2012年10月31日水曜日

2012年ホロホロの旅(遠野編)・・・国兼

 新花巻から釜石線に乗って遠野駅についたのは1時ごろで、小雨がぱらついていた。髪を後ろに縛った、一見オカリナ奏者喜多郎風のタクシーの運転手(後で知ったが、菊地というこの遠野には多い名字の方で、実に親切、かつ知的雰囲気の人物であり、2日間本当に楽しい旅ができた一つの要因ではないかと思っている)の案内で6時近くまで遠野を案内していただいた。おかげで、一度は訪れてみたいと思っていた、柳田國男のそもそもの「民話」の原点である遠野を一望できた。
 何故遠野にこのような民話がたくさん語られていたのか疑問に思っていたが、海側の釜石と内陸の花巻のちょうど中間地(約30Kmtちょいで馬で荷物を運ぶ1日分相当らしい)で、旅人が相互にアレコレとお国の古い言い伝えを語り合っていたのかもしれない。

 興味深かったのは「カッパ淵」での河童の像である。その昔、清水 崑氏の週刊朝日でのカッパの挿絵を思い出すような、ユーモアな娘と子供を抱いた母親の親子の像があった(左写真はその娘の河童をしげしげと観察中の猫さん)。翌日の朝ホテル近くを散歩していたら駅前にも河童の群像があったが、遠野と河童は縁が深いのであろう。 この遠野で初めて見たのは保存されている古民家の形がL字形(曲り屋と呼ばれている:右写真参照) であることである。南部藩ではポピュラーな形らしい。 Lの下の短い横線の所に馬を飼っていたようで、馬の暖をとったり、家族の目が行き届くようにしたのかもしれない。昔から遠野は馬の一大生産地だったようで、「オシラサマ」という「遠野物語」に出てくる娘と馬の悲恋の民話にも出てくるように、馬はこの遠野の生活には切り離せない存在だったのであろう(オシラサマは蚕の神様でもあり、遠野でもかっては蚕も欠かせぬ生活の一部だったようである)。

 夜は菊池運転手お薦めの「かたり部」(何故この店が「かたり部」と云うのか分からなかっが、トイレに行ったら民話が流れていて納得)という居酒屋風で旅の疲れを癒し、元気に再会できたことを祝して乾杯!!!(下の写真はかっぱ淵近くの常堅寺にて今回参加した5名の雄姿)
                 

0 件のコメント:

コメントを投稿