2012年10月8日月曜日

「俳句の向こうに昭和が見える」・・・猫跨ぎ

  仁ちゃんのこの前の投稿に坪内稔典著『俳句の向こうに昭和が見える』の話があったので読んでみた。結社誌のコラムの題材にさせてもらったのでお礼を兼ねて紹介させて貰う。ちょっと昭和を振り返ってみた。

坪内稔典著『俳句の向こうに昭和が見える』(教育評論社・本年六月刊)を読んだ。筆者は稔典氏とほぼ同年で、見てきた昭和の風景も同じである。同書に取り上げられた昭和(戦後)を象徴すると思われる幾つかの俳句を見ながら記憶を辿ることにする。

・安保通る西日に凶器めく人影   原子公平
昭和三十五年六月、日米新安保条約が成立した。テレビはまだ普及せず専ら新聞により国会周辺から全国に広がった反対デモ、樺美智子さんの圧死、ハガチー事件などを知ったが、四国の田舎の高校生稔典氏同様、北海道の高校生の筆者には遠い世界の話だった。掲句の「凶器めく人影」は同年十月の浅沼稲次郎暗殺事件を暗喩しているのだろう。戦前の匂いをただよわす岸信介は退陣し、忍耐と寛容の池田勇人が後を継いだ。愛想笑いの池田以降、稔典氏の言うように世論受けを常に考える政権運営が始まったように思う。池田といえば所得倍増政策であるが、好日十月号の「好日回顧」に〈陽炎旺ん農に倍増見込みなし 秋光〉(昭和三十六年五月号より主宰選)とあるように前主宰は早速噛みついている。
・春ひとり槍投げて槍に歩み寄る   能村登四郎
奇しくも槍投げをやっていた下宿仲間が近くのグランドで同じようにひとりで練習していたのを思い出す。誰にも迷惑を掛けず邪魔にもされず黙々と青春の真只中にいるという姿だった。自分も恐らくそんな気分の中にいたのだと思う。
・三島忌の帽子の中のうどんかな   摂津幸彦
三島由起夫の割腹事件はよく覚えている。昭和四十五年十一月二十五日。知ったのは仕事を終えてE・マシアスのコンサートへむかう途中だった。特に愛読者ではなかったが大きな衝撃と喪失感に呆然となった。開演を待つとき会場の後ろの席から「あいつは右翼だからなあ」という訳知りの声が聞こえて無性に腹立たしかったことを思い出す。事の経緯と血腥い現場の詳細が後日報道された。「帽子の中のうどん」など誰も食べる気は起こらない。気味の悪さと生理的に受け付けない戦後二十五年を経た時代の気持ちを表現している。
・青嵐神社があったので拝む   池田澄子
神社にさほど信仰があるわけでもない。見たところ珍しい社でもなさそうだ。目に入ったからちょっと手を合わせるくらいはいいかという軽さ。かといって季語の青嵐に格別重きを置いて詠っているわけでもない。要するに中身のない空っぽの一句である。しかし昭和の自由にして実態の希薄な、時代の空気を的確に掬い取っていると言えるのではないか。そして独特のニヒリズムの匂いも明らかに時代のものだ。
・三月の甘納豆のうふふふふ   坪内稔典   
稔典氏といえば甘納豆句が有名である。実はこれは十二ヵ月の連作のひとつである。
・一月の甘納豆はやせてます
・二月には甘納豆と坂下る
・四月には死んだまねする甘納豆   と十二月まで続く。その十二月は、
・十二月どうするどうする甘納豆
「作者の思い、意図は聞かないで下さい。読者がどのように読むか、それが大事なのです」という。私の読後感は、これは中味のない空っぽの極致であり、何故かひたすら恥ずかしい。恥ずかしいという気持は、心ならずもこの時代と同棲してしまった後ろめたさなのかも知れない。という結語も恥ずかしい。

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