2012年3月31日土曜日

「価値」は止めよう・・・猫跨ぎ

  自分で使って何だが、「価値」といえば余りに多義的だからちょっと今回の議論には相応しくないね。言いたかったのは、天下り的にというか先験的に、科学的真理なるもなが、客観的に存在はしていないということね。その時代の科学者が正しいと思っていることは、結局、共同の幻想だと思う。最大公約数的なものが真理となっていると言うべきか。だから不変ではない。突き詰めると、結局この話はデカルトに遡ってしまうのだけど。
 原発の話は、原発再開論者を殺人者と決めつけてもなあ。即廃止は無理だ。ドイツに倣って年次を区切って将来原発廃止というのが、正解なんだろうと思う。それがリアリティをもたない。そう言う未来を管理する論議が出来ないのは風土的なものか。

ちと違うのではないかなあ・・・・逸徳

科学史上の理論の変化は、価値というものとは違うように思う。いわゆる弁証法的発展というやつで、そこには社会的立場も価値もかかわっていないのではないか。つまり次元の違う話で、ここでいう価値というのはもっと社会的なもの、人間の根本的生存にかかわるものだ。つまり、おいらの理解でいえば、科学史には価値という言葉はあまり関係ないのではないか。価値といいだしたら、科学は宗教になる。ルイセンコ学説を思い出す。価値中立ということについてのおいらのイメージはそういうことである。
 で、ある事実をどう評価するかというときにもそこでの評価基準に価値がかかわる。おいらのイメージていうと、たとえばマルクスかケインズかなんていうイメージである。 しかし今回の福島の場合は、全然違うと思う。たとえばヨウ素131により50ミリシーベルトの内部被曝をしたと思われる子どもをかかえた母親の前で、この事実に対しての評価は、それこそ右から左へとスペクトル状にひろがる。その中で、平然と原発再稼働の論理、それは決して科学的とはいいがたいが、そういうことを述べる学者に、母親がお前はどういう人間かと問うことは、当然だろうと思うし、マッカーシズムなんかといっしょにはならない。もしそれが問題であるのならば、おいらとしては、よろこんで過激な紅衛兵の子孫でありたい。ここで必要なのは現場に即した議論ではないだろうか。浜岡の直近にすむおいらには、その必要性がひしひしと伝わってくるのである。
 問題なのはにんげんの命、それも 未来の命なのだ。それを守るにはどうすればいいかいう発想に対する攻撃こそ、マッカーシズムの再現に見えるがいかがか。

2012年3月30日金曜日

判断の座標・・・猫跨ぎ

  科学は常に中立で客観的で、判断の座標になるかというと、勿論危うい。新学説でそれまでの定説がひっくり返ることはよくある。進化論は正しいかという議論に決着がついていない。光より速いものはない、そんなこと太陽が東から上がるくらいに当たり前と言っていて、ニュートリノの例の実験が発表されて、おやそうかと定説を簡単に否定すべく腰を浮かせた学者も少なくなかったのではないか。実験が間違っていたらしいということで落ち着きそうだが。学者も見えざる価値観に依っている。
ところで、貴方は原発賛成派ですか反対派ですかと言って専門家の色分けをするのは、理科系の議論ではなく社会学だね。マッカーシズムに思考がよく似ている。革命派か守旧派という文革時代の中国とか。

科学技術論・・・・逸徳

科学的ということばが枕につくだけで、何となく信じたくなるのは、宗教のご託宣と変わらない。これを科学の新興宗教化といったひとがいる。この傾向はひどくて、白衣を着たどこそこ大学のなんとか教授というのがテレビにでてきただけで、純朴な一般市民はほーぅと感心してしまう。いわゆるハロー効果というやつだ。そこで、最近浜岡原発に近い当地で、何回か放射線の基礎科学の学習会の講師をやる機会があったので、こういうたとえ話をつくって話してみた。相手は元気なおばさん軍団である。諸兄のご意見はいかがか。
・・・・ ここにある名酒のはいっている酒びんがあったとする。酒はちょうどビンの半分だけはいっているとする。このビンに対して「おさけが半分はいっています」というのが科学である。誰もが認めるような客観的事実についての言説である。ところがそのビンの所有者の呑兵衛が「ああ、もう半分しかはいっていない」と嘆いたのに対して、その奥さんはだんなの健康を心配して「まだ半分もあるじゃないの」とのたまわったとする。この二人の言説が技術である。つまりこれらの言説には、その立場によって異なる事実に対する価値評価がはいってくる。つまり技術は価値中立的ではない。
 原発に関して流れている多くのコメントは「技術者たち」のコメントであり、つまりは価値中立的ではない。そこでおいらは、おばさんたちにすすめている。つまり、そういう発言に対してまず問うべきだと。「あなたはだれか。どこにたっているのか」と。そうすると、相当な数の専門家と称する人たちの発言は、実は科学的でもなんでもなくて、単なるその人の社会的立ち位置にもとずいた価値判断による、ひとつの意見表明にすぎないのだということが見えてくる。しかも客観的にみて、この立ち位置というのもかっことしたものではなくて、経済がかかわっているな。簡単にいうと金である。だから、ここで重要なことは、市民ひとりひとりが自分で判断する覚悟と、それが可能なような学習をすることが大切であり、そうしないと自分で自分の命が守れませんよといっているのだが。
 現状では、まず科学が科学的でない、つまり酒ビンにどれくらい酒がはいっているかがよく判明していない。しかも政府東電は情報をかくしたり操作しているように思われ、国民の信頼は地に落ちている。デマや、相当粗雑な議論が飛び交っているなあと思う。反原発でもうけているやつもいる。なにをかいわんやだ。

読書感想文・清水宏『出発』・・・・褌子

  仁ちゃんから送っていただいた清水宏『出発』(元就出版社)をいっきに読んだ。文句なしに面白い。
   巻末の著者プロフィールによれば清水氏は北大農学部卒で1941年生まれ。いま70才だから、自伝的小説である『出発』を最近書いたのだとすると、半世紀ちかく前の青春時代の疾風怒濤をまるで昨日のことのように描き出す若々しい筆力に驚く。
  北大時代はマルクスやレーニンをふりまわすような浮ついた学生運動に飽きたらずセツルメント活動に熱中したようだ。
  恐ろしく真面目で正直、自省的な人だ。なんでも五感で観たり聴いたり自分でしっかり掴んだものだけを信用する人だ。この強靱な粘着性で農学という実証的な学問をやったら大きな業績をあげただろうにと、読みながらつい余計なことを考えた。
  しかし清水氏は全くちがう生き方を選んだのだ。
  中卒だといつわって東京都の屎尿処理の仕事にとびこむところが実に迫力満点。いっぽう同窓の親友との対話のなかでも父も兄も東大卒とか、学歴に関する話が何度もでてくるのが気になった。セックスにまつわる話も多くすこし辟易もした。
  東京都民の膨大な屎尿が東京湾外の外洋に投棄されているとはきいたことがあったが当時はバキュームカーで集めてから、ハシケに乗せて河を下るまえにこんなふうに処理されていたのか。猛烈な臭気のなか屎尿に混入する異物の処理場面が何ともリアルで衝撃的。体験したものだけが書ける実に貴重なルポルタージュでもある。
  都清掃作業員から私立中学教師、塾経営などを経て、いまは郷里長崎県島原で市議会議員をしているという。『出発』で自らの青年期を活写した氏はこれからどんな自分史を書き綴って発表していくのか次巻が待たれる思いである。

2012年3月29日木曜日

真理もて叩け・・・猫跨ぎ

そうね。ただちょっと判ってやっているところがある。技術の敗北は科学の敗北でもある。つまり理学部が工学部を一段低く見るといいかえていいか、それは相当に不遜だ。全く関係ないが、「学びの園穢すもの真理もて叩け」という歌をうたいながら、随分恥ずかしい思いをしたことを思い出した。

RE:科学の敗北・・・・褌子

「科学の敗北」と「科学技術の敗北」とは区別して論じた方がいいかもしれない

竹内均だ・・猫跨ぎ

  そうそう竹内均だ。人名が怪しくなってきたなあ。名前が出てこないことがしばしば。
知人に久し振りに逢って、名前が出てこない場合の対処法をお教えしよう。「すみません、お名前は何といいましたか」と聞く。「西沢です」というから、「いや、それは知ってますよ。下のほうです」。
科学の敗北、などど木目の粗さを承知で言ったが、ざっくりとした俯瞰のつもり。
原発の下りはちょっと位相がちがうな。そもそもあんなモノを作ったからじゃないかと言ってしまえば、そこから先へ話は進まない。事態は起こってしまったのだから。なんとかせねばならない。
原子力村の住人の科学技術的能力が劣って居るわけではない。従って科学技術の敗北と言ったわけ。

RE:科学の敗北・・・褌子

  「科学の敗北」を興味深く拝読。
  「地震予知に金を使うより耐震研究を」と強調していたのは、竹下均ではなく「ニュートン」を創刊した地球物理学者の竹内均ではなかろうか。費用対効果でいえばまったくその通りだと思う。地震予知が未来永劫不可能かどうかはまだわからないというのが現今の地震学の実態なのでは。
   原発は危険すぎると警鐘乱打していた科学者も少なからずいたのだが、徹底して排除された。原発に関しては原子力ムラに投下された莫大な研究資金に群がっていた「科学技術者」が敗北したということだろう。
  しかし政府と財界は原発再稼働に執念をもやしている。もう一回、フクシマ規模の原発事故が起きたら日本はどうなるか、そんなこと「想定外」のことはとりあえず「想定」したくないということか。大事故がまだ進行中でも、こういうことが平気でまかり通る日本の現状は「社会科学者の敗北」かもしれない。

2012年3月28日水曜日

科学の敗北・・・猫跨ぎ

  3・11は、日本に色々な課題を提起したが、科学技術に関しても同じだ。先ず地震予知。あの規模の地震があの箇所で連動して起きる事を予測した学者は多分いなかった。後講釈は精緻にやっているが。有り体に言えば地震予知学の敗北だろう。あれだけ巨額の国費を使い何なんだという非難囂々もおかしくないと思うが。そしてここへ来て、東海地震とか直下型地震など首都圏の大規模地震の発生確率を何年以内に50%とか、75%とか言い出して、やたら不安を煽っているように見える。これは明らかに、仮に起こっても、事前に警告を発していたよ、と保険を張って居るように思えるのは皮肉にすぎるか。
それに付けても、かって竹下均さんが、地震予知に金を使うより耐震研究をと強調していたことを改めて思い出す。彼は予知に対し一貫して懐疑的だった。結局、いつどんな規模の地震が起きるのかは永久に判らないという当たり前のことを白けた思いで再確認している。
  原発もそう。いまもあの原子炉がどんな状態なのかはっきり判らない。そこが不明であれば、津波が事故の主要因なのは自明だが、地震が直接施設にどんなダメージを与えたのか判らない。それが判らないと福島原発事故報告書は永久に完結しないということだろう。原子力委員会の斑目委員長は原発再開の断を下すのは専門家ではない政治判断だと言い出している。ここでも敗北を認めたわけだ。
要するに、Criticalな場面では、科学は無力とはいわないが、頼りにならんということなんだ。そういう認識が静かに広まりつつあると思う。

2012年3月26日月曜日

かくも長き不在・・・・褌子

    帚木逢生『三たびの海峡』は戦争中の朝鮮人強制連行を描いている。
  九州の炭坑で強制労働させられた朝鮮半島出身の若者が過酷極まる労働を生きのびて、故郷への帰国を果たす。戦後、韓国で事業に成功し、老年期をむかえて釜山から三たび目の海峡を渡って日本で当時の関係者を探索するはなしである。五十年の時間をはさんで過去と現在がたくみな構成で往還する。
  こんなふうに数十万人の大勢の若者を連行し、炭坑、鉱山、ダム建設などで酷使し、堪えかねた逃亡者を捕まえると拷問、虐殺したのかと息をのむ。いまも日本各地の当時の工事現場近くには朝鮮人が無縁仏のまま葬られているという。朝鮮人だけでなく、終戦も知らず十三年も北海道で逃亡生活をつづけた劉蓮仁さんのような中国人もいる。
  つい70年前のことだ。めんどうなことは全部忘れてしまいたい大方の日本人と日本政府。
  関川夏央が――朝鮮と日本の「かくも長き不在」と題して巻末に解説を書いている。
  わたしも近年、中国残留孤児の生活支援活動に参加しているが「孤児」らは四十年以上も祖国に帰国を果たすことができなかった。文革の辛酸をなめて五十才近くになってやっと帰国しても言葉の壁もあり生活もままならず、満州国をつくって他国の土地をとりあげて開拓民をおくりこんだ日本政府を相手取って裁判を起こさずにはいられなかった。いまは裁判は終結し生活支援法ができたが、中国からいっしょに帰ってきた中国人配偶者や子供たちの生活にもたくさんの困難を生じている。中国では養父母が年老いて次々と亡くなっている。
  これは他国の土地をとりあげて送りこまれた満蒙開拓団員の子供たちの「かくも長き不在」である。
  

2012年3月24日土曜日

大相撲の話・・・猫跨ぎ

  夕食を作りながらテレビの相撲をちらちらと見る。このところ関脇が頑張って、次々に大関を射止めている。琴奨菊、稀勢の里、と来て、今場所は鶴竜が今日勝って太鼓判。何せ横綱、大関を連破だから文句なしか。この中堅どころが最近めきめき力をつけてきて、白鵬も常勝と行かなくなった。確実に新しい勢力図が出来つつある。潮目だね。変化は突如やってくる。こんなのも面白い。
  ところでこの鶴竜なかなか好感が持てる。無口でこつこつタイプ。地味で目立たなかったがいつの間にか実力者になった。所属が井筒部屋。ここはその昔、差し身の良さ、特にもろ差しで鳴らした鶴ヶ嶺の伝統を伝える。鶴竜はその継承者にまことに相応しい。これが相撲の醍醐味なのだ。
  対照的なのが大関把瑠都。エストニア出身の大男。肩越しに相手のまわしを掴んでぶん回す。あれは相撲ではない。見るたびにげんなりするが、懐に食いつかれると意外に脆いのがご愛敬。鶴竜はモンゴル出身だが、顔、体型、日本人と見分けが付かない。日本語もびっくりするくらい流暢。一般にモンゴル出身の力士の日本語は、ニュアンスを含め実に達者だ。お互いにアルタイ語系のせいなんだろうが。

2012年3月22日木曜日

函館通信174・・・震災道路・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんの聴いたラジオの意見大いに賛成だね。
 少し前になるが道新の記事に瓦礫を破砕した材料の使い道案が載っていた。八戸からいわきまでの海岸線沿いにウオーキングとサイクリング道路を作ってみてはという話だ。奥の細道ではないが海岸線約500キロ位はあるだろう。そこに木を植える、キャンプ場を作るなど楽しい場所にしたらどうだろうか。
 車社会の逆方向だが少しでも瓦礫が減少出来はしないかな。

2012年3月20日火曜日

万里の長城・・・猫跨ぎ

  昨日朝、何げなくラジオを聴いていると、東日本大震災の被災地のがれき処理について、がれきと土砂で造った高さ20~30メートルの高台に木の苗を植えて森にするプロジェクトを熱っぽく語っている。聞き覚えがあると思えば、宮脇昭氏(横浜国大名誉教授)だった。500kmの現代の万里の長城を作ろうという。今回津波で7万本の松林が根刮ぎになったが、これは松の根が浅いため。ブナ、シイ、クヌギなどの広葉樹が深く根を張り好適という。この人は世界で色んなプロジェクトに関与し、数千万本植樹をしているらしい。おおげさに構えず、出来る場所から始めればいいという。なるほど。被災地復興計画で気分のいい話を聞いた。

2012年3月17日土曜日

美深町・・・褌子

  おぼえています。仁ちゃんが北海道新聞の紹介記事を投稿したのが頭に残っていたのでぴんときた。定山渓で小生が蝦夷錦の稚拙な講演をしている最中に生徒諸君が勝手に「森の雫」を飲んでいたのは全くおぼえていない。
里塚霊園で五本さんの墓参をして歌をうたったこと、河野さんに復刻酒をもらったことはおぼえている。
   美深をインターネットでしらべてみたら、旭川や士別、名寄のずっと北、音威子府のほうだね。稚内に近いところだ。こんど北海道へいったら行ってみたい。美深という地名がいい。アイヌ語だそうだ。美深の特産品のなかにも「森の雫」がでている。
こんなに北で寒いところだと凍裂のぱーんという音がきこえるのではないか。ダイヤモンドダストが輝く針葉樹林のなかから。

函館通信173・・・森の雫・・・仁兵衛

 柳生兄弟は本当に良く似ているね。ホロホロ会で5年位前に道新の記事でみて弟さんをご紹介した記憶があるが憶えている方はいますか。そして4年前に定山渓に集まった時札幌駅でシラカバ樹液の「森の雫」を10本ほど購入し褌子先生の講義中に皆で飲んでいたのを覚えていますか。
 ネットで見ると弟さんは美深で色々やっておられ、奥様が民宿おかみさん百選に選ばれておられるとか話題に欠きませんね。「森の雫」の売れ行きもじわじわ拡がって来ていると弟さんと一緒にやってきた寺沢実(林産S37年卒)元教授からも聞いている。5年近く北海道に来ているのに美深が何処にあるのか地図を見直した。本当に自然条件の特に寒さの厳しい所だとあらためて感じている。4月の例会には出れないが柳生君にはお祝いの言葉を宜しくお伝え下さい。

 ・ 木の根開く森の雫の通り道
 ・ 兄弟の頭髪の白さ春美深
 ・ 最北の春に向かってカバノキ科

マスコミ・・・猫跨ぎ

  巷間、朝日対読売の因縁の対決と報道されているね。「判るが何故今なのか」、と。いろいろ意見はあろうが、この問題で気付くのは二点だね。私が購読を止めた途端、入れ替わり立ち替わり来て、色を成して翻意させようとする異常さ。新聞間のはげしい拡販競争にびっくりした。もう一つは、これを報道する側に腰の引けた感じがどうも否めない。キャスター、評論家、コメンテーターに口籠もる感じがある。読売支配のマスコミの一大帝国の威風だろう。滅多なことを言えば今後お声がかからないということだ。 「判るが何故今なのか」というコメントに中立を保ちたい苦心がみえみえと思うのは深読みか。

2012年3月16日金曜日

読売対朝日    九州の熊

例のプロ野球巨額契約金問題が朝日新聞の今日の一面トップ記事だった。これってそれほどのニュースバリューがあるとは思えないけど・・。読売に対する朝日の怨念を感じさせる版組みだと思いませんか。公共性が期待される全国紙だけに私的な確執を感じさせる扱いに違和感を覚えました。ちなみにわたしは根っからのアンチ巨人です。記事内容はけしからんという思いを反芻しながら何回もよみましたけど。

また巨人そして読売・・・猫跨ぎ

  読売巨人の隠れ契約金の件がバレて読売は居直りというかまた醜態を晒しているが、とにかく勝ちに繋がれば何でもやるの姿勢があからさまで、またかと思うだけ。もうこの体質はどうしようもない。「巨人軍選手は紳士たれ」のエリート意識はブラックユーモアだ。先月をもって長年の読売購読を止めて、いまは新聞無し。朝の食事後の通読が習慣になっていたのでちょっと戸惑っている。どうしようか、東京新聞にしようか。
いま大新聞を止めようとするとすごい。入れ替わり立ち替わり5~6人が来て、どうした、サービスが悪かったか、何か失礼でも、どこの新聞をとるのか、煩いこと限りなし。こういう場合、インターホンは簡単でいい。
  吉本隆明が肺炎で亡くなった。87歳。この人の著作は長年、折りに触れて読んできたので感慨深い。で、ネットで各紙の訃報の報道をチェックすると、どこの新聞も最初の見出しに伝えているが、産経だけは無視だね。ここはやはり変わった新聞だ。(後刻、識者の談話を載せ報道していた。この箇所訂正)。

2012年3月15日木曜日

噂は聞いていたが・・・猫跨ぎ

  噂には聞いていたが、柳生氏の弟さんは頑張っているんだね。事業として継続するには別の意味での苦労が山ほどあるのだろうな。賢兄愚弟とはよくいうが、まあ賢兄賢弟の兄弟だ。夢のある話だね。

  季語が約束事の象徴で、だから閉鎖社会になるという言だが、ちょっと違うと思うね。十七音という制限とあいまって、つまりこの制限こそが、自由をもたらすという逆説なんだね。この辺はいわく言い難い面白いところ。私はいまこの立場に立っているが。
  前にも言ったけれど、俳句はこうだと言えば、必ず反論があるという世界。実際、季語は斟酌せず、自由律で十七音など関係ないという立場もある。ではこの立場で、表現が格段に拡がって世界が開けたかというと、私の独断だが、そうでもないんだね。まあこの辺は、好きずきという他はない。
季語辞典か。歳時記ね。日本の伝統、美学が詰まっているからこれを利用しない手はない。使ってみればすぐ重宝するからまあ手許に文庫版の数冊は置いておいて損はないと思うがね。

さっそくネットでみてみた・・・逸徳

褌子氏の投稿におどろいて、さっそくネットで調べてみた。美深にすんでおられるのだなあ。柳生氏より美男子という褌子氏の意見に激しく同意。彼の仕事も興味深いが、美深町というところも面白い。温泉はあるし、いいところだ。今度みんなでいってみようか。 弟さんが農村民宿をやっておられるという。いいね。

お師匠の「俳句は気配」のおことばになーるほどと膝をたたいて感銘した。そうか、言葉で絵を書けばいいんだと思った。こちらとしては、どうしても説明したくなるという散文の発想からぬけきれなかった。確かに十七音で何か説明するのは無理だ。だから季語という仕掛けを使うんだろうなあ。たださ、何百万という俳句愛好家がいるとしても、やっぱり季語に頼りすぎると、暗号になってしまうという違和感はぬぐえない。 季語辞典という暗号解読書がないと、この世界のホントのところはわからんぞといわれてもなあ。それでは、表現における一種の閉鎖社会になってしまわないのだろうか。 ふらこことか雁風呂なんて、ネットで調べてやっとわかった次第。うーん、素直についていけん。
 とはいえ、説明するなという視点はストンと心に落ちたので、ちと自分なりにやってみようかという気にもなった。やっぱりできるだけ季語辞典は使わんでいきたい。

祝グリーンツーリズム大賞受賞! ・・・・褌子


   今朝の毎日新聞に大きくグリーンツーリズム大賞受賞!と超イケメンの柳生君がでていた。目もとぱっちり銀髪の理知的な風貌。  どうも記憶している実物よりいくらなんでも美男子すぎるなあと、老眼鏡をかけなおし、よ~く目をこらしてみると、弟さんの柳生佳樹さんではないか。「シラカバ樹液“羊”を名産にした」と「田舎の魅力と底力」特集に堂々の登場である。さっそく柳生さんにお祝いの電話をした。四月六日には柳生氏も参加するそうだから盛り上がりそうだ。
  お兄さんが立派な方だから、こんなえらい弟さんができるんだなあという見本のようなご兄弟である。

2012年3月14日水曜日

俳句論議・・・猫跨ぎ

  俳句とはなにかという設問に、こうだと言えば、何を根拠にそう言い切るのか、こういう例外があると応じ、全くまとまらないのがこの世界。個々の信念ならまだいいが、個人の妄執、我執になってしまうことが多い。
  それはともかく、逸徳氏の「誰もいない」という評は、俳句のある一面を言っていて、実は我が意を得たように思う。実は俳句の究極は「気配」の描写ではないかと思っている。あるいはそこにこそ俳句の固有の存在価値があるのかとも。細部の表現、主義主張は所詮散文の世界に譲らねばならない。
  気配の世界は実は日本の文芸に伝統としてある。
定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」
秋の夕暮れを詠うのに、花と紅葉をことさらに取り上げ、それを「なかりけり」と否定する。ついで裏の苫屋もぼんやり霞んで、つまり秋の夕暮れの気配のなかに包まれるという感覚。和歌は饒舌な世界でもあるが、裏側にこういう位相を隠し持っていた。
これを意識的に俳句に取り込んだのが芭蕉だと思う。
具象化のみを目標にするのなら、十七音は余りに短い。

2012年3月13日火曜日

記憶違いでした・・・・逸徳

宇宙の底というのは、高村光太郎の「傷をなめる獅子」に出てくるよ。詩集道程の中にある。ちとコピーをはりつける
   傷をなめる獅子  高村光太郎

獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。

そのたてがみはヤアヱのびん髪、
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。

獅子はもう忘れてゐる、
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。・・・・・以下長いので省略

宇宙の底と春ショール・・・褌子

   宇宙の底ではなく闇の底ですね。逸徳さん。
  川端康成『雪国』の冒頭は
  国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。・・・停車場の闇の底が白くなった。
―――――
  夜行列車が薄明の雪のまちに停車して「闇の底が白くなる」というのは、何ともうまい表現だとはおもうが…
  いつも春ショールならぬ角巻姿の駒子というまことに艶冶な芸者がいる。彼女は島村という妻子持ちの男が、東京からこの雪国の湯沢に遊びにくるのをいつもいつも心待ちにしているのである。
  何やって飯を食っているのかもわからない何とも身勝手な男の結構きわまる話で、こんな小説がなんで傑作なのかさっぱりわからない。

仁ちゃん句鑑賞・・・・逸徳

はじめにおことわり。 もしかして、おいらがお師匠の句の鑑賞で「だれかがいない」という言い方をしたのが、作品に対して批判的な意味でいったと受け取られたとしたら、そういう気は全然なかった。まあ、それは考えすぎか。
 むしろ想像力を刺激する句の仕掛けとして大変面白いと思ったので。演劇で不条理劇で有名なサミエルベケットに「ゴドーをまちながら」という作品がある。これ、話題の中心になるゴドーは一度も舞台に登場しない。そういう面白さを感じたわけ。

で、仁ちゃんに論理的すぎるといわれたが、うーんわからんわけではない。褌子氏の軽やかな感想、時に句評というより、評者の個性が出ていて、この人だいじょうぶかいなとひそかに思ったりするが、そういうのを拝見すると、ああこういう感じでもいいなあと思ったりする。だが、おいらはなかなか立ちすくんでそう自由になれない。むしろ、おいらのは演劇の脚本分析に近い。演劇では、脚本は、出来上がった舞台のまあ3から4割ぐらいしか書いていない。そこで、それを演じる側は、行間からのこりの6から7割を想像し、創造する。ここに個性が出るし、批評はこれに近いというイメージがある。だからやっぱり批評は創造でもあるんだなあ。作品そのものとは別のある何かになる。そして、そこまでいくともう作者の手から離れるのだろう。作家は弁明しないのだ。 だが一方で、こっちの想像したことがあたっているのかどうか、作者の世界とすり合わせたくなる気持ちもわいてくる。この辺はミステリーの謎解きみたいだ。したがって、作者の解説もものすごく面白いのである。こっちの感じたことが作者の世界とつながっていたかと思ったときは、やっぱりうれしい。ぜんぜんピントがずれた批評だったら、作者は「フン あんなレベルの批評家に おれの世界がわかってたまるか」と、ひそかにつぶやいていればいい。これも面白い。だってピントのずれた批評家は、それこそごまんといるからね。

さて、仁ちゃん句。 前衛的色彩を帯びてきたというお師匠の言葉にいたく同感。
・春の野や宇宙の涯の骨董品・・・・・・・ 直観的に感じたこと。宇宙の果てというのは、ここのことかなあ。川端康成だったか正確には忘れたが、雪が降ってきた光景を「宇宙の底が白くなった」という表現に出会ったことを思い出した。骨董品って何かなあ・・・ うーん作者ご自身のイメージだったら面白い。春の野にぽツンと骨董品がおかれて・・・・シュールだぜ
・宇宙まで塵棄てにゆく木の芽時・・・・・塵取りに行くとやったら、これはやぶさの話だなあ。木の芽時は、うちなる狂気が胎動するのです。
・春の精踏切板から飛び出して・・・・・・すなおな青春賛歌とも読める。女学校の体育の授業の光景・・・・こう連想するから、おじさんはいやだ。 ムフフ
・光より速く走りて四月かな・・・・・・・・・・一億年と一時間はどっちがながいんだ。たいして違わんなあという気分になる。
・針の穴するりと抜けて春の海・・・・・・・いいなあ、おいらもこれ特選。いろんな裏読みができそう。 人生にはこういう瞬間が確かにある。するりとぬけたい。
・スローバラッド奏でる土偶鳥曇・・・・・・うーんイメージがまとまらない。鳥曇がよくイメージできないからかな。
・洋食でも和食でもいいよ春の雲・・・・・そう、どうでもいいのだ。ほとんどのことは。この人生にはホントに大切なことは、実はあんまりない。どうでもいいことに真面目な顔をして、あくせくしてきたなあ。うん今夜は熱燗だな。・・・次選としたい
・物を云ふ瓦礫のありて彼岸かな・・・・・9月末に現地にはいって浜通りを北上した。そのときは、がれきが撤去されて何もない光景が続いていた。繁華街がすべてなくなって、海岸まで真っ平なのだ。そのなにもない空間に言葉がなかった。逆説的だが、がれきの山があったときの方が、心が地面に足をつけているという気がした。何もないということは困る。どう泣いていいかもわからなくなる。あそこではどんな彼岸が来たのだろうか。
・沈む球異国の空に囀りて・・・・・・・・・ダルビッシュだなということはすぐわかったよ。それをさえずると受けた面白さ。脱帽。
・白楊の春まだ浅き轍かな・・・・・・・・・北国の春を思う。もう少しだ。ことしの春は遅い。

2012年3月12日月曜日

三寒四温・・・猫跨ぎ

  仁句はここへ来て前衛的な色彩を増してきたね。あまり具象のイメージを探さず、全体の雰囲気から三寒四温を感じてくれと言うことらしい。作者自身は個々に具体像はあるのだが。例えば「沈む球異国の空に囀りて」は、アメリカに渡ったダルビッシュ投手のことだが、囀りと付けるところなどは優しい心根が表れている。
あえて詳しく評釈しないが、
特選: 針の穴するりと抜けて春の海
準特選:スローバラッド奏でる土偶鳥曇
としたい。

  私の句の句評、お二人には感謝。確かに逸徳評に早々と自句自解してしまい、ちょっと早まってしまった。
「雪の匂ひ」は昔を懐かしんで作った。雪下ろしなんかして一服しに男たちがどやどやと来てお茶を飲む景だが、雪の匂いは雪国の人はすぐ判る。
「春ショール」に角巻きのおばさんか。それもいいが、艶冶な女性を思ってもいいよ。
「黙祷」は必ずしも昨日を思っての句ではなかったが、まあタイムリーだったかな。
逸徳氏の句評が論理的に傾き、いかがかという仁ちゃんの言だが、そういう角度からの切り込みも貴重ではないかと私は考える。と言うことでこれからも参戦して欲しい。

仁ちゃん句を鑑賞・・・褌子

・春の野や宇宙の涯の骨董品
   宇宙のはて。はてね。地球だって向こうからみると宇宙のはてだな。骨董品が唐突。瞬間凝視で焦点をしぼりたい
・宇宙まで塵棄てにゆく木の芽時
   きわめて現代的な句、放射汚染物質を宇宙に捨てる話もある。
   木の芽時がいいね   特選
・春の精踏切板から飛び出して
  なかなかメルヘンチックな結構な情景ですね。いつも函館の暗く垂れ籠めている雪雲をみているとこんな気持ちになるの  もわかります。  
・光より速く走りて四月かな
  光速より高速なニュートリノがみつかったという話は、その後、どうなったのでしょうか。本当に四月の春がまたれる今日こ  の頃であります。
・針の穴するりと抜けて春の海
  なるほど面白い。
・スローバラッド奏でる土偶鳥曇
   バラッドを広辞苑でひいたら「19世紀以降のイギリス・アメリカなどの物語風・感傷的  な大衆歌謡」とありました。渡り   鳥が北に帰る季節なんだね。土偶と鳥雲とスローバラッドと、てんこ盛りだが面白い   
・洋食でも和食でもいいよ春の雲
   そうです。ビールでも日本酒でもどっちでもいいです。
・物を云ふ瓦礫のありて彼岸かな
   まさに大震災の景ですね。
・沈む球異国の空に囀りて
   沈む球とは? 異国の空に囀りて?
・白楊の春まだ浅き轍かな
  白楊は「どろのき=はこやなぎ」マッチの軸は軟材の白楊だそうです。
いい句だね。春が迫ってきた観あり。轍に北海道の匂いがある。むろん白楊にも。   準特選

2012年3月11日日曜日

猫跨ぎさんの句をあじはふ・・・・・褌子

  きょうは3・11一周年。

・茶を啜る雪の匂ひの男たち
   雪の重みでぎしぎし家が悲鳴をあげて、男たちが毎日雪下ろしで疲れ果てている   景を想像した。
・通されて四面襖や漱石忌
   広くて古い家だね。
・判子屋の判子に埋まる余寒かな
   ハンコがびっしり並んでいる印鑑屋。小さな石油ストーブだけで店内なんとなく   肌寒い。
・手に障る帯紙捨つる啄木忌
   啄木のもの悲しい雰囲気
・イスラエルの青き柑橘寒明ける
   「青き柑橘」に紛争の地の緊張感、そしてユダヤ民族の強靱一徹の選民思想。イスラエルの国旗は青地の真ん中にダビデの紋章があって、上の横白線がナイル川、下の白線がチグリスユーフラテス川でこのふたつの川の間の土地はすべてカナンの地、つまり、神がアブラハムとその子孫に与えると約束した地と前13世紀ごろの大昔の話をもって、イスラエルの民が定住した土地だから、パレスチナ人の土地ではないと主張するんだからなあ・・・特選

・寒明けや父の紙縒(こより)の袋綴
    平和っていいなあ。イスラエルの青き柑橘句のあとにはひとしお 
・紅梅や待合室に誰もゐず
    ちょっと寒いがやっぱり待望の春はきたんだ。
・ふらここを夕日背負ひしまま降りる
    昭和20年代の景。何となく寒くいつも腹減っていた。夕餉のにほいがしてきた
    ふらここ=鞦韆=ブランコ=ふらんど=ゆさはり=半仙戯
    鞦韆ときくといつも思い出す句は、三橋鷹女
       鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし     
・春ショールして落陽の匂ひかな
    なんとなく昭和30年代の田舎町のおばさんの角巻姿を思い出した
・黙祷は何も祈らず沈丁花
   震災で身内を失ったひとびとに何もいうことばがない。沈丁のつよい芳香だけ

函館通信172・・・四寒三温・・・仁兵衛

折角書いた文章と句評がPCの調子が悪いのか送信出来ずいらいらしています。逸徳さん、あまり論理的に俳句を解釈しないで気楽にやって下さい。

  春の野や宇宙の涯の骨董品
  宇宙まで塵棄てにゆく木の芽時
  春の精踏切板から飛び出して
  光より速く走りて四月かな
  針の穴するりと抜けて春の海
  スローバラッド奏でる土偶鳥曇
  洋食でも和食でもいいよ春の雲
  物を云ふ瓦礫のありて彼岸かな
  沈む球異国の空に囀りて
  白楊の春まだ浅き轍かな

猫跨ぎさんの句は逸徳さんの評と作者の解説が先に来てしまって評するのが難しくなってしまいましたね。その中でも「判子屋の・・・」が特選です。・・・小さな判子屋の頑固親父が浮かんで来ました。地方でもどんどん無くなっていますが頑固に店を守っている姿が「余寒」の季語を巧みに導き出している様な味がしました。
更に「黙祷は何も祈らず沈丁花」が次に来ます。今日2時46分震源地の方向に向かって黙祷をしました。黙って祈るのも祈りの一つの形でしょう。それにしても沈丁花がもう匂いますか。


俳句の主語・・・猫跨ぎ

  俳句の主語は基本的には作者だね。ただあまりそこを強調すると何だか私小説みたいになって息苦しくなってくるのでやや距離をおく。つまり主客融通無碍みたいないい加減な場合もあるね。要は読み手が作者の作る空間を面白いと思うかどうか。あとは省略の仕方に慣習的なところがあるから、ちょっと判りづらいところがあるかもね。
  四面襖は一種の閉塞感のイメージだった。漱石文学と響き合うのを意図したのだが。イスラエルの青き柑橘(かんきつ)は、実際に最近スーパーに出回っている。青いので人目を惹くが。珍しさだけを狙ったかと言われればそれまでだが、風雲急の中東をちょっと思ったり。それから上五の字余りはまあ程度によるが容認される。黙祷は、よくやる風習だが、あれ一様に頭を下げるが何か祈っているのかといつも不思議に思うね。そんな風景。沈丁花はそのとき鼻につく匂いで句に現実味を持たせた。拙作におつきあいいただいてありがとう。

2012年3月10日土曜日

なにはさておき・・・・・逸徳

面白い話が続いたと思っていたが、まあ熊さんの気持ちもわかるので、またにしますか。 ただ、こういう話が暗いという感想はそりゃ熊さんが、いまだ青春ということで、けっこうなんだが、まあいつまでもそうはいかないので、やっぱり普段からこういう話は時々ふれたい。ごめん。熊さん。

さて、お師匠の作品拝見。実は、年のせいか変に屈折していて、考えすぎてしまい、どうもこういうのが不得意になった。とはいえ、まあいろんな読者がいてもいいのではないかと思い、感想を。 気が付いたことがある。全部がそうというわけではないが、気になった。今回の作品の多くが、そこに誰かがいないのだ。それはだれか。作者とその誰かの関係はどうなのか。想像力を刺激された。一部だがお粗末な感想を。言葉たらずはご容赦。

・通されて四面襖や漱石忌・・・・ 四面襖とは、よほど大きな家。通されての言葉から、何かの会合のイメージとは違う。いったいどんなおたくなのだろう。 古くて空気が動かない、静かでおおきなお屋敷。時々庭からししおどしの音が。やがて静かに襖があいて・・・・どんなひとが出てくるのかなあ。
・手に障る帯紙捨つる啄木忌・・・・・帯紙は捨てるのである。それは手に障るのだ。作者の心理状態は平穏準安定ではあるまい。気になる。啄木忌がよくあっている。これがたとえば漱石忌だったらおかしい。
・イスラエルの青き柑橘寒明ける・・・・ イスラエルという言葉がひきずるイメージが面白いが青き柑橘とうまくつながらなかった。これ何と読ませるのかなあ。 かんきつだったら、いろいろあるからイメージが分散するだろう。レモンかな。だったら檸檬だろうし。イスラエルのかわりのレバノンならどうだ。字あまりにならん。
・寒明けや父の紙縒(こより)の袋綴・・・・・ ここでいないのはもちろん父。 寒明けといっても近年にない寒さが続く。ああこれおやじの手だと、ぽっと心のどこかに明かりがともる。だが懐かしさというより、哀しさといった感じ。気が付いたら父の年をそろそろ超えるのだ。
・紅梅や待合室に誰もゐず・・・・・ 客もいない。紅梅をめでるひともいない。 ただ、あたりに誰がいようがいまいがリンとして紅梅は静かにそこにある。在るということの確かさ。
・ふらここを夕日背負ひしまま降りる・・・・ ふらここがぶらんこというのは、この句を見て調べて初めて知った。ふらここというとうーんセピア色だなあ。あのころからだいぶ遠くまで来たなあ。あのとき、横に誰かいたんだ。誰だったかなあ・・・・
・春ショールして落陽の匂ひかな・・・・ ショールか。堀口大学の詩を思い出した。・・・「つばめは「春」の使ひです 街へけふ来た使ひです 千尺のかすみの上はまだ寒い  ショールを買ってかへります」 ・・・・ うーん、しかしなんだかそれともちがう。もっと色っぽいなあ。春、ショール、匂い・・・一種のエロティズムすら感じるが。 やっばりここには誰かいない。その誰かは女だな。
・黙祷は何も祈らず沈丁花・・・・ いのりは言葉を超える。そのとき、こころの中には何もない。誰もいない。言葉ではいえない。 いったい誰のことを祈るのか。沈丁花だけが知っているのか。花、黙して語らず。

2012年3月9日金曜日

近作十句・・・猫跨ぎ

だいぶ話も煮つまった感もあるのでこの辺で近作十句。

・茶を啜る雪の匂ひの男たち
・通されて四面襖や漱石忌
・判子屋の判子に埋まる余寒かな
・手に障る帯紙捨つる啄木忌
・イスラエルの青き柑橘寒明ける
・寒明けや父の紙縒(こより)の袋綴
・紅梅や待合室に誰もゐず
・ふらここを夕日背負ひしまま降りる
・春ショールして落陽の匂ひかな
・黙祷は何も祈らず沈丁花

たちすくむ… 褌子

  猫跨ぎさんがいうごとく『人間臨終図鑑』の萩原朔太郎の項を読むと葉子さんという朔太郎の娘が「父はひどい痔で電車に乗ってもいつも困っていました」とか「死ぬ前も大便がしたいしたいと騒ぐので、布の上にしたらといくら言っても便所に連れて行けと怒るので、枯れ木のような父をささえて便所に連れて行っても何にも便がでない。ふとんにもどるとまた大便がしたいと騒ぐ…」などと家族を散々悩ませながら臨終を迎えたそうです。
   まあこれが人間のすがたなんだね。困ったなあ
   ズボンからお○○○○をだしたまま町内を徘徊、近所の奥さん達から後ろ指をさされるようになったらもう死にたい!ね。
   でもこういうのはぜんぜん大したことじゃあないんだ。
   孫が津波でさらわれたまま、せめて夢のなかで孫に会いたいと枕元に写真をおいて寝るという仮設住宅のおじいさんの話に泣いてしまった。自分も孫にもう会えないと思ったら同じことをするだろう。こういうところが不公平なんだ。いくら真面目に誠実に生きてもこんな不条理な目に会うこともあると思うとたちすくむ。
   4月に一週間、津波で壊滅した牡鹿半島にいってくる。
   

    

2012年3月8日木曜日

すすんで灯りをつけなさい・・・猫跨ぎ

  暗い明るいってどういう分類か知らないが、それはともかく、老いの話題は暗くて目にしたくない、と言うことかな。それは好きずきと言うしかない。そのことよりもあらゆる問題にタブーなしに行こうや、というのが少なくとも私の当欄についての考え方だ。何かに遠慮しても始まらない。皆さんもこの辺については特に異論はないのではないか。
人生楽しくいこうや、は誰でもそうありたい。自明の話だね。だからどうなんだというところ。
「暗いと不平を言うよりもすすんで灯りをつけなさい」は朝のラジオのカトリックの番組でよく聞くが、それに倣って、明るいテーマをどんどん書いて頂戴。

正しいお亡くなりの方法…  褌子

  からりとした性格のひとは、からりと死ねる確率がたかいそうです。
   うじうじと暗いひとは、うじうじとした暗い死に方になるそうです。
   房総の白浜に喘息で引っ越ししたひとからきいたのですが、「喘息がなおった。ここらへんは年寄りもいい死に方している。昨日まで、にこにこ畑やっていたおばあさんが今朝行ったら死んでいるとか、天気がよくて身体を動かして空気と魚と野菜が新鮮なせいではないか」といっていた。そんな傾向も少しはあるのかもしれんなあ。

話題が暗いなぁ~    九州の熊

人生明るく楽しく生きようではないか! 

2012年3月7日水曜日

死は愉悦か・・・猫跨ぎ

   死は愉悦に近いと思っている。生は四囲の色んなストレスとの体力、知力を尽くした戦いだと思う。その緊張から解き放たれるから。死顔は(私の知る限り)等しく安らかだ。年齢が何歳か若返って見える。だから、その部分は安心していいのではないか。
   糞まみれが尊厳を犯すか否かは人それぞれだろうが、望んでそうなる人はいないだろうな。元気で意識清明で人生を終えたい、そう言う状態で周りに感謝と別離を言いたいというのは、人間として真当な要求だと思う。これが安楽死か。脳死状態で生命維持装置を外すのが尊厳死か。今、尊厳死は認められつつあり、安楽死はまだまだ幇助すれば犯罪行為。ただヨーロッパの或る国では容認の処があるとか。こういう動きに火のついたように反対する連中もいるが、何を騒ぐのかと言いたい。いいのではないか。
  江藤淳が晩年、脳梗塞を患い、思考が思うようにならなくなった。結局、自裁したが、友人への遺書の一節に「今の自分は君らの知る自分にあらず」というのがあった。自壊していく予兆のなかで、彼なりに尊厳を保つにはこうするしか無かったのだろう。
こういう知識人ならずとも、自己崩壊に際してどう向き合うかは永遠の答のない課題だろう。

老いについて今思っていること・・・・逸徳

死という経験は、一度体験したらそこからもどってこないのだから、生から見ると他人事である。生きている間に体験することは、それがどんなことであっても、生きている限りもういちどそれに出会う可能性がある、つまり再現可能性があるという意味において、生の範疇の問題であり、つまりは自分自身の問題になるといっていい。だが、死はそうではない。一度死ぬと二度死ぬことはない。したがって死の諸相について考えてもそれは生とは直接つながらない。つまり他人ごとなのだ。そういう感覚は昔からあった。だから死ぬのがこわいということがこどものころからよくわからなかったのである。だって死んだ人から、それほんとにこわかったのと聞くこともできないのだから、怖いかどうかわからないだろというキモチがおこった。だからむしろ死が怖いのではなく、生とわかれるのが怖いのであろう。

その中で思うこと。肉体と精神をいかに切り離していけるか。それが問題である。肉体の老化は物理現象だから怒っても泣いてもしょうがない。お師匠のいうくそまみれ状態というのは、そういう問題に対処できなくなった肉体の状態を、どう受け止めるかということで、その状態がその人の人間の尊厳にかかわるというわけではぜんぜんない。だって、寝たきり老人の排泄の問題と日夜格闘している介護士はそれこそ何万もいるわけだし、彼らはそれを単なるケアの一場面としてとらえており、そういう老人たちの人間的尊厳を軽視しているわけでもなんでもない。むしろそういう状態になってケアされなくてはならなくなった当人が、それが自分の人間的尊厳にかかわることだというとらえかたをすること、人間的尊厳とはそういうことについて自己処理できなくては維持できないのだというイメージをもってしまっていることが問題なのだろう。もっといえば、首から下が動かない障碍者なんて、人間的尊厳をどう考えたらいいのだろう。
おいらの体験だが、寝たきりで完全におむつ状態の老人と知り合ったことがある。脳は死ぬまで元気で、枕元で読んでいたのがギボンの「ローマ帝国衰亡史」だったのにびっくりしたことがある。だから体のことはとらえ方だと思って、なぐさめていくことにしている。まあ、おしめになってもいいや。

 だから問題はそれを受け止め評価し、対処する心の問題、もっといえば脳の問題である。脳もまた壊れはじめる。それが怖い。だからどのように壊れていくか、その段階を自分なりにイメージしていると、脳の中でおこる変かが、老化に伴う必然的物理現象だというとらえ方をするようになり、したがってその変化を自分なりに受け入れて対応策をとることができるようになる。(はずだ。それが今の目標)
 いけないのは過信することだと思う。たとえば昔はほとんど手帳を持たなかった。予定をおぼえている自信があった。これがあやしくなったので手帳を持った。 ところがその手帳をどこかに置き忘れる。そこでスケジュール変化を携帯にいれた。今のところ携帯は忘れにくい。さらに二つ以上の情報処理が同時にできなくなった。昔は三つぐらいの同時処理ができたのに。で、このとき頭の中に浮かぶイメージは、こわれかかってあちこち断線しているパソコンである。 しかし、ありがたいことに私が私であるという自己認識はしっかりしている。つまり中央演算装置はまだ機能している。ではここまで老化が進行したらどうなるか。いろいろな対策を考えているのだが、まあ当分大丈夫と思っている。

アルツハイマーのような認知症で、さまざまな周辺症状が起こるのは、当人の中でゆっくり進む人格崩壊について、残余の能力を総動員して、必死でつじつまをあわせて、人格崩壊(私が私でなくなる)恐怖とたたかっているからであるという。つまり必死で生きている人生の戦士なのだろうと思う。そして、興味深いのは、その個人の心理的、生活史的要因、他者との関係などによって激しい周辺症状を起こす「めんどうみられ方」が下手な人と、穏やかな「面倒みられ方がうまい」人がいるという。後者のほうが、症状が急激に進むことが多いらしいが。 で、おいらたちの誰かがそうなったらやさしくあつかってあげようね。

老いの極北・・・猫跨ぎ

  食事時に相応しくない内容になってしまった事を遺憾とするが、老いの極北に必ずある事実でどなたも納得されよう。「哲学的」というからには、徹底的で普遍的であらねばならず、こういう事実を対象から除去すべきでない。とはいえ当の本人はそういう事態の認識からもう別の世界に旅立っていることも最大の悲劇(喜劇か)なのだけれど。
  俳句結社にいて散見されるのは、やはり忍び寄る老いに飲み込まれる同人たちだ。文章に脈絡がとれなくなる。簡単な一文でもそれを構成するのには相当な知力を使っていることが判る。それに隙間が出来はじめる。ふしぎと俳句はまともなものをつくるのだが、これも時間の問題で、徐々に崩壊してくる。

2012年3月5日月曜日

詩人の願い・・・猫跨ぎ

  そういう昇華の仕方もあろうが、まあそれは詩の世界だね。宮沢賢治論は別な機会にしたい。肉体と精神が壊れていくのはまさに物理現象なんだ。糞まみれになって、光です、絶望ではありません、といっても余りリアリティはないぞ。
萩原朔太郎が寝たきりになってさめざめと泣いたという。耳をそばだてると、「頼むから、便所で糞をさせてくれ」。これ、たしか褌子氏の『人間臨終図絵』に出ていたのではないかな。「月に吠える」のあの詩人がなあ。

こういう話は大切だと思う・・・・逸徳

死ぬはなしなんて、縁起が悪いと、みんなから非難される。でもほんとにそうか。そういうことだから、老いの果てになってみんなおたおたする。ちゃんと元気なうちから、こういう話はしていたほうがいい。 で、もう24年も前のはなし。島田商業高校で演劇部の顧問をしていたころ、こんな体験をした。演劇をやっていると、ときにドキンとするくらいに印象深いセリフにであうことがある。それは、その言葉だけで独立しているのではなく、あるドラマの流れの中ででてくるから、なおのこと印象が深い。それを身体性をともなったセリフといういいかたをすることがある。で、そういうセリフにであったのだ。題は「雪をわたって…私たちはあの日森へいってみた・・・」という。作者は北村想。「寿歌」で有名である。もちろんお気づきとおもうが、この戯曲は宮澤賢治の「雪をわたって」という作品を下敷きにしている。でセリフだ。
 ・・・・・私たちはいずれ死にます。この生きているという物理現象は終わるのです。しかし、それは絶望でしょうか・・・・もし死ぬということが絶望なら、私たちは絶望にいたるために生まれ、生きていることになります。ごらんなさい。森は絶望していますか? いいえ、けしてそうはみえません。森は空気に包まれ、空気は光に包まれ、光は宇宙に包まれています。私たちもそうでしょう。私たちは森に包まれていました。私たちは、生まれてくるときも、生きているときも、そうして死んでいくときですら、きっとなにものかに包まれているのです。私たちを包んでいるものとは、この森であり、光であり、闇であり、そうして私たちそれぞれ自身なのです。私たちはけして絶望につつまれているのではないと、私は思います・・・・・

このセリフの力はすごかった。部員一の美人の子が演じたのだが、しかし、彼女の演技力以上にセリフの持つ力が、おおきな反響をよんだ。で、何年かしてこのセリフをおいらの年賀状につかってみたのだが、ご記憶の方はおられるかな。 老いや死について考えるとき、よくこのセリフを思いだすのである。


老いの話は尽きず・・・猫跨ぎ

  私も俳句のバールフレンドから亡夫の蔵書を持っていってくれと言われたことがる。
やむなく江戸図絵の高価なシリーズ本を預かったが、倉庫の奥に積ん読状態。彼女はその後、交通事故にあい、そのまま退会してしまった。子供はなく、施設暮らしである。聞くところでは親戚により住まいは処分したという。入居の費用に充てたのだろう。
  逸徳氏の話し相手ボランティアは以前聞いたことがある。それから65歳以上の横の繋がりの企画も逸徳氏らしい。きっと評判を呼ぶだろう。
  老いも階層別に分類されるのだろう。認知症は終末期としていいのだろうが、この特徴は「人間の崩壊期」ということなんだね。崩壊期であっても命は命という闇雲の延命しか考えないのが今の医療なのだが、尊厳との関係でもう一度きちんと考えてもいいのではと思う。明晰なうちに命を終えることを社会がきちんと容認する仕組みを考えるべきと思っている。先に紹介した高裁の裁判官だって、現役の頃は明快な論理で人を裁き、時に涙し、人の道を説いたのだろう。認知症の妻に殺められる自分が何ものかも認知できない、こういう自分の最期って一体何だ。彼には真当に生を終える権利はあるはずだ。

冷静沈着! 別ファイルに保存・・・・褌子

  まあ昔から、可愛い赤ん坊も必ず老いさらばえることにきまっているのだから、深刻に考えすぎるだけ損かもしれない。年末にいった尾道の貧乏そうな禅寺の山門に「生は偶然、死は必然」と書きだしてあったとおりだ。
  中学時代の体育の先生は運動会で大車輪などしてみせて生徒会誌にも「命あっての物種」と寄稿したが、恩師のなかでは一番早く若死にしたからわからんものだ。
  アテルイについてちょっと書いたら、ただちに酔眼朦朧の猫跨ぎさんが自分の分だけ保存しておいた過去の発言を検索かけて再録してくれたのにはびっくり。氏もやはりデジタル時代の恩恵に浴しているな。
  実はこのブログは自動保存機能がない。
  私は毎回書きっぱなし、三膳飯は食いっぱなしで、そんな器用なことしてないのでそこでまた「全ファイルにチェック入れてしまい全部削除という事故」がおきて全部パアになってはと思って、一時間もかけて前回消失した分のあと2010年11月以降の発言を一枚のファイルに別に保存した。なんと四百ページにもなったから、ひまじんがずいぶん書いたものだ。
  しかし毎日、パソコンを開いて、どれどれと読んで、ならばと書くのは楽しいね。俳句はどうもこうはいかないから不思議だね。みなさんこれからもよろしくお願いします。
  

老いるということ・・・・逸徳

いや、つらい話だなあ。老いとどう向かい合うか。 今の時代において老いるとはどういうことか。 実は、三年ほど老人ホームにボランティアで通い、何人かの高齢者と知り合いになった。高齢者の話相手である。ピアカウンセリングという。告白すると、せっかく勉強した心理学をそのままにしているのはよくない、自分なりのフィールドをもというという、正直いってやや傲慢な思いもどこかにあった。 そして3年も通っていると、いろんな高齢者の話を聞くことができたのだが、そのうちに何人かの高齢者の話がどんどん深くなってきたのである。わかってきたのは、みんな孤独なのだ。その孤独の形態はひとによってみんなちがうのだが、とにかく残り少ない時間の中で、何とか老いという運命とおりあいをつけようとする。それは、時に揺れ動きゆきつもどりつする。
 話を聞くということは、ただ老いの過程によりそうことであり、それしかできない。だがそのうちに正直なはなし、怖くなってきたのである。高齢者の老いとのおりあいをつける戦いは、実は自分自身のテーマでもあるはずなのだ。だが、自分がそれをどうしていいのか、よくわからない。今日感じたことは、明日になるとまた迷い、違ってしまう。つまりどっしりと落ち着いてそこにいられない。 で、そんなところに、身内や親友が続けざまに亡くなった。がんや、治療不能の難病である。ますます、自信をなくした。 何をいっていいのか。どうしていいのかわからなくなった。老いるということを、自分の世界の中に位置づけることがうまくいかないのである。 というわけで、半年ほど前にボランテイアをやめた。 しりあったおばあちゃんたちとの間にいろんな思いはあったのだが、いってしまえば戦線逃亡である。恥ずかしい。

老いを自分の側から見るか。それとも客観的に外から、社会的問題としてみるのか。自分の側から見るのはそれこそ哲学的問題で、それがうまくいかなかった話をしたのだが、外から老いを見たらどうなるのか。孤独死などはこういう面からの話なのだろう。その面から、報告してみたい。
 で発想を変えた。ひとはいずれ死ぬ。65歳で平均余命20年。そこで、さしせまってからおたおたするのではなく、高齢者の入口で手を打とう。ということで、地域の仲間といっしょにやってきた地域福祉の研究グループが中心になり、ひとつのイベントを構想した。おいらの地域は人口1万人。この中に現在65歳のひとは約130人ほどいる。これを全部1か所に集めるイベントをやろうというのである。4/21に日時が決まり、会場も決まった。中身はどうするか。ひとつは記念講演会。そしてもうひとつが交流パーティである。ここでは、横の交流の機会をつくり、地域に65歳のネットワークをつくろうという発想である。地域の絆のなかにしっかりとつながった高齢者。ひとりぼっちはなくしたい。(この地域でも孤独死が出てしまった。)そしてそのマンパワーを地域づくりに組織していく。というイメージをもっているのだが、さてどうなるか。 ところがである。いろんな団体の協力を得て準備がすすんでいるのだが、スタートでつまずいた。ひとりひとりに招待状を出したいのだが、肝心の65歳がどこにいるのかわからないのである。なんか笑い話だ。 また結果を報告しよう。







 



re:老いて    ・・・褌子

   近所に鬱そうとした林のなかに地主だった旧家があって独身を通したおばあさんが住んでいた。老後は樹林に囲まれたレストランをやりたいという私の知り合いがいて、いちど訪ねていったことがあるが、私が死ねば相続する親類が東京にいるので…と気の毒そうにおばあさんに譲渡をやんわり断られたことがある。
  この近所づきあいもなかった物静かなおばあさんが、ガス代の集金人に風呂のなかで死んでいるのを年末に発見された。年が明けたら、相続人の手で、あっというまに重機でばりばりと大きな家も壊されゴミの山になり、欅の屋敷林も無残に切られて今は大きな切り株だけが寒風にさらされている。林にかくれていた奥の住宅地が丸見えになって西風があたって寒いと、町会のひとがこぼしているがどうすることもできない。
―――――
   きのうの日曜日、寒かった。年金者組合の新年会があって、こちらもいちおう組合員なので参加したが、全員の自己紹介が面白かった。平均年齢は七十七八才くらいだと思うが“死に支度ぶり”が十人十色。
  会がひけて九十才ちかいおばあさんを車で自宅まで送っていった。亡夫の本の処分で困っている、ゴミに出すのも夫に申し訳ないし、自分も目がほとんど見えないし…としきりにこぼしている。独り暮らしで、たまに来る子供たちも本には興味がない、段ボールがあるから好きなだけ持って行って欲しい、と何度も頼まれて自宅にあがりこんでしまった。
  猫跨ぎさんがもってるという小宮豊隆編集昭和四十年から配本がはじまった漱石全集三十五巻が茶の間の本棚の真ん中をかざっている。その下には中江兆民全集、うえには平塚らいてふ全集、山本宣治全集などがあって、今の私の年齢の六十九才で三十年ちかく前に亡くなったご主人Kさんの風貌を思い出した。
  漱石全集はさすがに気がひけて、書棚の一番うえにヒモでしばって積んであった鴎外選集全二十一巻だけを紙袋にいれてもらって帰った。むかし、ご主人が「ぼくはいま鴎外を毎晩寝る前に読んでいるよ」と酒の席で話していたのをかすかに思い出したのである。石川淳編『鴎外選集』新書版、黄土色のクロス装上製本。
  さっそく第六巻の「史伝一」の『渋江抽齋』を夕べ夜から読み出した。
  やっぱり安物の文庫本よりクロス装上製本は手触りがいいねえ。
  『銃・病原菌・鉄』『人間臨終図鑑』『平家物語』『父の肖像』、アテルイを描いた高橋克彦『火怨』と寒いせいか春分以降もやけになってめちゃくちゃに読みちらしているが、こらえ性のない性格はなおらないものだ。
  デジタル時代をむかえて、家庭に退蔵されている蔵書類を買いとる古本屋もなくなると産廃埋め立て地のゴミになるのか市営焼却場で煙になるのか…さみしい景ではあるが、うちの本もたぶんおそらくその運命に。 

2012年3月4日日曜日

老いて・・・猫跨ぎ

  余り話題にしたくないことだが、先週か、元高裁の裁判官(78歳とか)が、老妻に首を絞められて殺された。夫妻ともども軽い認知症だったという。体には複数の痣があり、日常的に妻から暴力を受けていたらしい。元裁判官は名の知られた人だったとかだが、まことに最期は無惨だった。認知症の夫婦が何故放置されていたのか、子供はどうしていたのか、様々な疑問はあるが、今日もまた同じ様な事件があった。
  認知症の妻を「もう死なせてください」という言葉のままに殺害し、自分は手首を切ったが死にきれずうずくまっているところを、尋ねてきた娘に発見されたという。まことに哀しく無惨で救いのない事件だ。「老残」とはいいたくないが、かく人間は壊れてゆく。
  これは孤独死だが、元連合の鷲尾会長、元社会党の楢崎弥之助氏が相次いで死後、自宅で発見された。いずれも病死とかで、みな一人暮らしだった。元社会的名士であってもなくても、連れ合いがいてもいなくても、老いて放置される時代である。

歴史のダイナミズム・・・猫跨ぎ

  で、アテルイがどうしたのか。本題がどこかへ行ってしまった。要するに大和朝廷史観のことか。随分最近は歴史教育も重層的、多面的になってきたのではないかね。古代史の研究成果もどんどん取り入れているように思う。単一民族論なんて何時の話だい。出雲から北陸、新潟にかけての日本海文化圏なんかも随分調べられてきた。それは糸魚川から諏訪へと至る。そして出雲へは北九州、大陸、南方海域からの強い影響が見られる。ヤマトはそれぞれを個別に服属させて個別に神話の中に封じ込めてきた。そんなことも皆常識になってきた。歴史のダイナミズムだな。この潮流はどうしようもない、と考えるね。

2012年3月3日土曜日

むかしむかし・・・猫跨ぎ

  今帰宅。酔眼朦朧とパソコンを開くと、あれ、どっかで見た記事が載っている。当欄で一時話題になった。で、検索をかけると、そうそう古いのはあのアクシデントで全部消えていて駄目だ。
私が投稿した原稿は全部バックアップしているので調べると出て来た。以下、転載する。

2008/10/11 「俘囚」
 8世紀は大和政権が東北の服せざる人々(蝦夷)の征服戦争が繰り返された。(要するに稲作の集団が勝手にやって来て開墾をやるわけで、先住民にとっては迷惑千万なはなしだ。反乱ではなく防衛戦争なのだが。)
 その都度、大和政権は数万の軍勢で攻め込んだ。坂上田村麻呂が797年に征夷大将軍となり、802年に胆沢城、803年に志波城を築いたあたりが蝦夷征伐のほぼ完成期にあたる。
802年には、手勢を連れて降伏してきた蝦夷のリーダー、 大墓公(たものきみ)阿弖利為(あてりい)と 盤具公(いわぐのきみ)母礼(もれ)(アテリー、とかモレーとか言ったのだろう)の二名を京に連行している。
 田村麻呂は二人を赦し、故郷へ帰すことを申し出るが、朝廷の態度はとんでもないものだった。二人とも河内国樟山にて死刑に処してしまった。この辺は、想像を掻き立てるものがある。胆沢から長途、京まで連行途上に、彼らには武人同士の友情が生まれたに違いない。しかし公家の官僚どもは生け捕った虎を野に放つことはない、処分してしまえということだろう。田村麻呂が必死に助命嘆願したか否かは知る由もないが。謀略を知っていたとは思いたくない。
 しかしこういうだまし討ちは、その後、江戸時代のシャクシャインの反乱の際に繰り返された。和睦を申し出た松前藩は、歓迎の酒宴の場で酩酊したシャクシャインを殺してしまった。

 平定された蝦夷の民はその地に置いておくと反乱を繰り返すということで、小集団にして、関東から九州まで色々な地方に移住させた。このあたりは、続日本紀、類従国史などに記述があるらしい。生活習慣、言葉が違うという記述をみるとやはりアイヌの民だったか。
 彼の地での生活になじめずしばしば暴動を起こし鎮圧されたとある。何か「バビロンの捕囚」や、アメリカの開拓時代のインディアンを思わせる哀しい話だ。

アテルイについて・・・褌子

Stick from bushだが
  アテルイという歴史上の人物を私は長いこと知らなかった。
  われわれが受けた文部省推薦の日本史教育がいかに「大和朝廷史観」であったか痛感する。
  もっとも世界大百科事典(平凡社1998年)にもアテルイは項目としてはでていない。
  あるのは桓武天皇の項目に―――――「789年には蝦夷の将阿弖流為(あてるい)のために1000人余の死者を出して大敗するありさまであった。しかし天皇は渡来人系の坂上田村麻呂を抜禽して征夷大将軍とし,その巧妙な戦略によって801年(
延暦20)奥地の胆沢地方まで平定できた。」とあって唯一1箇所だけアテルイがでてくるだけ。
  1993年発行の広辞苑第四版にもない。2008年の広辞苑第六版にはアテルイ【阿弖流為・阿弖利為】の項目が登場する。  三省堂の大辞林2006年版には広辞苑よりもアテルイはずっと詳しくでているが、2008年の日立マイペディアにはまだでていない。
――――― 「蝦夷平定」に一番熱心だったのは、平安遷都を行った桓武天皇だが、注目すべきは桓武天皇自身が有名な渡来系の天皇だということで世界大百科の上記の記述にもあるように坂上田村麻呂も新羅からの渡来人。
  いぜん、平成天皇が韓国訪問したときに「わたしのうちの皇室の祖先に桓武天皇というのがいて、彼の母親は新羅の王様の姫君でした…」と演説して話題になったことがある。
  古代から日本列島の覇権をめざしてさまざまな民族が四方から入り込んで争ったり融合したりしてきたということで、日本は単一民族国家ではなく、昔もいまも多民族国家であるということだ。
  アテルイはいまの高校日本史教科書にどんな形で登場しているのかいないのか興味がある。「新しい歴教科書をつくる会」の『国民の歴史』(産経新聞社・西尾幹二編集)には私がざっと読んだ限りでは蝦夷もアテルイも坂上田村麻呂も全く登場しない。稲作技術などを大陸からもってきた渡来人の存在はしぶしぶ認めてはいるが、きわめて小さい存在だとしているのがこの特徴。 「歴史は科学ではない。神話である」と堂々と書いている歴史教科書がいま、文部省の検定を通っているのは恐ろしい気もする。

2012年3月2日金曜日

自伝文学・・・猫跨ぎ

  辻井喬のは自伝文学の括りだろうな。立場上いろんな有力者と会っていて自然に、歴史、経済小説の形にもなった。北杜夫の「楡家の人々」、佐藤愛子の「血族」(だったか)とか、それぞれ一族の歴史を扱っている。こういうジャンルがあるんだろう。
ひと頃、辻井喬は新聞とかラジオに随分出て、自分史を話していた。弟の義明については、(兄弟といっても長ずるまで交流はほとんど皆無たったろうが)、「彼と話をしても全くディスカッションにならない」と言っているのを聞いたことがある。思考の仕組みが全然別の人種という感じを抱いていたらしい。判る気がする。父親も同じ体質なんだろうが、何せオヤジじゃ無視もできない。
  こういう一種の実録小説は面白いし、作者は当代有数の知識人であるから分析も只ならぬものがあるのだろう。
芥川賞にもどるが、純文学(余り言われなくなったが)がどうなっていくのか関心があり、それで読んだのだが。つまりリアルの世界を扱うのではなく、一種の仮想の世界の物語りだ。作家の世界観とか構想力とか。世界的に言って低迷期にあるという説がある(加藤周一)。しかしこれが実態とはなあ。

辻井喬『父の肖像』・・・・褌子

    先行きあまり時間がない(笑)ひとにおすすめ。
   辻井喬『父の肖像』
   辻井喬は詩人、作家にしてセゾングループの総帥だった提清二のペンネーム。
   こんな面白い小説よんだのははじめてといったらいいすぎか。
   近江から裸一貫で上京した少年提康次郎が、西武グループを興し、かつ大物保守政治家にのぼりつめて死ぬまでを書いている。父康次郎は幼くして生母と別離したが作者自身も同じ運命をたどることになる。実の父ではないかと疑う作者と康次郎との確執。戦後まもない日本共産党入党と八ヶ岳の結核療養所のころの青春時代。
   推理小説、心理小説のようでもあり経済小説、政治小説でもある。明治20年代から60年安保がおわるころまでを描いた歴史小説ともいえるかもしれない。
  優れた推理、心理小説というのは、康次郎の弟夫婦の子として育った作者自身は、戦争末期に実の父が康次郎であることをつきとめ、それでは実母は誰かと母親探しをはじめるからだ。『父の肖像』は自分の肖像でもあって、父を書いている息子自身の父と自分の関係への今のゆれうごく気持ちがしょっちゅう文に登場するのだから、よほどの実力がなくてはこんな小説を成功させることは不可能であろう。
   父康次郎のすさまじい女性遍歴とたくさんの子供たち。何十年も父に反抗しつつ父の残した事業をつがざるをえない葛藤。
   提義明など一族の名前はいちおう仮名だが、よくもこれほど何もかも正直に書いたものだ。ひとは親だけは選べないものなんだなあとあらためて思ったり、身内に小説家がいてあらいざらいやられたらたまらないだろうなあとも思いつつ、透明感のある洗練された描写にひきずりこまれるように長編を読み終えた。
   (保守政治家や財界人の醜悪ぶりも書いている。安保改定の前夜、岸にたのまれて訪米する父の秘書として、作者がマッカーサーやアイゼンハワーに会う場面も面白い。マッカーサー自宅の「日本の間」は日本の有力者の貢ぎ物で埋まっていたそうだ)

芥川賞Ⅱ・・・猫跨ぎ

  『道化師の蝶』はどうかというと、途中で終了。1/3も読んでいない。これ最後まで読むには相当の忍耐が必要だ。「わたし」が旅客機のなかで風変わりな実業家と隣り合わせになる。とりとめのない会話から新しい出版物の話が始まるが、ふわふわととりとめがない。あちこち話は枝葉が伸び、また元に戻り、言語論の話になったり、「わたし」が変わったり、そういうパラグラフがいつまでも続く。まともな小説の概念から相当に飛んでいる。新しい試みか何か知らないが、そんなことでとにかく一票いれとくかで決まったような、審査員もよく判っていないのではないか。で、先行きあまり時間のない私としては放りだしたというわけ。これが現代小説らしい。先行き暗いぞ。

2012年3月1日木曜日

芥川賞・・・猫跨ぎ

  熊さんは充実した毎日を送っているようで結構だね。唱って打ってもう時間が足りないくらいとか。体調も申し分ないようだ。まあ、好事魔多しだから、階段で転ばぬように注意してもらいたい。
  いま物議をかもしている(そうでもないか)、芥川賞受賞の『共喰い』(田中慎也著)を読んだ。誰か読んだかな。芥川賞というか現代小説はほとんど読まないのだが、ほんの思い付きで。で、どうだったかというと。出来損ないのどぎつい描写のオンパレード。濃厚な緊張感の場面描写に秀でるという向きもあるが、だからどうなんだ。敢えていえば、最後の結末のカタルシスはまあまあ、登場する四人の女性はそれぞれに書き分けられていること位か。なにせ薄い。薄っぺらな印象。何も残らない。これが現代小説の形か。
大昔、丸山健二の芥川賞作品を読んで周りの景色が変わって見えたことを思い出す。いい小説というのは胸にどかんと来るんだね。
もう一つの「道化師の蝶」を読んでいるところ。印象記はまた後で。

「ここに生きる」ついに公開!    九州の熊

映画「ここに生きる」。なかなかの反響のようです。褌子さん、鑑賞ありがとうございました。外交辞令が入ったコメントとは思いますが少なくとも負の印象ではなかったと受け止めます。神奈川に住んでいる会社の先輩からわざわざ電話がかかってきて、件の映画のことを褒めちぎったおはなしもいただいた。この先輩はむかし当地勤務で。過去に第九を歌ったことがあり特別の思い入れがあったようだ。ほかにもいろいろ。素直に嬉しいです。

いまわたしは合唱とゴルフ三昧の毎日。そしてこの地の気候風土が大変気に入っており実に充実した人生(やや大げさですが)を送っています。いろんな天災や人災、厳しい経済環境、こども世代の近い将来の過ごしやすさ、等を考えるとこんな呑気な毎日をいたずらに過ごしていていいのだろうかと思わすにいられませんが・・。年金カットなどで現実にわが身に火の粉がふりかかるようになるととたんにわあわあ言い出すことになるかもしれないけど。みなさんおっしゃるようにもう先がながくはないのだから世直しなんて肩にちからの入ったことを言わずに贅沢ではないけどそこそこ楽しい平凡な日々であることを願っている毎日です。

オペラの本番が迫ってきた。さあ練習だ、練習だ! 明日はゴルフ。イメージトレーニングもしておかなくちゃ! 九州の熊は気の休まるひまがありません。

熊さんが主演主役だった…  褌子

  四年に一度の2月29日、大雪のなかを中野ゼロホールで映画『ここに生きる』を鑑賞した。
熊さんが主演主役の映画なので本当にびっくりした。
品よい無精髭、白髪まじりの熊さん、39名のバスの中心で第九を歌う蝶ネクタイ、タキシード姿の熊さん、ソプラノやアルトを声を限りに歌う延岡美人のおばちゃんたちにずらり周りを囲まれてご機嫌の熊さんが大写しで何度も何度もでるではないか。
―――――
   もっとも、主演主役は熊さんだけというわけでは決してない。第26回のべおか「第九」を歌う会の全員が主役である主演者なのだ。そのなかには80才過ぎたお爺さんもいれば、ひい孫くらいの女子高校生もいる。
   さらには人口20万弱の延岡市民がみな主演主役といってもよい。第九の合唱をバックに延岡の四季のすべてをカメラは追いつづける。延岡の海も川も田んぼも山も鎮守の森のカエルも苔むした古城も町なかの猫も、そして旭化成の高い煙突もみな主演であり主役なのだ。
   宮崎県は口蹄疫、鳥インフルエンザ、新燃岳の大噴火に次々と襲われた。そして、やっと映画の撮影がはじまったとたん、東日本大震災、原発事故が起こった。鎮魂の意味もこめて堀有三監督はこの映画を撮影し続けたと、大勢のキャストやスタッフとともに壇上で語った。
   この映画は日本中の地域に今を生きる人々への賛歌である。
   日本で最初に公開された素晴らしい映画を最前列で鑑賞することができた。
   熊さんありがとう。
   國兼さんが豪雪で出てこれないので、中野駅ちかくで宮城浦霞の熱燗を独りで3合飲んだ。