お二人の興味深い話を読ませて貰った。褌子氏のはにわかには信じがたい話だ。まるで戦前のプロレタリア文学そのもではないか。ちょっと眩暈がしそうだ。アベノミックスで浮かれる世界の裏というか底に、弱者を毟る剥き出しの現実がある。しかし本当か。
松山はいづれ行きたいと思っているところ。私なら予土線の松丸で下車、芝不器男記念館に行く。わが敬愛の俳人。弱冠26歳で早世した。〈永き日のにはとり柵を越えにけり〉は、いつも口の端にのぼり、端然とした気分になる。その後は高知へ転じ、牧野富太郎植物園へ行きたい。
子規は時代が彼を呼んだのだろう。今、連句を囓っているが、子規は連句を嫌った。あんな閑人の集まりの遊びともつかぬものは放逐すべし。文学はすぐれて個人のものでなければならぬ。そう、ことごとく範を西洋に求める時代の空気の下では、江戸の集団芸は否定の対象でしかなかった。しかし、どうだ、今、個人個人と言ってきた世界が、やせ細り行き詰まっているではないか。
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