2013年3月6日水曜日

芝居の話・・・・逸徳

「臨界幻想」という芝居がある。東京青年劇場というけっこう伝統のある堅実な劇団がやっている。この劇団が1981年に初演したのだが、内容は原発のある町でひとりの青年原発労働者が白血病で死に、それをめぐって会社がさまざまなもみ消し工作をするなかで、電力資本や政治の世界の黒いやみが徐々に明らかにされていくという話である。そして劇は最後に、原発事故が発生してみんなが逃げ出すところでおわる。 ところが88年に浜岡原発でまったくおなじことがおこったのである。嶋橋さんという青年が被曝により白血病で死に、遺族が労災を求めて会社と戦い、遂に原発放射線被曝による労災第1号になったのだ。そして、あの福島である。つまり32年前の「臨界幻想」は、単なるSFの域を出ないという程度の評価しかされていなかったものが、その後の事件を舞台のうえから予言していたことになる。そこで、東京青年劇場はこの作品を新たに再構成して「臨界幻想2011」として、再上演を始めたのである。内容はほとんど事実のうらずけのある場面で構成されている。 
 そこでおいらたちは、この舞台を浜岡原発から18キロ地点の菊川市の演劇専門ホールである「アエル」というところで、上演するということを企てた。ひとり3300円のチケットで720枚売らないと赤字になる。 この上演を反原発運動としてとらえようということで、チケット販売に取り組んだ。販売は困難をきわめた。第一に3300円払って演劇を見に行こうという文化が、この辺の農村地帯にはないのだ。広く静岡県の中部の関係団体にも協力を要請したが10日前で450枚しか売れていない。 みんな真っ青。必死になった。結果として、上演日までに690枚に達し、赤字は5万円程度になった。感動したね。
面白い?現象が観察された。劇の構成はいわゆるブレヒト劇というやり方で、一種の討論劇になっている。事実を丁寧に積み重ねながら、観客それぞれの考えを問い詰めて、ひとりひとりが批評家になることを狙うというやり方である。 決して、感動したり心を奪われるというような作品ではない。 見ていると、舞台がいま現実におこっている一種のドキュメンタリーであることがわかってくる。 そして、提示された事実はあまりにも恐ろしい。「絶望的になった」という感想が多く出てきた。さらに、人間は恐ろしい事実に直面すると、一種の心理的防衛反応として、「これはあそこでたまたまおこっていたことで、私のいるここには関係ない」とか「どうせフィクションでしょ」とか「事実ががそれだけのことだ」という形で、棚上げしようとする。直面し対決する勇気がないのである。 ひどいのになると、「あらばっかりさわいで、面白くない」といって、会場を途中から逃げ出したのもいる。その人は原発賛成派だったが。(笑)
事実と直面するのは勇気がいることだということ、そして芸術の力はすごいなあと感動したこと。面白い体験だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿