2013年3月10日日曜日

忘却とは忘れ去ることなり・・・褌子

   能や芝居のはなしに割って入って申し訳ないが、有吉佐和子『恍惚の人』を読んでいる。まだ半分だが、めっぽう面白くめっぽう深刻な話である。わたくし事だが、知己の名前が突然思い出せなくなるという症状がこの数ヶ月はげしい。4月の花見で諸兄に出会っても「えーと誰だっけ?」ということになりそうな勢いなのである。
   少しでも予防になればと、森村誠一『老いる覚悟』を本屋で買って読んでみたが、満天の星凍りても生きており、という俳句だけが印象に残ったほかは、あとは説教ばかりで大して得るものがない。(森村誠一も老いたなあ…)
   ふと本棚に『恍惚の人』があるのを思い出した。(こういう、むかしのことは実によく覚えているので、こんなわたしを賞めてやりたい ^^;)
   『恍惚の人』昭和47年新潮社刊。あのころ有吉佐和子は『複合汚染』や『非色』などつぎつぎ話題作を発表したが私は『紀ノ川』しか読んだことがなかった。
   『恍惚の人』によれば、当時の男性平均寿命は69才とあるから、あれから四十数年で十年も寿命が伸びたことになる。耄碌ということばや老人性痴呆症などは作中に頻発するが、認知症とかアルツハイマーはでてこない。昭子さんというサラリーマンの主婦が、とつぜん、優しい義母を亡くし、気むずかしくわがままな義父の介護(介護ということばもこの小説にはでてこないことに気がついた)に悪戦苦闘する筋書きだが何ともリアリティがあり、にやりとしたりわが身の行く末を思って慄然としたり。
  わたくし事でまた恐れ入るが、わがやは末っ子同士の結婚で親の面倒をみたことがない夫婦。両方の親たちはとっくにこの世にいないが、この小説を読みながら郷里の兄嫁もずいぶん苦労したんだろうなあと思わず手をあわせてしまった。
  小生の父親は脳卒中になったが80で死ぬまであたまはしっかりしていたようだ。ところが親父が亡くなると母親がすぐぼけた。小生はこの母親の血筋をひいているのかもしれん。
  脳や芝居の高尚なはなしに割って入り下らんことを書いてしまったが、なんでも忘れないうちに書かないと…
  やっと春になった。庭のぼけの花が咲き出した。

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