すべからく大和民族はしっかりコメを喰わんとだめ。パンだけ食っていては山登りも俳句もとても無理。
まずわが家の飯茶碗だが、亭主のだけ沖縄の紅型模様の肉厚かつ小振りなんだ。そこに軽く、佐渡産の朱鷺米の炊きたてを品良くよそうのだ。(しゃもじは何の樹脂かわからんが不思議と米粒がくっつかない優れもの。なぜか婿殿の椅子が炊飯釜にちかい)
そして口中調味。おかずは安上がりのヒジキいり煮豆でも目刺しでも固い沢庵でもよろしい。が特に、氷下魚(こまい=冬)や鰰(はたはた=冬)をさっとあぶって骨をばりばりと舌の上で飯とまぜながらかみ砕くのがたまらない。
こころもち瞑目咀嚼数分、胃がはやく寄こせと騒いできたら、口惜しそうにおもむろにゴクリとやおら飲み込む。そのためかまだ虫歯が一本もない。
こんなくだらんことを世に問うのも、百才まで生きた岡本文弥だったか、長命は半分は親からもらったもの、半分は芸のうちといっていたからだ。芸とは心がけと言うことか。
半分のうちの半分は食い物といい酒だそうだ。あと残り半分は血流・気流。運動などあらゆる健康法はすべて血流・気流(自律神経のことか?)を高めるためらしい。
ところで何のために生きるのかはっきりしてないひとはこんな話は馬耳東風か。
0 件のコメント:
コメントを投稿