2012年3月11日日曜日

俳句の主語・・・猫跨ぎ

  俳句の主語は基本的には作者だね。ただあまりそこを強調すると何だか私小説みたいになって息苦しくなってくるのでやや距離をおく。つまり主客融通無碍みたいないい加減な場合もあるね。要は読み手が作者の作る空間を面白いと思うかどうか。あとは省略の仕方に慣習的なところがあるから、ちょっと判りづらいところがあるかもね。
  四面襖は一種の閉塞感のイメージだった。漱石文学と響き合うのを意図したのだが。イスラエルの青き柑橘(かんきつ)は、実際に最近スーパーに出回っている。青いので人目を惹くが。珍しさだけを狙ったかと言われればそれまでだが、風雲急の中東をちょっと思ったり。それから上五の字余りはまあ程度によるが容認される。黙祷は、よくやる風習だが、あれ一様に頭を下げるが何か祈っているのかといつも不思議に思うね。そんな風景。沈丁花はそのとき鼻につく匂いで句に現実味を持たせた。拙作におつきあいいただいてありがとう。

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