おとといまで半袖だったが風邪をひきそうになり長袖ワイシャツにした。10月17日が夏と冬のせめぎあい、昨日から冬である。
だいたい、今頃、ヒマジンばかりでhorohorokaiは旅行している。2006年10月20日快晴は飛鳥民宿を自転車で出発。酒船石、亀石などみてまわった。民宿のおかみさんはリラの君をふっくらさせたような品のいい方でしたな。諸君は牛乳のすき焼きで牛飲馬食してましたが落霜紅が庭灯にほんのり照らされているのをみて私はなぜか泪ぐんでいました。八田さん河野さんお世話になりましたね。
翌年2007年10月20日は竹生島、長浜で鯖うどん食った。前日、木之元町でいただいた鯖鮓は美味、酒は北近江路の辛口。十一面観世音菩薩のS字曲線にうっとりして国兼さんが「観音の腰に目をやる老いの秋」の辞世の句を代作してもらいました。
翌年10月18日はジャンボタクシーで紅葉の里塚霊園へリラの君の墓参り。河野さんの復刻酒を飲みながら都弥生を歌いました。紅葉のナナカマドの函館での前夜祭が楽しかった。仁ちゃんに案内されて函館北方民族博物館でみた蝦夷錦は忘れられない。
2009年10月22日は新大阪で八田さんの出迎えをうけて高野山へ。山の上の宿坊は寒かったなあ熱い風呂にみんなで入りました。いただいた般若湯は「普陀落渡海」だったか?まさか、多分「熊野灘」だね。とにかく紀州の山々がよかったねえ。
一昨年10月14日は島根県の真ん中あたりの石見銀山ちかくへ着陸するはずの全日空機が山口県境の石見萩空港に着陸してしまった。縄文の杉化石が見事。割烹料理屋で鰻を食ってお酒石見銀山をのみました。季節外れのシジミ汁を頼んだがシジミの数が少ないと国兼さんがこぼしていました。私は月明かりにきらきら光る宍道湖河口の湖面を渡ってくる祭太鼓に感動していましたが。
去年10月21日は線量計で放射線測定しつつ新幹線で山形へ。山寺に登りましたね。小蔵ひでを社長予約の上品な山形キャッスルホテルでたしか会席料理みたいなもの賞味しました。酒は羽前銘酒「月山」。
翌日は湯殿山。裸足で妙なご神体をありがたがり、注蓮寺で諸君はカメムシの悪臭にたえながら即身仏へ。私はジャンボタクシー高橋運転手の山形弁での身の上相談をうけながら小説月山の石碑など見ながら、あたりの紅葉を愛でながら、物思いにふけながら俳句にいそしんだが一句もできなかった。羽黒山入り口の食堂で食った草餅だったかうまいうまいと猫跨ぎさんが賞味しておりました。小生はほんの少しいただいた銘酒羽黒山で頬をぽっと染めてしまいましたね。鶴岡の藤沢周平記念館をみて酒田の超高級旅館に投宿。飲み屋「庄内藩」で食った焼き鳥とおでんが旨かったこと。庶民はこんな旨いものを食っているのか…脂ののった毛羽先を無心にほおばっているときの逸徳さんが一番幸せそう。
翌23日は酒田土門拳記念館へ。売店で写真をぱらぱらめくっていたら山形美人の店員さんから「お客様のような方にはこの写真集が…」てなこといわれて13600円いちばん高い豪華写真集を衝動買いしてしまった。たしか小林さんといっしょに羽越線経由で逸徳師持参のウヰスキーをちびりちびりホタテの貝柱でやりながら帰りました。ほかの諸君は酒田からどこへ消えたのかね。わたしは羽黒山の千古の杉木立のなかの五重塔がいつまでもいつまでも脳裏から離れません。過去数十年のhorohorokai旅行でいちばん鮮明に記憶しているのは去年の山形旅行。やはり大震災と原発で苦しむ東北の人々への思いが深いからだろう。
いつも詳しく調査してジャンボタクシーなどを手配してくださる小林さんありがとう。今年もよろしくお願いします。飲み屋で飲みたいもの食いたいもの背中流しなど何なりと手前どもにお申し付けください。
0 件のコメント:
コメントを投稿