辻井喬のは自伝文学の括りだろうな。立場上いろんな有力者と会っていて自然に、歴史、経済小説の形にもなった。北杜夫の「楡家の人々」、佐藤愛子の「血族」(だったか)とか、それぞれ一族の歴史を扱っている。こういうジャンルがあるんだろう。
ひと頃、辻井喬は新聞とかラジオに随分出て、自分史を話していた。弟の義明については、(兄弟といっても長ずるまで交流はほとんど皆無たったろうが)、「彼と話をしても全くディスカッションにならない」と言っているのを聞いたことがある。思考の仕組みが全然別の人種という感じを抱いていたらしい。判る気がする。父親も同じ体質なんだろうが、何せオヤジじゃ無視もできない。
こういう一種の実録小説は面白いし、作者は当代有数の知識人であるから分析も只ならぬものがあるのだろう。
芥川賞にもどるが、純文学(余り言われなくなったが)がどうなっていくのか関心があり、それで読んだのだが。つまりリアルの世界を扱うのではなく、一種の仮想の世界の物語りだ。作家の世界観とか構想力とか。世界的に言って低迷期にあるという説がある(加藤周一)。しかしこれが実態とはなあ。
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