この上巻には、漱石のくわしい自序があって興味深い。
漱石はロンドンにいたときに子規から明治34年11月にもらった手紙を全文紹介している。子規からの手紙の末尾に「書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉ヘ」とあって、「憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐もなく息を引き取ったのである…」と帰日するまえに子規が逝ってしまったことを慚愧の念で書いている。
さらに虚子著「俳句の五十年」からの「漱石と私」という一文も抜粋してのせてあって俳句好きの角川書店の角川源義社長らしい。角川文庫昭和36年29版定価七拾圓。
『吾輩は猫である』の下巻が本箱にみあたらないので、かわりに見つけた角川文庫昭和35年16版八拾圓也の『草枕・二百十日』を読み始めた。ここには(昭和36年2月26日新潟)とメモがあるから北大入試(東京の日大試験場)へ上京する折に買ったものか。結局、一浪となったおかげで翌37年入学となりhorohorokaiの英邁無比の諸兄に邂逅する幸運にめぐまれた。
『草枕』もまことに非人情的俳句的小説であるが、読みはじめてみると味わい深い。解説は唐木順三が書いている。
猫跨ぎさんもいぜん書いていたが、中川先生も当時、しきりに漱石を読みかえしていたようだ。先生のエッセイにも「漱石の『みち草』を憮然として読了したころ…」などとでてくる。あのころ、漱石をちゃんと読んで非人情の世界についての中川節をもっとききたかったな。
漱石は40代で猫や草枕をかいた。中川先生自身も当時まだ40代だったんだ。
昭和40年末ころからレトロ調竹下夢二風の装幀で岩波から『漱石全集』が復刻再刊されだしたころで、猫跨ぎ氏と「金があったら欲しいねえ」などと実験室で卒論さぼりながら話した記憶がある。50年前のこんな些事覚えていないだろうが
【↑写真:尾道で午睡中の猫。猫はいつも裸で風邪ひかないのかな】
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