2012年1月30日月曜日

映画『ここに生きる』観にいきます・・・褌子

熊さん
 中野ゼロホールは有名です。
 2月29日(水)は熊さん出演の映画『ここに生きる』を必ず観に行きます。
 歌劇『こうもり』にも出演ですか。合唱はきわめて健康にいいそうですよ。
 熊さんの映画『ここに生きる』の話をきいて、戦後、高崎に生まれた群馬交響楽団を描いた今井正監督の映画『ここに泉あり』(1955年)を思い出した。
 小林桂樹ひきいる群響が、炭焼きなどで生活をたてている貧しい群馬の山奥の村々を訪問して小学校の校舎を借りては演奏の旅をつづけていく話。
 村の子供たちが別れを惜しんで遠くの峠まで追いかけてきて団員に「さようならー!」と手を振っている。岸恵子がこの演奏旅行で恋人になった岡田英次に「あの子たちは、もう一生オーケストラをきくことがないかもしれない子供たちなのよ」といいながら手をふって別れをおしむ。両方のサヨウナラ~の声が山々にこだまする終幕場面がいまも忘れられない。

2012年1月29日日曜日

ちょっとPR   九州の熊

一見まじめで生臭い?やりとりがつづく土俵に分け入って押し売り宣伝を一席。

わたしの住むN市でいま映画づくりが進んでいる。題名「ここに生きる」。間もなく完成。2月末から3月にかけて公開される。PRパンフレットからの内容紹介抜粋。

『北川、祝子川、五ヶ瀬川、大瀬川の河川が森の豊かな恵みをうけて黒潮に流れ込むところ宮崎県・N市。・・農業、漁業、林業の第一次産業と繊維、化学工業等が大きく育った街でもある。この街は内藤藩の城下町として栄え、古くから豊かな独自の文化と気質を作り上げてきた。映画「ここに生きる」はこの地に26年続いている「のべおか第九を歌う会」のメンバーの個性、苦悩、笑いと涙を縦糸に、北浦・島野浦・北川・北方などの中山間地域や離島に生きる人々とふるさとが横糸として織り込まれるドキュメントタリータッチの一年間を綴ったものである。・・ベートーベンの「歓喜の歌」を歌う少し得意げな顔・顔・顔に自分自身の誇りとふるさとへの想いとこれからも生きていく者たちへの優しいまなざしがある。』

撮影はもうほとんど済んでいていまはその編集の最終段階。あと1~2週間で完成と説明を受けている。第九を歌う会のメンバーであるわたしも多分映し出されるだろうと思っている。撮影段階でカメラがわたしに向けられているのを感じることが何度かあった。乞うご期待。上映会が東京でも開催されるとのことでその紹介をしたくて投稿した次第。
��月29日(水)15時~と18時30分からの2回。@なかのZERO(中野区)。
土地勘がないのでなかのZEROというところの詳しい所在はわかりません。興味のある方は場所を確認のうえあしを運んでください。鑑賞券 1,200円。
ついでに・・。3月24日にはオペラ「こうもり」が上演される。市民オーケストラ、市民合唱団そして地元声楽家の集まりであるひむかオペラの会のソリストたちが創りあげる一大パフォーマンスである。わたしにとっては1年まえの同じ日に切腹をしたその日である。終演の暁にはわたしは歓喜の涙を流しそうだ。九州の熊、いま人生の旬を生きています。

意識の流れ&意味の処刑・・・・褌子

   体臭とは加齢臭のことだろうね。
  英会話の先生からSHやTHなど子音の発音が絶望的で、英会話はやめて母音で終わるイタリア語をはじめたらどうかとサジをなげられている。忘年会で石川さゆり ♪津軽海峡冬景色♭ は酔っても先生よりもずっときれいな正確な発音でママと肩くんで歌えるのに不思議だな…
  会話がだめなら英文をとはじめたがやっと中学2年程度。
  たぶん経歴のせいもある。30才で会社やめるまでは、化学の英文を年中読んでいたが、そのご35年間も英語と全く縁がなかった。65才くらいから急に平和運動で来日するインド人などがわが家に泊まるようになった。毎回、通訳が同宿してくれるが、少しは自分でも話したいとはじめたがまさに暗夜行路。
  『カラマーゾフの兄弟』英訳版を読めるには前途遼遠。
 しかし、よたよた年老いた爺さんのくせにJames・Joyce『Ulysses』なんかを落ち葉舞う老人ホームのベンチで居眠りしながら読んでいる(つもりだが本がさかさま)。ときどき薄目をあけて“One could recreate the city of Dublin, piece by piece, from Ulysses” なんてつぶやいて、まわりをとりまいて、お慕い申し上げてくる百才まじかの美しいおばあさん連中をびっくりさせるのも格好いいではないか。
  ローマは一日にしてならず。天才とは努力しうる才能である。

体臭・・・猫跨ぎ

英文についてちょっとひと言。突き放したような言い方だったかもしれないが、brokenでもいいのではと最近思っているのね。古希ちかくなって受験英語の呪縛に捕らわれても仕方がない。失礼ながらあの水準から今後大幅に進歩も望み得まい。ならば逆手にとって、konshi's English で通してはどうかと思った次第。意味の大要は通じている。むしろ褌子氏の体臭をプンプンさせる―これでいいじゃないか。これが本当のintimateな関係というものだ。のびのびとおやりなさいな。

『暗夜行路』・・・・褌子

   国兼さん、小生の中学生英語に猫跨ぎさんのお墨付きらしきものががーんとでたので発言削除、インドに送った。いまごろマラッカ海峡あたりか。
  それにしても国兼さんは母のように心優しい愛のひとですね。猫跨ぎさんは父のように峻厳な愛。逸徳さんは可愛い甥っ子に対する面倒見のいい叔父さんの愛。三方から愛責めで昇天しそう。
   逸徳さんの長崎行を読んで共感するのは、やはり縄文いらい八百万の神々となごやかに暮らしてきた日本人のなかに、キリシタンという異質の日本人の歴史が燦然とはなつ光芒である。デウスさまとの御約束を信じて日本の西の島々に今も日々生き続けている人びと。小笠原でなく長崎にこそ逸徳さんと行くべきであった。
   漱石の「猫」「草枕」「二百十日」と読んで順番からだと『野分』なのだが、漱石がまだ三十才にもならない志賀直哉を高く評価していたことを年譜で知った。直哉も漱石をこころから敬愛している。
   がぜん、暮れにいったばかりの尾道の志賀直哉旧宅を思い出した。ここで『暗夜行路』の前身「時任謙作」に直哉は筆を染めた。そして大正10年に『暗夜行路』の前篇だけ発表、昭和12年に17年かけて全編後編完結した。
   小生のもってうまれた浮気性で、さっそく『暗夜行路』を読み出す。作者の分身は、潔癖で癇性のくせに誘われるとすぐ芸者遊びにでかけてしまう退屈な描写がえんえんと続くが文体は小説の神様らしくひきしまっている。やっと時任謙作が尾道へと旅発つ場面まで全編の四分の一くらい読んだところ。
 【写真の暗夜行路のカバーの絵は尾道】  
   

2012年1月28日土曜日

添削・・・・国兼

 そうか、もう送ってしまったのか・・・。
 それにしても、すごい英文だね!!!数箇所のスペルの誤りや単純な英語表記の誤りはともかく、will canなんて見たことが無いし、アノ文章の中でin progressと言う表現と、そして文章の変なところに書いたことも、またabout ten thousand え?約1万人位の人が逃げてるの・・・。新聞の発表とは大いに異なる数値・・・何を云いたかったのだろうか?
 最も疑問に思ったことは、相手の方がいつインドに来られるのかと言う質問に何も答えずに、原発と言う自分の関心事のみくどくど書いていることであろう。

 マア、31日上野で会ったらと思っていたが、「言わんとする大意が伝われば」ということもマア納得はするが、・・・。野暮なことだが、しっかりした奥方の澄さんにしっかりと教えをこうて出されるように・・・。
 

長崎の旅 ・・・褌子

  さっそくつたない中学生英文に「添削するのも恥ずかしいが、まあこれでいいんじゃないの!!!」と猫跨ぎさんに合格点をもらい、インドに送信した。長年の英語コンプレックスがいっきょに解消された。じつは生きてるうちに『罪と罰』などロシア文学を英訳版で読むという遠大な計画をたてている。
  逸徳さんは実にいい旅をしてきましたね。私は昨年暮れに「孫文と梅屋庄吉」展を上野でみたばかりだ。
  遠藤周作の『沈黙』は読み応えがありました。私もこれを読んで長崎西坂の二十六聖人殉教像に行きキリシタン博物館に入ったことがある。朝早く行ったせいか誰もいなくて薄暗いなかで朝日に照らされた等身大のキリストの磔刑像が怖かった。
  遠藤周作はカトリック教徒として「沈黙」いがいにも「深い河」とか「侍」とか印象的な作品を発表している。わたしがインドに行きたいと思ったのは「深い河」の一場面です。ガンジス川に杖をたよりの長い旅の末、半死半生でたどりついたヒンズウ教徒の老人たちがつぎつぎと息をひきとり、そのまま聖なる河にながされていく衝撃的な情景。
  堀田善衛『海鳴りの底から』によれば、人類史上の一定の地面上での虐殺率(妙なことばだが)はホロコーストでも原爆でもなく、島原の乱(1637~38年)で原城に立て籠もった三万七千の老若男女の皆殺しだという。
  幕府軍は神に召されることを喜んで死んでゆくキリシタン軍(宗教戦争+百姓一揆の側面+関ヶ原生き残りの浪人軍も加勢した)に手をやいて、長崎に来航していたオランダの軍艦に頼んだ。オランダは新教のプロテスタントだから躊躇することなく原城に海から砲撃を加えていることも『海鳴りの底から』で知った。
  ただひとり原城を脱出し生き残った山田右衛門作という南蛮絵師がいるのだそうだ。また総大将の天草四郎が脱出したといううわさも江戸期絶えなかった。
  山田右衛門作がどう生きたか。天草四郎も脱出したのか? これは山田風太郎『魔界転生』にまかせよう。

で、つづき。隠れキリシタンのことなど・・・・逸徳

ある事象に出会ったときに自分が、無意識にとろうとする態度に、ひとつの傾向があることに気が付く。それは、個々の事象がいかに特異なものに見えたとしても、その底には何かしら普遍的法則が隠れているはずだ。それは何なんだ、という分析的な気持ちになることである。これ典型的な理系のさがかなあ。まあそれでもいいと思っているのだが。で、それを(よせばいいのに)人間の心にまであてはめようとして、もっと話を複雑にしてしまったのが心理学なのかもしれん。で、人間とはどういう存在なんだという古くて新しい問題にたちもどったとき、やっぱりこういう気持ちがおこってくる。隠れキリシタンに着目した動機のひとつはこれである。とにかく、ありとあらゆる拷問の百科事典ができるような弾圧を受けて、何十万というキリシタンが殺されても、棄教しなかったのはなぜなのか。そしてそういう行為の底に、われわれとしては人間のもつ根本的で普遍的な特性として、どういう原理を読み取ることができるのか。前から、信じるということはどういうことなのかということを考えて、隠れキリシタンの話を読んでいたので、一度現地にたってみたいと思っていた。五島にもいこうと思ったのだが、この時期にいくと海が荒れて船が欠航することもあるぞといわれてあきらめた。とにかくわけがわからん。おいらなんか気が小さいので、拷問するぞといわれたら、すぐ「すみませんすみません」と、泣きわめいてすぐ転向する。 で、牢屋から出たらすぐ元にもどる。こういう無原則的なのが好きである。こういうのを節操がないというんだろうが、権力者相手に節操を貫くなんて意味がないだろう。おそらくそういうやつもいたんだろうが、ただそういうのは歴史には残っていない。

長崎から、半島の西海岸を北上すると外海という地区につく。かっての隠れキリシタンの沢山いた地域である。明治の初めに禁教令が廃止されたとき、発見された隠れキリシタンは三つのグループにわかれた。ひとつはカソリックになって再洗礼をうけるグループ。もうひとつは、今まで弾圧を避けるために偽装していた仏教徒になってしまい、お寺の檀家になったグループ(ここで当然キリシタンではなくなる) そして、隠れキリシタンのままで信仰を続けるグループである。そしてこの地区の真ん中に遠藤周作の文学館がある。そして「沈黙」で知られているように遠藤周作はカソリックである。

外海の海岸にたって海を見ながら気が付いたことがある。この海の向こうは東シナ海であり、おそらく昔から、大陸からの船が流れ着いたりして自然に交流があったのかもしれない。つまりこの地域で生きてきた人にとっては、海の向こうとは「見知らぬ人々が住んでいるところ」であり、「なにか新しいものが海の向こうからやってくる」という感覚が自然に生まれていたのではないか。つまりは開放的なのだ。キリシタンがここに根付いたのはわからないわけではない。それにくらべれば、静岡なんて「海の向こうにはだれかが住んでいる国がある」なんて感覚は育ちにくい。海の向こうは滝になってなだれ落ちているのである。つまりわけのわからない世界なのだ。

なぜ、あんなひどい弾圧を受けて、キリシタンたちは信仰をすてなかったのか。現実が貧しく苦しいほど、ひとは何かを信じてそれに縋り付きたいのか。そもそも信じるとはどういうことなんだ。こちら岸の現実と、向こう岸の宗教が指し示す世界。それにすがることで、こちら側の苦しさを乗り越えようとしたのか。よくわからないが、だとすると満腹は宗教の敵だろうか。いやいや、こっち側で満腹感を達成しようとしたのが、革命という夢だったのではないか。だとすると革命と宗教は仲悪かったけど、ほんとは兄弟じゃあるまいか。で、満腹であったとしてもやはりある種の空虚感、欠落感は現代にもある。それを宗教は満たしてくれるのか。ある意味、宗教は壮大なだましの文化、だましの装置である。ただし、最後の最後までだまし通してほしい。臨終直前に「ゴメン やっぱ神様なんていないのよ。あの世はありません」といわれたら、これ究極の詐欺である。・・・てな妄想にとらえられながら、遠藤周作を読み直している。 とりあえずの結論。神はボトルの中にいる。

長崎にいってきた・・・・逸徳

まあまあ、お師匠。勘弁してやってくださいな。どうでもいいことは、どっちでもいいという無原則的な日常でいこうと、最近は考えているので。
 褌子氏の投稿の背景には、わが世代に深く沈潜している、英語コンプレックスがあるとみた。前置詞ひとつが気になって、身動きがとれなくなるのだ。で、これを克服するいい方法がひとつあるぞ。外人の知人か、英語のできる日本の友人がいたら、いっしょに酒飲んでよっぱらってしまうことである。そうすると、ばかに流暢??に会話ができるようになるぞ。 数年前、それを実践してみたんだが、予定以上に飲みすぎ、後半の会話はほとんどおぼえていない。ただ、横にいた友人に聞くと、最後はずっと英語でしゃべっていたぞという。ビックリして、いっしょにいた外人(彼日本語も達者である)に聞いたら「うん おもしろかったし、よくわかったぜ」といわれた。何がわかったのかこっちが分からんので、いまだに不安なのだが。
で、やはり数年前、大学のノートが出てきた。どうも金子さんの講義らしく、偏微分方程式と思われるものが書いてあり、間にメモが書いてある。ところが驚嘆したことにそのメモが全部英語なのだ。そして、もっと驚嘆したことには、その書いてある英語がなんだか全然わからん。ホントにわからんのだ。どうなってるんだろう。
で、閑話休題。長崎に行ってきた。古い友人にあうのと、観光をと思っていったのだが、四日間の旅行中、2日間はなんと雪であった。雪の長崎は風情があったが、とにかく寒く、必然的にずっと飲んでいた。友人は工学部の機械出身で、三菱電機にはいり、列車の冷房空調に係わったら、なんと62の定年まで、ずっとその仕事ひとすじで、遂に長崎から動かなかった。で、感心したのは、テレビをやめて新聞もやめたそうなのである。やっているのは、時々の山歩きのハイキングと太極拳で、読書は今児童文学、とくに絵本の世界にはまっているということである。テレビと新聞やめても、ラジオとネットのニュースで全然不自由しないそうである。そういうのもいいのかもしれない。あこがれるなあ。

実は、今回の旅行のもうひとつのテーマが隠れキリシタンと梅谷庄吉のことである。隠れキリシタンについては別のときに書こうと思うが、みなさん梅谷庄吉をご存じだろうか。孫文の革命運動に今の貨幣価値で2兆円ちかい資金援助をおこなった、長崎出身の実業家である。いろいろ調べてみると、簡単にいえば彼は思想だけで、つまり見返りは求めず2兆円だしたらしい。死後、それを口外するなと言い残したが、知る人は知っていた。孫文死後、孫文の銅像4基を中国各地に送り、これは文化大革命のときに撤収されそうになったが、周恩来の尽力で守られたという。 つまり彼は「革命をプロデュースした日本人」なのである。すごく面白い人で、日活の前身の会社をつくったり、白瀬の南極探検には撮影隊を同行させ、記録映画をとっている。こういう日本人がなぜ生まれたのか。しばらく追いかけてみようと思っている。

寒いね・・・猫跨ぎ

ちょとね、こういう投稿はどうなんだろう。privateもなにもかもオープンにする姿はこちらが恥ずかしい。これは貴方の私書箱かい。なら、今後投稿は控えさせてもらうが。あえてレターについて言わせて頂ければ、意味は通じるからこのままでいいじゃないの。受験英語的に直しても余り意味がない。

2012年1月27日金曜日

伝記『スティーブ・ジョブズ』から・・・・褌子

  伝記は読んでないが「ふたりのスティーブ」という記事が新聞に載っていたのでさらに要約を引用する。
 コダックの技術者スティーブ・サッソン氏がデジタルカメラを発明したのは1975年だという。画像をカセットテープに記録しテレビ画面に写し出す。一枚撮るのに23秒かかった。コダックが破たんした今、スティーブ・サッソン氏発明のデジタル化の貴重な種を見逃した象徴例として語られることになった。
 米ゼロックスのパロアウト研究所では75年ごろには、すでにウインドウ、アイコン、マウスといった今のパソコンの原型をつくっていたが、ゼロックス本社が研究所の提案をとりあげず商品化しなかった。
 このパロアウト研究所を79年末に見学して衝撃を受けたのがスティーブ・ジョブズ。改良と新たなアイデアを加え、マッキントッシュへと結実する。ジョブズは生前「ゼロックスがコンピュータ業界の頂点に立っていてもおかしくなかった」といつも語っていたという(ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』)
  こういう話をきくと、ジョブズの天才的な発明というか妄想はすべて突然頭にピカリとひらめくわけでもなさそうだ。やっぱりエジソン流に言うと「ひらめきをひきだす好奇心を生み出す努力」が前提にあったのだろう。

異才を産む風土 家系?   褌子

  いま巷間で評判のジョブズの伝記を誰か読んで、上野の新年会に参加してほしい。
  やはり(株)利口の國兼博士が適任ではないか。
  ジョブズが自分がつくったAppleを首になったことがありました。あのときにソニーはぱっと声をかけるべきだったんだが、ソニー生命とかソニー銀行とかにくだらんことに走ってしまった。
  ジョブズの父はシリア人、母がアメリカ人。ダルビッシュのお父さんはイラン人で母が日本人。僕の両親は両方とも佐渡のお百姓さんで家庭円満で子だくさんです。
  ところで現代産業文明論にもどるが、
  ドイツは新製品の開発にたっぷり時間をかけてあらゆる角度から社内で事前調査をやってからいったんやろうと最終決断を下すと、いご全然逡巡することなく市場化するまで突っ走るのだそうです。
  たいして日本はとにかくまず始めてみる。そして手直ししながら少しずつ改善しつつ前進して市場化までこぎ着けることもあれば、途中で投げ出すこともある。と、朝のNHKラジオでどっかの大学の先生が話していたが、長年企業にいたひとがこういう風に部外者に言われると違和感がありますか。しかしドイツ式も日本式もジョブズのような異才には居心地が悪そうだ。
  このはなしは、日独が第二次大戦に突入したときも戦後の反省の仕方にも通じるので面白くきいた。

iPhone・・・猫跨ぎ

  まあゆっくりやって欲しい。皆、期待して見守っているから。日本経済の隘路がこれで明らかになる。
ところで、産業界の何年に一度かの出来事なのだろう。NECやフィンランドの携帯機器メーカーNokiaが失速した。伝えるところによると、みなiPhoneにやられたのだという。逆にアップルは空前の利益を上げている。NTTドコモは通信が一時途絶したが、iPhoneの予想以上の普及に中継器が追いつかなかったとか。世界中で雪崩が起こっているようだ。
  ジョブスとかいうアメリカのエンジニアの頭に生まれた一つの妄想が世界を動かす。生活パタンを変えてしまうような結果となる。一つの妄想が、だ。こういう妄想を実現させる風土は残念ながら日本にはない。
日本の会社の開発はこうだ―綿密な市場調査、関係者一同の開発会議、決済、云々。全くよく判る。そういう数十年だったからね。
もっとも私はiPhoneは買うつもりはないが。

新経済学対話・・・・褌子

急に身に余る質問が飛んできた。しばらくよく考えてから発言してみよう。
 リカードゥも「あわてる乞食はもらいがすくない」と「差額地代論」で言ってる。

2012年1月26日木曜日

まとめに入ろう・・・猫跨ぎ

  あえて話をむずかしくする意図はないが、繋がり上ちょっと聞こう。
アメリカ衰退のベクトルは明々白々らしいが、そのココロを教えて欲しい。
円高が長年の日本政府の政策の失敗というが、どんな政策が悪かったのか。過剰生産と円高がどう結びつくのか、その辺のココロもお願いしたい。そして今取り得る円高対策は何か。それを説明してもらえば原因も浮かんでこようというものだ。素人に判るようにやって欲しいね。まあ、ここは消費税問題と切り離しておこうや。言いたいのは判るが。片づけておけば酒も美味しいのでは。

re:現代産業文明論・・・褌子

   アメリカをみくびるべきでないはその通りだね。しかし、ベクトルの方向は長期的には明らかに衰退方向に向かっているかにみえる。日本の円高の原因は政府の打つ手打つ手がすべて円高の原因をつくっているかにみえるが、よく頭を整理して論じたい。しかし30年ぶりの貿易赤字。このうえ消費税増税を強行したら、日本経済の底はぬけることだろう。国民をこれだけ痛めつけて一体誰が需要の担い手になるのか。大手マスコミは全部大本営発表だ。
  要するに供給過多で内需が決定的に不足している。
  つまり過剰生産恐慌の様相を呈しているということだ。
  きょう、小蔵ひでをさんの新年会のご案内があり、低迷する日本経済に打ちのめされていたが、小蔵ひでをめーるで急に元気がでてきた。酒はやっぱり独りでしこしこ飲んでいてはうまくない。アダムスミスが限界効用学説で酒は大勢で飲めといっている。
  あー楽しみだ。上野パンダ口の通い路へ早く行きたい。

2012年1月25日水曜日

産業文明論・・・猫跨ぎ

  産業文明論を語り出すと切りもない。切り口によって色んな姿が浮かんでくる。アメリカの落日とはいうが、皆汗するのを止めて金融に走っているわけもない。相変わらず世界一の工業国であるのは論を待たない。トヨタがもたついたこともあるがGMが自動車世界一に返り咲いている。機械を作る機械というマシニングセンターも日本に席巻されたと思いきや新しい会社が出来て伸びていると最近聞いた。中国の元高のせいで一部消費財生産も復活の兆しがあるという。アメリカを見くびるべきでない。
  中国、インドがその人口比通り、世界のGDPに存在比を示しつつあるのは歴史の必然だろう。しかしその産業の中味はみな欧米の技術の枠のなかにある。世界はイギリスの産業革命のまだ延長上にあるのだろう。欧米のセントラルドグマのなかに居る限り世界を制することはできない。中国やインド発の独創的な産業技術の原理を提示できて初めてリードしてゆける。未だ相当時間がかかるのではないか。ロシアの宇宙技術や中古の空母を買ってきて軍拡にひた走る、日本の新幹線技術をそっくり真似て純国産として売り出す。こういう思考様式を続けてる間は無理だ。
 30年ぶりに貿易赤字だという。なのに円高が収まるふうもない。一体何故なんだ。誰か説明できるかい。きのう白川日銀総裁が記者会見していたが、評論家だねこの人。ヨーロッパが、ヨーロッパがという言ばかり。そんなことは中学生でも判る。金融政策の一翼を担っているのだろうに、なんとかならんのかね。

2012年1月24日火曜日

栄枯盛衰その2・・・・褌子

  栄枯盛衰だね。
  ヨーロッパ文明の元祖ギリシアもあんなことになっているし、ローマ帝国も大唐帝国もモンゴル帝国もスペイン帝国もハプスブルグ家も滅びた。
  大日本帝国もナチス第三帝国もソ連帝国ほろびるべくして滅び、ナポレオンの末裔の国も国債格下げされちゃった。歪みの激しいサルコジの顔がますますゆがんできた。七つの海を支配した大英帝国も見る影もなし。ダイアナ妃可愛かったなあ。チャールス王子のばかばか阿呆、そんなにカミラばあさんがいいのかねえ。
  いまや「アメリカ帝国」もはっきり陰りがでてきた。堅実なものづくりやめて、マイクロソフトやグーグル、アップルの通信革命だけではいつまでももたない。世界全体をおおう不況と閉塞感。いまの金融危機の根っこに過剰生産恐慌がある。
  21世紀前半は中国・インドの時代になるだろう。(明の時代、大英帝国勃興のまえ中国のGNPは世界の七割しめていたそうな) なにしろ中印両国で世界人口の三分の一強。ブラジル、ロシアも急伸している。しかし人類が滅亡する前に国境なんて意味がなくなる時代がくるかもしれない、地球温暖化と水不足と食糧難・石油資源枯渇・核兵器…などを考えると国境と軍備に金をかける余裕などないはずだ。
  話は小さくなるが、日本はものづくりの技術はしばらくは世界一だったのに、急速にアメリカ化している。
  常陸のくに日立鉱山の営繕屋さんだった日製はなんであんなにたくさんごちゃごちゃつくるのかな。原発もつくれ洗濯機もつくれと忙しい。選択と集中でなくこれは拡散拡大。ぼろを着てても三千円で買ったばかりの小生の自動巻時計のように、会社も一点豪華主義がいいのでは。柳生さんのご意見拝聴したい。
  国兼さんのいう平安時代は、仏教美術の全盛期で原発のように「安全神話」が支配層にはびこっていたそうです。庶民は西方浄土・阿弥陀信仰。そこを虐げられていた武家が台頭して革命を起こした。
  朝日新聞に連載されていた吉川英治「新平家物語」23巻が中学の図書館にあった。先生が読みたくてこっそり買ったのだが、こっちも先回りして読みました。家では毎日新聞だったので吉川英治『私本太平記』。それから村の公民館にいりびたり「宮本武蔵」「親鸞」「太閤記」など読んだ記憶がある。
  なつかしいね。昭和30年~35年ころのあの時代、あの空気。あの空と流れる雲。スエズ動乱でナセル活躍していたな。
  ソ連の戦車がハンガリー侵攻の時代だ。そのソ連がなくなってはや20数年だ。ゴルバチョフさん、ブッシュどうしてるかな。菅はまだ四国巡礼か。
  いやあ世界の栄枯盛衰を語って一杯飲みたくなりました。
  小蔵ひでをさん。上野での新年会はまだですかー! お酒の熱燗がひえちゃうよー!
  利口元研究者の国兼さん 平家落人割烹屋琵琶の音で独りさみしく飲んでないで花のお江戸でやりましょう!!

2012年1月23日月曜日

栄枯盛衰・・・国兼

  コダックの破産を思うにつけ、この世のはかなき栄枯盛衰を思う。コダックは100年ほどかと!!!。選択と集中はともあれ、道ずれになる多くの技術者や間接部門等々の人々やその家族の「こんなはずでは・・・」という思いにふける。
 今年のNHKの大河ドラマ、「清盛」を久しぶりに見ている。吉川英治の「平家物語」をその昔、読んだことがあり、そのせいかも知れん。この平家一族も、琵琶法師の語る「栄枯盛衰」の正に典型的な日本版であろう。私の近くにも平家の隠れ落人という割烹屋がある。

 でも、翻って考えると、奈良朝時代の朝鮮での泊村江の戦いに敗れた時代の天智、天武の頃の緊張感を忘れてしまい、平安時代に蔓延したなおびやかな、おごり高ぶった貴族社会に一撃を加えたのが清盛とも言える。その意味では貴族社会から武家社会への大きな革新への道を拓いた人物であろう。帝やその臣下を島流しにしたりし、その後の源氏の天下で悪者扱いされたが貴族社会からの脱皮を行なった大きな変革者であろう。

 いずれにしても栄華は長くは続かないもので、かってのローマーも、モンゴルも、そして今日のアメリカもと思う。いわんや私の昔勤めていた利口なる会社も・・・・・。




概念の革新だ・・・猫跨ぎ

  
  世の中がどう動くのかを知るのは経営者の慧眼だけにかかるのかな。そうも言えないのではないか。名経営者といわれた人達が図抜けて優秀だったわけでもない様にも思う。度胸と負けん気は人一倍あったろうが。一口に言えば客観的な日本の置かれた環境が幸いしたのだろう。高度成長の波に乗って打つ手打つ手が悉く当たったということはあると思う。導入技術と自家薬籠中の技術の組合せがみなヒットした。それから最近、当時の為替レートが極端に円安だったと指摘するむきもある。安価な労働力、急拡大する国内市場で慣らし運転し、ついで海外へ大車輪で出て行った。みな上手く行った。高度経済成長の恩寵だ。
iPodをソニーが作れなかったのは、経営者が無能だったからだけではあるまい。後塵を拝したのには理由がある。客観状況を含め、そこを分析しないと同じ事を繰り返す。根本的には、物作りは秀でているが概念の革新は未だし、ではないか。

 ルンバなるものは娘の家で見た。気持ち悪いね。ただ充電量が残量僅かになるとフラフラしながら充電器に辿り着くという。この部分は可愛い。
まあ、独り住まいでは無用の長物だね。

「選択と集中」を論ず・・・褌子

   (株)利口の研究者であった國兼さんにはコダック倒産は感慨無量のものがあることだろう。
  大日本セルロイドという古めかしい会社の子会社だった富士フイルムが、いつの間にやらX線フィルムから発展して内視鏡カメラでオリンパスを脅かし、液晶テレビの表面フィルムで儲けているのだそうだ。
  コニカ・ミノルタはカメラからもフイルムからも撤退、事業用印刷機がたいそう売れている。IBMはパソコン部門を「選択と集中」で中国の聯想レノボに売却したときには、へーと思った。
 足尾鉱毒事件を起こした古河鉱業から古河電工 ⇒富士電機 がうまれて、その電話工事部門から富士通が誕生して世界的なコンピュータメーカーになった。
  トヨタも日産もむかしは紡績機械メーカー。東レはいまや炭素繊維で世界の航空機製造の大変革を起こしている。水俣病のチッソの子会社のチッソ石油化学は「鈴木カップリング」を活用して医薬品などで大もうけしているというから世の中も変わったものだ。
  旭化成もチッソからでた会社だが熊さんとこのヘーベルハウスが人気があるし、旭化成の子会社の積水ハウスが大手ハウスメーカーにのし上がっているから、ここら辺の「選択と集中」がおもしろい。
 エジソン生命があのエジソンのつくった会社のなれの果てというのは國兼発言ではじめて知った。
  ソニーは金融に進出したとたんに魅力のない会社になった気がするね。トランジスターラジオや録音機、ワークマンで世界制覇したが、最近はiーPodもiーPadも完全にアップルの後塵をはいしているくせにストリンガーとかいう社長に年間5億くらい給料払っている。
  ホンダもF1世界制覇のころが花だったが、いまは大きくなりすぎた。松下は松下政経塾なんてつくっちゃってできの悪い首相つくっちゃってどうなっちゃうことか。
  川崎重工という重厚長大企業が軽快なオートバイ・カワサキで人気があるが、むかし、白バイで有名だったメグロを買収したんだそうだ。へーそうなんだ。セイコーはクオーツでスイス時計メーカーをつぶしちゃったが、いま、電波時計よりも昔のレトロの自動巻が超人気なんだそうだ。さいきん、小生もクオーツやめて三千円の格好いい自動巻を買ってしまった。
  わが家の息子が小学生のときにはじめてラジオをみて感動。「テレビのあとからラジオが発明された」と思っていることを発見し親も感動。この息子は小学一年生のときに「学校でいちばんケンカ強いひとが校長先生になるんでしょう」といったり、小学卒業記念の色紙に「一攫千金」とかいて先生に笑われたことがある。この息子がお掃除ロボット=ルンバを買ってきた。
  横着者怠け者で財産が少なくて段差のない家には便利だね~。本当に便利だ。自分でちゃんと充電器に帰巣本能で帰ってくるんだ。家で飼っている犬とムンバは仲良しになるんだって。猫はどうか?
  猫跨ぎさんとこの猫もルンバと仲良くなれば一週間くらい外出可能になりそうだ。お試し下さい。
  ごめん、ごめん。「選択と集中」から話がそれちゃった。
  

そうコダックがねえ・・・猫跨ぎ

  コダックの倒産はびっくりしたが、反面まだいたのかという気持もちょっとある。それ程存在感が希薄だった。そういえばひと昔前ドイツに行っていたとき結構写真をとったが、店の店頭にはKodakとAgfaとFuji の三種のフィルムが並んでいた。地元メーカーのAgfaが主で、やや高くて高級品扱いがKodak。Fujiは残念ながら安売りの格下品の扱いだった。
Agfaはその後どうしたのかと調べてみたらとっくに倒産。いまドイツの化学会社がAgfaの商品名でほそぼそ販売しているらしい。Fujiだけが会社として生き残ったわけだ。
  デジカメという新製品があっという間に写真機市場を、随ってフィルム市場を席巻してしまった例だろうが、そもそもデジカメを最初に開発したのがコダックというから驚き。そう言えばちょっと前までコダックもデジカメを出していたが、すぐ失速した。こういう民生機器を実用化しブラッシュアップするのは日本は本当に得意なんだなと改めて思う。
電子技術とカメラ技術が両方備わっていた日本には所詮敵わなかったのだろうが。
じゃ、iPodはどうなんだ。何故日本でなくてアメリカなんだ、は色んな教訓を含んでいるんだろう。もっとも私は買わないが。

2012年1月22日日曜日

コダックが・・・国兼

  猫はともかく、危ないと言われたあのコダックが破産だという。会社に入った70年代、記録材料の研究をしていたが、そのお手本はコダックやラヴォアジェの弟子の作った会社デゥ・ポンの特許でであった。数十ページにわたる分厚い、そして請求項目が何十と、多い時には百を越え、その一つ一つに実施例がきちんと書かれている。その特許の中味と同時に技術者のレベルに圧倒されてしまった。我々の会社の方針は「質より量」と言うことで、ともかく特許を出したが忸怩たるものがあった。
 銀塩フィルムで得た巨大な資金で医薬品を初めとした種々の新規事業分野に投資していたはずだが、一昨日の新聞でその他大勢を既に売却していたと言う。新規事業に経営資源を投入しなければ、赤字事業のままで・・・やがては売却と。
 80年代の名経営者といわれたGEのジャック・ウェルチは「選択と集中」という方針で、GEはエレキのメーカーとは様代わりの金融や生保の会社へと変身してしまった(それを真似したのがソニーだろうが・・・)。エジソンも生きていたら驚いたことだろう。これに比べて、コダックは「選択と集中」を余りにも間違いすぎたのだろう。あんな優れた技術者集団がいたのにと・・・。愚かな経営者が会社をつぶすと言う典型的事例の一つなのであろう。そして、これはこの国の年老いた経営者にも十分当てはまることであろう。



懐旧談・・・  褌子

   『吾輩は猫である』の上巻を読み終えた。(漱石作品は有名すぎて、どれも読んでいるように錯覚していたがウソだったことが明らかになった)
  この上巻には、漱石のくわしい自序があって興味深い。
  漱石はロンドンにいたときに子規から明治34年11月にもらった手紙を全文紹介している。子規からの手紙の末尾に「書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉ヘ」とあって、「憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐もなく息を引き取ったのである…」と帰日するまえに子規が逝ってしまったことを慚愧の念で書いている。
 さらに虚子著「俳句の五十年」からの「漱石と私」という一文も抜粋してのせてあって俳句好きの角川書店の角川源義社長らしい。角川文庫昭和36年29版定価七拾圓。
  『吾輩は猫である』の下巻が本箱にみあたらないので、かわりに見つけた角川文庫昭和35年16版八拾圓也の『草枕・二百十日』を読み始めた。ここには(昭和36年2月26日新潟)とメモがあるから北大入試(東京の日大試験場)へ上京する折に買ったものか。結局、一浪となったおかげで翌37年入学となりhorohorokaiの英邁無比の諸兄に邂逅する幸運にめぐまれた。
  『草枕』もまことに非人情的俳句的小説であるが、読みはじめてみると味わい深い。解説は唐木順三が書いている。
  猫跨ぎさんもいぜん書いていたが、中川先生も当時、しきりに漱石を読みかえしていたようだ。先生のエッセイにも「漱石の『みち草』を憮然として読了したころ…」などとでてくる。あのころ、漱石をちゃんと読んで非人情の世界についての中川節をもっとききたかったな。
  漱石は40代で猫や草枕をかいた。中川先生自身も当時まだ40代だったんだ。
  昭和40年末ころからレトロ調竹下夢二風の装幀で岩波から『漱石全集』が復刻再刊されだしたころで、猫跨ぎ氏と「金があったら欲しいねえ」などと実験室で卒論さぼりながら話した記憶がある。50年前のこんな些事覚えていないだろうが
  【↑写真:尾道で午睡中の猫。猫はいつも裸で風邪ひかないのかな】

2012年1月21日土曜日

まあかにかくにですな・・・猫跨ぎ

今週は風邪でダウン。何年ぶりかで寝込んでしまった。寒いねえ。まあそこへ別世界の話ではありますなあ。元気さには脱帽。三膳飯は無駄ではなかった。
良い企画と思いますが、猫を抱える身としては、多分略一週間の旅程は不可能ということです。あまり落ち込まずとも、まだ応募はあるのでは。

反応があった・・・・褌子

静岡の逸徳さんという方から小笠原に連れて行って欲しいとの電話が今朝ありました。ほっとしました。
もう誰にも相手にされていないのでは…と沈み込んでいたが、暗闇に一点の灯をみたような気持ちで生き抜く元気がでてきた。

2012年1月19日木曜日

東京から千キロ南!断固行くぞぉ! 募る有志・・・・褌子


♪どんとどんとドント波乗り越えて~♪




写真は定期船「おがさわら丸」の勇姿 (東京⇔父島1000キロ)
小笠原海運が運航する「おがさわら丸」は、東京港竹芝と父島二見港間を結ぶ定期航路のアクセスとして唯一運行している貨客船。およそ週一回の運行予定で、片道約1,000キロを25時間30分で運行するフェリー。

2012年1月16日月曜日

『雲と猫』・・・・・褌子

  『吾輩は猫である』を寝る前にぽつぽつ読んでいる。
  漱石が日露戦争の最中の明治三十八年(1905)に書き出し高浜虚子のホトトギスに連載した。吾輩の猫が苦沙弥先生を観察しているころ、旅順を陥落させた号外が巷にまかれている話がでてくるが、先生のところに集まってくる迷亭や寒月など「太平の逸民」たちが日露戦争の行方にまるで関心がないのが興味深い。
  漱石は『三四郎』でも上京する汽車のなかで「先生」にいわせているように、ロシアに勝った勝ったと驚喜している日本と日本人の行く末を暗澹たる冷め切ったおもいでみていた。20世紀がはじまったばかりの百年前の日本。
  『坂の上の雲』が描く“血湧き肉おどる”日露戦争辛勝譚とはまったく対照的。司馬遼太郎自身、『坂の上の雲』は未熟な作品でミリタリズムを鼓吹しかねないからと映像化を拒んでいたことを思い出した。
  もっとも『雲』に正岡子規がいっぽうの主役級としてでてくる。(香山照之がテレビで好演)
  子規の俳句革新の遺志をついだのが虚子。虚子にすすめられて漱石が書いたのが『猫』であるから「雲と猫」の二つは百年をはさんで因縁がある。松山の『坊ちゃん』がとりもつ縁でもあるか。
  漱石は子規によって俳句の世界にひきづりこまれたものの、あまり熱心とはいえなかったが、俳句の諧謔精神が英文学的ユーモアのうえに『猫』には全篇横溢している。(まだ上巻しか読んでないが、山本健吉がそんなことをいっている)


2012年1月14日土曜日

みそひともじ・・・  褌子

  俳句の17文字では言えないものを31文字だと表現できる。
  が、17文字でこそ切り取れる瞬間もある。

   ・巻き戻すことのできない現実がずつしり重き海岸通り

��月11日以前に時間を戻してほしいと泣き叫んでいるひとをテレビでみた。
大事なひとを突然失ったひとは皆、何故だ! と叫びつづけていることだろう。
しかし、時間は巻き戻すことができないのだ。残酷で不公平だ。

   ・津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
何事もなかったように青い海原からよする白い波。
明仁さんの澄んだ素直な性格がにじみ出ているいい歌だね。
天皇制は嫌いだが、お人柄がかもしだす優しさに私はいつも好感をもっている。

2012年1月13日金曜日

歌会始 ・・・猫跨ぎ

三膳飯を食わねばならぬ理由が特に記されていないのを遺憾とするが、まあ米食を愉しんでいるのは
欣快にたえない。

一昨日皇居で歌会始があった。テレビ中継はうっかり失念したので、新聞を見る。今年の題は「岸」。
皇族のなかでは毎年、美智子皇后が図抜けてうまい。毎年感心する。
・帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
��津波による行方不明者や戦後の引き揚げ者ら、時代を問わず各地の岸辺でだれかを待つ人に思いをはせたという)と解説にある。

選者の作で印象に残ったのは永田和宏氏(細胞学者。去年逝った故河野裕子氏の夫)
・舫ひ解けて静かに岸を離れゆく舟あり人に恋ひつつあれば
やはり、相聞歌というべきか。

入選歌に奈良県 山崎孝次郎氏(72)の作。息子が出張地で被災した時に詠んだ。
・相馬市の海岸近くの避難所に吾子ゐるを知り三日眠れず

福島県の澤邊裕栄子氏(39)は震災後の海辺の状況を詠う。
・巻き戻す ことのできない 現実が ずつしり重き 海岸通り

茨城県 寺門龍一氏(81)
・いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く

歌会始の入選歌は庶民の素朴な呟きというのが特長と思われる。つまり技術的に高い震災の苛烈さを詠った歌の応募は沢山あったと思われるが入選していない。

最後に天皇歌は
津波来(こ)し 時の岸辺は如何なりしと 見下ろす海は 青く静まる
これもいいと思う。

re:三膳論・・・褌子

  ご飯三膳論がちまたの大反響をまきおこしているようで面はゆい。
  すべからく大和民族はしっかりコメを喰わんとだめ。パンだけ食っていては山登りも俳句もとても無理。
  まずわが家の飯茶碗だが、亭主のだけ沖縄の紅型模様の肉厚かつ小振りなんだ。そこに軽く、佐渡産の朱鷺米の炊きたてを品良くよそうのだ。(しゃもじは何の樹脂かわからんが不思議と米粒がくっつかない優れもの。なぜか婿殿の椅子が炊飯釜にちかい)
  そして口中調味。おかずは安上がりのヒジキいり煮豆でも目刺しでも固い沢庵でもよろしい。が特に、氷下魚(こまい=冬)や鰰(はたはた=冬)をさっとあぶって骨をばりばりと舌の上で飯とまぜながらかみ砕くのがたまらない。
 こころもち瞑目咀嚼数分、胃がはやく寄こせと騒いできたら、口惜しそうにおもむろにゴクリとやおら飲み込む。そのためかまだ虫歯が一本もない。
  こんなくだらんことを世に問うのも、百才まで生きた岡本文弥だったか、長命は半分は親からもらったもの、半分は芸のうちといっていたからだ。芸とは心がけと言うことか。
  半分のうちの半分は食い物といい酒だそうだ。あと残り半分は血流・気流。運動などあらゆる健康法はすべて血流・気流(自律神経のことか?)を高めるためらしい。
  ところで何のために生きるのかはっきりしてないひとはこんな話は馬耳東風か。

2012年1月12日木曜日

三膳論・・・猫跨ぎ

  ご飯三膳は多い。子供の頃、食パンの包装紙に「米の大食は短命のもと」と書かれてあった。昔は沢庵にご飯という食生活がホーケン的、非文化的とされ、改善すべき国民的テーマだった。それに便乗したパン屋の宣伝であったのは言うまでもないが、一分の真理はついていよう。とにかく毎食三膳もよく食えるね。胸焼けしないかい。見るところ余り考えず惰性の無駄食いが多いようだ。功を誇るわけではないが、私は毎食一膳、それも軽くだ。これが一番体調によろしい。ちょっと試みては如何か。頭脳労働に三杯メシは必要と何度か聞かされたが、減らすと更に研ぎ澄まされるのではないか。カミさんから誉められ、心苦しさから幾分は解放される。省エネにも資する。良いことづくめ。

仁句鑑賞・・  褌子

    仁ちゃん、年末年始と本当に大変でしたね。お悔やみ申し上げます。
  「生命とは」と発言したのが12月13日だったが、それから2週間後にお義母さんがお亡くなりになりました。喪主とは本当にお疲れ様でした。
―――――まったくの余談だが、おたがい婿殿は大変ですね。
  わたしなどはいつも、ご飯は三膳以下で遠慮している。文字通り名実ともに女房に喰わせてもらって子供までお産みいただいているので、肩もみなど年中やらされております。そのてん小蔵ひでをさんは社長様だから三膳くらい平気で食しているんだろうなあ。
  さて、猫跨ぎ句で「壜の罅」を仁ちゃんも私も特選とした。期せずしてビミョウかつ鋭敏な感覚の持ち主どうしであったことが証明されました。

・添書きの中に友居る松の内
うんうん、そうです。パソコン仕立ての無味な年賀状の添え書き部分だけ読む。細部に神やどる。
・青シート屋根に残りて大旦
   地震で瓦が割れて青シートで雨漏りを防いでいるのか
   大旦は「おおあした」と読むんですね。   
   新年早々また利口になってしまった
・はんぺんの一番に消え寒の空
   落語的風景がまことに俳諧的。はんぺんは駿河の料理人半平の創作によるのだそうです。
またまた利口になってしまった
・まゆ玉や緊急避難指定地区
   特選。まゆ玉という正月ののんびりした風物詩と地震・津波の避難先との緩急対照的。
・長押からじっと見詰る雪の音
   三味線がきこえてくるね。三つ指ついた中年増が、おひとつどうぞと熱燗で…
・野水仙黄門様の杖の先
   黄門様と水仙はすっごくあいます。黄門様の長年のテレビも終わった
・北国の時計の遅し日脚伸ぶ
   時間は、ひと様々で早くなったり遅くなったりするが、冬至すぎれば確実に春はくる。
・文庫本一枚捲りしづりかな
   辞典に、しずり=垂り=木の枝につもった雪が落ちることとあった。
   ゆっくり時間が流れているね。準特選か特選級。春も近そうだ。しずりの音が聞こえる。障子に日がさしている。 
・固い雪固い字のままチェックイン
寒いとボールペン持つ手も悴んでいる
・寒の入九十歳の骨砕く
これはもうお義母さんのことだね。

2012年1月11日水曜日

お疲れ様でした・・・猫跨ぎ

  晦日から正月にかけて大変でしたね。まずはお悔やみ申し上げます。
私の両親は比較的楽な往生だったとは言え色々あった。闘病の末というのはなかなか切ないものだろうね。人の最期は、複雑なさざ波を周りに残して逝く。時間が癒してくれるのを待つしかないね。本当に時の経過しかない。ご苦労様でした。

仁句鑑賞。いつものように勝手な鑑賞であるが。

・はんぺんの一番に消え寒の空
多分、家族でおでん鍋を囲んでいる風景。口当たりの良いはんぺんが先ず売れてゆく。はんぺんの白さが寒の空と響き合う。
・北国の時計の遅し日脚伸ぶ
お葬式の一風景と思われる。日影のうごきが分かるほどの時の流れなのだが。
・文庫本一枚捲りしづりかな
これも同じ景か。読むともなく文庫本の一頁を捲る。外は雪の垂りが。特選。
・寒の入九十歳の骨砕く
そう。骨箱にそのままでは収まりきらないんだ。普通は第三者の係員が擂り粉木のような棒で無機的に押し込む。骨の砕ける音。はっと我に帰る、訣別の時か。

函館通信168・・・松の内・・・仁兵衛

 正月皆夫々に過ごされた様ですな。私もやっと今日になってこのブログを読むことが出来るまでに来ました。
 暮の30日18時過ぎ89歳の義母が大往生しその後大変な正月になりました。二日に通夜、三日に告別式とどうにかこなし五日に初七日と骨納めを済ませ自宅に戻ったのが九日でした。地方によっては正月は悔みをやらない所があるのでしょうが身内だけで進めました。しかし、結局はその身内だけでも五十人を超えてしまい喪主としては心身共に疲れ果てました。
 
 こんな状況下で猫跨ぎさんの句評をさせて頂きます。これが又気分転換になり何とも云えぬ喜びですな。
・沢庵を提げ日本橋渡りけり ・・・小伝馬町当たりだったかベッタラ市で大根を買っていわき行きのバスに乗るために日本橋を渡って東京駅まで歩いたのを思い出している。
・不定形に無定形に牡蠣盛られ ・・・不定形は良く判るが無定形を加えたのが新鮮に思える。作者の深層が少し見えるような気がする句だ。
・戸棚より鍋ずり落ちて冬至かな・・・ユーモアを感じる句だ。鍋は大きさ順に重ねて置きましょう。
・夜更けには雪になるらし壜に罅・・・下五の壜に罅が何と言っても効いているね。緩やかな自然現象の前半表現を目の前の小さな罅に溶け込ませてしまう手管は上手いとしか言いようが無い。特選。

 それでは負けじに拙い句をそっと載せましょう。
  添書きの中に友居る松の内
  青シート屋根に残りて大旦
  はんぺんの一番に消え寒の空
  まゆ玉や緊急避難指定地区
  長押からじっと見詰る雪の音
  野水仙黄門様の杖の先
  北国の時計の遅し日脚伸ぶ
  文庫本一枚捲りしづりかな
  固い雪固い字のままチェックイン
  寒の入九十歳の骨砕く


がんばって生きていこう・・・褌子

・枯芝の傾斜夕日の滑り落ち
不思議な視野と焦点をもつ。受験生には禁物
・擦り寄りし猫の頭や冬の雨
  愛し合ってるね。
  尾道で坂の土塀の上なんぞに猫がのんびり寝そべっていたなあ
・沢庵を提げ日本橋渡りけり
  沢庵の匂いまでしてきた。天下の日本橋に沢庵が面白い
・秋冷や無言館に杖倒れ
信州と無言館と秋冷…杖倒れが哀しい
  紫陽花に秋冷いたる信濃かな 久女 を思い出した
・不定形に無定形に牡蠣盛られ
  殻からもぎとられた牡蠣の実ほどブザマなものはない。ましてや盛り上げたら。
  不定形に無定形とまで言われたら、もう喰われるしかないなあ。俳人にかかったら最後なんでも俳句の種になるのだ。  
・シクラメンまづオカリナの音合わせ
  品がよすぎる。シクラメンの君はなんというか
・戸棚より鍋ずり落ちて冬至かな
  夕陽がすべりおちたり、鍋がずり落ちたり受験生には困ったひとだが、この句、冬至の光の乏しいわびしい景が実によくで  ている。昭和27年ころを思い出した。何となく寒く何となく腹減っていた。準特選
・かにかくに猫に噛まれしクリスマス
  クリスマスプレゼントに愛猫に小指をかまれて喜んでいる。相当に愛し合っている。微笑ましい。
・暖房車すぐ乗客の貌となり
  ?  寒風のなかタクシーの乗ったら暖房が効いていた?
・夜更けには雪になるらし壜に罅
特選。罅は、ひびと読むんだね。壜に罅か。わびしいなあ。がんばって生きていこう
  川柳に  明日の朝目がさめるとは限らない  というのがあったけど、また目がさめること信じて生きるのだ

2012年1月10日火曜日

最近の十句・・・猫跨ぎ

  人間の細胞は60兆個あるとか(違ったかな)。それは生きるべく定められている。ところが頭の片隅に変な衝動が生じて自殺なんてしてしまう。極めて反生物的衝動だ。ところで生命はいずれ死に行く機能を内包している。つまりマクロに新陳代謝というメカニズムがそうで、いずれ死に、新しい組織に入れ替わる。いやオレは死なない、永久に生きるという鬼っ子がガン細胞だ。この辺も何かあべこべの感じがして、深いなあ。
この辺にして俳句といこうや。仁ちゃんがお待ちかねだ。お先に最近の10句。

・枯芝の傾斜夕日の滑り落ち
・擦り寄りし猫の頭や冬の雨
・沢庵を提げ日本橋渡りけり
・秋冷や無言館に杖倒れ
・不定形に無定形に牡蠣盛られ
・シクラメンまづオカリナの音合わせ
・戸棚より鍋ずり落ちて冬至かな
・かにかくに猫に噛まれしクリスマス
・暖房車すぐ乗客の貌となり
・夜更けには雪になるらし壜に罅

『誰がために鐘はなる』・・・ 褌子

『誰がために鐘はなる』ヘミングウェーは映画でみました。若き日のイングリッド・バーグマンが良かったがあとはあまり記憶がない。
  しかし、映画の終章でこの詩がながれたのだけが印象深い。

生きなければ2・・・・逸徳

ひとつ書き忘れた。 人間は、生きるように作られている。自殺はその機能がうまく作動しないのである。 笑い話をひとつ。
死にたい、死にたいと言い続け、何回も自殺を決行して未遂に終わった男がいた。彼があるとき、食事をしていて、のどに食物を詰まらせた。くるしんで、じたばたところげまわったので、みんなで必死で介抱したら、何とかのどにつかえていた食物がとれて、はきだした。その瞬間、彼は思わず言ったそうな。「あああ苦しかった、死ぬかと思った・・・・・」 この話、すごく面白いと思う。
あるいは、突然かれに熱いアイロンか何かを押し付けたら、おこって思わず「何するんだ! 殺す気かっ」と怒鳴らないか。 これも面白い。ちとやってみたい気持ちになる

生きなければ・・・・逸徳

自殺の研究をしたことがある。きっかけは、勤務校の1年生の自殺だったが、1年かけていろんなことを調べた。 いろんなことがわかったのだが、ぎりぎりのことをいえば、実は自殺はいけないということを論理的に説明はできなかった。つまり自殺したいやつを、説得するのは極めて困難なのだ。キリスト教ですら自殺はいけないという話は聖書にはでてこない。おぞましいのは、中世のキリスト教が自殺は罪だといっているのだが、それもぶっちゃけいえば、死なれると免罪符や教会税なんかの収入がへるからだということだったらしい。自殺の歴史は興味深い。ナンセンスだが法律で自殺を禁止した国もあったのである。
 自殺の中には、実はうつ病が原因のものがだいぶあるようである。おそらく半分以上は該当するのではないか。これは病気の結果なのだから、本来は正統的?自殺には区分できないだろう。ただし正確な割合はよくわからない。死んだ人にはアンケートはとれないので。したがって、うつ病対策は自殺防止の第一歩だということは、ほぼ専門家の意見は一致しているようだ。うつ病については劇的にこの数年、薬が進歩してきている。
 精神分析的にいえば、自殺とは殺人である。ただ、加害者と被害者が同一人物なのである。したがって、自殺者は多くの場合、強い攻撃性を持っている。さらに自己否定感である。こんな人間は生きていてもしょうがないという気持ちと、攻撃性がいっしょになると自分に対して攻撃してしまう。だから、攻撃性と自己否定感をいかに低下させるかが問題になる。さらに、再生願望を指摘する意見もある。つまり生まれ変わり願望である。リセットしてやり直したいのである

 自殺を止める説得の論理はないといった。では、最後の手段としてどうするか。それは「お前に死なれると、おれが困る。さみしくて悲しい。」という率直な思いをぶつけることだという。ここでいつも、「誰がために鐘はなる」の最後の詩を思い出す。
  
なんぴとも一島嶼にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
ひとはみな大陸の一塊 本土のひとひら
そのひとひらの土塊を 波のきたりて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは
さながらに岬の失せるなり
汝が友どちや汝みずからの荘園の失せるなり
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺ぐにひとし
そはわれもまた人類の一部なれば
ゆえに問うなかれ 誰がために鐘は鳴るやと
そは汝がために鳴るなれば

要するに、お前が死ぬことは私が死ぬことなのだという、この論理だけがなんとか、自殺者のこころに届くかもしれない最後の細いいとのように思っているのだが、それが可能なだけの人間関係の絆がないとだめかもしれないなあ。

このことにかかわるもう一つのエピソードがある。サンフランシスコの金門橋はかって自殺の名所だったらしい。今はできなくなったというが。で、橋のうえから飛び込むとき、太平洋に面した海側に飛び込むか、それともサンフランシスコの陸地が見える側に飛び込むか。圧倒的に9割以上がサンフランシスコが見える側に飛び込むときいた。これは、最後の最後まで人間が生きている社会とのかすかなつながりを、無意識に求めているのではないか、という意見がある。何となくわかるような気がする。

もう一つ恐ろしい想像。飛び降り自殺というのがある。あれ、飛び降りて、地上に激突するまでのわずかな時間に「あ、やっぱりやめときゃよかった」と後悔の気持ちがわくやつはいないだろうか。そういう瞬間を想像すると、ものすごく怖い。おそらく想像できるもっとも怖い空想のひとつだ。
 
  

『生きる』・・・・褌子

  人間の存在そのものが奇蹟なんだから「だから人間は生きなければなりません」といっても、閉塞感に絶望している人びとには意味があるんだろうか…。
黒澤明『生きる』を昨夜TVでひさしぶりにみた。
 市民の要望などはたらいまわしにして書類の山にかくれてハンコだけをついて来た市民課長(志村喬)が突然、ガンで余命半年と知った。
  「生きながら死んでいた」この汲汲と保身だけに生きてきた男は、残された半年をさあ、どう生きるか。
  「おまえならどう生きる?」と40数才の黒沢監督が当時の日本人に(昭和27年公開作品)つきつけている。敗戦後の占領下、朝鮮戦争という他民族の犠牲で一息ついている日本人、市役所幹部たちの方向性を見失った姿や風俗の頽廃、そして食うために必死の女や遊び回る子供たちの姿が活写されている。
  黒沢はこの『生きる』のあと2年後、昭和29年に『七人の侍』を世に問うた。
 『生きる』の小心者の主人公志村喬は、七人の侍の筆頭格島田勘兵衛になった。
 千秋実、加藤大助、宮口精二、木村功、藤原釜足、左卜全などの三船敏郎、稲葉義男をのぞくメンバーがそっくり『生きる』に登場している。
  『生きる』で深くもぐった黒沢組のエネルギーは『七人の侍』で大爆発したのだ。
 日本映画の全盛期をつくった彼らはすべて鬼籍にはいったが、傑作はいつまでも日本人の心に生き続けて、人間の生きる意味を問いかけ続けている。
  

2012年1月8日日曜日

だから人間は・・・猫跨ぎ

「だから人間は生きなければなりません」の結論に行くために、自然科学で得られた諸知識を援用している。いや、それはそれで結構だが、そういう事なら数千年前の釈迦やキリストはいかなる予備知識なしに気付き皆に伝えた。自然科学はそういう観点から言えば現代の宗教といえるのかも知れないなあ。
新年早々、褌子氏のトークは熱を帯びる一方だ。

  暗黒物質とは、今のところ痕跡ほども実在を確かめられていないのに、そう言うものを仮定しなければ宇宙の構造を説明できないということから提案された。
湯川博士の中間子論だって、そういうものを仮定しなければ原子核構造を説明できないということから考えられた。後になって中間子が実験的に証明されてノーベル賞となった。暗黒物質は、我々の物質界とは異なるらしいから証明は一段とむずかしかろう。空を掴むような感じがする。まあ物理学の残された最後の大きなテーマなんだろうが。そういう事柄を構想すること自体が、不思議だという話に逆戻りする。

  マクロな宇宙論とミクロな素粒子論はセットで議論される。その素粒子論研究に欠かせないのが加速器。ところで直線形の加速器として現在計画中の国際リニアコライダー「ILC」構想があるらしい。従来のサイクロトロン形式では電子や陽電子をカーブさせるときにエネルギーが多く失われ、十分に加速できない。そこで提案されたのが、電子と陽電子を「直線的に」加速して衝突させるILCである。地上に「ビッグバン」をおこし、宇宙のなぞを解き明かす巨大な素粒子実験装置である。ヒッグス粒子とかの証明実験を高精度で実施できるとか。円形型では世界最大がスイスのCERNの装置で一周27キロm。このILCは11キロmという。これを日本に誘致しようとする計画がある。候補地として佐賀県と岩手県が名乗りを上げているとか。新しい雇用も期待できるというから実験装置というイメージを遥かに超えている。建設費7000億とも。鉛筆と紙で成立する世界ではとうになくなっている。そういう段階なんだ。

宇宙と人間を文学的に表現すると・・・・  褌子

   下に私が紹介した宇宙論を俳句でなくて、井上ひさしが文学的にこんな風に書いているので紹介したい
―――――井上ひさし『きらめく星座』(1985年)からの引用ですが広告文案家(今で言うコピーライター)のこと――――
・・・・  
僕は広告文案家です。
この宇宙には約四千億もの太陽が、星があると申します。それぞれの星が平均10個の惑星を引き連れているとすると、惑星の数は約四兆。その四兆の惑星のなかにこの地球のように、ほどよい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつあるでしょう。
たぶんいくつもないでしょう。
だからこの宇宙に地球のような水惑星があること自体奇蹟なのです。水惑星だからといって、必ず生命が発生するとは限りません。ところが地球にある時小さな生命が誕生しました。これも奇蹟です。
その小さな生命が限りない試練を経て、人間にまで至ったのも奇蹟です。そしてその人間のなかに、あなたがいるというのも奇蹟です。
こうした何億兆もの奇蹟が積み重なった結果、あなたもわたしも今ここにこうしているのです。
わたしたちがいる、今こうして生きていられるというだけでも奇蹟のなかの奇蹟なのです。
人間は奇蹟そのもの、人間の一挙手一頭足も奇蹟そのもの。
だから人間は生きなければなりません。


2012年1月7日土曜日

RE:気の遠くなるやうな の続き・・・褌子

   ことしからカミオカンデの東大宇宙線研究所と数物連携宇宙研究機構が共同でXMASSという素粒子検出器を神岡鉱山地下に建設し暗黒物質の探査が始まる。
 一つひとつの銀河からの光が暗黒物質の「重力レンズ効果」で曲がり、ゆがんで見える銀河がどこにあるか。これを調べれば、その手前にある暗黒物質の分布図ができる。
 宇宙の加速膨張がどんどんすすめば将来、宇宙は引き裂かれることになるがそんな悪さをする暗黒エネルギーの暗い性格(笑)もわかるかもしれない。
  国立天文台のすばる望遠鏡(ハワイ・マウナケア山頂)が暗黒エネルギーを調べる「すみれ」プロジェクトも今年はじまる。
 アンデスの標高5000㍍のアタカマ沙漠に建設された国際天体観測プロジェクト「アルマ電波望遠鏡」の初期観測も昨秋から始まった。解像度は「すばる」やハッブルの約10倍。宇宙ができてまもないころの銀河、星の誕生、太陽系のような惑星がどうやって生まれるのか137億光年の過去にむかって探査をはじめている。光ではみえない宇宙にただよう極低温(-260度)のガスやチリを観測し生命の起源となるような物質が宇宙に存在するのか、宇宙空間の原子や分子の組成を調べて物質進化を探るのだという。
  宇宙は何からできているのか、われわれは何から生まれどこへ行こうとしているのか、137億年の宇宙の歴史を人類はこの50年で(アインシュタイン没年は1955年)理論と日進月歩の観測技術で着実に理解しはじめている。
   宇宙進化のひとつのちっぽけな産物たる人類の脳髄もなかなかやるではないか。
   猫跨ぎさん、仁ちゃん、ここんところあたりを俳句でお願いしたい。
   意外や意外、宇宙の果てをやっと覗いたら、そこにこちらを覗いてる自分がみえた。宇宙なんて極くごくシンプルだったなんてことになり、17文字にぴたり納まちゃったわい、なんてことになると面白い。

RE:気の遠くなるやうな・・・褌子

  ■年末にTVでみた東大数物連携宇宙研究機構長の村山先生の話を簡単に紹介する。
 宇宙は原子から出来ていると思っていたが、2003年を境にその認識が変わった。宇宙のなかで人類が知っている物質(原子)は全体の4・5%しかない。約23%が暗黒物質、約72%は暗黒エネルギー。ハッブル望遠鏡や電波望遠鏡でみている星と銀河は0・5%未満。宇宙をしめる9割の正体が人類にはまだ未知なので暗黒物質、暗黒エネルギーと呼ぶことにした。
 ■なぜ、光や電波では見えない暗黒物質、暗黒エネルギーが宇宙に満ちているとわかるのか?
 たとえば、地上をコンパス(方位磁石)をもって移動すると大きく針がふれればそこに地磁気を乱す磁石があることがわかる。宇宙観測でつかうのはコンパスでなく光だが、宇宙の遠くの星雲からの光が重力で曲げられる「重力レンズ効果」を調べると、強い重力の源である未知の暗黒物質の存在を示す証拠が次々とでてきた。
 銀河や銀河団は、実は暗黒物質の集まりのなかにちょろちょろっとあったのだ。暗黒物質の重力がなければ、宇宙に銀河も太陽系も生まれないし、太陽系も天の河銀河にとどまっていられないのだ。 
■ここで大きな謎がある。
 137億年前のビックバンで膨張する宇宙の総エネルギーは、暗黒物質や銀河など観測できる物質のエネルギーを合算してもぜんぜん足りない。その引き算をしてでてくる未知のエネルギーが「暗黒エネルギー」である。
■アインシュタインの重力法則では宇宙の膨張速度は宇宙空間のエネルギーで決まる。 宇宙が膨張すればするほどエネルギーは薄まるので膨張速度は遅くなるはず。
 ところが驚くべき事に、1998年の観測結果で70億年前から宇宙が加速膨張していることが昨年ノーベル賞を受賞したパールミュッター、シュミット、リース博士らの発見で明らかになったのだ。
 宇宙が加速膨張しているなら、宇宙全体のエネルギーは薄まるどころかどんどん大きくなっているのだ。だからこの宇宙の約72%が未知のエネルギーすなわち暗黒エネルギーで満たされていると考えるしかない。

気の遠くなるやうな・・・猫跨ぎ

  寒いねえ。これから新年最初の句会に出掛けるところ。飽きもせずよく続くと思われるかもしれないが、不思議だねえ、我ながら。なに、俳句に限らない。マラソンなど、苦悶の表情を浮かべながら何故人は走るのか。
  別に北朝鮮に限った積もりはないが、不思議さの物差しを振り回せば、あれもこれも不思議だ。この人間が繰り広げる諸事万端、みな何がしかの不思議さを伴っている。
宇宙の不思議さだって、それを構想している人間がいる。それがもっと不思議だ。そんな事柄がたった数㎏の脳髄のなかで営まれている。それをこうやって想っている。気の遠くなるような入れ子ではないか。

宇宙は驚くべき事柄に満ちている   褌子

  ↓の 国兼発言にびっくりしている。国兼家がいちばん悠々のんびりと年末年始をすごしているのではないかと勝手に想像していたことを心からおわびしたい。奥方様の全快をお祈り申し上げます。
 ことし一番の教訓である。「世界中の70億人の一人ひとりに一つひとつの人生がある」ということ。
 ところで紅白歌合戦はもう長いことみていません。松田聖子、天童よしみ、和田アキ子とかなつかしいが顔もだんだん思い出せないくらいだ。しかし年末の忘年会で北島三郎「函館の女」や石川さゆり「津軽海峡冬景色」を大声で歌ったら泪がでるとこでした。
 地デジ強行のせいでテレビを買い換えBSをよくみています。特にコズミックフロントは面白かった。
 宇宙の加速膨張が証明されたこと、宇宙の大部分はダークエネルギーとダークマターで満たされているがその正体がまだわかっていないこと。そしてあらためて広大無辺の大宇宙の一点にわが銀河系があり、その銀河の一点にわが地球があることを再認識した。
 この地球に誕生した生命のひとつとして今を確かに生きている。
 いくつかの元素を構成要素にした無数の細胞からわが身がなりたち、将来死してその元素はまた他者をも構成してゆくが、ひとつひとつの細胞内のDNAは35億年まえの生命誕生までつながっているらしい。
 まさにこの宇宙は驚くべき事実に満ちているのである。
 (猫跨ぎさんは世界は信じがたい事柄で満ちていると北朝鮮などをあげている。そのグロテスクさはまったく同感だが、わが日本社会が産み育てたオウム真理教や創価学会の内実もまたミニ北朝鮮だといえるかもしれない) 

2012年1月6日金曜日

孫話のついでに・・・国兼

未曾有の天災があったとはいえ、我が家では今年もそれなりにいつもと代わらぬ年末と新年が迎えられそうだと思っていた。
 それが何としたことか、22日に息子の嫁さんと孫4人が来てから狂いだしてしまった。原因は乳飲み子の孫がノロウイルスなる厄介なウイルスをお土産に我が家に持参したためである。25日夜半にその孫が高熱を出し救急病院へと、それで収まれば良かったのだが、何と27日からカミさんがノロウイルスの大人バージョンのロタウイルスに感染し激しい嘔吐と下痢に襲われ、再び病院へと搬送。私もロタに感染してはとカミサンを2階に隔離。お陰で正月のおせち料理の準備はおろか、恒例の除夜の鐘付きも、そして正月3ヶ日の間だけ羽織・着物を着てお神酒をめでると言う結婚以来の私の習慣もパーに。カミさんも2日目から持ち直しつつあるが、大人が罹ると長引くね。
 10日に帰る予定だという。「帰ってくれると直嬉し」は実に至言だ!!ひどい年末年始で、あと数日と指折り数え、もう少しの辛抱だと言い聞かせながら老夫婦で耐えている今日この頃の生活である。

2012年1月5日木曜日

民主党 ・・・猫跨ぎ

  おや熊さん元気そうだね。ご同慶です。
民主党もマニフェストなど舌を噛みそうなことを言うからこんなことになった。公約と言っておけば、不履行になってもこんなに目立たなかったのに、と皮肉の一つも言いたくなる。民主党政権が発足したとき、もしやと支持した。明治以来の太政官政治の変革、つまり役人がすべてを決め政治家があとで追認する政治の終焉。敗戦後の米国に依存する外交からの脱却、つまり真の独立。一時とはいえ夢を見たこちらが悪かった。
結局、国是をしっかり提示出来ない悲劇なんだな。とは言え世界第二位(三位か)の経済大国であれば、短兵急なことも出来ない。慣性モーメントがあるからね。政策の大半は弥縫に終始するんだろう、好意的に言えばだけど。それにしても明日の我が身大事の陣笠達の右往左往は見苦しい。何となくファシズムの臭いも漂う。まあこの辺りの話は正月早々でもあるし何れかの機会にしたいと思う。

 怖くてカミさんの顔を見れなかったか。何となく逸徳氏の立ち位置が判る話だなあ。童話と併せて、昨年の拙句を思い出した。童話へのオマージュも含めて。
・アネモネや童話だんだん怖くなる

熊さんことしもよろしくお願いします。

熊さんおめでとうございます…ではやっぱりまずいね。
ご母堂様も97才とは本当に御長命でしたね。熊さんもあらゆる病気をのりこえて長生きしそうです。ことしも九州からの発言をお待ち申し上げます。
…またあとでゆっくり新年のご挨拶を長々と申し上げます。

おや熊さん おめでとうござんす・・・・逸徳

「孫はかわいい 来てくれるとうれしい 帰ってくれるともっとうれしい」という名言がある。 おいらのうちも、娘が30日まで働いているので、5歳と3歳の女の孫を28日から5日まであずかった。娘が来たのは30日だから、最初の2日間はこどもだけで、特に28日は女房も仕事なので、おいらが完全に1日めんどうを見た。お師匠ではないが、くたくたになった。 生物学的リズムが合わないのだ。まあ当たり前かもしれんが。しかし、ひとつだけ考えさせられたことがある。3歳の子だが、言語世界がひろがりはじめて、身の回りの現象に対する反応がすごく素直で、エネルギーいっぱいに感動を全身で表現する。図書館の絵本コーナーにつれていったのだが、すきな絵本をみつけると全身で喜びをあらわし、自分でペーシをめくるたびに言葉にならない歓声をあげて、絵に反応する。いや確かに、豊かな外界からの情報に、まったくなんの計算もなく素直に喜怒哀楽をあらわすのは、人間の最初の段階ではそうなのだと思う。それが今の自分にはできない、何層もの時間が作りだしたへどろのような層のずっとしたに幼児のような感性は沈殿してしまったのだろう。なくなってしまったとはいいたくないが。そこで一句。
  老いるとは 恥ずかしきこと 古希迎え・・・・・ いや、本当に恥多き人生であった。・・・・・・ なんちゃって。

で23日からの長崎の旅、北大童話研究会の長崎在住の旧友との再会が第一の目的なのだが、実はかくれキリシタンに興味があり、聞いてみると五島列島がいいという。しかし、長崎から船で渡ると、この季節だ。島流しにあう可能性もあり、迷っている。どうしようかと朝飯のとき女房にいったら、いいじゃないの、別にこっちにすぐ用があるわけじゃないしと言われた。つまり、いてもいなくても関係ないということかと、思わず女房の顔を見たが、怖くてそこまではいわれなかった。どうしようかなあ。


2012年1月4日水曜日

新年のご挨拶    九州の熊

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年10月に母が97歳の極楽大往生。慶賀の礼を控えております。何人かの方から年賀状をいただきましたがとりあえず年始の挨拶だけでご勘弁ください。(実は3年ほどまえから年賀状というものを自分勝手にやめましたので訃報があってもなくても結果は同じなのですが・・。済みません)
まったく切ない世界になりましたねぇ。北朝鮮、原発、民主党政権、・・。
キムジョン○○と後継ぎのジョン△△。だれがみても常識はずれ。北朝鮮関連の報道でいつも思うけど一国の主(あるじ)として自分のやっていることを、冷静に、客観的に、社会正義に照らして、じっと見つめることはないのだろうか、と。自国統治の道具としてインターネットだってあるだろうし、世界中の出来ごとの細かい情報だって知っているばず。膨大な軍事費を地道な生産活動開発に向けて牛歩の歩みでも少しづつ、少しづつ這い上がる努力を積み上げたらいいのにと思うのだが・・。ひょっとして国内の現実の諸事や国際的な位置付け、力関係を冷静に判断してこれしかうつ策はない、と考えての行動だったりして・・。ああ嘆かわしきや、為政者と国民大衆の意識のずれ。・・・待てよ、これはかのジパングという国の姿と同じではないか。あな恐ろしや!
民主党政権の迷走は底なし沼。どじょうだから沼が住み心地よしなのか。でもわたしは野田総理の政権運営を当面は支持したい。いまの世の中の諸問題を万人が、いや半分でも納得する即効性のある合理的な施策を造り上げるのは不可能だと思う。だからそれに近い策で少しづつ前に進むことが必要。永い目でそれを進めてもらったらいい。2~3年で結果が思わしくなかったら選挙で退陣の判定を下せばいいのだ。けしからん、無策だ、と批判するのは簡単だけどじゃあどうするのがいいのという問いかけには明快な回答が返ってこない、とにかくお前じゃだめだ、という主張は建設的でない。消費税率アップ、結構。困っているんだからみんなで負担を分かち合って苦境脱出に協力すればいいではないか。消費税を上げるという政策を進めたら選挙で勝てない、だからそれを今は言うな、という言い分はわが身の保身しか考えていない狭量な戯言だ。先日の新聞に森喜朗元総理が「自民党は消費税率アップに賛成であることを表明すればいい。民主党から政権をとり返したときに同じこと(消費税率アップ)をやることになるのだから・・」という記事が載っていた。自民党長老というのはあまり好きではないがこの発言は冷静、建設的だ。

2012年1月2日月曜日

世界は信じがたい事柄で満ちている・・・猫跨ぎ

  息子一家が帰っていった。小さな孫たちの限りない運動量と好奇心にはへとへとになるが一種の感動すら覚える。それに比して、こちらは酒が入ると直ちに眠くなり、こっくりの状態。周りに呆れられる始末だ。アルコールが火付け役になって、かっと諸事万端に関心が広がり時に悪口雑言をまき散らしたあれは一体なんだったのか。これひと言、加齢の故か。とにかく酒量が減った。独りでしみじみ飲むという習慣が余りないので、自然酒類から遠ざかる。弱くなったと認めるしかない。
  昨年の原発事故は、実際どうなることかと思い、暗澹を通り越した終末感に捕らわれた。自衛隊のヘリコプターが原子炉上空へよたよた飛んで来て海水をぶちまける映像は絶望感を通り越して滑稽感に満ちていた。そんな事を思い出す。まだ一年も経っていない。あのころのどん詰まり感から見ると、いまの「冷温停止」状態は、批判はあるが、まあよく此処まできたと感慨すら覚える。容易ならざる患部を抱えて日本は生きて行かねばならぬが、一病息災ではないが、増長、傲慢にならず、リアリズムを認識する契機として受容するしかあるまい。
  北朝鮮の金正日の葬式が放映された。泣き叫ぶ大衆。あの刈り上げ頭のぶくぶく肥った若者を、崇高な領袖としてこれから押し戴き、皆付き従うそうだ。社会学の極北の存在、金王朝というには余りに奇怪、醜悪、喜劇。あきらかに二十世紀が生んだ信じがたい恐るべきカリカチュアだ。
  人間はこのリアリズムの真逆の劇場にいつまで耐えられるのか。どんな演劇よりもすごい。演劇を愉しむ観客は見終わった後のカタルシスを予測しているが、こちらは終わるという想像力も禁圧されている。リビアの国民はカダフィの殺害を想像しえたのだろうか。
しかし、世界は信じがたい事柄に満ちているなあ、実際。なかなか老いなんて言っていられないか。

2012年1月1日日曜日

坂の上の一朶の白雲めざして・・・褌子

 年末年始のスキー旅行の事務局を4年ぶりに罷免された悦びもつかのま、大晦日の夜まで寒風のなかガラスふきとデッキのペンキ塗りまでさせられ腰が痛くなりひどい目にあった。(四年、煤逃げしたつけか。ああ國兼家がうらやましい。でも、夜のBSの「コズミックフロント」は面白かったな)
   きょう元旦は4年ぶりに年賀状というものを書いてみた。逸徳様からのお年賀状で絶海の小笠原旅行へのおさそいをうけてつい快諾する旨のお返事を軽率にもだしてしまった。(山田大邦さんの年賀状にはユキムシの写真展をひらき、原発ゼロめざしチューター活動をやっていると書いてありました。松沢君、宮崎君からもきました)
   逸徳さんは一月そうそうから美人の湯で名高い長崎・嬉野温泉に泊まるんですか。奥方様に内緒で美人とあえそうな混浴の宿などさがすか、ですか。ムヒヒヒってどういう意味でしょうか。マントヒヒの亜種? どうも静岡弁は下々にはわかりません。
   ことしこそはhorohorokaiブログは坂の上の一朶の白雲めざして清く美しく格調高く行きたいと思っていたんだが…  やっぱりはかない望みだったんですね。いやあきらめない、私は最後のひとりになってもがんばる。

あけましておめでとうございます・・・・・逸徳

みなさん あけましておめでとうございます。と書きましたが、本当はおめでたいんだかなんだかよくわからん新年を迎えた。考えてみるとなんだか毎年、なんという新年だという怒りや愚痴やためいきをついて年が明けていたように思えるが、今年は特別ではないか。福島の決着は、結局は我々が死ぬまでは間に合わないだろう。つまりこれからは、じわじわと進む巨大な悲劇、あるいは進行形の犯罪と並走しておいらたちは年を取らなくてはならない。何ということだ。瞬間的な悲劇は、それがどんなに巨大でも時間とともに「忘却」という精神安定剤が作用する。 だが、放射能汚染はそうはいかない。忘れさせてくれないのだ。静かに時が過ぎて、平穏のうちに死を迎えたいと思っていたがどうもそういうわけにはいかないだろうと思う。
 煤逃げについて。いい季語だ。だが、女房の愚痴などというものは、あれをまともに愚痴として聞いていたら体がもたない。 だいたいが、戦場に出てだ。頭を上げていたら弾が当たるではないか。そういう時はひたすら、じっと頭を下げて、弾の通り過ぎるのを待つ。日本語として聞いていてはいけない。論理を超越した単語の羅列は高等数学か、ゲーム理論の適用でもしないと解読できない。そんなことをするようなむだな時間は我々には残っていないということを自覚しておくことだ。そうすると、あたまをさげているうちに「あ、今夜の酒の肴はゆず大根と湯豆腐だな」などという、神のごときひらめきが降臨することがある。いいか。頭を上げると弾が当たるぞ。気をつけよう。
 だいたいだ。掃除がきらいという老化の仕方がいかん。周囲を観察するとどうも掃除のすきな老人と、掃除のきらいな老人に二極化するようにみえる。後者が多いが、「まあごみで死ぬことはない」と口走ったり、「美は乱調にあり」などと理屈をつけて、飲み屋にかけこみ「おかみぃ あつかん!」などと叫んでいると、まあぼけるな。気を付けよう、西沢さん。もちろん前者がいい。あれは「掃除」と思うからいかん。自分の墓石へのみちのごみひろいと思いなさい。
 で23日から、長崎への一人旅をすることにした。長崎で一泊して、外海地区を北上し、大村湾を一周して、美人の湯で名高い「嬉野温泉」に泊まってかえってくる。いまさら自分が美人になってもしょうがないが、美人とあえそうな混浴の宿などさがすか。ムヒヒヒ。