人間の存在そのものが奇蹟なんだから「だから人間は生きなければなりません」といっても、閉塞感に絶望している人びとには意味があるんだろうか…。
黒澤明『生きる』を昨夜TVでひさしぶりにみた。
市民の要望などはたらいまわしにして書類の山にかくれてハンコだけをついて来た市民課長(志村喬)が突然、ガンで余命半年と知った。
「生きながら死んでいた」この汲汲と保身だけに生きてきた男は、残された半年をさあ、どう生きるか。
「おまえならどう生きる?」と40数才の黒沢監督が当時の日本人に(昭和27年公開作品)つきつけている。敗戦後の占領下、朝鮮戦争という他民族の犠牲で一息ついている日本人、市役所幹部たちの方向性を見失った姿や風俗の頽廃、そして食うために必死の女や遊び回る子供たちの姿が活写されている。
黒沢はこの『生きる』のあと2年後、昭和29年に『七人の侍』を世に問うた。
『生きる』の小心者の主人公志村喬は、七人の侍の筆頭格島田勘兵衛になった。
千秋実、加藤大助、宮口精二、木村功、藤原釜足、左卜全などの三船敏郎、稲葉義男をのぞくメンバーがそっくり『生きる』に登場している。
『生きる』で深くもぐった黒沢組のエネルギーは『七人の侍』で大爆発したのだ。
日本映画の全盛期をつくった彼らはすべて鬼籍にはいったが、傑作はいつまでも日本人の心に生き続けて、人間の生きる意味を問いかけ続けている。
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