2012年1月28日土曜日

長崎の旅 ・・・褌子

  さっそくつたない中学生英文に「添削するのも恥ずかしいが、まあこれでいいんじゃないの!!!」と猫跨ぎさんに合格点をもらい、インドに送信した。長年の英語コンプレックスがいっきょに解消された。じつは生きてるうちに『罪と罰』などロシア文学を英訳版で読むという遠大な計画をたてている。
  逸徳さんは実にいい旅をしてきましたね。私は昨年暮れに「孫文と梅屋庄吉」展を上野でみたばかりだ。
  遠藤周作の『沈黙』は読み応えがありました。私もこれを読んで長崎西坂の二十六聖人殉教像に行きキリシタン博物館に入ったことがある。朝早く行ったせいか誰もいなくて薄暗いなかで朝日に照らされた等身大のキリストの磔刑像が怖かった。
  遠藤周作はカトリック教徒として「沈黙」いがいにも「深い河」とか「侍」とか印象的な作品を発表している。わたしがインドに行きたいと思ったのは「深い河」の一場面です。ガンジス川に杖をたよりの長い旅の末、半死半生でたどりついたヒンズウ教徒の老人たちがつぎつぎと息をひきとり、そのまま聖なる河にながされていく衝撃的な情景。
  堀田善衛『海鳴りの底から』によれば、人類史上の一定の地面上での虐殺率(妙なことばだが)はホロコーストでも原爆でもなく、島原の乱(1637~38年)で原城に立て籠もった三万七千の老若男女の皆殺しだという。
  幕府軍は神に召されることを喜んで死んでゆくキリシタン軍(宗教戦争+百姓一揆の側面+関ヶ原生き残りの浪人軍も加勢した)に手をやいて、長崎に来航していたオランダの軍艦に頼んだ。オランダは新教のプロテスタントだから躊躇することなく原城に海から砲撃を加えていることも『海鳴りの底から』で知った。
  ただひとり原城を脱出し生き残った山田右衛門作という南蛮絵師がいるのだそうだ。また総大将の天草四郎が脱出したといううわさも江戸期絶えなかった。
  山田右衛門作がどう生きたか。天草四郎も脱出したのか? これは山田風太郎『魔界転生』にまかせよう。

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