるまいか。これ山内仮説。 まあ、どうでもええことはどんどん忘れよう。最後に自分の名前だけおぼえていればよろしい。 (ところで だれか金貸してくれないか)
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