『吾輩は猫である』を寝る前にぽつぽつ読んでいる。
漱石が日露戦争の最中の明治三十八年(1905)に書き出し高浜虚子のホトトギスに連載した。吾輩の猫が苦沙弥先生を観察しているころ、旅順を陥落させた号外が巷にまかれている話がでてくるが、先生のところに集まってくる迷亭や寒月など「太平の逸民」たちが日露戦争の行方にまるで関心がないのが興味深い。
漱石は『三四郎』でも上京する汽車のなかで「先生」にいわせているように、ロシアに勝った勝ったと驚喜している日本と日本人の行く末を暗澹たる冷め切ったおもいでみていた。20世紀がはじまったばかりの百年前の日本。
『坂の上の雲』が描く“血湧き肉おどる”日露戦争辛勝譚とはまったく対照的。司馬遼太郎自身、『坂の上の雲』は未熟な作品でミリタリズムを鼓吹しかねないからと映像化を拒んでいたことを思い出した。
もっとも『雲』に正岡子規がいっぽうの主役級としてでてくる。(香山照之がテレビで好演)
子規の俳句革新の遺志をついだのが虚子。虚子にすすめられて漱石が書いたのが『猫』であるから「雲と猫」の二つは百年をはさんで因縁がある。松山の『坊ちゃん』がとりもつ縁でもあるか。
漱石は子規によって俳句の世界にひきづりこまれたものの、あまり熱心とはいえなかったが、俳句の諧謔精神が英文学的ユーモアのうえに『猫』には全篇横溢している。(まだ上巻しか読んでないが、山本健吉がそんなことをいっている)
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