2013年3月29日金曜日

旅に出てきた・・・・逸徳

旅に出て来た 発作的に日本の端をみようと、波照間島をめざしたが、日程があわず、がたんとおちて、松山と宇和島にいった。目的はない。旅というものは何となく内省的になる。来し方行く末を考えるのだ。 で、暑かった。 上野は3日は葉桜ではあるまいか。 まあいいか。
 松山は道後温泉と、子規の記念館、そして坂之上ミュージアムをみる。 で、宇和島をめざしたが途中で内子町というところによって、内子座という今も現役で動いている芝居小屋を見て、どぶろくを飲み、二泊目は宇和島どまり。藤堂高虎の宇和島城が有名だが、どこにいっても映画のセットみたいだった。で、松山にもどり、伊予かすり会館で藍染を体験し、かえって来た。これは面白かった。どうしてこう職人の世界は面白いのだろうと思う。うそのない世界だからだろうな。
酒はうまかった。松山のじゃこ天。宇和島の鯛めし。糸こんにゃくをにつけたものを大皿にもってその表面を、魚のそぼろと、刻み葱で覆って出すのもおもしろかった。「ふくめん」という名である。どうもうそかほんとか「覆面」が語源であるという。
 全体的感想。松山はそれ自体が完結したひとつの小宇宙といった感じをうけた。安定感があるのである。明治という変革期にこの安定した小宇宙から、飛び出したくでジタバタした青春が、子規であり、秋山兄弟であったのだろう。かれらの付き合いをおいかけて、記念館の展示をずっと読んでいったら、ふと子規は秋山兄弟がうらやましかったのではないかという感じがした。で、くやしくて、おれはおれのみちをいくという思いで到達したのが俳句だったのではないかなあ。司馬遼太郎の「坂之上の雲」を司馬史観といって、批判したやつがいたが。それはちがう。司馬遼太郎は自分自身で「あれは文学で、歴史ではない」といっている。 だから司馬遼太郎をどう評価するかで、読者の歴史に対する眼が試されているのではないかな。
で、ずっとかんがえていたが、俳句はひとつもできなかった。子規のオーラがのりうつらんかとおもったがむりだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿