私も俳句のバールフレンドから亡夫の蔵書を持っていってくれと言われたことがる。
やむなく江戸図絵の高価なシリーズ本を預かったが、倉庫の奥に積ん読状態。彼女はその後、交通事故にあい、そのまま退会してしまった。子供はなく、施設暮らしである。聞くところでは親戚により住まいは処分したという。入居の費用に充てたのだろう。
逸徳氏の話し相手ボランティアは以前聞いたことがある。それから65歳以上の横の繋がりの企画も逸徳氏らしい。きっと評判を呼ぶだろう。
老いも階層別に分類されるのだろう。認知症は終末期としていいのだろうが、この特徴は「人間の崩壊期」ということなんだね。崩壊期であっても命は命という闇雲の延命しか考えないのが今の医療なのだが、尊厳との関係でもう一度きちんと考えてもいいのではと思う。明晰なうちに命を終えることを社会がきちんと容認する仕組みを考えるべきと思っている。先に紹介した高裁の裁判官だって、現役の頃は明快な論理で人を裁き、時に涙し、人の道を説いたのだろう。認知症の妻に殺められる自分が何ものかも認知できない、こういう自分の最期って一体何だ。彼には真当に生を終える権利はあるはずだ。
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