2012年1月28日土曜日

長崎にいってきた・・・・逸徳

まあまあ、お師匠。勘弁してやってくださいな。どうでもいいことは、どっちでもいいという無原則的な日常でいこうと、最近は考えているので。
 褌子氏の投稿の背景には、わが世代に深く沈潜している、英語コンプレックスがあるとみた。前置詞ひとつが気になって、身動きがとれなくなるのだ。で、これを克服するいい方法がひとつあるぞ。外人の知人か、英語のできる日本の友人がいたら、いっしょに酒飲んでよっぱらってしまうことである。そうすると、ばかに流暢??に会話ができるようになるぞ。 数年前、それを実践してみたんだが、予定以上に飲みすぎ、後半の会話はほとんどおぼえていない。ただ、横にいた友人に聞くと、最後はずっと英語でしゃべっていたぞという。ビックリして、いっしょにいた外人(彼日本語も達者である)に聞いたら「うん おもしろかったし、よくわかったぜ」といわれた。何がわかったのかこっちが分からんので、いまだに不安なのだが。
で、やはり数年前、大学のノートが出てきた。どうも金子さんの講義らしく、偏微分方程式と思われるものが書いてあり、間にメモが書いてある。ところが驚嘆したことにそのメモが全部英語なのだ。そして、もっと驚嘆したことには、その書いてある英語がなんだか全然わからん。ホントにわからんのだ。どうなってるんだろう。
で、閑話休題。長崎に行ってきた。古い友人にあうのと、観光をと思っていったのだが、四日間の旅行中、2日間はなんと雪であった。雪の長崎は風情があったが、とにかく寒く、必然的にずっと飲んでいた。友人は工学部の機械出身で、三菱電機にはいり、列車の冷房空調に係わったら、なんと62の定年まで、ずっとその仕事ひとすじで、遂に長崎から動かなかった。で、感心したのは、テレビをやめて新聞もやめたそうなのである。やっているのは、時々の山歩きのハイキングと太極拳で、読書は今児童文学、とくに絵本の世界にはまっているということである。テレビと新聞やめても、ラジオとネットのニュースで全然不自由しないそうである。そういうのもいいのかもしれない。あこがれるなあ。

実は、今回の旅行のもうひとつのテーマが隠れキリシタンと梅谷庄吉のことである。隠れキリシタンについては別のときに書こうと思うが、みなさん梅谷庄吉をご存じだろうか。孫文の革命運動に今の貨幣価値で2兆円ちかい資金援助をおこなった、長崎出身の実業家である。いろいろ調べてみると、簡単にいえば彼は思想だけで、つまり見返りは求めず2兆円だしたらしい。死後、それを口外するなと言い残したが、知る人は知っていた。孫文死後、孫文の銅像4基を中国各地に送り、これは文化大革命のときに撤収されそうになったが、周恩来の尽力で守られたという。 つまり彼は「革命をプロデュースした日本人」なのである。すごく面白い人で、日活の前身の会社をつくったり、白瀬の南極探検には撮影隊を同行させ、記録映画をとっている。こういう日本人がなぜ生まれたのか。しばらく追いかけてみようと思っている。

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