谷川俊太郎のことばは、はじめて知った。ありがとう。しかし、どうもやっぱりピンとこないなあ。「詩は、宇宙内存在としてのあり方に触れようとする。言語に被われる以前の存在そのものを捉えようとするんです。」・・・・それは彼の初期の作品なんかみるとよくわかる。しかし「秩序を守ろうと働く散文と違い、詩は言葉を使っているのに、言葉を超えた混沌にかかわる。」というのは、一種の二律背反でないかい。社会的存在などといわなくても、言語は本質的に信号として、相手に何かを伝えるものだから、不可避の性質として他者の存在を無視しえない。そこのところはにげられない。それを無視したら、もはや言語ではないだろう。言葉をつかいながら言葉を超えるというのは、言葉によって構築されたイメージが、その力によって、言葉が限定してしまう世界を超えるというのだろうか。でもなんのことはない、それも土台は言語にたよっているのではないか。酸素を吸いながら、酸素を超えた世界をといっているようなイメージだ。・・・・ほんとによくわからない。・・・・・ 統合失調症患者がしゃべる内容が、まったく支離滅裂な場合、これを専門家は「言葉のサラダ」という。言いえて妙であるが、なんとなくそれを思い出した。
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