2012年3月10日土曜日

なにはさておき・・・・・逸徳

面白い話が続いたと思っていたが、まあ熊さんの気持ちもわかるので、またにしますか。 ただ、こういう話が暗いという感想はそりゃ熊さんが、いまだ青春ということで、けっこうなんだが、まあいつまでもそうはいかないので、やっぱり普段からこういう話は時々ふれたい。ごめん。熊さん。

さて、お師匠の作品拝見。実は、年のせいか変に屈折していて、考えすぎてしまい、どうもこういうのが不得意になった。とはいえ、まあいろんな読者がいてもいいのではないかと思い、感想を。 気が付いたことがある。全部がそうというわけではないが、気になった。今回の作品の多くが、そこに誰かがいないのだ。それはだれか。作者とその誰かの関係はどうなのか。想像力を刺激された。一部だがお粗末な感想を。言葉たらずはご容赦。

・通されて四面襖や漱石忌・・・・ 四面襖とは、よほど大きな家。通されての言葉から、何かの会合のイメージとは違う。いったいどんなおたくなのだろう。 古くて空気が動かない、静かでおおきなお屋敷。時々庭からししおどしの音が。やがて静かに襖があいて・・・・どんなひとが出てくるのかなあ。
・手に障る帯紙捨つる啄木忌・・・・・帯紙は捨てるのである。それは手に障るのだ。作者の心理状態は平穏準安定ではあるまい。気になる。啄木忌がよくあっている。これがたとえば漱石忌だったらおかしい。
・イスラエルの青き柑橘寒明ける・・・・ イスラエルという言葉がひきずるイメージが面白いが青き柑橘とうまくつながらなかった。これ何と読ませるのかなあ。 かんきつだったら、いろいろあるからイメージが分散するだろう。レモンかな。だったら檸檬だろうし。イスラエルのかわりのレバノンならどうだ。字あまりにならん。
・寒明けや父の紙縒(こより)の袋綴・・・・・ ここでいないのはもちろん父。 寒明けといっても近年にない寒さが続く。ああこれおやじの手だと、ぽっと心のどこかに明かりがともる。だが懐かしさというより、哀しさといった感じ。気が付いたら父の年をそろそろ超えるのだ。
・紅梅や待合室に誰もゐず・・・・・ 客もいない。紅梅をめでるひともいない。 ただ、あたりに誰がいようがいまいがリンとして紅梅は静かにそこにある。在るということの確かさ。
・ふらここを夕日背負ひしまま降りる・・・・ ふらここがぶらんこというのは、この句を見て調べて初めて知った。ふらここというとうーんセピア色だなあ。あのころからだいぶ遠くまで来たなあ。あのとき、横に誰かいたんだ。誰だったかなあ・・・・
・春ショールして落陽の匂ひかな・・・・ ショールか。堀口大学の詩を思い出した。・・・「つばめは「春」の使ひです 街へけふ来た使ひです 千尺のかすみの上はまだ寒い  ショールを買ってかへります」 ・・・・ うーん、しかしなんだかそれともちがう。もっと色っぽいなあ。春、ショール、匂い・・・一種のエロティズムすら感じるが。 やっばりここには誰かいない。その誰かは女だな。
・黙祷は何も祈らず沈丁花・・・・ いのりは言葉を超える。そのとき、こころの中には何もない。誰もいない。言葉ではいえない。 いったい誰のことを祈るのか。沈丁花だけが知っているのか。花、黙して語らず。

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