戦地から生還した金子兜太は、坪内稔典「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」などは、なんだこりゃあとなるのかもしれない。たぶん「サラダ記念日」がでたときにも戦中派詩人たちはそんな風に思ったことだろう。
さて仁句を鑑賞する。
・海峡を渡って行きし大花野
海峡と大花野に二物配合がある。イメージ鮮烈。いきなり特選ではなく準特選。
しかし、なにが渡っていったのかはっきりしない。弱った秋の蝶か。
掲句で、てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった、が頭にばーんと浮かんだ。
吉村昭『間宮林蔵』を読んでいたときもこの韃靼海峡をわたる蝶々のイメージが通奏低音のように離れない。金とヒマがあったら行って見たい海峡はやはり間宮海峡。たった七キロ幅だ。つぎはジブダルタル海峡。ロカ岬からアフリカ大陸を遠望したい。大昔、この海峡が破られて地中海に海水がなだれ込んだという。次がボスボラス海峡、つぎがメッシーナ海峡とかマゼラン海峡。もう行くのは無理だが。対馬海峡は行くぞ。本州佐渡には越佐海峡がある。函館だと津軽海峡。仁ちゃんに案内してもらった五稜郭タワーから下北半島が指呼のあいだにみえた。大間原発建設再開に函館市民が猛反対するのは当然だ。
「飢餓海峡」など海峡には哀愁がある。寒い風が吹いている。♪津軽海峡冬景色うたって水炊きでいっぱいやりたい季節になった。
・錠剤のアルミを抜けて夜長かな
ふむ。ちょっと退屈気味な日常のなかにも一点凝視している。
・九月場所額の砂の零れけり
日馬富士だね。
・蚯蚓鳴く洗ひ終った鍋の底
庶民の生活の実感がある。季語と鍋と離れすぎの感もある。
・穴惑ひお薬手帳忘れけり
穴惑ひという面白い季語を知った。やはり季語と離れすぎ。
・鳳仙花爆ぜて終らぬ戦後かな
特選。鳳仙花は無性に懐かしい。戦後と鳳仙花とには二物衝撃がある。
もう戦後ではないというキャッチフレーズで経済白書がでたのが昭和35年でしたか。しかし、まだ戦後は終わってない。それどころか新しい戦前のにおいがする。やっぱり日本国憲法の役割は大きい。
・消息の薄くなりつつ石蕗の花
準特選。
ちょいとくたびれた石蕗の花には憂愁とか倦怠、旧懐もすこしあるね。だんだん消息 が薄くなってきたひとも多いなあ。寝ていてひょいと思い出す人もいるがそれだけ。
・草紅葉三本立ての西部劇
草紅葉は好きな季語だ。が、季語と西部劇が反響しないのが残念。いやまてよ。
一面の草紅葉の原野を駅馬車が疾走していく。なるほど。
・ふかし藷中は今でも戦時中
まったく共感する世代だな。子どもの頃のおやつはまずいふかし芋。今の焼き芋は旨いねえ。でも、やっぱり、ふかし藷と戦時中はくっつきすぎ
・赤ん坊の曖を出して寒露かな
曖は曖昧模糊のあいですよね。曖を出すという言葉は私にはよくわかりません。
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