2012年10月19日金曜日

伊勢は雨だった・・・猫跨ぎ

昨日まで俳句の仲間と伊勢神宮周辺の旅行をしてきた。神宮の早朝参拝では、雨に煙る深閑と鎮まる境内を玉砂利の音を聞きながら歩いて色々考えることが多かった。
 さて来週はhorohoro東北旅行。褌子氏の回顧談を見ながら、こう毎年重ねてくると、或る感慨に捕らわれるねえ。去年、酒田駅で皆と別れて、豪商本間家の本宅を見学した。家の海寄りの向きに建物を防護するかのように長い土蔵が建っている。海風に煽られた火の手から家を守る為と聞いて、酒田の大火は昔から何度も繰り返してきたことを改めて実感。ちょっと付け加えておく。
 「大道寺将司句集」に関し、作者について褌子氏のコメントがあった。関連情報を補足すると、大道寺らの三菱重工本社前の爆破事件の二年前に例の「あさま山荘事件」が起こっている。首謀者の一人、坂口弘は同様に死刑囚となったが、獄中で短歌を修め、歌集を出している。伝統の短詩型文学に、俳句と片や短歌の違いはあるが、共通して導かれていったのも不思議な気がする。日本人と文芸の関連において何かを示唆しているのかもしれない。またこういう事件が頻発したあの頃の時代性も考えたい。
  永山則夫は同じ東京拘置所に収監されていたが、獄内でもある存在感があったらしい。ある日の朝、永山の独房の方角から悲鳴と怒号が聞こえ、その後静かになった。その日に永山の死刑が執行されたのを後に知る。あれは刑務官に引き立てられてゆくときの怒号だったらしい。永山は生前、死刑執行には徹底的に抵抗すると言っていたとか。ところで坂口弘もこの拘置所に収監されているが彼についてのコメントは特にないようだ。
  40年近く独房にいて、死と隣り合わせにいる日々。その精神世界が俳句に如何に投影されるのか、想像を絶する。私は俳句は大きな器だと常々思っている。穏やかな日常詠はもちろんよし。大道寺の様な、怖ろしく底冷えするのもまた俳句なのだ。

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