自宅の二階からもたまに富士がみえます。
昨日のような寒風の夕方のシルエットがよい。
富士山というのは駿河か甲斐の山だと思いこんでいたから、むかし、はじめて千葉に来て富士がみえて驚いた。
逸徳さんの佳句を猫師匠が改善していっそう味わい深い秀句となった。
わがおもい 遂に羽化せず 冬木立
わがおもい 羽化せずも良し 冬木立
みどりごの 目の中の蒼空 椿咲く
みどりごの 目にも青空 椿咲く
うたうよう なく子もありて 椿咲く
うたうように なく子もありて 寒椿
こうして並べてみるとたしかにそう思うから猫師匠の実力に舌をまく。もっとも逸徳句の生地がいいからだともいえるが。
このでんでゆくと
むしゃくしゃと もやもやの先に 富士ひとつ
泰然自若の富士に八つ当たりしたり嫉妬したり、これはどう改造すればいいのかね。
・・・・
諸兄の俳句に柄にもなく句評を書くようになって、ことばというものに関心をもつようになった。とぼしい小遣いのなか「日本語漢字辞典」「現代大類語辞典」などに大枚をはたくようになった事、ひとえに感謝を申し上げたい。
そこで井上ひさし『私家版 日本語文法』をいっきに飛ばし読みしたのだが、あらためて自分も、面妖きわまりない日本語を苦もなく毎日しゃべりちらしている日本人であることに興味をもった。
つづいて同氏の『国語元年』を読んでみたい。広告には「標準語で女が口説けるか。方言で強盗に入れるか。言葉の魅力を徹底的な笑いのなかに描いて日本語の新しい蘇生を示唆……」なんてうたってあるので、これはもう読むしかなさそう。
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