2011年1月7日金曜日

今帰って来た・・・猫跨ぎ

  実はいま、俳句しかやっていない。時間の大半は俳句、それに関連することのみ。ただね、人の精神活動は絶え間ないから色んなことに関心はある。読む、聞く、話す。俳句を含め全部一つに統一するように心掛けている。頭の中で編纂しなおすというか。それが自動的になってきたので、いま全然ストレスはないね。

  レーニンのことは私も詳しくは知らない。褌子氏のいうようにソ連の農奴社会を改変した功労者には違いない。しかし、その後のソ連をモデルとする社会主義運動が人類にもたらした災禍を考えるとそんな功績は吹っ飛ぶと思う。「国家と革命」を何であんなに神格化したのか不思議だ。如何に国家権力を奪取するかの手練手管の本に過ぎない。(と理解している)。歴史はかく進むのが正しいという信仰が前提にあって、易々と神格化に便乗するんだろう。天下り式に何かの権威に縋らねば生きていけないのはやはり奴隷の思考法ではないか。

  はっきり事実とは判明しないが、すくなくともうそではないというのがtruthか。それはtruthとは言わず、probabilityだろう。人は生をprobabilityを軸に回転していくかね。何ごとかの信念があるのではないか。閑話休題、二重構造になっていて、自分にとってのtruthということか。それぞれ各人違っており、その場合、ああそうですかといって別れる。まあそれで良いじゃない。

  戦争責任か。これを言い出すと俄然色めき立つ。天皇含めちゃんとけじをつけていなじゃないか。それが駄目なんだ。それが全ての悪の源だ。ドイツを見ろ。
戦後65年。このままでは100年たっても終わらない。
いま人口の3/4は戦後生まれとか。まあ、彼等をこの桎梏から離脱させてやろうや。
私も離脱したい。自由になったところで、戦前のいろんな文化、事象を見直そう。そう思っている。その過程で、また新たな地平が見えてくるのではないか。

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