レーニンや斎藤茂吉への評価がなんであれ中川先生を「痛ましい」とはわたしは思わない。
戦争と貧困の問題に無頓着な科学研究者を人間的堕落だといつも自分をいましめていた。いい師にめぐりあえたことを感謝しても感謝しきれないのだが、せっかくの僥倖を生かし切れなかったわが身の極楽蜻蛉ぶりが情けない。「よく隠れしものはよく生きしなり」(デカルトのことばか)とか「沈黙多謝」などの意をききそこねたが、最近なんとなくわかるような気にもなってきたのだが。
さて年頭そうそう反省ばかりしていてもしょうがないので、逸徳さんにならって年頭所感をのべよう。
スキーは道具が多くてめんどうでやらないのだが、毎年年末年始に孫もふくめて80人ばかりの老若男女をひきつれて十数人の世話役のひとりで参加している。四日間も昼間いちにち温泉にはいって遊んでいると気分転換になる。
こんかい、最高齢の80才の女性が初日に転倒して志賀高原スキー場から帰ってきたので三日間いっしょに昼飯食べたり善光寺にいったりしていろいろ話をきいた。
彼女はある童話作家の夫に先立たれた人であるが、少女のときから世界中の少年少女文学、ファンタジーとか推理小説などを読んできたひとで「ハリーポッター」も半身浴で読んだがけっこう面白いわよといっていた。「吉里吉里人」を読んでないといったら送ってくれるという。
行雲流水みたいな人で、あんなおばあさん、いやおじいさんになりたいものだと思った。
それから昨年、日中戦争中の八路軍の従軍写真家沙飛の足跡を訪ねる旅に同行し、「沙飛研究・日本の会」の世話人にもなったので何度か訪中して「沙飛伝」の編纂にも参加したいと思う。
さらに毎日、とりくんでいる生活相談であるが、最近夜半に目がさめると「あのひとはどうしているかなあ。まだ生きているだろうか?」などと、もっと親切に相談にのればよかったなあと後悔することが少なくない。朝おきるともう忘れているのだが、後悔のどあいをすくなくするように気合いをいれてもっともっと人様には親切にしたいと思っている。(ここらへんがせめてもの中川先生への恩返しか。人には親切にしすぎることはない。自分にはどんなにきびしくしてもきびしすぎることはないといっていたから)
母は70で認知症、おやじもそのころに脳卒中になったのでそろそろ危ないとしになってきたが、その予防こころがけについて書いてもしょうがないので年頭所感は以上でおわりたい。
どうも逸徳さんのように堂々たる所感にならないのがざんねん無念。
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