大道寺将司は釧路、連続ピストル射殺事件で死刑執行された永山則夫は網走の出身。
永山は、極貧の家庭で母にも捨てられ地獄の辛酸をなめた。入獄するまでは読み書きもできなかったが獄中から次々と発表される作品は文壇にも衝撃をあたえたと言われる。オウムの麻原も父親に毎日殴られて飯も食わせてもらえない少年期を送った。
大道寺は釧路湖陵高をでて大阪の釜崎で一年暮らしてから東京の大学に進学しているから永山とは違うようだ。ちなみ全共闘であばれまわった青年たちはめぐまれた家庭のおぼっちゃんが多いそうだ。
すめらぎを言寿ぐぼうふらばかりかな
胸底は海のとどろやあらえみし
被害者への謝罪と懺悔の苦悶の日々の中でも、すめらぎ=天皇制と対峙する荒蝦夷(あらえみし)の矜恃をもっている。大道寺はアイヌ差別に深い関心があったらしく、アイヌ出身か被差別部落民あるいは在日朝鮮人の子弟だったのではなかろうかと思ってしまうが、やはり時代錯誤は否めない。このような感受性豊かな弱者に心優しい青年が反権力の矛先をまったく間違えて武力革命を妄想し大勢の市民を犠牲にした。
全共闘運動の暴走をあおり、中国の文革を天までもちあげた当時のいわゆる“新左翼文化人”の責任は重い。いまの中国の反日暴力青年の“愛国無罪”にもだぶってみえる。
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