椋鳥が穭田のうえを群れ飛ぶ季節になった。
東北旅行から帰ってきて帚木逢生『閉鎖病棟』を読んだ。山本周五郎賞をうけたというだけはある作品。精神科医であってはじめて書けたのかもしれない。 いまは津島佑子『火の山―山猿記』を半分読んだところ。帚木作品よりはるかに重厚、大作である。富士山に寄り添いながら生きた甲府の有森家のひとびとの戦中戦後を生きた長い物語。有森家とは、津島佑子の母親つまり太宰治の妻の実家をモデルにしている。いっぽう、父親を愛憎こめて書いた傑作は辻井喬『父の肖像』。西武王国を一代で築いた堤康次郎を息子が赤裸々に暴いた。作家魂の業というしかない。
さて、河野君は ↓の写真のようにスマートで垢抜けしていたから、私はてっきり関西出身、たぶん夙川とか芦屋とかだと思い込んでいた。国兼さんによれば北見北斗高校ときいて意外、道産子にもいろいろなタイプがいるんだね。八田君が住友ベークライトで河野君は鐘淵化学だと思い込んでいたが仁ちゃんによれば河野君は住友ベークライトからカネカに移ったのだそうだ。2003年理学部同窓会誌をためしにみたら八田君は住友電工である。河野君は住所不詳となっていてほかには何も書いてないので、彼はこのころヨーロッパで活躍していたのであろう。五本さんから河野さんの車でベルギーやオランダを案内してもらいとても嬉しかったと私もきいたことがある。
河野君のマツダ高級車で六甲山まで送ってもらった関西ではじめてのほろほろ会の旅行だが、私が片野尾温泉、国兼さんが片野屋温泉と書いている。むろん武田尾温泉が正しい。またしても仁ちゃんの記憶力には脱帽。武田尾 が片野屋にどうしてなるのかね。私は武田尾 ⇒片野尾と一字だけあっている。国兼さんはビタミンCやセルロースの構造決定法など聡明な頭脳、完璧な記憶力で“勇気化学”一発突破したのに、仁ちゃんと私が意外にも悪戦苦闘したのだから人間の記憶力とは不思議なものだ。
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