2013年3月29日金曜日

原発労働者・・・褌子

   きのう夕方、最末端の原発労働者の実態にふれた。(地名もすべて仮名でかく)
   「原発で使われていた暴力団の会社から逃げてきた。助けてほしい」と私が生活相談ボランティアをやっている事務所に電話が入ったのである。千葉駅まで迎えに行った。
  Tさん、39才。本籍いわきだが身寄りはなし。悲惨な家庭に育って高校中退後はパチンコ店のアルバイトで転々していたが福島市の農家にひろわれて大根づくりなどに精をだしていた。福島弁でゆっくりしゃべる。体を動かす仕事が好きな目のきれいなやさしい青年だと思った。読み書きもできる。
  ところが原発事故がおきて、原発で働けば一日5万にもなるときいて農閑期の昨年暮れに飛び出してしまった。放射能を浴びながら、半分暴力団が経営するN社でこき使われた。南相馬の宿泊施設で飯だけは食わせてもらい、給料はほとんどなし、というから驚く。
  おととい、四人で会社に抗議したら「おまえらにはもっといい仕事紹介してやるから、ここのことは黙ってろ」といきなり車に乗せられて東京へ。原発での身分証明証、国保保険証、財布もとりあげられたままなので逃げ出せない。運転手と監視役の男が「こいつら○○組に預けて生活保護とらせてピンハネしよう」としゃべっているのを聞いて、いちばん若いTさんだけ脱走を決意。テレフォンカードと数百円、着の身着のままで市川の本八幡町駅から、電話をかけてきたのである。「困ったら共産党に行け」とあるひとから聞いていたのだそうだ。
  コンビニのサンドイッチを食わせて話をききながら、今晩泊まるところをどうしようか…私が思案していると、本人が「今晩中に、どうしても働いていた福島の農家へもどりたい。大根つくりなら絶対自信があります」という。
  捨てずにおいたリュックサックに机をかき回して古いテレホンカード、福島での相談先などを書いた手帳、ボールペン数本、薄いノート、タオル、軍手、首巻き、ちり紙、ホッカイロ、水、カップラーメン数個、まだ何とか動いている古い腕時計をプレゼント。靴下をあげたらすぐその場でうれしそうに履いた。寒かったのだろう。
  問題は旅費。新幹線は乗らずに、パソコンで調べると今すぐ千葉駅から電車に乗らないと今晩中に福島駅へたどりつけない。事務所の同僚からカンパ集める時間的余裕もない。机の中の小銭など全部で七千円くらい思い切って!渡した。「新幹線は乗りません。赤羽から…」とか言っていたから帰る電車の道筋はわかっているようだ。駅まで車で送っていくと、いっしょに逃げなかった他の三人(70歳過ぎのおじさんもいたという)のことをしきりに心配している。根が真面目な青年なんだと信じることにした。「金がたくさんたまったら七千円返してください。貯まらなかったら返さなくてもいいよ」といったら「大根、ゴボウなどがんばってつくります。金が少したまったら最初に携帯電話買って連絡します」としきりにお礼をいいながらプレゼントしたばかりのリュックをかついで駅の階段を走ってのぼって行った。
  夕方、相談の電話がかかってきて別れるまで一時間足らず。疾風のように駆け抜けていった39才のT君。この先、どんな人生がまちうけていることだろうか。とにかく今晩からホームレスにならずにすんだことは確かなようだが…
―――――幹事の小蔵ひでをさんへ。こんなわけで小遣いが少なくなりましたので、4月3日は小生飲み食いを控えめにします(笑い)

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