2012年10月16日火曜日

「棺一基」・・・猫跨ぎ

俳句つづきのついでに、今年春に出版され今も版を重ねている異色の句集を紹介してみよう。例のコラムからの転載。

今年前半に上梓された異色の句集を取り上げたい。
『棺一基 大道寺将司全句集』である。著者は、一九七四年八月三菱重工本社ビル爆破事件を決行した反日武装戦線「狼」のメンバーのひとり。この事件で死者八名、負傷者百六十五名を出した。逮捕、判決は死刑。爾後三十七年間、東京拘置所に収監されている。
逮捕後、事件を深く悔い、被害者への謝罪と懺悔の苦悶の日々の中から、俳句を紡ぎだし始める。独房での自己内省、悔恨と懺悔、母親への愛と死への哀惜、弱者への共感と国家や権力に服(まつろ)わぬ強い思い、これらを直裁に詠っている。
独房に約四十年、万葉以来の詩歌の伝統「寄物陳思」(ものに寄せて思いを述べる)とはまるで正反対の環境にいることを念頭に置く必要がある。そして彼は「俳句にいまや全実存を託したのだ。」(辺見庸) 千句をはるかに越える作品が一頁に七句掲載の句集にぎっしりと詰まっている。その一端に触れてみよう。梅雨空のさなか、読み進むうちに、その異様な迫力と暗闇に引き込まれるような息苦しさに何度も中断したことを申し添えたい。

・あかときの悔恨深く冴えかえる
・ぬかづくや氷雨たばしる胸の内
・ちぎられし人かげろふのかなたより
犠牲者の中には損壊の著しいものもあったという。それらは、幾度もまなうらに立ち上がり罪の反芻は果てしもいない。悔恨と懺悔の気持は、ことある毎に心を苛む。

・夏服の母は十貫足らずかな
・小六月童女の如き母なりけり
・母死せるあした色濃き額の花
母は幾度も面会に来た。その母も老い、慈母というよりいつの間にか労りと哀しみの対象となる。その母も逝った。継母であったという。

・棺一基四顧茫茫と霞みけり
・天穹の剥落のごと春の雪
・時として思ひの滾る寒茜
・モディリアニの裸婦の眇や冬の蝿
深深と心に下ろす垂鉛の果ては見えない。末期の目に全ては茫茫と霞むというのである。
ところで著者の心に『罪と罰』の〝ソーニャ〟の影はあるのか。実は欠片も認められないように見える。目に留まったのが掲句である。冬の蝿にモディリアニの裸婦のあの虚空を見るような目を重ねている。不思議な感覚であり、心の奥の思いは判らない。

・狼や見果てぬ夢を追ひ続け
・すめらぎを言寿ぐぼうふらばかりかな
・胸底は海のとどろやあらえみし
意表を突かれたのは、反国家、反権力いうなれば体制に服わぬ精神は、時を経て些かも変わりないことである。それどころか常に蘇り時に燃え上がる。自分の全存在が奈落へ崩壊して行く恐怖に立ち向かうのには、唯一この服わぬ精神を激しく揺り上げるしかないのか。崇高な何かに我が身を預けるという選択を肯んじないのであれば。

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