2011年1月31日月曜日

芝不器男・・・猫跨ぎ

  一句目は、「永き日の」だね。これは小生の感銘の一句で、前に結社誌に拙文を書いたので、懐かしく転載させてもらう。まあこの新人賞の母体がどこなのか良く知らない。調べる気もないが。

「永き日のにはとり跚を越えにけり」 
俳句の一読者だった頃、ふと目にとまり不思議な気持がした。遠い日の懐かしい日向臭さと快い安堵感。一体これは何か。
俳句を始めて判った秀句の条件は、一句の奥行きが深いことである。かといってそれは所謂、景の大きい必要はなく、たとえば、掌の一粒の銀杏でもいい。日常のありふれた世界と二重写しの不可思議な虚像と言ってもいいし、隙間から垣間見えた、まるで予期していなかった非日常といってもいい。自明の因果関係や価値判断には無頓着であり、自在であり、心の底に落ちて、遠い記憶に鋭く感応するもの。つまりはこんな世界である。
鶏が前の畑と仕切になっている跚をふわりと越えた。鶏が去った後、うららかな光溢れる農家の午後が森閑とあるばかりである。これは幼児期の記憶なのか、これから見る夢の予兆か。夭折した青年俳人の心に降りた天啓とさえ思えてくる。  

ふんどしの起源判明!     ・・・褌子

 
 人類史上のビックニュースである。
  国兼さん愛用のフンドシの起源が判明した。
  けふ、ちかくのサーキットができてうるさいとMさんが相談にきた。現地調査にいく車のなかで仕事をきいたら、諸外国の生物学論文を読んでデータベース化しているという。
  最近おもしろかった論文は?と聞いたら
  「人類がはじめて衣を体にまとったのが(つまり国兼さんのようにヒトが恥部を遮蔽するためにはじめてフンドシを締めたのが)7万年まえだとわかった。衣服を食っているコロモジラミのDNA調査で7万年前に吸血性のシラミから分化したことがわかったのだそうだ」
【写真は昔懐かしい毛じらみ】

芝不器男といえば・・・  褌子

芝不器男といえば
   秋の日ににはとり柵をこえにけり
   ひと入って門残りたる暮春かな
   寒鴉己が影の上におりたちぬ
である。
  「じきに死ぬくらげをどり」なんぞに不器男賞とは泉下で怒っているかも。

ともかく・・・猫跨ぎ

  ちょっと論点がずれてきたね。権威に盲従とは受賞作だから注目せにゃならんと言う意味かな。全然そんなことは関係ない。或るタレントが書いた小説が賞をもらって大評判だが、出版社の手の込んだマーケティングかもしれん。まあ賞とは多かれ少なかれそんなもんだ。ただその作品が時代の或る背景を暗喩しているなら、そこを見抜けばいい。そういう意味でなら存在意義があるのだろう。
  今回の受賞した俳句もそんな一例で見ればいい。なにかの萌芽なのか、でたらめなのか。自分の感性で判断すればいい。
それにつけても源氏物語が色情狂のマザコンか。こうう括りはオレはしないなあ。こういう撥ね付け方をしているとひたすら世界が狭くなるんじゃないか。

もう一言・・・・逸徳

精神がのびのびと自由であることは、自分の頭で考えて、権威に盲従しないことだ。そういう意味で「王様ははだかだ!」と叫んだこどもは、ある意味あらゆる知識人の見事な目標ではないか。 で、わかんないものはわかんないという、これを心がけるようになったら実に気持ちがいい。 源氏物語がいいというが、あれ色情狂のマザコン男の話だし、何がいいんだかわからん。ハムレットもマザコン神経症の少年の話で、ロミオとジュリエットなんかもう、少年の性非行の話になっちゃう。で、ハムレットを読んでいない英文学者とか源氏物語を読んでいない国文学者などというのがいるそうだが、何となく魅力を感じるなあ。いっしょに飲んでみたい気もする。
 で、やっぱりあの受賞作の俳句はわかんない。賞というものに意味があるなら、われわれで「ほろほろ文学賞」でもだそうか。 最近、静岡県西部の高等学校がいくつか合同で、各学校の生徒会の図書委員会がいっしょになって、最近の候補作品をみんなで読んで「高校生が贈る文学賞」というイベントをはじめたそうだ。そしたら贈られた作家がえらく感動して、学校まで来て講演会をノーギャラでやってくれたとか。 (ただ、それが誰だか忘れた。おいらなんか知らない若い人むけの作家らしい) これ、なかなかいい話だと思う。

2011年1月29日土曜日

ロウバイ咲く・・・褌子










臘梅
庭の臘梅が一輪咲いているのを発見した。
春の季語かと思ったが冬。
  臘梅やいつか色ます昼の月 有馬朗人

2011年1月28日金曜日

コトバ・・・猫跨ぎ

「言葉をつかいながら言葉を超えるというのは、言葉によって構築されたイメージが、その力によって、言葉が限定してしまう世界を超えるというのだろうか。でもなんのことはない、それも土台は言語にたよっているのではないか。」
いや、まさにそうなんだ。著者もそれは承知で言っている。しかし伝える手段が他にないからやむを得ないというところだろう。だからコトバの関節を外すとか、変なことをいう。
「古池や蛙飛び込む水の音」だって、十七音で言っていることは実に些細なことだ。しかし背後に醸される或るイメージはあって、これは曰く言い難いものだ。
コトバで表現しきれぬ何かはまさに普通の俳句でも追求している物なんだが。

しかし、あの受賞作は褌子氏のいうようにどうもなあ。
判る、理解するということの既定概念を変えてくれとも言っているようだ。それが可能なのか実体があるのか。もう少し考えたい。

くらげをどり だって・・・・褌子

・あといふこゑがふるへて春の底に○
・じきに死ぬくらげをどりながら上陸
さっぱりわからんが単なる言葉遊びでもなさそう
世の中にはへんなことをかんがえるひとがいるもんだね
時代の閉塞感がでている。
ふーん現代俳句はいまこういう奇妙な花を咲かせているのか。
・空に置き去りの蹄鉄梅咲いて
う~ん面白い。前二句よりずっとずっと空想が刺激される
・藍甕のほとり騎乗し恋愛し
藍甕、蹄鉄がでんとした実在感があって俳句らしい。作者の年輪も。
なにいっとるか全然わからんが、こういう五七五があるんだね
どうして賞をもらうのか不思議だが・・・
―――――
つづいて仁句鑑賞
・ 餅花や客間の猫の大あくび
そうです。もう一月も終わりなんだ。
・ 風邪引きや漢方薬の大袋
くらげをどりなんかより平易でよい
小生はすぐ葛根湯飲んでいます。五能線にそなえて毎朝乾布摩擦しています。
・ 路地裏で冗談一つ春一番
まだ函館に春一番は吹いてないだろうが、春願望だね
・ 地の声の押し込まれてや雪捨場
地の声が面白い。黒い土が雪の下からでてくるのはもう少し先なんだろうな
・ ロボットの関節動作春近し
ホンダのアシモ君か。可愛い声をだすんだ。ゆっくりゆっくりの歩き方がよい。あれは年寄りの歩き方なので好ましい。おれもそのうちあんな風に歩くんだろうな…
・ 手の内のハートのエース日脚伸ぶ
優雅だね。トランプも長いことやっとらん。
・ ワイパーに敬礼されて大氷柱
氷柱が大きくなるということは春近しだ。氷点下だけだと氷柱はできない。
こんな空気の冷たさと湿度が好ましい。零下何十度だとぴりぴりと乾燥していかん。乾燥肌でかゆくて困る。かゆいカユイ!としとった証拠だ。
…てなことを大氷柱で感じた。ワイパーが敬礼、ユーモアがよろしい。じきに死ぬクラゲよりずっとユーモアがある
・ 心得に捨鞭ありて寒明ける
捨て鞭なんて古風なことばを引っ張り出した。
心得がぜんぜん面白くない。ペダサスにひと鞭くれて寒明ける とか
・ 昨日から一里一尺寒鴉
一里一尺で春が飛ぶように来るということか。とすると寒々と荒れた感じの寒烏ではちがう。一里一尺がよくわかんないので困るなあ。後ろからあられ一尺寒鴉?
・ 丸めたり引き伸ばしたり寒の空
チュウインガムみたいな空だね。函館はそんな空ですか。
こちらはかんかん照りの空で乾燥しきっております。
かゆみ止め尿素満載のメンソレータム塗っても塗っても痒くてたまらん。
逸徳さん五能線深浦の宿でおたがい背中かきあおうね。

なるほど・・・・逸徳

谷川俊太郎のことばは、はじめて知った。ありがとう。しかし、どうもやっぱりピンとこないなあ。「詩は、宇宙内存在としてのあり方に触れようとする。言語に被われる以前の存在そのものを捉えようとするんです。」・・・・それは彼の初期の作品なんかみるとよくわかる。しかし「秩序を守ろうと働く散文と違い、詩は言葉を使っているのに、言葉を超えた混沌にかかわる。」というのは、一種の二律背反でないかい。社会的存在などといわなくても、言語は本質的に信号として、相手に何かを伝えるものだから、不可避の性質として他者の存在を無視しえない。そこのところはにげられない。それを無視したら、もはや言語ではないだろう。言葉をつかいながら言葉を超えるというのは、言葉によって構築されたイメージが、その力によって、言葉が限定してしまう世界を超えるというのだろうか。でもなんのことはない、それも土台は言語にたよっているのではないか。酸素を吸いながら、酸素を超えた世界をといっているようなイメージだ。・・・・ほんとによくわからない。・・・・・ 統合失調症患者がしゃべる内容が、まったく支離滅裂な場合、これを専門家は「言葉のサラダ」という。言いえて妙であるが、なんとなくそれを思い出した。

2011年1月27日木曜日

社会内存在と宇宙内存在・・・猫跨ぎ

仁兵衛氏はあまり深く考えても、というが、まあ、ああだこうだと理屈をこねるのもまた、俳句の楽しみの一つ。すべては大いなる遊びの世界ですな。
逸徳氏の「共有された社会的存在」という言葉に、ふと谷川俊太郎の一文を思い出した。

「人間を宇宙内存在と社会内存在が重なっていると考えると分かりやすい。生まれる時、人は自然の一部。宇宙内存在として生まれてきます。成長するにつれ、言葉を獲得し、教育を受け、社会内存在として生きていかざるをえない。散文は、その社会内存在の範囲内で機能するのに対し、詩は、宇宙内存在としてのあり方に触れようとする。言語に被われる以前の存在そのものを捉えようとするんです。秩序を守ろうと働く散文と違い、詩は言葉を使っているのに、言葉を超えた混沌にかかわる。」

さらに敷衍すると、今は社会内存在の言葉(デジタル言語、散文)がどんどん肥大化している時代ともいう。詩の世界からこれに対処するには、あるいは相互流通させるためには、と言ってもいいか、散文の関節をはずしてやる必要がある、という。

この辺に詩人の心構えを理解するカギがあるのではないか。新しい試みをする俳人は、こんな想念に捕らわれているんだろうと思っている。
それにしても十七音じゃどうにも埒があくまいと思うが。フラクタル幾何学をちょっと考える。フラクタル構造においては、切り取った部分であっても全体と同じ複雑性を持つとする。前衛俳人はそんな気構えでいるのではと思ったりする。この部分は蛇足。

函館通信131・・・難しい問題だね・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんも難しい問題をだすねー。あまり深く考えても纏まった意見にはならないと思うよ。
 函館地区といった狭い所だけでも三十以上の句会がひしめいており各句会が夫々なけなしの主張を掲げて句作に取り組んでいるのが現状だ。中央の師系に通じる句会あり、地方色豊かな句会、仲良し句会と色々ある処がかえって私には面白く感じられる。
 さて、猫跨ぎさんが挙げた句だが、
 あといふこゑがふるへて春の底に○(まる)・・・素直に最後の○で何かを格好付けたいのだろうが成功していない。
 じきに死ぬくらげをどりながら上陸・・・岸壁の釣りをしてれば具象イメージは相当湧くんじゃないかな。中七下五のつながりはわざとだらしなさで表現したのだろうか。ここが気に喰わない。
 空に置き去りの蹄鉄梅咲いて・・・牛か 馬の放牧地を連想させる景のイメージが自然に湧くよ。但し景だけで心象はどうだろうか。
 藍甕のほとり騎乗し恋愛し・・・藍甕のほとりとは危なっかしいイメージだね。乗馬している女性のきりりとした姿に惚れてしまったのかな。危うい恋愛の始まりかも・・・。
 といった勝手な解釈が出来てしまった。中村氏の評論のように
 「・・・それを読むことで、自分の内部のもやもやとした未知の領域に触れてくる感覚を持てたなら、読者は充分にその作品を享受し、楽しんだことになるのである。・・・作品を作ることによって、自分自身の内部にある未知の部分を少しでも照らし出すことができれば、それだけで充分満足なのである。」
 と、私は楽しむことにしよう。提起された俳句論を横で思いながらそっと十句。

  ・ 餅花や客間の猫の大あくび
  ・ 風邪引きや漢方薬の大袋
  ・ 路地裏で冗談一つ春一番
  ・ 地の声の押し込まれてや雪捨場
  ・ ロボットの関節動作春近し
  ・ 手の内のハートのエース日脚伸ぶ
  ・ ワイパーに敬礼されて大氷柱
  ・ 心得に捨鞭ありて寒明ける
  ・ 昨日から一里一尺寒鴉
  ・ 丸めたり引き伸ばしたり寒の空













では感想を・・・・逸徳

お師匠は二月はいつごろお立ちかな。 うらやましい・・・・さて 現代俳句に対する、お師匠の解説と感想を。しかしまあ、なにいっているんだろうなあという気がする。中村さんなんか、ああそうですかとしかいいようがないなあ。こういのが賞という世界は理解できないし、まあ身内ですきにやってちょうだいという感じになる。

言語にはかならずイメージが伴う。蹄鉄という言葉を聞いてリンゴをイメージすることは、まずない。あるとしたらそれは他者と共有されていないイメージであろう。 つまりそのイメージはある程度共有された社会的存在のはずだ。 というよりは、あるイメージがあってそれに対して、ある音声信号があとから生まれてそのイメージに対応したのが言語の発生だろう。つまり音声信号とそれに対するイメージには一定の社会的共通性がなければ、言語は言語として成立しない。 オノマトペのような問題はあるが、あれは言語ではなく、音声をつかった表現であって、むしろたとえば舞踊にちかいと思っている。

さて、そこである言語の集団をわれわれが聞くと、その言語に伴うイメージの世界が頭の中に立ち上がってくる。そしてそのイメージの世界から受ける印象から我々がどういう感情を持つかということである。 たとえば「空に置き去りの蹄鉄梅咲いて」の句のイメージを思い浮かべてみると、あおぞらの中にぽっんと置き去られた蹄鉄というイメージを思い浮かべても、ある種の不安感は感じるが、だから何なんだといいたくなり、これはもう統合失調症患者の妄想に近くなってしまう。いやそもそも現代俳句はあんまり読み手を考えていないのだろうか。したがってわからんのである。何が賞に値するのか。
現代詩や抽象アートなんかのほうが、もっとイメージの構築において綿密な戦略と受け取り手に向けての多様なチャンネルを持っていると思うなあ。たとえば死んだが、太田省吾という劇作家の「水の駅」という芝居がある。これ全編せりふがない。 しかし、すごい表現力は確実に観客に伝わる。

現象学というよくわからん学問があるが、その中で、深い森の中で一本の巨木が朽ちて倒れた、その音を聞いたものはだれもいない、では、この木は本当に倒れたといえるのか・・・という問題がある。この問題の意味はいまだによくわからんのだが、自己流解釈でいうと、ある現象は認識されてはじめて、我々の世界の内部の問題になるということだろうと思っている。もし中村さんが、自分の感性の内部で完結すればいいというように思っていたとしたら、それはこの深山の巨木倒壊と同じで、他者にとっては無意味な存在になる。だとすれば、これはやっぱり統合失調症患者の妄想に近くなる。 まあそれでもいいのかもしれない。 そのようなものにこっちが触れることで、この世界の見方がちっと味付けされれば。


2011年1月25日火曜日

現代俳句管見・・・猫跨ぎ

グァム行きは二月でちょっとまだ先。雪国は今年はすごいらしいね。岩見沢、留萌なんかは親戚がいる。でも太平洋側は、苫小牧なんかは殆ど降っていないとか。

現代俳句をちょっと別な角度から見てみようか。
昨年度の芝不器男新人賞の受賞作品を見てみよう。
 あといふこゑがふるへて春の底に○(まる)     御中虫
 じきに死ぬくらげをどりながら上陸
従来の俳句鑑賞法ではとても歯が立たない。花鳥風詠の伝統俳句のまるで対極に位置する。これはまだ具象のイメージを残すが、次の対馬康子奨励賞の作品はどうか。
 空に置き去りの蹄鉄梅咲いて           中村安伸
 藍甕のほとり騎乗し恋愛し
中村は評論でこう言っている。「俳句作品が表現している内容を他の言葉で置き換えることはできない。また、そうでなければわざわざ作品として製作する必要はないであろう。」とした上で、「・・・それを読むことで、自分の内部のもやもやとした未知の領域に触れてくる感覚を持てたなら、読者は充分にその作品を享受し、楽しんだことになるのである。・・・作品を作ることによって、自分自身の内部にある未知の部分を少しでも照らし出すことができれば、それだけで充分満足なのである。」
勝手なことを言っておるなとは思うが、まあ、これは、作品の世界が作者の感性の中に完結してよしとするもので、必ずしも第三者の共感は問わないということだろう。自分なんかの作句活動とはとても相容れるものではないが、考えて見れば或る現代詩や抽象アートの世界と何か通底しているといえなくもない。
とりあえず、今日はこの辺で。感想があればどうぞ。

2011年1月24日月曜日

函館通信130・・・雪・・・仁兵衛

 九州の熊さんご心配有難う御座います。雪に閉ざされると神経痛と運動不足の悪循環が生じてなお悪くなりそう。
 猫跨ぎさんグアムは如何ですか。青い海に白い砂、お嬢さんの笑顔が見えますよ。親父も難しい顔をしないでゆったりとお過ごし下さい。
 函館では除雪予算が足りなくなって一億数千万円が補正計上されました。函館はまだいい方で道内でも局部的に著しく降雪量が多い所が大変のようですよ。特に石狩、留萌などと岩見沢が酷いと新聞では報じています。ラニーニャ現象により低気圧の位置が同じ所ばかりになってしまった結果とか解説されています。本当にそう関連させていいものかね。
 逸徳さんと褌子さん、五能線を楽しんで下さい。

まだ寒いが・・・・逸徳

お師匠はいまごろ御嬢さんの結婚式ということでグアムだろうか。 おめでとうございます。 南国の蒼空と海は、若い二人の門出にふさわしい。 こちらでも最近、教え子の女の子が結婚するということで、記念アルバムに祝辞をたのまれた。 新潟での挙式なので、出席はしなかったが・・・。そしたら新潟の地酒が2本も届いた。 性格のいい子で、もう30年わかければおいらがほっておかなかったのだが。信州大の院をでたがとにかく、本人も酒が好きで、独身時代はよく旅先から地酒をおくってくれた。(おれってけっこう女子にはもてたんだなあ。) だからいい性格であるというわけではないぞ。
  そこでひとつ・・・  乙女子の 妻となりゆく ふみの来て 冬の椿の 爛漫と咲く
              酒贈る 乙女もありぬ 冬椿                         
   ・・・・・ ああ ええなあ。地酒は昨夜おいしく飲み干した。

ハタハタの飯鮓はホテルに依頼したよ、褌子さん。 俗世の人間関係のめんどくささと離れて はやく雪の世界に逃避したい。

しかし、はたと気が付いた。 冬椿というのはどんな五七につけても句らしくなってしまうなあ。 五七五七七の「根岸の里のわびずまい」みたいだ。

菜の花のおひたし・・・ 褌子

房州の南はスイセンが咲き乱れている。
ゆうべは菜の花のおひたしを食べた。ほうれん草よりも歯ごたえがあってはるかに旨い。
きのうゆきつけの五百円定食の可愛いママさんから五能線に関する重要情報がはいった。
水森かおりが『五能線』をうたったら、人気がでてきて一両のデーゼルカーが二両になってしまったという。
逸徳さんとおたがい何食わぬ顔をして別々の車両になるかもしれない。

   作詞木下龍太郎・作曲弦哲也
どこへ行ったら あなたから
旅立つことが できるでしょうか
のこりの夢を 詰め込んだ
鞄を膝に 列車旅
女 みちのく 五能線
窓いっぱいに 日本海
��中略)

過去を置き去り 五能線
出直すための 衣替え
��中略)

涙 みちのく 五能線
夕陽が落ちる 日本海

2011年1月19日水曜日

RE:おせっかい・・・褌子

烏賊はいか、木賊はとくさ、土筆はつくし、木通はあけびです。
刺身は章魚(たこ)が一番。烏賊は煮ても焼いてもうまいな。海星(ひとで)や海月(くらげ)は煮ても焼いても食えない。礼文の海栗丼(うにどん)は忘れられない。
魚へんに、魚とかいてむろん煮魚です。
木へんに赤はリンゴ、木へんに紫はブドウ、木ヘンに黄色はミカンでなくヨコです。

おせっかい    九州の熊

「すし いずし」と入力してウェブ検索すると「飯寿司」がでてくるよ。
おはずかしながら「烏賊」はなんと読むんだっけ?
北国は¨さむい¨か。今年はとくに酷いらしいね。でもね。道産子のわたしの記憶ではマイナス20数度というのを何度か体験した記憶がある。銭湯から自宅まで歩いて4~5分、ふろ上がりの熱々のタオルが家についたころには凍っていたっけ。まだ少年のころだったからスキーやスケートで結構寒さを楽しんでいた。東京育ちの仁ちゃんには耐えられないのかもしれないけど寒いと思えば寒い、これがこの地の風土と思えば・・・。いやいやそれでもこんなの厭だと感じてしまうのかなぁ。体調がはやく戻るとちっとはちがうんだろうけどね。

函館通信129・・・飯鮨・・・仁兵衛

 飯鮨を「いずし」と入れても出て来ないのだが我PCがおかしいのかな。
 ホクレンがやっているスーパーで飯鮨を覗いて見た。ハタハタ、鰊、鯖、紅鮭、ホッケに烏賊の6種類が並んでいた。私はあまり食べないが生の魚介を麹で発酵させてあるのだろうから旨いに決まっている。但し発酵の度合いによっては人の腸内で以上に繁殖するかもしれないね。
 「雪見て一杯」と言っても吹雪の雪や2メートルの深雪、椿花にうっすらと被さった雪、いろいろあらーね。函館に居ると雪と寒さはもううんざりなのだが、五能線での雪より富士山に掛かる雪の方がずうっと趣きがあると思うんだがね。
 それにしても今冬は寒い。平均気温の変化を見ていてもここ二週間近く真冬日が続き昨日最高が0度まで来たが今日は又下がってしまった。五能線の旅はくれぐれも厚い股引、靴下の二枚履き、ホッカイロを忘れずに持参されたし。そうそう首周りにはネックウォーマーが、耳にも何か被り物をしたらよい。

ちと紹介・・・・逸徳

こんなことやっているんだということで、ちと宣伝と紹介を。ひまなときに見てください。 実はおいらのやっている「きくがわ科学少年団」の紹介HPをたちあげました。インターネットで「菊川市 六郷地区コミュニテイ協議会」のHPを検索し、その中の「活動報告」→「教育文化部会」→「きくがわ科学少年団」をクリックするとずらっとサブメニューが出てきます。

2011年1月18日火曜日

それはそうと・・・猫跨ぎ

  まあ、じゃれるのもこの辺にしておこう。この先また寒波が到来の予報。
蕭条たる冬景色を堪能の上、大雪で雪隠詰めにならないで無事帰還されたい。
小生は亡妻の一周忌のあと、遅れていた長女の結婚式でグァムへ行って来る。とっくに夫婦になっているのだが、式を向こうで挙げたいらしい。

深窓の令猫・・  褌子

ヒヒ猫につづいて今度はヒヒ爺ですか。
それにしても対極にある山田さんちのは可憐だな。まさに深窓の令猫。

決定的なことを・・・・逸徳

ハタハタの飯鮓については、ご両所とも決定的なことをおわすれで。 そもそも路地裏というものがない。飲み屋もない。何にもないのだ。したがってポツリヌス菌もさがさないとみつからない・・・さがしてみるが。

それよりも、お師匠はグアムだかサイパンですか。 水着の美女鑑賞旅行でしょうか。 ストーカーとまちがわれんように。 いつご出発ですか。保険料はこちらでもちますので、保険をかけさせていただいていいでしょうか。 もちろん受取人はこっち。 宝くじよりいい確率かも。ヒヒヒヒヒ

2011年1月17日月曜日

画期的な・・・猫跨ぎ

  そうですか。水さかずきを用意して駆けつけようかと思っていたが・・。待てよ。御選別ということは、額によっては戴こうという算段か。
まあ、ともかく、ハハハハは無駄に明るい。フフフフは陰湿な陰謀を思わせる。ヘヘヘヘは下心ありそう。ホホホホは上品ぶって、又はゲイを思わせる。そこへ行くとヒヒヒヒはいいぞ。ピュアで、あえて注意を喚起している。日本語は意味が深いとこに留意されたい。
閑話休題。ポツリヌスは軟便で済む話でない。まあ、じゃんけんして、負けた方が先に食うという画期的な方法を提案しておこう。

征露丸・・・・褌子

最近の猫はヒヒヒヒと笑うのか。
うちのまえの山田さんちの三毛は♪ミャオゥウウウー♪とじつに品よくおなきになっている。ヒヒヒヒなんて下品などら猫が種付けにこないように奥さんが年中警戒している。
さて、どじ裏のあやしげなお店大好きです。へんなもん食ったら二三回やわらかいまるまるをすればよい。
防寒服に身をかためて正露丸と仁丹、葛根湯もっていく。日露戦争で売れに売れた「征露丸」です。シベリアおろしに強いんだ。将軍マークの仁丹は冬将軍に強いんだ。
このほど五能線決行は地吹雪がいちばん猛威を極める2月初旬ときまった。私共の従前からの倹約質素を旨とする家訓により日の丸をふっての壮行会並びに御選別の儀は鄭重に御辞退申し上げます。

2011年1月16日日曜日

ハタハタの飯鮨;承前・・・猫跨ぎ

  ハタハタの飯鮨のことをちょっと追加すると、その昔、北海道で結構あちこちの家庭で作っていた。ただ、たまにポツリヌス中毒があって、新聞種になっていたと記憶する。我が家は親戚からもらっていたが、そこのおじさんは、漬け上がったときに、まず家の飼い犬に食わせる。一時間ほど様子を見る。ということで判断していた。
今はどうなっているのかな。探訪心を出して路地裏の怪しいところで食すのはどうか、ちょっと心してね。ヒヒヒヒ。

とうとう雪が・・・逸徳

寒いなあと思ったら、今朝雨戸をあけると、庭がうっすらと白く、昨夜遂に静岡も雪が降った。沖縄をのぞいてはおそらく静岡は全国でもっとも暖かい地域で、鹿児島に雪が降っても静岡には降らない。記憶では40年以上前に降ったことが1度あるだけで、それがかたりぐさになっている。エアコンの外気温測定機能をつかうと8時半現在、日陰で-1度である。風があるので体感温度はもっと低いだろう。これでギャーギャーいっていたら仁ちゃんにおこられるだろうなあと思いつつ、でも暖国になれてしまった身には、やっぱり寒い。

褌子さん。ハタハタの飯鮓はうまそうでネットで検索してみたらなんと、深浦の特産ということで出てきたのはびっくりした。ホテルに頼んでおこうかねえ。さらに津軽鉄道のストーブ列車にものってみたいね。ただし全線のっても40分もない短い路線なので、下手すると予定コースだとのれるのは10分そこそこだ。 あの辺は地吹雪で有名で、地吹雪体験が観光ツアーになっていたりする。 まあ何もないところだ。 それがいいんだ。

Kさんのこと。順序だてて聞き出せば、相当のことは聞き出せるだろうと思うのだが、裁判所の調査官はその方面の専門家だろうから期待するしかないか。ただ過去の記憶というのは、ほんとにわからない。過去のある事件を何度も聞き出していると、あいまいな記憶に自分で無意識に装飾して、どんどん物語をつくってしまうことさえある。それは自覚されていないのである。 まあKさんの場合、それでもいいのかもしれないが・・・ しかしだ、過去の記憶の総大成今の自分であるとすると、過去の記憶がうたがわしかったら、今のおいらとはいったい誰なんだ、という根本的問題が出てくるなあ・・・・この辺になると、頭が変になるのでやめる。まあ、褌子さんにはがんばってほしい。心から応援しています。それとKさんが、人間回復して、新たな人生をスタートできればいいなあ。

    幾百の 矢音のごとく 風うなり。・・・・・うううう寒い

2011年1月15日土曜日

うてば響き合うふたり・・・・・褌子

   逸徳さんから五能線の最初の宿泊は深浦にするとのメールがはいった。
  深浦、さみしげな名前だなあ。松本清張の殺人事件の舞台みたいな名前でいっぺんに気にいった。
  パソコンで地図をみる。
  五能線という能テンキな名前は津軽の五所川原と秋田県北の能代を結ぶから五能線なのである。
  能代からすぐ日本海に出て延々と日本海沿いに北上し深浦を経て鰺ヶ沢経由で五所川原に着く。
  インターネットの説明には「津軽西海岸のむき出しの赤土の大地が、白波の砕ける日本海に沈み込み、その海際に細く長く道が刻みつけられている。そんな少し寂しげでダイナミックな景観が続く津軽西海岸」とある。
  少し寂しげ、では困る。荒涼とした雪の中の鉄道線路をとぼとぼと走る一両のディゼルカー。息で曇った窓ガラスを手拭いで拭きながら吹雪の日本海をいつまでもみつめる二人の男。でなくてはいけない。
  逸徳さんがなぜ五能線にしたのかその必然性、その深い苦悩、呻吟、懊悩は深浦できくことになる。
  去年のことだが鹿児島の知覧から指宿へのバスが乗客が三人くらいでまことに雰囲気がよかった。一泊5千円の指宿のホテルが誰も泊まってなくて、錦江湾にかかる月と漁り火を温泉からひとりでみた。大広間でおばあさんのお給仕でゆっくりと朝食。このおばあさんがじつは指宿一のお金持ちの女将さんだった。60年におよぶカネのためかた使い方の骨法をえんえんときいて再会を約して握手をして別れた。
  こんな贅沢な旅をこんどは北の辺地でやりたいと思っていたら逸徳さんのおさそいをうけたのである。いしんでんしん、うてばひびく。

2011年1月14日金曜日

孤族の時代・・・・褌子

新聞で「孤族の時代」というのを連載している。
最期はひとりぽっちで死ぬひとがものすごく増えているという。
究極の孤族といえば、いぜん本欄でも書いた無籍のKさん。自分が誰なのかわからないのだ。
裁判所が職権で横浜市全区に徹底調査をかけた結果が今日でたので委任状をもって聴きにいってきた。
結論は「Kという名前の男性は戦後、横浜市内には全くいませんでした」というもの。
本人は自分はKという名前で横浜のH区の小学校にいた記憶だけが残っていると主張しているのだが…。
きちんとした日本語を話す篤実な人柄をみて裁判所の調査官は、はじめは不法侵入した外国人かもしれないと疑ったがそんなことはありえないと確信します、しかし不思議です…とつぶやいていた。
あとは記憶がよみがえって新事実が出てくるまで待ち続けるか、就籍させるかは家裁の裁判官に判定してもらうしかないといっていた。
いったいどうなるのだろう。
小生がプレゼントした古自転車で早朝からもくもくと極端に低賃金のアルバイトにでるしかないKさん。保険証がなく病院にも行けないKさん。
��さんは日本国民になれるのか。

2011年1月13日木曜日

Oh!おお旨そう・・・・褌子

鰰のい寿司、写真をみても何ともうまそう。
こういうのが好きなんだ。しめさばなんぞ好物中の好物。酢と醪、さらりとした味、新鮮な魚の漬け物はうまいなあ。
それにしても先年、比叡山のしたの坂本で、小林・國兼・山内さんと飲んだときにくった、琵琶湖のモロコの何とか漬けはもんのすごく塩辛かった。独り占めで全部喰ったのがいけなかった。
  あれいらい「いいものをほんのすこし」を心がけている。お酒は決してがぶ飲みしない。品よくたしなむていど。
  尾崎方哉を描いた吉村昭『海も暮れきる』を昔よんだが、山頭火とかああいう破滅型の生き方のひとがそろって自由律にふみこんだのが面白い。

2011年1月12日水曜日

鰰の飯鮨だべ・・・猫跨ぎ

  俳句はいろいろありで、それを言い出すと果てしない。先ず無季俳句で季語なんか無視の世界。自由律で五七五なんか超越する。山頭火とか尾崎方哉とか。
それから、いちおう定型だが、前衛俳句、実存俳句とか名前は色々だが、何を言っているのか他者にはちんぷんかんぷんで、いうなれば、もやもやした感じを判って貰いたいなんてわがままをいう。
  ただ私にいわせると、有季定型という世界があって、それを前提として、周囲を飛び回っている小判鮫みたいなものではないか、と。ほんとに約束事が嫌なら、何故、現代詩の世界に行かないのかといつも思っている。
蒼空(そら)は余りやらない方がいいね。これを許すと、何せ字数が欲しいから、どうしても頼ってしまう。温泉とか書いて「ゆ」と読ませ三字稼ぐとかで収拾がつかなくなる。

きりたんぽは今や何処にでもあるよ。この前、錦糸町の某新年会で食べた。串に刺して山葵醤油で。ハタハタは焼きもいいが、何と言っても飯鮨(イズシ)だ。最近はとんとお目に掛からないが、最高だね。必ず、トライしてみなさいな。

名物に…      褌子

   逸徳さんはシクラメンの君とか源氏物語専攻の女性の方ともおつきあいをしていたんですねえ。 
   高尚な俳句のはなしに恐縮ですが・・・
  秋田にいったら、きりたんぽを食いたいと逸徳さんが↓につぶやいた。
  小生は赤旗まつりが毎年、東京夢の島で全国物産展をやるので、なんどか食ったことあります。まあ五平もちの出来損ないみたいなものだと思えばよい。
熊本に辛子レンコンというのがあって、これがレンコンに黄色い辛子をぎゅうぎゅうつめただけの食えたものではないのに、熊本出身のひとがうまいうまいと食っていたので不思議だった。
  奄美出身の可憐な中年女性がサトウキビをかじっていた。ささくれだった堅い竹の幹をかじっているようなもので誠にあじけないが、彼女はこどものころにサトウキビをかじった思い出にひたって天こ盛りのサトウキビの堅い幹を無心にしゃぶりつづけていた。
  というわけで逸徳さん、秋田と言えばキリタンポよりハタハタではないか。これをジュウジュウ焼いて頭からしっぽまでばりばり食べながら銘酒秋田誉で乾杯だな。
  北海道は熱々の三平汁にばりばり凍ったニシン漬け、それに焼きたてのホッケにサッポロビールだね。高かったが釧路で食った毛ガニはもうたまんない。礼文島で食べたウニ丼も夢にまででてくる。
  さて郷里佐渡島の夏の風物詩は、白砂糖をたっぷりかけて酢醤油でたべる心太=トコロテンですね。砂糖がかかってないとどうもトコロテンは食ったような気がしないのだが、女房が気持ち悪いとけしからんことを申します。
  女房の実家の高知では鰹のはらわたで塩辛をつくる。これが「酒盗」という酒の肴の逸品。
だがどうも食い慣れないとだめ。やはり塩辛は北海道だな。

光栄です、で若干のあとづけいいわけ・・・逸徳

ひとから批評されたのは、数すくないが、さらにお師匠に添削いただいた。光栄です。ありがたい。 一番おもしろかったのは、五七五も季語もどうでもええと居直った仁ちゃんである。 うーん、おいらのイメージにぴったりで・・・。しかし、-11度かよ!!・・・・寒さには強いつもりだが、ややビビる。

最初の句について。 実は北大時代、童研のサークル仲間だった同期の女性がなくなった。文学部をでて、源氏物語専攻なのにどういうわけだか小樽商大につとめ、最後は助教授ぐらいまでいったと思うが、これがなんだかよくわからんのは、彼女の商大での専門は電子計算機とプログラムだという。 別に彼女との間に何かあったわけではなく、いろんな議論をたたかわした親友がたまたま女だったということである。それが暮れになって、突然旦那さんから訃報がとどいた次第。 ・・・・そんなこんなが、この句の背景に沈潜している。 考えてみれば、やりのこしたこと、すててきたことが多々思い出され、老いるとは、次々にいろんなことをすてていくことだと考えていたが、こうして親しい知人に旅立たれると、やっぱり人生の宿題をちゃんとはやってこなかったなあという気がして、この句になった。したがって、ここはやはり「遂に羽化せず」といいきりたい。しかし、このへんになるとこれはもう人生観の問題だろうなあ。・・・・

こどもが、人生で最初の体験をすると、実にさまざまな反応をする。うちの孫が2歳のときに、シャボン玉連続発生器という装置をつくって、一気に大量のシャボン玉をつくりだしてやったことがある。彼女にとっては、最初のシャボン玉体験だった。何かわからないとてもきれいなものとの初めての出会いであった。朝日に輝くシャボンだまの大群につつまれて、シャボンだまに手をのばしたときの写真がのこっている。まごばかといわれるかもしらんが、感動と、喜びと、驚きがいりまじった実にいい顔をしているのである。ああ、こういう顔で感動しなくなったのはいつだろうかと考えさせられた。・・・・・ で、そういうことに関連して、何とかこれは俳句か和歌にならないかなあと考えつづけて、心にあたためている光景がある。それは幼い子が、はじめて「蒼空」というものの存在に気が付いて、だまってそらを見上げている瞬間である。そんな光景を昔みたような気もするし、遠い昔の自分の経験かもしれない。そこで何がおこっているか。その瞬間の、その子のこころの内側を想像すると、それこそとりはだがたつのだ。オーバーにいえば、生まれいでた幼い魂が、この広い宇宙の中に歩み出て、宇宙とであった瞬間であり、それはふたつの宇宙の出会いでもある。このイメージをなんとかあたためているが・・・・うーん、なんともならんか。くさったかもしれん。・・・・・で、そういう感じで「みどりごの 目の中の蒼空(そらと読ませたい・・・無理か) 椿咲く」の句をつくった次第。したがって宙空とかいて「そら」と読ませるかとも思ったのだが・・・ 

現在外気温6度。 やっぱ今夜もなべだなあ。 おーい褌子さん、五能線にいったら絶対ひとくちでもええからきりたんぽ食べよ。

むしゃくしゃともやもやの先に富士ひとつ・・褌子

  自宅の二階からもたまに富士がみえます。
 昨日のような寒風の夕方のシルエットがよい。
 富士山というのは駿河か甲斐の山だと思いこんでいたから、むかし、はじめて千葉に来て富士がみえて驚いた。
 逸徳さんの佳句を猫師匠が改善していっそう味わい深い秀句となった。
   わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
   わがおもい 羽化せずも良し 冬木立
みどりごの 目の中の蒼空 椿咲く
みどりごの 目にも青空 椿咲く
   うたうよう なく子もありて 椿咲く
   うたうように なく子もありて 寒椿
 こうして並べてみるとたしかにそう思うから猫師匠の実力に舌をまく。もっとも逸徳句の生地がいいからだともいえるが。
 このでんでゆくと
   むしゃくしゃと もやもやの先に 富士ひとつ
 泰然自若の富士に八つ当たりしたり嫉妬したり、これはどう改造すればいいのかね。
・・・・
 諸兄の俳句に柄にもなく句評を書くようになって、ことばというものに関心をもつようになった。とぼしい小遣いのなか「日本語漢字辞典」「現代大類語辞典」などに大枚をはたくようになった事、ひとえに感謝を申し上げたい。
 そこで井上ひさし『私家版 日本語文法』をいっきに飛ばし読みしたのだが、あらためて自分も、面妖きわまりない日本語を苦もなく毎日しゃべりちらしている日本人であることに興味をもった。
 つづいて同氏の『国語元年』を読んでみたい。広告には「標準語で女が口説けるか。方言で強盗に入れるか。言葉の魅力を徹底的な笑いのなかに描いて日本語の新しい蘇生を示唆……」なんてうたってあるので、これはもう読むしかなさそう。 

富士山・・・猫跨ぎ

以下は、勝手な感想である。

わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
わがおもい 羽化せずも良し 冬木立
正月早々、悔恨の情も相応しくない。余情を残そう。

みどりごの 目の中の蒼空 椿咲く
みどりごの 目にも青空 椿咲く
原句の中七は字余りで冗長。ただ情景はありふれて余り面白くないね。

うたうよう なく子もありて 椿咲く
うたうように なく子もありて 寒椿
「よう」は「ように」とはっきりした方がいい。上五の字余りはまあ大目にみられる。名詞止めが一般には落ち着くね。

当地では、冬の晴れた風の強い日に冨士山がよく見える。総武線では、幕張あたりの高い建物がないあたり、それから荒川を渡る橋の上から。何だろうね、不思議な感覚を覚える。
長年欧州に留学していた人が、帰途、冨士山を飛行機から見て、突如涙が出たと言っていた。一度も帰りたいと思ったことはないのに、と。

2011年1月11日火曜日

わがおもい遂に羽化せず冬木立・・・・・褌子

函館通信もはや128号になったか。はやいもんだなあ。
今号は、あまりの極寒にいなおったという風があって欣快のいたり。
逸徳句
・ わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
ついにメタモルフォーゼすることなくここまで生きてきてしまった。これからはもう驚天動地疾風怒濤の人生は望むべくもない。
・・・しかしこれでよかったのだ。これが運命だったのだ。これ以上なにをのぞもうぞ。まあ五能線でも旅して美味い酒でも飲もうや
てなふうな作者の屈託、居直りがみごとにでている秀句。作者は老境句の分野でいまもっとも注目される地方俳人なのである。
    人生ほど生きる疲れをいやしてくれるものはない     ウンベルト・サパ  
��「人生」を酒とか恋とか犬猫とか温泉とかにかえても可。むろん女房でもかまいません)
                      


函館通信128・・・いいねいいね・・・仁兵衛

 いいねいいね気持がいいね。寒いなんて嘘だろー。逸徳さんの所は既に春じゃないですか。
 ・ わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
 羽化しなかった思いはどんな想いだったのだろう。色々想像させられるが、逸徳さんの色めがねと重なって楽しさが倍加する。
・ むしゃくしゃと もやもやの先に 富士ひとつ
 贅沢に富士を見慣れるとこんな卑猥な気持も湧いてくるのかね。最低気温-11度、最高も-4度の所ではウオーキングポールが固い雪になかなか刺さらないぞ。そうだ五七五も季語もどうでもよろしいのだ。
 ・ 夜目遠目もやもやの先富士一つ
これが本音か?暖かい日差しの中で富士が見たい。 

寒い・・・・逸徳

春はまだ遠いなあ。 散歩にでた。前にも書いたが上半身の運動をと思って、ウォーキングポールをつかっている。そうすると、歩くテンポがどうしても速歩になってしまう。近くの川にきている鴨の群れが、寒いのかみんな水から上がって、川岸のブロックの上にずらっととまっていた。オレンジ色の足がなんだか痛々しそうである。川を離れ東名高速をくぐってあまり人の通らない農道をいく。 隠れ宿ではなく隠れ散歩道である。茶畑の緑はあいかわらずだが、真っ白なお茶の花がかれかけてあちこちに散見される。雑木林はすっかり冬木立。 そこで一句。 
  わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
あるいていくと、小さな保育園がある。花がすきな園長だろうか あちこちにいろんな花が。どこかで喧嘩したらしく、元気な泣き声と、先生のあやす声が聞こえた。 おうおう喧嘩はいい。喧嘩して悔しくで号泣なんて、もうじきできなくなるんだから、思いっきり泣きなさい。おいらには、お前さんたちの泣き声がひばりの声のように聞こえるんだ。そこで一句 
  みどりごの のばす手の先 冬椿・・・・実景  
  みどりごの 目の中の蒼空 椿咲く・・・・考えすぎ
  うたうよう なく子もありて 椿咲く
で、さらにすすむとまた川岸に出る。その向こうの牧ノ原台地のむこうに雪の富士。いつもの光景。年増の美人だな。近くで見るより遠くからみたほうがいい。上半分しか見えん所なんか、お風呂に半分使っている美女の感じである。ええなあ、ムフフフフ・・・・ うーむ 雅心など、どこかに落としたか。そこで一句
  むしゃくしゃと もやもやの先に 富士ひとつ

しかしだ、富士というのはしまつがわるい。 有名になりすぎて、にても焼いても食えん。 どうあつかってもするりと指の間からぬける感じだ。 どう料理しても既視感がついてまわる。 やめた。 というよりも負けた。 それもまたいい。

2011年1月9日日曜日

むずかしい英語・・・猫跨ぎ

 「彼女は世界一やさしい女」なんかの話に、truthだfactだという、むずかしい英語を使うから話がややこしくなるんじゃないか。「ボク、年のいっている割りに、はっきり言えないんです」と言って、ポッと頬を赤らめたら、話はスムースに行くと思うが。

日本人は(と、偉そうに言うのも何だが)、思想の扱いにウブなところがあると思っている。純粋さを競うところがあるな。原水禁運動もそうだし、浅間山荘の赤軍派もそうだ。ナポレオン時代の、ジョセフ・フーシェみたいな政治家を生む土壌は日本にはない。単純明快で外国から見透かされる。それも純粋さを競う土壌がもたらしたものだ。実は、ソ連が崩壊したとき、中川先生にフーシェの話をした。ああ僭越だった。

いやいや仁ちゃん・・・・逸徳

寒いっていったって、南極まで観光にいくやつがいるんだから、凍死することもあるまいし、まあ何とかなるよ、仁ちゃん。 それよりも今の心理状態は、歴史的な観光地などはモチベーションがひくく、あんまり人間がでかい顔しているところはいきたくないという心境なの。迫りくる老いへの無意識の抵抗かもしれない。ただ、ひとつだけ悪い予感がする。寒い。秋田から青森だ。もしかしたら旅行中ずっとよっぱらっていそうだ。まあいいか。酔生夢死だ。

こちらは風がひどいが、晴天が続き、毎日茶畑のむこうに富士がよく見える。別に感情移入しようとはしていないが、だまっていつもこっちをみていると、なにかいいたくなってくる。変な感じだ。おいらがぽっくりいっても、やっぱり富士はこっちをみているだろうし、そうすると何となく、この世には永久不変もものはやっぱりあって・・・などという、変に情緒的気分におちいり、笑ってしまう。

ことばはむつかしいなあ。うまく表現できず、お師匠に申し訳ない気分で。(あやまることはないんだが) たとえば、ある男が、一人の女に恋して、「彼女は世界一やさしい女だ」とくちばしったとする。 これは事実とは判明しがたいが、すくなくともおとこにとってはうそではない。こういうイメージがおいらのtruthである。「神はいる」などというのもこの手の命題であろう。しかし、このtruthにひとは命をかけることさえあるのだから、「そりゃただのおもいこみ、主観」だとじゅっぱひとからげにするのはどうも僭越傲慢な気がして、「そうですか」とちいさい声でいい、じゃ自分はどう思うかと心の中で反芻したりする。つまりそこでやっているのは、客観的事実(fact)かどうかという論争とは、ちとちがう。 だからtruthはprobabilityではない。 彼女は世界一やさしい女だということをprobabilityで考えたら、こりゃおもしろくないし、人生にドラマがなくなると思うが。

とにかく、日本の革新勢力の歴史というのは、やや宗教じみているところがある。たとえば、大正時代の文章で、「カレーライスをくうのはプチブルだ」という言葉が出てきて、こしをぬかしそうになった。 まじめであることはいい。だがまじめなやつほど、簡単に転向したりする。転向というのは過去の自己否定だから、そういうやつは転向後、自分を正当化しようとして、ものすごく反動的になる。 そういうのは組合運動でゲンナリするほどみてきたよ。 重要なのは、ほんとに大事なことは何かということにおいてぶれないことだと思うのだが、それが何かは実のところよくわからない。反核運動で、原水協と原水禁が分裂したままなのは、実に日本の恥さらしで、ある被爆者がおいらにこういったことがある。 「広島の平和公園の原爆慰霊碑の前におおきなプレハブでもたてて、そこに原水協と原水禁の代表者を全部いれて、外からかぎをかける。統一の結論がでてくるまであけてやらない。」と。ユーモアは絶対に必要なのだが、その裏の思いを想像すると、やりきれなくなるな。ほんとにやりきれない。一事が万事そういうところがないかなあ。

前にも書いたのだが、エーリッヒフロムの名著「自由からの逃走」に「外界に結び付けられているへその緒を完全に断ち切っていない人に自由はない」ということばが出てくる。(実はもう一度そこを読んでみようと本を探したが、行方不明であせっている。へそくりをはさんでおいたもんで・・・・ ) ひとの自立の過程とは、さまざまな絆から解放されていく過程である。だがそのようにして、自立するということは、見方を変えれば「孤独」にむかうということだろうと思う。 その孤独感に耐えられないとひとはなにかの権威にすがりつこうとする。一種の母胎回帰のようなものである。 まさに教条主義の出発点はここにあるのではないか。




2011年1月8日土曜日

函館通信127・・・五能線・・・仁兵衛

 五能線ねえー!函館は真冬日が三日続いており更に予報では五日間ぐらい続くそうだ。雪しまく津軽の地によく行く気になれますな。それだけでも若さが溢れているんだね。羨ましい限りだ。ストーブ列車やリゾートきたかみを使ってもし青森に出たらついでに酸ヶ湯か蔦温泉までバスで行ったら如何ですか。きっと美味しい雪見酒が堪能できますよ。

ひさしぶりの司馬節・・・・褌子

    ・粉雪やレーニン選集括られて
から議論沸騰し、私にはちと難しく肩がこってきたので勝手に話題を転じたい。
   厳冬の五能線という結構な旅に、人徳豊かな逸徳さんがちっともいやな顔をせずに連れて行ってくれるという。
地図をみると秋田と青森の日本海がわ、つまり本州の最西北端を走るのである。
   そこで車中での逸徳さんとの高雅な対話の予習にと、司馬遼太郎街道をゆくシリーズ『秋田県散歩』という誠に結構な本を読んだ。
   例の須田画伯をいっしょに話しはふらりと象潟からはじまるが、八郎潟をへて県北にとんで大館や鹿角に狩野亨吉(かのうこうきち)と内藤湖南の明治の思想家、東洋史学者の生家を訪ねるところがすこぶる面白い。
   安藤昌益と富永仲基(とみながなかもと)という江戸期の思想家を発見したのもそれぞれ狩野と湖南でここらへんが、司馬節躍如。
  『坂の上の雲』などはちっとも面白いと思わないのに、こういう香気と洒脱な紀行文を読むとなんとも幸せな気分になる。これも逸徳さんの人徳のおかげであろう。
  青森については『北のまほろば』があり、これも名篇でいぜん函館の仁ちゃんにも貸したことがあり返本のさいに松前漬けを仁ちゃんからもらったことを思い出した。

2011年1月7日金曜日

今帰って来た・・・猫跨ぎ

  実はいま、俳句しかやっていない。時間の大半は俳句、それに関連することのみ。ただね、人の精神活動は絶え間ないから色んなことに関心はある。読む、聞く、話す。俳句を含め全部一つに統一するように心掛けている。頭の中で編纂しなおすというか。それが自動的になってきたので、いま全然ストレスはないね。

  レーニンのことは私も詳しくは知らない。褌子氏のいうようにソ連の農奴社会を改変した功労者には違いない。しかし、その後のソ連をモデルとする社会主義運動が人類にもたらした災禍を考えるとそんな功績は吹っ飛ぶと思う。「国家と革命」を何であんなに神格化したのか不思議だ。如何に国家権力を奪取するかの手練手管の本に過ぎない。(と理解している)。歴史はかく進むのが正しいという信仰が前提にあって、易々と神格化に便乗するんだろう。天下り式に何かの権威に縋らねば生きていけないのはやはり奴隷の思考法ではないか。

  はっきり事実とは判明しないが、すくなくともうそではないというのがtruthか。それはtruthとは言わず、probabilityだろう。人は生をprobabilityを軸に回転していくかね。何ごとかの信念があるのではないか。閑話休題、二重構造になっていて、自分にとってのtruthということか。それぞれ各人違っており、その場合、ああそうですかといって別れる。まあそれで良いじゃない。

  戦争責任か。これを言い出すと俄然色めき立つ。天皇含めちゃんとけじをつけていなじゃないか。それが駄目なんだ。それが全ての悪の源だ。ドイツを見ろ。
戦後65年。このままでは100年たっても終わらない。
いま人口の3/4は戦後生まれとか。まあ、彼等をこの桎梏から離脱させてやろうや。
私も離脱したい。自由になったところで、戦前のいろんな文化、事象を見直そう。そう思っている。その過程で、また新たな地平が見えてくるのではないか。

で、つづき・・・・逸徳

おいそがしいようで、結構。 何もしたくなくなったらやばい。 閑話休題  フィールドということについて。 最近思うのだが、フィールドをもつことは大切だし、健康にもいいよ。フィールドとは主たる関心事がむかっていて、そこでエネルギーをつかうことに意味をみいだしている世界である。 ただし、このフィールドにはひとつの特徴がある。それは社会的な存在というか、ひととのつながりのなかにつくられるものでないと、どうも満足しないのである。 つまり無意識のうちに何かの社会的意味を見出そうとする世界かもしれない。そういう意味では、まったくの個人的営為はフィールドにはなりにくいというか、ならない。自分がどっか満足しないだろう。 お師匠の俳句の世界はうらやましいフィールドだなあとおもう。そしてそれはまったくの個人的営為ではないだろう。だってさ、深山の誰もいない森の中で、名句をものしてもどうしようもないだろうし、発表し誰かに伝えて、はじめて達成感をもてるのではないか。 そういう意味で社会的なフィールドだと思うがいかがだろう。おいらは、いまだに自分のまったく満足できるフィールドをみいだしていない。

レーニンはひとつの科学体系をつくろうとしたという意味において、アジアには生まれにくかったようにおもう。 キリスト教という唯一神の世界の産物である。で、おいらは資本論をしっかり読んだわけではないし、いまだによくわかっていない。いや全然わかっていないというべきである。 したがって、彼の論理体系と現実とのずれの原因がどこにあるのかも実はよくわからない。ただ、このずれの谷間に、さまざまな20世紀のドラマがおちこんでいるように思う。 いや、また何かのヒントをくれるときがくるかもしれない。それまで、棚のすみにおいておけばいいと思うのだが。 ただし、教条主義はよくないことは当然で、なんでレーニンを神様にしてしまうようなことがでてきたのかなあと思う。 これも人間のある種の弱さの反映かもしれない。 自立していないやつはなにかにしがみつきたくなるぞというのは、フロムが「自由からの逃走」で指摘していることである。まあ、残りすくないのでどうでもいいけど。 まずもう一回資本論を詠む時間もないだろうから。

はっきり事実とは判明しないが、すくなくともうそではないというのがtruthのここでの定義である。 それはfactではない。本人がfactだとさけんでも、それはわからない。 つまり帰納とか演繹といった科学的思考法とは、別世界のことだと思う。
だからAがこれはtruthだといっても、どうしようもない。 「あなたにとってはそうなんですね。」と認めるしかない。Bはそれを受け入れたければそうすればいいし、だめなら敬意と愛情をこめて「そうですか」というだけである。  ここらへんのニュアンスを「事実とは判明しないがすくなくともうそではない」といういいかたにこめたつもりだが。 この、ひとそれぞれのtruthにしたがってひとそれぞれか゜生きることを「ひとは物語をいきる」というのだろうと理解している。

しかしだ。やっぱりある日突然軍国主義者が民主主義者になったようなノーテンキな敗戦時の日本人の行動パターンはいただけないな。お師匠のいう「なんじらのうち、罪なきもの、石もて、この女をうて」というのは、こういうこととつながる。そのへんを総括せず、自分を安全地帯、あるいは「かよわい民衆」という、都合のいい立場においてあれこれいうのは、まったくおかしい。 ちなみに初めて書くかもしれんが、おいらのおやじは典型的な戦争犯罪人であり、たちのわるいことにそれをごまかして、地下に潜行し日本ににげかえってきた人間である。
したがって、心理的に「軍国主義者と無辜の民」という図式に昔から抵抗はあった。 だから日本人が全員そのあたりを総括しないで、戦争犯罪の構造を論じるのはたしかにおかしい。しかし一方で、だからといって、戦争犯罪人のやったことを許せるかといったら、そんなことは全然ない。 第一、そういうことをちゃんとしないとおいらはおやじを乗り越えられんのである。水に落ちた犬はたたけといったのは鄧小平だったかなあ。 中国人のずぶとさを感じた。 その点、日本人はのんきて゛あるのだろう。 ヒトラーの総括をドイツがどうやったかということは、おいらの個人的生き方の問題としても関心があるのである。 

とりいそぎ・・・猫跨ぎ

  大体言いたいことは判った。問題はそのtruthだ。これが曲者でね。帰納的にtruthを導き出すならまだしも、演繹的にtruthを言う向きは要注意だ。大体偉そうに大所高所からいう。加藤周一、大江健三郎あたりはその最たるもので、この後、短い余生に彼等のエッセイなどは時間の無駄だと思っている。また出掛けねばならん。 続きはあとで。

そこで千日手に乱入・・・・逸徳

こういう風に考えている。といっても漠然とだが。 で、いいたいのだがこの世界には「事実ではないが、うそではない」ということがらがたくさんあるということではないかなあ。いやいいすぎた。「事実かどうかは、はっきりと判明しないが、それはすくなくともうそではない」という命題である。 これをAとする。で、あるひとαにとってはAはまぎれもなく「うそではないほんとのこと」なのだ。だがAは別のひとβにとっても「うそではない、ほんとのこと」かどうかはわからない。αに対してβが、お前のAは事実ではないといってもしょうがないのであって、それはもう全然土俵が違うのだろう。前者、つまり事実が英語でいうFactであり、後者がtruthである。 このふたつの言葉に関して、忘れられないことがある。 ミュージカル「ラマンチャの男」は有名であるが、そのなかに「The fact is the enemy of the truth」というセリフがでてくる。「事実は真実の敵」だというのだ。ひとつの表現にこれほど衝撃をうけた体験はすくなかった。

でおそらく人間の生はこのtruthを軸にして回転し流れていくのである。 ひとがひとの生をいとおしく思うということの具体的あらわれは、そこでのそれぞれのtruthに何ほどかの敬意を払うことだと思う。ドンキホーテ(なんという魅力的な男だろう!)にとって地平線にたちならぶのは、あくまで巨人の群れである。彼にfactをつきつけて「あれは風車だ」といっても、なにほどの意味もない。彼はそれで幸せになることが保証されるわけではないし、そういう行為は傲慢ですらある。つまり何がfactであり何がtruthであるかを議論することは・・・・うーん、なんというか悲惨だなあ。おそらく挫折とは、factにせめられてtruthを投げ出す瞬間かもしれない。「そうか、あれは風車だったんだ」と青ざめるドンキホーテはみたくない。

千日手論争に関連して、連想したのは一神教と多神教の風土である。近代科学がキリスト教世界に発生したのは、たぶんにキリスト教の影響がある。唯一神をみとめる心理構造と基本原則は何かということを追及する、科学的思考の相似性を認めるのはおいらだけではない。 それに対してたとえば中国の科学はおそらく生産現場が土台にあり、ひとつの神を求めないのでまっこと融通無碍である。 ということで急用で中断
 

2011年1月6日木曜日

五能線そのた・・・  褌子

   先日の小生のつたない年頭所感に大事なことを忘れたので書き加える。
  我々の子供たちの世代が結婚適齢期になっているのであるが、どういうわけか結婚しない。
  そこで大いに結婚相手を紹介してあげたい。(じつはわがやにもまだふたりいるんだ・・・)
  これはデータベース化して本格的にことしからはじめるので、御協力をお願いします。
  それよりも深刻なのは若者の就職難、よく親たちに相談されるのだが本当に頭がいたい。
  ―――――
  静岡の逸徳さんから、五能線おとこ独り旅のすばらしい計画試案が届いた。
   深浦とか十二湖とか本州最果てのうらぶれた風景が想像される。褌子さん逸徳さんが吹雪のなかに立ち尽くす幻想的な情景にわくわくし興奮してしまった。
   こんなイマジネーションが沸いてしまうのは、松本清張『Dの複合』をきのう、けふで読んだからである。
   民俗学、古代史を駆使し、羽衣伝説や浦島伝説が残る辺地をたずねるミステリーで何ともいえない味わいがあった。
   普陀洛渡海の話しがでてきて、高野山から那智勝浦への先年の旅行を思い出した。鳥取県三朝温泉(みささ)がでてくるが、あそこには投入堂という絶壁にたつ不思議なお堂がある。城崎温泉ちかくの玄武洞もでてくる。

2011年1月5日水曜日

千日手・・・猫跨ぎ

  千日手みたいなもんだね。一応言っておこう。
「人間は誤るものだ。大事なことは同じ誤りも何度も繰り返さぬことだ。人種差別、侵略戦争、核兵器投下とか特に。」繰り返さぬ事だという決意は諒とするが、それは誰に言っているのか。繰り返しているという歴史も又学ばねばならんだろう。
  核兵器はさすがに今のところ繰り返さぬが、人種差別、侵略戦争は繰り返すなあ。中国のチベット侵攻、民族同化策などはてしない。パレスチナ問題もそう。ユーゴの民族浄化政策、カンボジアのジェノサイド。アメリカの愚かな中東政策。繰り返しの山だ。チベット問題も先生は傷ましい判断ミスを犯したなあ。鳩山は「学べば学ぶほど、海兵隊の存在は大事ですねえ」とか言っていたなあ。学んで結局こんな程度が首相だった。決して過たない、常に正しいと胸を張っているのはどこにいるのか。ちょっと教えて欲しい。
今帰ってきたところ。酒が入っているので論旨行き届かずはご容赦。

なんか既視感のある議論だなあ・・・褌子

 なるほどね。理解しました。
  「多くの人間は過ちを犯した。人間は誤るものだ。その「謬見」も今の常識から、或いは或るドグマからの判断だ。」
  ここんところは全くその通りだ。
  人間は誤るものだ。大事なことは同じ誤りも何度も繰り返さぬことだ。人種差別、侵略戦争、核兵器投下とか特に。
・・・・・ 
  もっとも戦争責任をあいまいにしたところから、こんな日本になったと心底思っている。昭和天皇の戦争責任問題もあいまいなまま。後出しじゃんけんだろうと何だろうと戦争責任はどこまでも追及しないといけない。そうでないとまた始めるかもしれないのでは膨大な死者はうかばれまい。中川先生のもっとも好きな魯迅流に言うと「水に落ちた犬はたたけ」
  西ドイツでもナチスの協力者があまりにも多かったのでみんな、戦後知らん顔していたんだそうだ。ところが白バラ運動を追悼し記念する学生運動が「あのとき近所のユダヤ人に親たちはなにやっていたんだ」と学生達の親の世代を追及しはじめて大騒ぎになって長い国民的大激論をへて国会をつきうごかして膨大な賠償と謝罪をおこない、やっと戦争責任問題になんとか国家的な決着をつけることができた。だから今やドイツは長年の宿敵フランスと仲良くEUの中核になっている。(望田幸男『ナチスの国の過去と現在―ドイツの鏡に映る日本』にくわしい) 
―――――  ところでこの議論、いぜんにも猫跨ぎさんとした記憶がかすかにあるんだ。既視感のある議論なんだ。といっても、過去ログが消滅しちゃったのでいつの頃だったか思い出せないんだが。またそのうちやるかもしれんなあ。それでも良かろう。さらに議論が深まれば。
 「粉雪や」の句はこれだけの議論を引き起こしたのだから、やはり偉大なる問題作ということであろう。
 
 


罪なき者まづ・・・猫跨ぎ

  中川先生は恩師であり人間的にも大好きなことは人後に落ちないつもりだが、傷ましさは変わらない。
  斎藤茂吉は戦後、戦争責任を問われた文化人の筆頭だった。叩かれぼろくそに言われたが一言も抗弁しなかった。彼は歌で歴史の極北に残る人だ。それでいいじゃないか。反省するひとはたんと反省すればいい。後出しジャンケンで、過去を裁くことのことの愚をさんざ言ってきたがその気持ちは全く変わらない。多くの人間は過ちを犯した。人間は誤るものだ。その「謬見」も今の常識から、或いは或るドグマからの判断だ。「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」だろう。

傷ましい…について    褌子

    斎藤茂吉については加藤周一「日本文学史序説」に何度も触れている。
   「医者=歌人であった茂吉は、実証的な自然科学の方法と文学的な表現(および研究)の方法とを生涯を通じての経験をふまえて、熟知をしていた。(中略)「自然」と「詩」に対して、見事に知的に武装していた斎藤茂吉は、歴史的な「社会」に対しては、無防備で、ほとんど小児のごとくであった。30年代末の軍国主義の時代に、彼が突然、中国侵略戦争を謳歌し、東条をはじめとする軍閥の指導者たちを賛美し、戦争宣伝のために沢山の馬鹿げた歌を作ったのではない。権力がそれをもとめたときに、彼にはそれを拒否するどういう理由もなかったのである。茂吉は便乗せず、まさに小児のように、信じた。・・・」とある。
  斎藤茂吉は戦後、山形の郷里に帰って70才でなくなるまで歌をつくりつづけたが、「聖戦賛美」の自分の歌については戦後、高村光太郎のように反省的に語ったのかどうかは、不勉強で小生は知らない。
   「中国との戦争を支持し、太平洋戦争に熱狂し、天皇とその軍隊を無条件に賛美した」(加藤周一)そんな斎藤茂吉を中川先生は評価できませんといっているのではないだろうか。むろん精神科医の業績や秀歌の数々にではなく。先生は歌をつくっていたから斎藤茂吉はもっとも関心のある人物だったのであろう。
  戦争賛美のうたで国民を鼓舞するすべも全く知らなかった庶民は、戦後「だまされた!」と軍部をうらんだ。が、映画の野村萬作監督は「だまされた、だまされたというけれども、だまされたという戦争責任もあるんだ」と興味深いことをいっている。
 さて―――――
  「傷ましい」を広辞苑で引くと「わが身が痛むほどかわいそうである。ふびんである。いたわしい」とある。大辞林では「見ていられないほどかわいそうだ。痛々しい」とあり用例に「愛児を傷ましい交通事故で失う」などとある。
 とすると、レーニンを尊敬していた中川先生(私が証言できるのは大学紛争が始まる前の昭和42年春。前年に就職して翌年、先生の自宅を訪問したときのこと。晩年はレーニンをどう評価していたかはきいてないのでわからない)を「傷ましい」という言い様も、少しちがうのではないかという気がしてきた。
��時代劇でいまは落魄の主人にかつての家来が「おいたわしゅうございます」と泣く場面があるが、こんなばあいはなんといえばいいのか)
  むろん私は決して傷ましいなどというつもりはない。レーニンがツアーの圧政で苦しむ農奴や植民地を解放し、ロシア革命で社会保障制度をつくった指導者であった事実はゆるがない。新経済政策NEPで市場経済を通じての社会主義を目指した事実も
。しかしレーニン主義のなかにも78年後のソ連型社会主義滅亡の胚胎があったということだ)

新年の所感・・・・褌子

  レーニンや斎藤茂吉への評価がなんであれ中川先生を「痛ましい」とはわたしは思わない。
  戦争と貧困の問題に無頓着な科学研究者を人間的堕落だといつも自分をいましめていた。いい師にめぐりあえたことを感謝しても感謝しきれないのだが、せっかくの僥倖を生かし切れなかったわが身の極楽蜻蛉ぶりが情けない。「よく隠れしものはよく生きしなり」(デカルトのことばか)とか「沈黙多謝」などの意をききそこねたが、最近なんとなくわかるような気にもなってきたのだが。
  さて年頭そうそう反省ばかりしていてもしょうがないので、逸徳さんにならって年頭所感をのべよう。
  スキーは道具が多くてめんどうでやらないのだが、毎年年末年始に孫もふくめて80人ばかりの老若男女をひきつれて十数人の世話役のひとりで参加している。四日間も昼間いちにち温泉にはいって遊んでいると気分転換になる。
  こんかい、最高齢の80才の女性が初日に転倒して志賀高原スキー場から帰ってきたので三日間いっしょに昼飯食べたり善光寺にいったりしていろいろ話をきいた。
  彼女はある童話作家の夫に先立たれた人であるが、少女のときから世界中の少年少女文学、ファンタジーとか推理小説などを読んできたひとで「ハリーポッター」も半身浴で読んだがけっこう面白いわよといっていた。「吉里吉里人」を読んでないといったら送ってくれるという。
  行雲流水みたいな人で、あんなおばあさん、いやおじいさんになりたいものだと思った。
  それから昨年、日中戦争中の八路軍の従軍写真家沙飛の足跡を訪ねる旅に同行し、「沙飛研究・日本の会」の世話人にもなったので何度か訪中して「沙飛伝」の編纂にも参加したいと思う。
  さらに毎日、とりくんでいる生活相談であるが、最近夜半に目がさめると「あのひとはどうしているかなあ。まだ生きているだろうか?」などと、もっと親切に相談にのればよかったなあと後悔することが少なくない。朝おきるともう忘れているのだが、後悔のどあいをすくなくするように気合いをいれてもっともっと人様には親切にしたいと思っている。(ここらへんがせめてもの中川先生への恩返しか。人には親切にしすぎることはない。自分にはどんなにきびしくしてもきびしすぎることはないといっていたから)
  母は70で認知症、おやじもそのころに脳卒中になったのでそろそろ危ないとしになってきたが、その予防こころがけについて書いてもしょうがないので年頭所感は以上でおわりたい。
  どうも逸徳さんのように堂々たる所感にならないのがざんねん無念。

2011年1月4日火曜日

アオサギと「国家と革命」・・・猫跨ぎ

  わが書斎からひょいと窓外をみると、向こうの家の屋根の上に見慣れぬ鳥がとまっている。白鷺に似るが二回りは大きく嘴が大きい。首を伸ばし辺りを睥睨している。30分はとまっており飛び立つ気配無し。一階に下りて図鑑を調べると間違いなくアオサギだ。自然界の動物は言うに言えぬ存在感があるなあ。その内に居なくなった。ぬくぬくと生活し孤独だへちまだと言うもおかしい。
  さて、根付(ねつけ、ねづけ)は、和装で巾着、煙草入なんかの端に着けて、帯に止めるときに用いる細工物。象牙や柘植なんかの堅い木に色んな形に彫り込む。江戸期にさかんで、最近は骨董的に珍重される。小生、特に蒐集癖はないが、この根付だけは集めたい。江戸町人文化の一つだね。ちょこまかしていかにも日本的。
いま若者がカバンや携帯にぞろぞろつけているのも根付の伝統だろう。
そうか、本題。そういうものだけ商う骨董屋があったとそういうこと。短日との組合せで何か見えてこないですか。
「国家と革命」で中川先生が感激していた?レーニンはスターリンに毒殺されたとか、もっと生きながらえていたら、ソ連は違う形になったとか、遠い話、どうでもいい話になったなあ。あわせて、「斎藤茂吉は評価しません」という先生の言も思い出した。傷ましい。かといって、無思想のほかの先生方は問題にもならんが。

緊張しそう・・・・褌子

下の逸徳さんの年頭所感をいま読んだところ。
わけえもんに説教する年寄りになりたくないは全く同感。(訂正:正確には、若者に「だいじょうぶだ、明日は必ず来る」というやさしい年寄になりたい)おお何という詩的なはげましだろうか!
玄田有史とかマイケルサンデルとか梨木香歩とか須原一秀とかユクスキュルとか我が輩の全然きいたこともないひとばかり。エルンストブロッホと高橋睦朗は名前をきいたことが何となくある程度で全然どんなひとかはしらない。
こういうほろほろ会の知の巨人に五能線ひとり旅に連れて行ってもらうのは緊張するなあ...こちんこちんになってハタハタの骨がのどにひっかかりそう


猫様句の初句評・・・褌子

スキーの幹事役で信州からやっと帰ってきた。ずっとホテルで加藤周一『日本文学史序説』などをぱらぱら読んだり、NHK南米165日旅行や箱根駅伝などをぼんやりみていた。。
かえってきて早速、諸兄の句評を拝見することなく純な気持ちで猫師匠の秀句を味わっている。
みなさん今年もよろしくお願いします。
・・・・
・小春日や象は言はれたまま坐り
小春日ゆえにかえって何となくわびしくさみしく屈託を感ずる不思議な句である。
・短日や根付ばかりの骨董屋
根付きというのは値札ばかりという意味ですか
・蓑虫の揺れて犍陀多の孤独
せっかくの蜘蛛の糸がぷつんときれちゃった人ですね。
蓑虫は柔らかいがいがいと頑丈なつくりで木から決して簡単には落ちないのだが、冬風に揺れている様はなんともさみしいものだ。
・冬の滝電流弱くながれをり
非常に面白い感覚の持ち主。だんぜん特選。作者はときどき二重螺旋とか熱伝導とかベンゼン核とかで秀句をものするから理科畑のひとだろう。山口青邨、芝不器男など理科系のひとに俳句はあうらしい。
・山茶花の向かう山茶花忌日かな
わたしには意味不明
・鍵束をざらりと置きて年の夜
独り暮らしだとカギ束も増えるんだね。さらりとではなく、ざらりとおいたところに冷たい金属の質感がでている。
・鉄瓶の口の湯垢や雪催
拙宅ではでんきポットで喫茶しているので、鉄瓶、湯垢とくると昭和30年代の雰囲気あり。小生が昭和37年に札幌のおばさん宅にいったとき昭和壱拾六年関特演祈念と浮き彫りされた鉄瓶が石炭ストーブのうえで湯気を吹いていた。
とすると掲句の作者は傘寿を迎えているか。
・粉雪やレーニン選集括られて
井上ひさし『一週間』を読んだばかりなので、まことに味わい深い一句である。
『国家と革命』を読んだ中川先生が激しく感動していたが私にはよくわからんかった。レーニンがそれほど偉大ならなぜ次にスターリンがでてきたのか…と先生とやりあった頃が懐かしい。現代資本主義分析に『資本論』は不可欠となっているいっぽうで、レーニンが全面的に再評価される時代はもう来ないだろう・・・などとそんな雰囲気に「粉雪や」の句はぴったり。
中川先生がさみしく苦笑しているかもしれん
・雪激しポケットの中に繊き指
ほそき指ですか。白魚のようなほっそりとした血管のうきでた指ですか。
なんとも老いの官能をくすぐる川端康成的な世界だな。
作者はこの一句で新境地を切り開いた…
・おでんの卵逃げ来年は小吉
作者自製のおでんか。まことに飄逸な俳味躍如。
おでんの卵、割り箸でつまむのはたいへんなんだよな。
するりと卵に逃げられて来る年は小吉と達観した。この見事な境地に達するには小生なんぞまだ20年はかかりそう。
五能線のひなびた一杯飲み屋ではやくおでんをつつきたい

2011年1月1日土曜日

今年の正月・・・猫跨ぎ

  来るはずの息子一家だったが、その息子がインフルエンザでダウン。お陰で、そうか、初めてのたった独りの正月だ。それでも朝、雑煮を試みたがちょっとテレビに気をとられている内に鍋のなかで餅は溶けてどろどろになって跡形もない。杵で搗いたむかしの餅とは所詮モノが違うようだ。
  逸徳氏はお正月に一席所信を開陳するのは習いのようだね。前から感心しているが。高橋睦郎は本職(?)は詩人だが、俳句、和歌、など日本古典にも通じ、まさに博覧強記の人だね。雅俗で言えば、徹底して雅の人だ。
正月には万葉集によく引用される大伴家持の一首がある。こんな気分でそろりと参ろう。

あらたまの年のはじめの初春の今日降る雪のいや重(し)け 吉事(よごと)
��年のはじめの、初春を迎えた今日降っている雪のように、良いことがどんどん重なりますように。)
おっと、このまえの旅行先が大雪で大変らしいね。まだ続くらしい。

逸徳氏に拙句を評釈してもらったが、相当に深く読み解いてもらって有難いね。最後の小吉は、これで結構という意味。大吉など、今更とんでもない。
大沼の氷切り出しは知らなかった。今は、氷祭用の材料の切り出しとからしい。

新年おめでとうございます。・・・・逸徳

��011年最初の名誉ある投稿を。 いい詩をみつけて 年賀状に使おうと思ったら、つれあいにいわれた。旧漢字?づかいが多く読みにくいと。しかし、すてるのはもったいなく、あらためて新年のあいさつにここに載せてみることにした。ご鑑賞のほど(段落行替えは無視。ご容赦)

私たちの祖先である古代びとたちは、あらゆるものの裡に魂があると考えた。魂とは玉し火であり、球型をした火の謂である。空を飛ぶ鳥、地を這う獣、戦ぐ樹木、もの言わぬ巌にさえ、その内部には球型の火があって、炎炎と燃え熾ってゐる。だから世界は集合離散する火の秩序の別名にほかならない。それら、無限の物質と同じ数だけある無限の火の中の第一の火、生命の火の総元締は何かと言えば、もちろん太陽である。天に燃える巨大な魂の溢れる恵みを享けて森羅万象の、そして人間の裡なる太陽は燃える。これが、自然と人間の照應の根本である。しかし、疲れをいらぬ天の魂、衰へを見せぬ第一の火の燃焼にも、いつかは終わりが来るのではあるまいか。その終焉は疑ひもなく、すべての生命の火の終焉、世界の終焉でもあるはずだ。恐れた人人は、そこで「死んで甦る太陽の信仰を産み出した。一年が終わり太陽は死ぬ。しかし、死んだ天の魂は聖なる水で洗ひ浄められ、黄泉の国から生き還る。そして、これこそが「よみがえり」の、「あらたまの年」の最初の意味なのだ。
今日、昇る太陽は昨日と同じに弱弱しく見えるが、明らかに異なっている。昨日の落日の弱弱しさはあからさまな老衰の徴だったが、今日の日の出の弱弱しさは赫奕たる誕生の証なのだ。黄泉の水に洗はれて甦る天の魂とともに、この晨、私たちの裡なる太陽も浄められ、いきいきとあらたまるのである。
   ・・・・・高橋睦朗詩集「暦の王」より

新年にあたつて希望ということを考える。昨年は多くの知人を見送り、生と死について考えさせられたが、その前提として希望の問題がある。希望について語るということはひとつの明確な意志を持った力のある行為である。だが、現実は厳しく、希望を見いだせない若い人たちがそれこそ絶望的行為にでる。もしながく生きたことがひとつの知恵につながるということであるのならば、老人こそ豊かな希望の語り手にならなければならないのだが、実際はそうではない。墓場までの距離の測定と年金残額の計算しか話題はもりあがらないのだ。 ああ、なんということだろう。あした世界が終わりでもやはりりんごの樹を植えようではないか。
 昨年読んだ本。岩波新書「希望のつくり方」玄田有史(これ案外いいぞ)  これからの「正義」の話をしよう マイケルサンデル  西の魔女が死んだ 梨木香歩(DVDになった 小5から中学ぐらいの孫がいたらみせるといい) 自死という生き方 須原一秀  生物から見た世界 ユクスキュル・・・・で「希望の原理」Ⅰ エルンストブロッホ・・・これ三度挑戦して三度挫折した。

まじめに、未来を悩む若者に「だいじょうぶだ、明日は必ず来る」というやさしい年寄になりたいと、このごろつくづく思う。年をとるということはけちをつけることがうまくなるということと同義ではないだろう。もう、ぐちは飽きた。

というわけて゜みなさま今年もよろしく

追伸 大沼では氷の切り出しは昔からやっていたらしいぞ。お師匠さんへ。