先日私が書いた清国の漁船が尖閣に漂着し、送り返したら清から日本政府に感謝状がきた。日清戦争のまえのはなしというのは間違いなので訂正する。
正しくは、1919年(大正8年)に福建省の漁船が遭難したときに当時の中華民国長崎駐在領事から日本政府に届けられた感謝状。1912年に孫文らによる辛亥革命で清は倒れ中華民国となっていた。中国側が尖閣諸島を中国領土と考えていなかった何よりの証拠で、日本共産党が赤旗に2年前に紹介し反響を呼んだ。中国側からの感謝状には「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」と明記されている。1895年(明治28年)に日本がどの国の支配もおよんでいない「無主の地」を領有の意志をもって「先占」して日本領土に編入してから、1970年までのじつに75年間、中国は一度も異議も抗議もしていないことだ。これが中国側主張の最大の弱点。
明治27年の日清戦争後の28年4月の下関条約で、日本が尖閣を奪い取ったと中国は先日国連でいきなり演説したが、下関条約で日本は遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲させたが尖閣諸島のことはこの条約にはまったくふれられていない。
日中のあいだに「領土問題は存在しない」などと中国と外交的対話を拒否していながら、(胡錦涛が野田に国有化はやらないでくれと言ったばかりの二日後に)都知事の挑発に乗ってあわてて国有化したらこの騒ぎになった。
国兼さんがいうようにねばり強く何十年かけても外交交渉で解決するしかない。それが日中両国民のいちばんの利益になる。
隣国とは庶民同士でなかよくつきあいたいね。私は「ちば中国帰国者支援交流の会」の事務局長やっている関係で、いろいろな中国人ともつきあっているが、知る限りでは実にいい人たちばかりだね。韓国人ともソウルで酒も飲んだし、親しい在日のひともいる。みんな苦労しているから立派な人が多いなあと私は日ごろ思っている。まあ日本人も中国人も韓国人も好いひともいれば嫌なひともいるということだ。人間の喜怒哀楽などというものは昔も今も、またどこの国にいっても大して変わらないのではなかろうか。そんな気がしている。
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