河野君の訃報に接し言葉が出てこない。あんなに元気があって酒をたらふく飲める彼の姿が脳裏を離れない。兎に角も面倒見がよく本当にお世話になった。
昭和41年に卒業し彼は住友ベークに就職した。3年ぐらい居たと思うが老舗会社の堅苦しい人事に嫌気をさしてカネカに転職した。移るに当って学校(対北大)の事など心配し相談を受けたが相当悩んだ上決心をした。仕事は当時クレハと激しく競合していたMBS樹脂の開発で新しい職場は7割が中途入社者で占めておりのびのびと仕事が出来ていると言っていた。
大阪での結婚式にも呼ばれたが活気に溢れたカネカの人達から名刺を沢山戴いたのを思い出す。
そして皆さんも書いている93年に武田尾温泉で何回目かのホロホロ会をやりその酒の強さに驚かされた。しかも翌日車で皆を六甲山に案内してくれた。
96年にはカネカベルギーの製薬部門会社の責任者になってブリュッセルに居た。丁度私も出張でオランダ・アムステルダムに行ったので連絡をしたらなんと車で飛んできてくれた。アムステルダムの船の運河巡りは忘れられない思い出である。友人宅でしこたまわいんを飲んだ後ブリュッセルに戻っていったのには驚かされた。
もっとましな思い出があったのだろうが悲しさが先にったってしまいまとまらない。
河野君、ゆっくり休んでくれ給え。こちらで別離の歌を一人静かに歌わせて貰うから。
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