なるほどね。理解しました。
「多くの人間は過ちを犯した。人間は誤るものだ。その「謬見」も今の常識から、或いは或るドグマからの判断だ。」
ここんところは全くその通りだ。
人間は誤るものだ。大事なことは同じ誤りも何度も繰り返さぬことだ。人種差別、侵略戦争、核兵器投下とか特に。
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もっとも戦争責任をあいまいにしたところから、こんな日本になったと心底思っている。昭和天皇の戦争責任問題もあいまいなまま。後出しじゃんけんだろうと何だろうと戦争責任はどこまでも追及しないといけない。そうでないとまた始めるかもしれないのでは膨大な死者はうかばれまい。中川先生のもっとも好きな魯迅流に言うと「水に落ちた犬はたたけ」
西ドイツでもナチスの協力者があまりにも多かったのでみんな、戦後知らん顔していたんだそうだ。ところが白バラ運動を追悼し記念する学生運動が「あのとき近所のユダヤ人に親たちはなにやっていたんだ」と学生達の親の世代を追及しはじめて大騒ぎになって長い国民的大激論をへて国会をつきうごかして膨大な賠償と謝罪をおこない、やっと戦争責任問題になんとか国家的な決着をつけることができた。だから今やドイツは長年の宿敵フランスと仲良くEUの中核になっている。(望田幸男『ナチスの国の過去と現在―ドイツの鏡に映る日本』にくわしい)
――――― ところでこの議論、いぜんにも猫跨ぎさんとした記憶がかすかにあるんだ。既視感のある議論なんだ。といっても、過去ログが消滅しちゃったのでいつの頃だったか思い出せないんだが。またそのうちやるかもしれんなあ。それでも良かろう。さらに議論が深まれば。
「粉雪や」の句はこれだけの議論を引き起こしたのだから、やはり偉大なる問題作ということであろう。
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