2012年3月3日土曜日

アテルイについて・・・褌子

Stick from bushだが
  アテルイという歴史上の人物を私は長いこと知らなかった。
  われわれが受けた文部省推薦の日本史教育がいかに「大和朝廷史観」であったか痛感する。
  もっとも世界大百科事典(平凡社1998年)にもアテルイは項目としてはでていない。
  あるのは桓武天皇の項目に―――――「789年には蝦夷の将阿弖流為(あてるい)のために1000人余の死者を出して大敗するありさまであった。しかし天皇は渡来人系の坂上田村麻呂を抜禽して征夷大将軍とし,その巧妙な戦略によって801年(
延暦20)奥地の胆沢地方まで平定できた。」とあって唯一1箇所だけアテルイがでてくるだけ。
  1993年発行の広辞苑第四版にもない。2008年の広辞苑第六版にはアテルイ【阿弖流為・阿弖利為】の項目が登場する。  三省堂の大辞林2006年版には広辞苑よりもアテルイはずっと詳しくでているが、2008年の日立マイペディアにはまだでていない。
――――― 「蝦夷平定」に一番熱心だったのは、平安遷都を行った桓武天皇だが、注目すべきは桓武天皇自身が有名な渡来系の天皇だということで世界大百科の上記の記述にもあるように坂上田村麻呂も新羅からの渡来人。
  いぜん、平成天皇が韓国訪問したときに「わたしのうちの皇室の祖先に桓武天皇というのがいて、彼の母親は新羅の王様の姫君でした…」と演説して話題になったことがある。
  古代から日本列島の覇権をめざしてさまざまな民族が四方から入り込んで争ったり融合したりしてきたということで、日本は単一民族国家ではなく、昔もいまも多民族国家であるということだ。
  アテルイはいまの高校日本史教科書にどんな形で登場しているのかいないのか興味がある。「新しい歴教科書をつくる会」の『国民の歴史』(産経新聞社・西尾幹二編集)には私がざっと読んだ限りでは蝦夷もアテルイも坂上田村麻呂も全く登場しない。稲作技術などを大陸からもってきた渡来人の存在はしぶしぶ認めてはいるが、きわめて小さい存在だとしているのがこの特徴。 「歴史は科学ではない。神話である」と堂々と書いている歴史教科書がいま、文部省の検定を通っているのは恐ろしい気もする。

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