グァム行きは二月でちょっとまだ先。雪国は今年はすごいらしいね。岩見沢、留萌なんかは親戚がいる。でも太平洋側は、苫小牧なんかは殆ど降っていないとか。
現代俳句をちょっと別な角度から見てみようか。
昨年度の芝不器男新人賞の受賞作品を見てみよう。
あといふこゑがふるへて春の底に○(まる) 御中虫
じきに死ぬくらげをどりながら上陸
従来の俳句鑑賞法ではとても歯が立たない。花鳥風詠の伝統俳句のまるで対極に位置する。これはまだ具象のイメージを残すが、次の対馬康子奨励賞の作品はどうか。
空に置き去りの蹄鉄梅咲いて 中村安伸
藍甕のほとり騎乗し恋愛し
中村は評論でこう言っている。「俳句作品が表現している内容を他の言葉で置き換えることはできない。また、そうでなければわざわざ作品として製作する必要はないであろう。」とした上で、「・・・それを読むことで、自分の内部のもやもやとした未知の領域に触れてくる感覚を持てたなら、読者は充分にその作品を享受し、楽しんだことになるのである。・・・作品を作ることによって、自分自身の内部にある未知の部分を少しでも照らし出すことができれば、それだけで充分満足なのである。」
勝手なことを言っておるなとは思うが、まあ、これは、作品の世界が作者の感性の中に完結してよしとするもので、必ずしも第三者の共感は問わないということだろう。自分なんかの作句活動とはとても相容れるものではないが、考えて見れば或る現代詩や抽象アートの世界と何か通底しているといえなくもない。
とりあえず、今日はこの辺で。感想があればどうぞ。
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