日本の科学史をどうとらえるかという、ある意味マイナーな話題に集中するとは、さすがみなさん理学部出身。 で、基本的問題。大学が国家目標に超然としていられるかというお師匠の意見ですが、確かにそれはなかなか困難だし、国家目標に超然としなかったからこそ、今まではいろんな問題がおこったのだと思う。そこで、歴史の反省の上にたって、ある意味学問的理性に信頼をおいて(ということばはややむなしいが)打ち出されたのが、憲法23条の「学問の自由」だろう。この条項の裏には滝川事件や、美濃部の天皇機関説などの歴史があったという。また、このような条項は海外では少数派だと聞いたことがある。だから、願望としていえば大学は国家目標に超然としていてほしいし、ある意味ひとつの社会的安全装置あるいは保険として近代国家は、大学にそういう自由を認めてきたのではないのだろうか。 だから「超然としている」のは重々困難ではあるが、だからといって「いられるか」と居直ってもらっても困るのである。なんか、美人がすっぴんで出てきて、くさい屁をひったのをみるような気分。
西欧科学をアジアでは、きわめてはやくとりこむことができたのは、江戸時代までの日本が、文化的に相当高度なレベルまでいっていたという話がある。 イギリスの外交官が幕末の江戸で、町の本屋で職人が本の立ち読みをしているのを見て、驚嘆したというエピソードがある。当時のイギリスでは下層階級での識字率は極めて低く、おそらく当時としては日本は世界有数の高識字率だったらしい。 もうひとつ余談。幕末の江戸を舞台にしたテレビドラマ「仁」で、コレラ治療のための点滴用の注射針を江戸の職人がつくってしまうという場面が出てきた。 これはドラマの上の話なのだが、時代考証が行われていて、それを可能にする技術は日本にすでにあったというのである。面白い。日本の職人的技術は、一点に集中するとそれがどーんと掘り下げられて、神業にまでなってなってしまう。なかなか横に広がらず、産業として規模が拡大しないのである。
ただし、ではなぜ西欧のような自然科学が日本に成長しなかったか。ひとつには、キリスト教の影響を指摘する意見がある。つまり一神教の精神風土は、基本原則を追求する自然科学の発展の思考のパターンによくあうというのだ。これもわかる気がする。面白いので勉強中。
で、開国により西欧の科学技術のレベルに驚愕した日本人は、必死でそれにおいつこうとした。そのために、つまりは近代日本の科学技術史はその出発点からして、きわめて実用主義的な側面を持つことになる。プラグマティズムである。それに対して西欧では、技術は科学より一段下とみられていた傾向がある。だから世界最初の工学部が東大におかれたのは有名な話だ。 だがこのプラグマティズム的性格は一面で思想的な弱さを持っていた。 社会的要請に弱いのだ。役にたつのがつまりは存在理由を証明するというのだから。つまりは国家目標に超然としているなんて強さがあまりないのである。 超然としていたくったって、かわりによりかかる柱がなかなか見つからなかったのだろう。・・・・ したがって、突然飛躍するが、当分は中国や韓国からはノーベル賞は出ないという気がするのだが。
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